小学6年生の頃の「石川遼」と「イチロー」。

昨日のエントリーで書いた「<就活>廃止論」の書評とは言えない書評で、ひとつ、書き忘れたことがあった。

佐藤さんが著書の中で紹介していた、ゴルフの「石川遼」選手と野球の「イチロー」選手の小学6年生の時の「夢」が「鮮烈」だった。

僕が「鮮烈」と書いたのは、その夢の内容(まるで今の姿を予言しているようである)も然ることながら、小額6年生の時に、そのような「具体的」な「夢」を描けたことと、その「夢の実現」を信じて疑わず、努力を続けてきたことである。

僕はそもそも、小学6年生の時、どんな夢を持っていたかも憶えていないし、仮に何らかの夢があったとしても、その実現を本気で信じてはいなかったのではないかと思う。

要するに、彼らほど「自分の将来像」をはっきり描けていなかったということだ。

自分の将来像がはっきり描けないのだから、その実現を信じる以前の問題である。

では、どうすれば、彼らのように子供の頃から具体的な将来像を描けるようになり、どうすれば、その実現を信じられるようになるのだろう?

夢の実現を信じられなければ、努力を続けることはできない。

持って生まれたものが違うのかもしれないが、「環境要因」や「後天的」なものもあるはずである。

そのことに興味を持った。