午前零時を回って2010年4月1日。日本は今日から新年度。
この3ヶ月は「あっ」と言う間に過ぎた。
年度末の昨日。子供を保育園に迎えに行った。
ナーバスになっていた頃は、僕の姿を見つけると一目散に駆け寄ってきていた彼も新しい環境に慣れてきたのか、今日はすぐには寄って来なかった。
教室を出て門を出ようとすると、今日で保育園が最後の最年長の園児達が敷地内で鬼ごっこをしており、それを見た我が子も楽しくなったのか、延々と敷地内を駆け巡り、なかなか帰ろうとしない。
まるで以前の保育園にいた頃のようだった。
ところで、Twitter上でRTされまくっていたのでご覧になった方も多いと思うが、ソフトバンクの孫さんが、来年の新卒学生を対象とした講演をしたらしい。
その時間、何と140分強。
世の中には奇特な方がいるもので、孫さんの話を書き起こしてくれており、最初はそのテキストを読んでいたのだが、それがUstreamで期間限定(3/29より一週間)で保存されていると知り、彼の肉声(Macintosh越しではあるが)を聞いてみた。
実は、2003年だったか2004年に、当時の「YEO」という組織のイベントで、孫さんがIR等を除き4~5年の沈黙を破って講演されたことがあった。
その講演、当初の予定は「30分」だったそうだが、話をされているうちに孫さんが乗ってきたらしく、結果的に「90分」の講演となった。
実は、その立役者は、主催者のある女性だった。
ノってきた孫さんに時間を提供した方がみんなのためになると思い、その後の予定を調整し、孫さんと僕たちに「90分」の時間を提供してくれた。
素晴らしい意思決定だったと思う。
僕は幸運にも、ほんの2~3メートルの距離で孫さんの話を聴いていたが、その時のことを思い出した。
実際、話の内容も、その時と同じものがたくさんあった。
それだけ、孫さんという人は「想いと行動」が「一貫している」ということだろう。
孫さんの声は柔らかく、とてもゆっくりと話をされ、エネルギーの塊という感じではないのだが、何故か、聞く人を魅了する。
彼の「有言実行の生き方」とその「スケールの大きさ」と「波瀾万丈」の人生が、聴く者の心に響くのだと思う。
詳しくは、上記のリンク先をご覧いただければと思うが、孫さんの言葉で僕が心に留めたいと思ったのは、以下のふたつ。
「出会いは突然訪れた」。
「登りたい山を決める。これで人生の半分が決まる」。
前者は、僕の人生においても、そのスケールは別として、まったく以て同感である。
しかし、後者となるとどうか?
孫さんが仰っていたとおり、「皆、一生懸命に生きている」。
「でも、自分がどの山を登るかを決めずに歩いているのでは、彷徨っているに等しい」。
「99%の人がそうである」。
「痛い質問」である。
ところで、僕が超マイナー株主のひとりとして応援している、「伝説のホテル」なる何やら怪しげなコンセプトのホテルを建てようと奮闘している鶴岡さんのメルマガに、日本人で初のパリダカールラリー総合優勝を勝ち取った「篠塚健次郎」さんのことが書いてあった。
僕もとあるご縁で篠塚さんの講演を拝聴し、篠塚さんと一緒に写真に収まったことがあるが、彼の本で読んだことが書いてあった。
<レースを勝つために必要なこと=目標をチームで共有すること>
世界中から集まったメカニックなどのチームは、総勢50名。
そのチーム全員で、自分たちのチームは
・優勝を狙っているのか?
・トップ10を狙っているのか?
・完走を狙っているのか?
を明確にする必要がある。
たとえば、
ギアチェンジャーを交換するのに、
優勝を狙っているチームは17分で交換する。
車の下の鉄板は150度に達している。
もし、トップ10を狙っているなら、3分くらい一服してからでもOKだ。
完走を目指すなら、15分おいて安全に交換すべきだろう。
何もかもが、何を目指しているかによって変わってくるんだ!
深い話である。
幸運にして「自分が登る山」を決められたなら、それはイコール、自分が目指して���る「山の高さ」を決めたことになる。
スニーカーでも登れる山か?
登山靴が必要か?
それとも、フル装備で入念な準備が必要な山か?
それによって、集める必要のある仲間も違ってくるし、仲間を集めたからには、自分に降り掛かってくる「期待と責任」も違ってくる。
そういう僕は、自分にとって「3度目の起業」であるドリームビジョンでは、その「期待と責任」に応えられていない。
でも、幸いなことに、まだ、時間はある。
一方、孫さんの話を聴くために集まった21~22歳の若者と較べると、僕のバッテリーの残存時間は、それほど長くはないのも事実(25~26年も違う)。
今から準備できることには限界がある。
しかし、僕もこの25年を無駄に過ごしてきたわけではない。
ドラッガーの言うとおり、「成果を生むために、既存の知識をいかに適用するかを知るための知識がマネジメントである」ならば、僕が今までの人生で会得した材料を、言ってみれば「冷蔵庫にある食材」を確認した上で、「何がつくれるか?(何をしたいのか?)」ということだ。
足りない具材が皆無ということはないだろうから、多少の材料なら、スーパーに買いに行けばいい。
「思いがけない材料」と出会えることもあるかもしれないが、その場合も、どんな「料理」をつくるかを予め、ある程度は決めておいた方がいい。
そうじゃないと、その材料が自分のメニューに使えるかどうかを判断できないだろうから。
ところで、スーパーで思い出したが、中目黒の東急ストアの地下の食料品売り場で、iPhoneが使えるようになっていた。
孫さんの「創業30周年記念の電波改善宣言」のひとつの成果だろう。
さて、自分自身のことに話を戻すと、2010年の最初の3ヶ月は、それなりに充実した時間だった。
次の3ヶ月をどう過ごすか?
ここ数日、よくよく考えようと思う。
「人生は短い」。
追伸:話は変わるが、このエントリーを書きながら、久しぶりに、YOUTUBEで「ホテルカリフォルニア」のライブ(アコースティックVersion)を聴いていた。
歌詞に出てくる「1969年」は、伝説のロックイベント『ウッドストック』が開催された年でもあるが、その年から「ロック」が商業主義に染まっていったらしい。
その暗喩として、「1969年以来、お客様の指定される『スピリッツ(お酒の種類=純粋なロックという意味で使っているのだろう)』は当ホテルにはございません」というフレーズが出てくる。
「ホテルカリフォルニア」は、僕が中学浪人をしていた頃(だったと思う)、親父に質問しながら、初めて訳した洋楽だった。
郡山駅前にあったマルイで、たまたまイーグルス詩集なる本を見つけて、自分の訳がほぼ正しかったことを知った時は、とても嬉しかった。
僕にとっては、それもひとつの「小さな成功体験」だった。