「茶パツ」と「ピアス」と「捨て身」の心。

ここ数週間は何だかんだと慌ただしく、今月はブログの更新も滞り気味だったが、今日は僕の誕生日もであるし、ここのところ、書きたいと思っていたことを書こうと思う。

昨日は「日本フォーム印刷工業連合会」なる団体の月次セミナーの講師としてお招きいただき、「新たなるビジネスモデルへ���挑戦(「既に起こった未来」というドラッガーの著作のタイトルを副題につけた)」というテーマのもと、約1時間、話をさせていただいた。

僕にとっては殆ど接点のない「フォーム印刷」なる業界団体のセミナーにお招きいただいたのは、あるベンチャー仲間からの依頼により「JAGAT」という印刷関連団体の年次カンファレンス(PAGE2010)で講演をさせていただいたことがきっかけだった。

僕の話は、印刷(紙メディア)の「機能の本質」と「その限界」について、そして、Webの進化がもたらすインパクトについてだが、印刷業界の「経営層」の方々(年齢的には50代60代がメインだったと思う)が、どの程度、ウェブに関する知識をお持ちなのか?が分からず、薄氷を踏むような気持ちだった。

これは主催者(事務局)の方からメールを頂いて知ったことだが、受講者の中に某大手印刷会社の常務の方がいらしていて、良い講演だったとの電話が今朝、あったらしい。

主催者の方の顔も立ったようで、とても嬉しく思った。

ところで、今日は3週間ぶりに中目黒にある整形外科にリハビリに行った。

目黒川沿いの桜は5~6分咲きぐらいになっており、たくさんの人で賑わっていて、季節が変わろうとしていることを実感した。

話は変わるが、整形外科に行った後、とあることで時間を潰す必要があり、老夫婦が経営する代官山のある喫茶店に入ったところ、カウンターに上品で裕福そうな老夫婦が座っていた。

僕が入って程なくした頃、いわゆる「生保レディ」が「挨拶」に来た。

その彼女が帰った後、「いったい何なんだろうね。あの派手な服は・・・。紺のスーツじゃなきゃいけないでしょうに・・・」という会話が繰り広げられた。

僕はiPhoneでメールをチェックしていたので、彼女の服装はあまりよく見ていなかったが、たしかに、コバルトブルーの明るい感じの色だったと思う。

こればかりは個人の美的センスに委ねざるを得ない問題なので、ここでとやかく言うつもりはないが、でも、お客さんに不快感を与えるような色だっただろうか?

因みに、数日前の日経新聞の夕刊で知ったことだが、全日本スキー連盟は、次回のオリンピックから、選手の「茶パツ」と「ピアス」は禁止するそうである。

「国母選手」の問題が、ここまで発展したわけだ。

何だか戦前の「全体主義」の匂いを感じるのは、僕だけだろうか?

そういう僕は「茶髪の中年男性」であり「茶パツ歴19年」。

全日本スキー連盟的には、お話にならない人間ということになる。

「服装」という意味では、僕は、昨日の講演に、敢えて、「パーカー」に「Gパン」という服装で出掛けた。

僕が演台に立つと「予想通り」の雰囲気を感じたので、自分から「いったい、どこの兄ちゃんが来たんだよ・・・とお思いの方が大半だと思いますので」と前置きした上で、見掛けとは違う?極力丁寧な言葉を選び、自己紹介をした。

約70分ほど話をさせていただいたが、寝ている方もいた一方、熱心にメモを取って下さっていた方もいらして、伝わる方には伝わったようだった。

事務局の方から後日、アンケート結果を頂戴できるそうなので、それを楽しみに待ちたいと思う。

ところで、上海でビジネスをされている藤田さんのTwitter経由で、ソフトバンクの孫さんに関する記事を読んだ。

世の中を「革新」する人は「不安に抗し、高い精神エネルギーを維持する、高度な感情知能(EQ)というものが必要になってくるはずである」とし、次の「2つ」の要素が必要だとしている。

ひとつは「状況は自分の力で変えることができる」という信念の強さ。やるべきことをやれば、変えられないことなどない。そう信じる心。

もうひとつは「他人の評価や自分に向けられた感情によって影響を受けない」という点である。世間から「善い人」と思われようとして、既成の秩序を壊すことなどできるはずもない。孫の言葉を借りれば「人の目を気にして生き方を変える必要も、有頂天になる必要もない」という思い定めが、革新者には必要なのだ。

その記事の著者(「 」内は記事より引用)は、そう解説していた。

上記の2点に照らし合わせると、前者もさることながら、僕は「後者」の資質が大きく欠けている。

最近、そのことを改めて感じていたこともあり、この記事は僕の心にストレートに入ってきた。

妻がつい先日、とある会話の中で「音楽の世界では、よほど図太くない限り、成功することはできないよ」と言ってたが、音楽に限らず、成功する保証がなく、確率的には「芽が出ずに終る人が圧倒的に多い仕事」を職業に選んで生きていくには、「自分を信じる強い心」がなければ無理だろう。

