「自分は自分にしかなれない」。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉とは裏腹に、一昨日あたりから寒さがぶり返してきた東京は金曜日の夜。

僕は「檸檬の白い帖(めもん)」なる「芝居」を観に、新宿西口まで出掛けた。

一瞬、話は逸れるが、来週月曜日(3/29)は、「日本フォーム印刷工業連合会」なる印刷関連の業界団体での講演を頼まれており、今日は一日、その資料をつくっていた。

僕の講演後、朝日オリコミの鍋島裕俊さんという方とのパネルディスカッションがあり、僕が何を話すかを鍋島さんに事前にインプットするため本日18時過ぎ、完成度60%の資料を主催者に送付した。

劇場に向かう途中、iPhoneでメールをチェックすると、僕が送った資料を確認したとの返事が来ており、主催者の期待値は何とかクリアしていることが分かり、ホッとした。

ところで、3/27(明日)は、僕が最初に会社を設立した日(1991.03.27)で、僕にとっては「起業記念日」のようなものだ。

あれから19年。

「思えば遠くへ来たもんだ」という台詞?があったような気がするが、我ながら、よくまあ今までやって来れたと思う。

さて、話を「檸檬の白い帖(めもん)」に戻すと、その芝居には、ドリームゲートの仕事を通じて、ここ2年前ぐらいから急速に親しくなった「影山さん」がプロデューサー兼「台詞は殆どない役(と言っては失礼だが、本人がそう言うので・・・)」として出演するということで、何としてでも月曜日の講演資料の目処をつけなければならず、久しぶりに朝から気合いを入れて資料づくりに励んでいた。

「講演資料を完成させた方がよいだろうか?」という想いが過らなかったわけではないが、でも、影山さんへの義理立てとは別に、自分でも理由はよく分からないが、僕の直感として、「この芝居は観ておいた方がいい」という気がしていた。

18時半に自宅を出て、開演5分前に会場に着くと、笑顔が素敵な受付の女性スタッフが迎えてくれた。

劇場に入り、客席の一番上の席に腰を下ろして周囲を見渡すと、そこそこのお客さんが入っていた。

でも、一列3席の座席が3列。満席でざっと100人強ぐらいの劇場だろうか。決して大きな劇場ではない。

3/25(木)から28(日)までの計7回公演。

毎回ほぼ満員の100人ぐらい入ったとしても5,000円×700人=350万円。

本番までの稽古代(会場費)、公演中の会場費、美術・衣装、立派なパンフレットの製作費等を考えると、役者さんたちを含めたスタッフの人件費は出るのだろうか?という収益構造(僕がシミュレーションするのは大きなお世話だが/笑)である。

ここ最近は何だかんだと慌ただしくしており、パンフレットを読む余裕もなく(余裕があっても読まなかっただろうけど/笑)、いったいどんなストーリーの芝居が始まるのか・・・と、少々不安な心境で開演を待った。

しかし、公演が始まるとすぐに、僕の下世話な収支シミュレーションなどバカげたことだということが分かった。

そんなことはどうでもいい。とても素晴らしい芝居である。

因みに、この「檸檬の白い帖(めもん)」なる「芝居」に出ているのは、一部の人を除き、殆どが素人か素人に毛が生えたぐらいの人達で、約半数はこの劇団の主催者が経営する「マメヒコ」という喫茶店のスタッフである。

自分で言うのは烏滸がましくて恐縮だが、僕はテアトルアカデミーという、そこそこ著名な劇団のオーディションを受けて合格した過去(笑)もあり、それなりの見る目を持っているつもりだが、役者さん達は、素人とは思えない存在感があった。

特に、本職は大手ハウスメーカー勤務という主演女優の「小菅佳代子さん」は、その端正な顔立ちと通りの良い声もあり、芝居に「ハリ」を与えていた。

ところで、この芝居の舞台は「22世紀の日本」。

「自殺志願者」が急増し、政府は止むなく、トリハヤメンという安易に自殺できる薬を配布することにした。

主人公の「檸檬(小菅佳代子さん)」は、トリハヤメンを飲んだものの死にきれず、この世と地獄の狭間に迷い込む。

そこはなぜか株式会社になっており、迷わず働くことを命じられる。

「迷わず」に働き且つ「帖(めもん)」と呼ばれる生前に関する申請書に何一つ「嘘」を書かなければ、この世に戻してもらえるという話になっている。

そして、中国が日本に対する「エネルギー封鎖」を仕掛けてくるという設定(この先のアジアは緊張感が高まると思う)を含めて、今の日本社会が抱える問題点とリスクが随所に織り込まれており、脚本・演出・役者であるカフェ・マメヒコ店主の井川啓央氏の才能が感じられた。

さて、物語が始まってまもなく、主人公の「檸檬」が死に損ねて、常世(とこよ)と現世(うつしよ)の狭間に迷い込んできたのだが、僕は彼女を見ていて「人間には『女性』と『男性』がいるんだな・・・」という、極々当たり前なのだけれど、僕にとっては「異性」である「女性」という性の存在を再発見させられたような、何とも表現しきれない感覚に捕われた。

そして、実は「檸檬」の父親は、彼女が5歳の時、事業が上手くいかなかったことで自殺をしてしまっており、そのことで彼女は苦しんできたこと、父親の顔も声も憶えていないことなど、人間の営みというものの本質を考えさせられる物語で、また、バックに流れる音楽が素晴らしく、知らぬ間に「感情移入」させられてしまっていた。

これは、最後の舞台挨拶で聞いた話だが、バックに流れる音楽はCDではなく、すべて生演奏だったらしい。

ところで、僕にとっての「起業記念日」の明日は久しぶりのゴルフで、帰宅後すぐにでもブログを書きたいという逸る想いを抑えるべく(そうするとお風呂に入らなくなってしまうだろうと思い)、まずはお風呂に入り、気持ちを鎮めてから、このエントリーを書き始めたのだけど、今回に関しては、想いに任せて書いた方が良かったと、少々後悔している。

何故なら、冷静になったせいで、文章の構成を考えながら書いており、その分、僕の心のリアルな感動を上手く表現できていない気がしている。

スタッフの皆さんが出入り口でお客さんを見送ってくれている時、僕は影山さんに、「ブログに書きます」としか言えなかった。

それ以外に、今日の感動を表現する言葉が見当たらなかった。

明日が早いので、パンフレットを送ってくれた時に同封されてい影山さんの手紙のある一節を紹介して、このエントリーを終わりにしたいと思う。

「とことん、時間をかけてつくります。特別な才能や技術がない者が人を感動させようとするのであれば、一生懸命努力するしかない。器用なものづくりを目指すのではなく、役者やスタッフが、研ぎすました肉体と精神とを使って、お客さんと時空を共有した中、ひとつの舞台をつくる。お芝居には、映画やコンサートともまた違う、特別な感動があると信じています」。

「自分は自分にしかなれない」。

「檸檬の白い帖(めもん)」を観て、僕が感じたことである。

追伸:明日は、良いスコアが出ますように!!