「目的と手段」と「民主党政権」。

今日は、とあるアポがあり、久しぶりに六本木ヒルズを訪ねた。

プライベートでは数ヶ月前にも行った気がするが、オフィスに足を踏み入れたのは久しぶりだった。

ビッグビジネスというか、おカネの匂いがした。

ところで、遂にというか?もっと早くにそうあるべきだったというか?社民党が連立政権を離脱した。

多くの方がそう思っていただろうが、理念の共有もなく、ただただ「政権を獲る」ためだけに参集した連立政権は、遅かれ早かれ、こうなることは「自明の理」だったと思う。

「普天間問題」が、そのトリガーになったということだ。

今回のドタバタ劇を見ていて、僕の頭を過ったのは「目的と手段」。

そもそも「政治家」の「目的」とは何か?

国政であれば「より良い国を創ること」だし、地方政治であれば「より良い地域を創ること」なのは言うまでもない。

しかし、政治家になり、自分が理想とする国家なり地域を実現しようとすると、まずはその「手段」として「選挙」に勝たなければならない。

ここに、現実というか、大きな矛盾(理念よりも「数」を優先)があるわけで、政権を獲らなければ、政策は実現できないということだ。

でも、悪いことばかりではない。政権が自民党から民主党に変わったことで、日本が直面する様々な問題が明るみになったし、上手くすれば、政治の世界でも「世代交代」が起きるかもしれない。

ところで、民主党では先日、「財政規律派」の議員連盟「国家財政を考える会」が発足した。

代表に就任したのは、小沢幹事長と距離を置くとされる「七奉行」の1人である「玄葉光一郎」氏だが、実は、玄葉氏と僕の弟(次男)は高校の同級生で、玄葉氏には何度かお会いしたことがある。

今や次期リーダーのひとりだ。

玄葉氏は、初会合の挨拶で、こう述べたらしい。

「政治家は保身を排して正論を主張し、それを実現する姿勢が必要だ」。

玄葉氏には是非とも頑張って欲しい。

話は変わるが、僕の父は生前、何かにつけて「目的と手段を履き違えるな」と言っていた。

政治の世界はさておき、自分自身の生き方において「目的と手段」を履き違えることのないようにしたい。

言葉にするほど簡単ではないが・・・。

ここにクルマを停めて大丈夫なの?

今日は妻が終日、結婚式で外出。僕は終日、子供と一緒だった。

子供がまだ小さい頃は、僕ひとりで一日、彼の面倒を看るのはプレッシャーだったが、最近はだいぶ聞き分けが良くなり、それほど苦にならなくなった。

午前中は絵を描いたり、ひとりでオモチャで遊んだりしていたが、11時半頃に家を出て、ガソリンスタンドに向かった。

実は先週の金曜日、ガソリンスタンドにクルマを置いて、修理に出していた「靴」を取りに行ったのだが、その「靴」をスタンドに忘れてしまったことに今朝になって気がついた。

実は、ちゃんとお金を出して買ったら「6万円以上」もする「オーダーメイドの靴」である。

失くしてしまったのでは、贈って下さった「今井さん(靴職人)と添田さん(プロデューサー)」に申し訳がたたない。

朝一番でスタンドに電話をしたところ所在が確認でき、胸を撫で下ろす。

さて、大切な靴を取ってきた後は、お気に入りのレストランで食事をした。

久しぶりの僕との一日を楽しんでいたのか、我が子は饒舌だった。

ところで、4歳8ヶ月になった彼は、なかなか高度な会話を挑んでくる。

「好き嫌いをしないで何でも食べないと大きくなれないよ」という話をしていた時だったと思うが、彼が「ビタミンBが入っているから豚肉は身体にいいんだよね?」と聞いていたので「そうだよ」と答えると、「でもさあ、ビタミンBアレルギーの人はどうする?」との質問・・・。

予想外の質問に、答えに窮してしまった(笑)。

気を取り直して、「たぶん、ビタミンBアレルギーの人はいないと思うよ」と答えるのが精一杯だった。

食事を終えた後は、薬局により買い物をした後、彼がお気に入りの公園へ。

その公園の横はクルマを停めておいてもまず駐禁は切られない場所なのだが、僕がクルマを停めようとすると「ここにクルマを停めて大丈夫なの?」と訊いてきたので、「時々、見ていれば大丈夫だよ」と答えると、「長く遊びたいから駐車場に入れて」との切り返し。

「正論」には逆らえず、仕方なく駐車場へ。

実際、2時間近く、公園で遊んでいた。

さて、公園を出た後、買い忘れたものを買いに薬局に向かうと、途中で眠ってしまった。

盛りだくさんの一日が終わった。

ところで、サッカー日本代表がイングランド相手に「善戦中」!!