僕は28歳で起業して以来、最後の最後は精神力だと思うようになったが、僕には、その「精神力」が欠けている。

では何故、精神力なり「強い心」が持てないのか?ということになるが、それは「失敗する」ことが怖いからであり、失敗することによって生じる「社会の評価」を気にしているからである。

「相田みつを」が、「男が仕事をする時には、常に『捨て身』でなければだめである。捨て身とは、何も欲しがらぬことである。そんとく、勝ち負けという、人間の物さしを捨てることである」と書いているが、そのとおりだと「思う」。

そして「思い」はしても、本当にそれを「実践」するには、それ相応の「勇気」がいる。

「みんなから愛されたい(評価されたい)」と思うから、誰からも愛されないのである。

「個性」が強いほど「敵」もできるし、むしろ、その方が強固な支持者がいるとも言える。

無いものを強請るより、あるものに感謝した方がいい。

ゴルフで言えば「ボギーでいい」と思えた時の方が、良いスコアが出たりする。

結果を欲しがらず、プロセスに集中することが、結局は結果に繋がるということだ。

「人生はすべて必然」であり「人生には勇気と自信が必要だ」。

「生保レディ」の服装の話から「国母選手」と「全日本スキー連盟」の話を経由して「ソフトバンクの孫さん」の話に発展し、最後は自作の「座右の銘」で恐縮だが、そんなことを考えた47歳の誕生日だった。

ところで、35歳になった時、「20歳から今日(35歳の誕生日)までの時間がもう一度やってくると、『僕は50歳になる』という事実に気がつき、目の前に『砂時計』を置かれた心境になった」という話を何度か書いたことがあるが、その「50歳」まで、あと「3年」となった。

「人生は短い」。

「時間という資源」ほど厄介(貴重)なものはない。目に見えないし、保存することもできない。

by Peter F. Drucker

「自分は自分にしかなれない」。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉とは裏腹に、一昨日あたりから寒さがぶり返してきた東京は金曜日の夜。

僕は「檸檬の白い帖(めもん)」なる「芝居」を観に、新宿西口まで出掛けた。

一瞬、話は逸れるが、来週月曜日(3/29)は、「日本フォーム印刷工業連合会」なる印刷関連の業界団体での講演を頼まれており、今日は一日、その資料をつくっていた。

僕の講演後、朝日オリコミの鍋島裕俊さんという方とのパネルディスカッションがあり、僕が何を話すかを鍋島さんに事前にインプットするため本日18時過ぎ、完成度60%の資料を主催者に送付した。

劇場に向かう途中、iPhoneでメールをチェックすると、僕が送った資料を確認したとの返事が来ており、主催者の期待値は何とかクリアしていることが分かり、ホッとした。

ところで、3/27(明日)は、僕が最初に会社を設立した日(1991.03.27)で、僕にとっては「起業記念日」のようなものだ。

あれから19年。

「思えば遠くへ来たもんだ」という台詞?があったような気がするが、我ながら、よくまあ今までやって来れたと思う。

さて、話を「檸檬の白い帖(めもん)」に戻すと、その芝居には、ドリームゲートの仕事を通じて、ここ2年前ぐらいから急速に親しくなった「影山さん」がプロデューサー兼「台詞は殆どない役(と言っては失礼だが、本人がそう言うので・・・)」として出演するということで、何としてでも月曜日の講演資料の目処をつけなければならず、久しぶりに朝から気合いを入れて資料づくりに励んでいた。

「講演資料を完成させた方がよいだろうか?」という想いが過らなかったわけではないが、でも、影山さんへの義理立てとは別に、自分でも理由はよく分からないが、僕の直感として、「この芝居は観ておいた方がいい」という気がしていた。

18時半に自宅を出て、開演5分前に会場に着くと、笑顔が素敵な受付の女性スタッフが迎えてくれた。

劇場に入り、客席の一番上の席に腰を下ろして周囲を見渡すと、そこそこのお客さんが入っていた。

でも、一列3席の座席が3列。満席でざっと100人強ぐらいの劇場だろうか。決して大きな劇場ではない。

3/25(木)から28(日)までの計7回公演。

毎回ほぼ満員の100人ぐらい入ったとしても5,000円×700人=350万円。

本番までの稽古代(会場費)、公演中の会場費、美術・衣装、立派なパンフレットの製作費等を考えると、役者さんたちを含めたスタッフの人件費は出るのだろうか?という収益構造(僕がシミュレーションするのは大きなお世話だが/笑)である。

ここ最近は何だかんだと慌ただしくしており、パンフレットを読む余裕もなく(余裕があっても読まなかっただろうけど/笑)、いったいどんなストーリーの芝居が始まるのか・・・と、少々不安な心境で開演を待った。

