「合格発表」と「初めての挫折」。

「暑さ寒さも彼岸まで」と昔の人は言ったらしいが、今日の東京は、春がもうすぐそこまで来ていることを実感させてくれる陽気だった。

ところで、毎週火曜日は、妻の仕事が朝早いので、親子3人で家を出て、まず、子供を保育園に送った後、彼女を仕事場まで送っていくのだが、ここのところ、家族旅行だのインタースコープ10周年イベントだの、子供が昨年まで通っていた保育園の遠足(OBOGも遠足に参加可能な、とてもフレンドリーですばらし保育園である!)だのと、かなり予定が盛りだくさんな日々を送っており、ガソリンを入れにいく暇がなく給油マークが点灯していたので、彼女を送った後、いつものスタンドまでガソリンを入れに行った。

青山学院の西門前を通り、並木橋の交差点を過ぎ、八幡通りを代官山方面に向かう辺りから、サンルーフと窓を開けてみたところ、とても心地よい風が入って来た。

話は変わるが、今日(3.16)は、僕にとって、人生で初めての「挫折」を味わった日だった。

「早生まれ」の僕は当時、まだ「14歳」だったが、高校受験の「発表」が今日(3.16)だった。

実際に「年齢」を書いてみると、まだまだ幼かったということを再認識させられる。

「14歳の少年」にとっては、何度見直しても自分の番号だけが「飛んで」おり、高校受験に「落ちた」ことを理解した瞬間は、それこそ、人生そのものが終ったような気にさえなり、自分の顔を周囲に晒すことが耐えられなかった。

一昨日のエントリーで「中退予防研究所」の取り組みについて紹介したが、意中の高校に落ちた僕は、定員割れで二次募集をしていた高校に入学したものの周囲の友人と話が合わず、3ヶ月で「中退」した。

つまり、僕自身が「中退」経験者であり、当時から「時代の先端」を行っていたとも言える(笑)。

あれから32年。でも、こうやって何とか「幸せな人生」を送っている。

ところで、僕たちの子供は、今年から「新しい保育園」に転園した話は何度か書いたが、一時期はだいぶ慣れてきたように思えていたのも束の間、最近は、また、毎朝、大泣きするようになった。

理由はともかく、彼にとっては「アウェイ」な環境なのだろう。

そういう僕も、幼稚園の頃、仮病を使って「登園拒否」をしていたことがあり、彼の気持ちはよく分かる。

「親ばか」で大変恐縮だが、2歳10ヶ月の時に、自分からバイオリンを習いたいと言い出す(とにかく音楽が好きである)くらい感受性の豊かな子供なので、逞しい子供たちには何ともないことでも、彼は敏感に感じてしまうのだろう。

でも、この先の彼の人生を考えた時、これは「必要な試練」だとも思う。

ところで、「子供手当」法案が衆議院で可決されたとか・・・。

おカネをバラまくよりも、もっと効果的な政策がたくさんあるはずである。

「財源」を無視すれば、おカネを配るのは簡単だが(その結果がどうなるかは別として、一万円札を刷ればいいのだから)、おカネで解決しようとするのは「能がない」からだと思うのは、僕の性格が悪いせいだろうか?

勿論、大概のことは「おカネ」で解決できるのは事実であり、僕はそれを肯定こそすれど否定はしないが、問題は「おカネの使い方」である。

要するに、おカネを配った方が「簡単」なのである。

「教育制度」や「保育園・幼稚園」の仕組みを改革するには、相当な「覚悟」がいる。