「授業妨害」。

さて、ここのところ、僕の実体験をもとに、教育のあり方に関する「批判」めいたことを書いてきたが、今日は僕が受けた「ポジティブな影響」の話をしようと思う。

「誰が担任だったか?」ということが非常に重要だという話を書いたが、僕が中学2&3年の時の担任の先生は、とても素晴らしい方だった。

タイプは異なるが「金八先生」のような人で、僕たちのクラスは学年で最も「求心力」があった。

「遠藤和男」というその方は美術の先生で、そのことも影響していたのか、生徒を型にはめるということは一切なく、それぞれの「個性」に目を向けて接してくれた。

その遠藤先生のお陰で、僕の中学生活は、とても楽しい時間だった。

ところで、こうしていざ、遠藤先生のことを書き始めてみると、とても素晴らしかったということ以外、具体的なエピソードでブログに書いておもしろいと思えるものがないことに気がついた。

性格にも依るのだろうが、人間は楽しかったことは忘れてしまい、心に傷を負ったことは憶えているのだろう。

「心に傷」ということで言うと、僕が高校受験に失敗した話は何度も書いてきたが、その翌年、再受験の2週間前に、母親が亡くなった。

その時、遠藤先生が僕の自宅に弔問に訪れ、母の遺体の前に座って、泣き崩れるように僕の受験合格を祈ってくれたことを今でもよく憶えている。

それだけ、生徒の人生を自分のこととして受け止め、真剣に対応してくれていた方だった。

中学時代の僕はどんな生徒だったかというと、勉強はそこそこできて学級委員長をし、尚かつ、いわゆる不良少年達と付き合ってタバコは吸うは家出はするはと、フツーの先生にとっては、手に負えない厄介な存在だった。

ある時、ある科目の先生で、授業が退屈というか、1年生の時に教わっていたその科目の先生と較べると、教え方自体も人間的魅力も、どうしても劣ると感じてしまう先生がいて、僕は半ば「授業妨害」のような態度を取っていた。

その先生が職員室で「4組(僕たちのクラス)の授業はしたくない」とこぼしていたらしく、その原因が僕にあり、遠藤先生が「なぜ、そういうことをするんだ?」と訊いてきたので、正直にその理由を話たところ、そのことには理解を示した上で、「でもな、一生懸命に勉強しようとしている他の友達に迷惑じゃないか?」と言って、僕を諭してくれたことがあった。

遠藤先生にそう指摘されて、僕は自分のしていることの意味に気づき、それ以降、授業妨害のような態度は取らなくなった。

何事も決して頭ごなしに怒るということはなく、生徒との対話を誰よりも大切にする方だった。

でも、今にして思うと、他の先生達からは相当に煙たがられていただろうし、職員室ではきっと「居心地が悪かった」のではないかと思う。

教師としては間違いなく、「異端」だった。

小学校はそうでもなかったが、僕にとって高校は最悪で、でも、中学時代の楽しい想い出があったお陰で、何とかやってこれたように思う。

親や教師に限らず、その人の一生を左右するほどの影響力を持つ人がいる。

人間は「環境の動物」である。