頑張れニッポン!!!

「店舗」の「統廃合」。

僕にしては珍しく、最近はブログのネタに困ることがある。

困るというのは、書きたいネタがないという意味ではなく、書きたいが「書くと困る」という意味である(笑)。

僕自身のことなら自分の許容範囲で何でも書けばいいが、他人が絡むことになると、ご迷惑をおかけしたりする。

最近は何故か、そういうネタが多いのだが、それは裏を返せば、自分自身に関するネタがない、ということかもしれない・・・。

それじゃマズいんだけど!!(爆)

さて、そのブログのネタだが、今日は「店舗の統廃合」について。

僕が住んでいる街には、駅の両側に「三菱東京UFJ銀行」があったのだが、なんと、僕らが住んでいる側の店舗が「閉鎖」されてしまった。

僕は昨日までその事実に気づかなかったが、妻に聞かされて、そのことを知った。

天下の「三菱東京UFJ銀行」と言えども、採算をシビアに見直す必要に駆られているということだろう。

ところで、来週は久しぶりに「いつものメンバー」でゴルフに行くのだが、その4人のひとりが「下丸子」に住んでいる。

この4人でゴルフに行く場合、僕か下丸子に住んでいる彼のどちらかがクルマを出すことになっているのだが、僕がクルマを出す時は、他のふたりを拾って「下丸子」の「ナチュラルローソン」で集合する、というパターンだった。

「だった」と書いたのは、集合場所の「下丸子」の「ナチュラルローソン」が「セブンイレブン営業(7am開店、11pm閉店)」になってしまい、6時集合のプランはNGになってしまったという意味である。

たしかに、住宅街(大規模開発のファミリー向けマンション群)の「下丸子」で、夜中に来る客は殆どいないだろうから、その間、店を開けていても、人件費や光熱費をペイできないのだろう。

今までは、黒字店もプラマイゼロも赤字店もあって、全体で利益が出ていれば良しとしていたのだろうが、そんなことでは済まされなくなってきたということだ。

「コンビニ」と言えども、全国どこでも一律のサービス(営業時間)というルール?は、これからは見直されて行くのかもしれない。

「経営の合理性」という意味では、当然のこととも言える。

話を「銀行」に戻すと、「あおぞら銀行」との経営統合が白紙に戻った「新生銀行」は「渋谷支店」を閉鎖するという。

因みに、僕個人のメインバンクは「新生銀行」「渋谷支店」である。

「諸行無常」である。

「連立政権」も激変のようだし・・・。

50代になった「松任谷由実」。

今日は何年ぶりかで東京の下町「人形町」を訪れた。

「甘酒横丁」なる名前のついた通りを歩き、とある会合に向かった。

僕が住んでいるエリアとは赴きが異なり、ちょっとした異文化を楽しんだ。

ところで、今日の日経新聞夕刊に、ユーミンこと「松任谷由実」のインタビュー記事が載っていた。

ミーハーだった僕は何度か彼女のコンサートに出掛けたことがある。

最も想い出深いのは1993年の夏、「逗子マリーナ」で行われたコンサートだ。

海沿いの特設ステージで繰り広げられたライブは、幻想的だった。

そのユーミン。年齢と共に曲づくりに対する考え方が違ってきたと話している。

「年齢を重ねると『もういいじゃない』っていう悪魔のささやきが聞こえてくる。でも、そこで立ち止まってしまうと苦しむのは自分」。そう述懐している。

振り返ってみると、10代や20代の頃も「もがき苦しんで」曲を書いていたそうだ。

「過去は美しく見えるし、身体も若いから、苦しんだ記憶は薄れてしまう」。

でも、「苦しくても一歩一歩歩いて目指すところに辿り着く」。

「今はそれが天才だと思っている」という。

50代になったユーミンのコンサートを見てみたい。

追伸:伊達公子の全仏オープンでの勝利は、素晴らしかった。「尋常ではない精神力」の為せる技だろう。

自分しか証人のいない「試練」。

僕は試合を観てはいないが、ネット上の書き込みを見ていると、一昨日の「韓国戦」は、結果以上に良くない内容だったようだ。

今回のワールドカップは、何となく、盛り上がりに欠ける。

以前のエントリーにも書いたが、幸か不幸か?日本代表がワールドカップに行くのが当たり前になり、それだけでは「評価」されなくなっているのが現実だと思うが、「勝てそうだから応援する」というのでは、あまりに無責任な話だと思う。

フランスの時だったかは、帰国する選手を空港で待ち構えて「生卵」をぶつける(被害者は、たしか城だった)という騒動があったが、裏を返せば、そのぐらい「本気」だったということだ。

高校生の時から大のサッカーファンの妻が「応援しなきゃ、そりゃ負けるよ」と言っていたが、僕は今回だからこそ、応援したいと思う。

ところで昨日は、インタースコープ時代にお世話になったある方と数年ぶりにお会いするために、久しぶりに「東急池上線」に乗った。

実は、妻の実家が池上線沿線にあり、両親が顕在だった頃はしばしばお世話になっていた路線である。

駅と駅の間隔が短く、加速し切る前に次の駅に着いてしまう、何ともローカルな赴きの漂う「池上線」は、僕にとっては「東京の光景」のひとつでもある。

さて、そんなことを思いながら「旗の台」に着くと、時間が止まっているような感覚を覚えた。

高校を中退し「中学浪人」をしていた時の友人が、旗の台にある「昭和医大(昭和大学)」に通っていたこともあり、何度か足を運んだことがあるが、20年以上も前の光景が今も残っていた。

少し早く着いてしまったので周囲を散策すると、何とあの頃にその友人と入った「ゲームセンター」が今もあった。

実は、その彼は、もうこの世の人ではないのだが、彼とやっていたバンドを思い出した。

彼に貸した「ストラトキャスター」は結局、どこに行ってしまったのだろう?

前回は「父」の想い出を書いたが、早くに亡くなった友人の分も含めて、良いことも辛いこともたくさん詰まった「濃い」人生を送りたいと思う。

「旗の台」に向かう途中で読み終えた「ニーチェの言葉」の最後の2つ、「すべての良い事柄は、遠回りの道を通って、目的へと近づいていく」という一文と「自分しか証人のいない試練」というタイトルの元に書き綴られている言葉、そして、この章(最終章)のテーマ(美について)同様、最初のページに書かれている「理想や夢を捨てない」という言葉は、まさに今の僕に必要な言葉である。

ところで今日は、僕が保育園に迎えに行った。

朝からの約束で、帰宅後、彼のリクエストに応えて「アルファベット」を教えた。

日本語の発音にはない「F」「V」と「L」に手こずっていた。

運動神経の発達はやや劣るが、知的好奇心は抜群である。

子供の可能性を信じてあげるのが「親の最大の責任」である。

「製造原価」と「カスタマサポート」。

数日前にTwitterでは書いたが、4月末に、MacBook Pro13インチと一緒に「HP(ヒューレット・パッカード)」のプリンターを購入した。

実は「キャッシュバック」キャンペーンだった(購入後90日以内に所定の手続きをすれば、購入費用が戻ってくる)。

そのプリンターを、ようやく、先週の金曜日に設定した。

「ワイヤレス(WiFi)」機能が付いており、なかなか便利なプリンターだが、ワイヤレス用のドライバーのダウンロードが上手くいかず、少々手こずった。

「HPカスタマー・ケア・センター」なる番号に電話をすると、予想どおり、なかなか繋がらない。

25分ほど「再ダイヤル」を繰り返した結果、ようやく繋がったと思ったら、こんどは「オペレーター」に繋がらない。

仕方なく、電話を「スピーカー」モードにしたまま、ウェブサイトを見ながら自力で解決しようとしていたところ、何とかUSB経由でプリントができるようになった頃、オペレーターの方に繋がった。

それまで「40分」。

しかし、Macユーザーは、専任の担当者からの折り返し連絡(サポート)とのこと。既に、17時を回っており、電話は翌日になる可能性がある(高い)という。

翌日、クルマを運転中に「電話」があり(僕の名前を間違えていた)、その日の予定は未定ながら、夕方に掛け直してもらうことに。

残念ながら帰宅前に電話があり、日曜日の朝、もう一度、電話をもらうことにした。

翌朝、「電話」をもらうと、何と10分で問題は解決。

今は「ワイヤレス」でプリントができる。とても快適だ!

ところで、このプリンター、「コピー」と「スキャナ」機能も付いている。

それで、たしか「12,000円」ぐらいだった!!

「Made in China」と書いてあるが、「製造原価」はいくらだろう?

製造原価よりも「カスタマサポート」のコストの方が高くついているように思う。

もちろん、購入した人が全員、僕のように電話をするわけではないだろうが、それでも電話はパンク状態で、オペレーターの方曰く、上層部に対して「増員を要求している」らしい。

僕はHPの売上も利益も知らないが、PCおよびPC周辺機器で「利益」を上げるには、製造原価も然ることながら、いかにして「操作が分かり易い」機器を造るか?つまり「カスタマサポート(販売管理費)」を最低限に抑えられるか?が、大きなポイントになっているように思う。

因みに、僕は「MacBook Pro」では数回、カスタマサポートに電話をしているが、繋がらなかったことはない。尚かつ、僕が知りたいことや問題は簡単に解決できた。

また、iPhone に関しては、「操作方法」について、一度もカスタマサポートに電話をしたことがない。

そんなことで、金曜日から週末にかけて、製造業(PC周辺機器)における「利益」と「カスタマサポート(コスト)」を考えた。

ところで、ご本人には何の罪もない担当者に、イライラをぶつけてしまったことは頂けない。

「申し訳ありませんでした」。反省しています。

この場を借りてお詫びします。

「父」の想い出。

摂氏31度。

今日の午前中は、とある用事があり、クルマで出掛けていたが、車載の温度計を見ると30度を超えていた。

窓の外には、ほぼ一年ぶりの、夏の風景があった。

ところで、今日は、僕が24歳の時、55歳で亡くなった「父親」のことを書いてみたい。

今の母(養母)のことは何度か書いた記憶があるが、実際はどうかは別として、産みの両親のことをブログに書いた記憶がない。

でも、ここ1~2年は、彼らのことを考えることが多く、僕の思考のかなりのシェアを占めている。

僕の父は昭和6年生まれ。もし、生きていれば「79歳」。いったいどんな老人になっていただろう?

父は、地元(福島県郡山市)の総合両院の事務長をしていた。

理事長に仕えて病院経営の現場を取り仕切っていたわけだが、実母が亡くなる前は、完璧主義者というか鉄人のような人で、感情の起伏も見せず、弱音を吐くことなど勿論なく、子供たちから見ると、付け入る隙がない人だった。

その父は、母が亡くなった後、別人のようになった。

人懐っこくなったというか、人間っぽくなったというか、俗っぽくなったというか、とにかく、人間が丸くなった。

その変化は、当時15歳だった僕にも、はっきりと分かるほどだった。

父を変えさせたのは、物理的に配偶者を亡くしたということよりも、自分の妻がどういう想いで結婚生活を送っていたか?母の日記を読んで、そのことを知ったことが大きかったのだと思う。

子供だった僕から見る両親は、夫婦というよりも、大人の男性と女性が一緒にいる、つまり、感情で結びついているのではなく、理性で結びついている、という感じだった。

今の母(養母)と結婚してからの父は、以前とはまったく異なる人間になった。

肩の力が抜けて、いい意味で、普通の人間として人生を送っているように見えたし、母との生活も楽しんでいるように思えた。

ある時、母(養母)から、父のことについて、ある質問をされたことがある。

どうやら父はその頃、仕事で大変な時期にあったようで、仕事で疲れて帰ってきても、母は自分を癒してくれない・・・ということを言っていたらしい。

母がそのことを「どう思う?」と僕に訊いていたわけだが、僕は「それは親父の甘えだよな」と答えた。

今だったら、決してそうは答えなかっただろう。

でも、そうやって、自分の夫との間のことを僕に訊いてきた(話をしてきた)ことは、血の繋がりを超えた、親子の会話だった。

ところで、自分で言うのは何だが、僕はドリームビジョンで失敗をしたことにより、変わったと思う。

まだまだエエカッコしいだが、エゴがだいぶ薄れてきた。

話は変わるが、妻が言うには、僕たちの子供は、容姿と体質は妻に、性格は僕に似ているという。

たしかに、僕もそう思う。

ということは、彼も苦労の多い人生を送るのかもしれない。

大人になった彼の相談に乗れるまで、生きていたいと思う。