しかし、公演が始まるとすぐに、僕の下世話な収支シミュレーションなどバカげたことだということが分かった。

そんなことはどうでもいい。とても素晴らしい芝居である。

因みに、この「檸檬の白い帖(めもん)」なる「芝居」に出ているのは、一部の人を除き、殆どが素人か素人に毛が生えたぐらいの人達で、約半数はこの劇団の主催者が経営する「マメヒコ」という喫茶店のスタッフである。

自分で言うのは烏滸がましくて恐縮だが、僕はテアトルアカデミーという、そこそこ著名な劇団のオーディションを受けて合格した過去(笑)もあり、それなりの見る目を持っているつもりだが、役者さん達は、素人とは思えない存在感があった。

特に、本職は大手ハウスメーカー勤務という主演女優の「小菅佳代子さん」は、その端正な顔立ちと通りの良い声もあり、芝居に「ハリ」を与えていた。

ところで、この芝居の舞台は「22世紀の日本」。

「自殺志願者」が急増し、政府は止むなく、トリハヤメンという安易に自殺できる薬を配布することにした。

主人公の「檸檬(小菅佳代子さん)」は、トリハヤメンを飲んだものの死にきれず、この世と地獄の狭間に迷い込む。

そこはなぜか株式会社になっており、迷わず働くことを命じられる。

「迷わず」に働き且つ「帖(めもん)」と呼ばれる生前に関する申請書に何一つ「嘘」を書かなければ、この世に戻してもらえるという話になっている。

そして、中国が日本に対する「エネルギー封鎖」を仕掛けてくるという設定(この先のアジアは緊張感が高まると思う)を含めて、今の日本社会が抱える問題点とリスクが随所に織り込まれており、脚本・演出・役者であるカフェ・マメヒコ店主の井川啓央氏の才能が感じられた。

さて、物語が始まってまもなく、主人公の「檸檬」が死に損ねて、常世(とこよ)と現世(うつしよ)の狭間に迷い込んできたのだが、僕は彼女を見ていて「人間には『女性』と『男性』がいるんだな・・・」という、極々当たり前なのだけれど、僕にとっては「異性」である「女性」という性の存在を再発見させられたような、何とも表現しきれない感覚に捕われた。

そして、実は「檸檬」の父親は、彼女が5歳の時、事業が上手くいかなかったことで自殺をしてしまっており、そのことで彼女は苦しんできたこと、父親の顔も声も憶えていないことなど、人間の営みというものの本質を考えさせられる物語で、また、バックに流れる音楽が素晴らしく、知らぬ間に「感情移入」させられてしまっていた。

これは、最後の舞台挨拶で聞いた話だが、バックに流れる音楽はCDではなく、すべて生演奏だったらしい。

ところで、僕にとっての「起業記念日」の明日は久しぶりのゴルフで、帰宅後すぐにでもブログを書きたいという逸る想いを抑えるべく(そうするとお風呂に入らなくなってしまうだろうと思い)、まずはお風呂に入り、気持ちを鎮めてから、このエントリーを書き始めたのだけど、今回に関しては、想いに任せて書いた方が良かったと、少々後悔している。

何故なら、冷静になったせいで、文章の構成を考えながら書いており、その分、僕の心のリアルな感動を上手く表現できていない気がしている。

スタッフの皆さんが出入り口でお客さんを見送ってくれている時、僕は影山さんに、「ブログに書きます」としか言えなかった。

それ以外に、今日の感動を表現する言葉が見当たらなかった。

明日が早いので、パンフレットを送ってくれた時に同封されてい影山さんの手紙のある一節を紹介して、このエントリーを終わりにしたいと思う。

「とことん、時間をかけてつくります。特別な才能や技術がない者が人を感動させようとするのであれば、一生懸命努力するしかない。器用なものづくりを目指すのではなく、役者やスタッフが、研ぎすました肉体と精神とを使って、お客さんと時空を共有した中、ひとつの舞台をつくる。お芝居には、映画やコンサートともまた違う、特別な感動があると信じています」。

「自分は自分にしかなれない」。

「檸檬の白い帖(めもん)」を観て、僕が感じたことである。

追伸:明日は、良いスコアが出ますように!!

「羊」でいる代償は「退屈」。「狼」でいる代償は「孤独」。

日本は一年の節目が2度ある。

ひとつはお正月。もうひとつは4月。

そして、3月末から4月中旬にかけて、日本列島を「桜前線」が北上する。

別れの季節でもあり、出会いの季節でもある。

今朝、桜の名所のひとつ、千鳥が渕に立つ「武道館」の前を通ったら、東洋大学の卒業式の看板が出ていた。

彼・彼女達は、どんな気持ちで4月1日を迎えるのだろう?

ところで、ライブレボリューションの増永さんが、ご自身のブログで、某経済紙の社説にクレーム?をつけていた(3月18日付け某経済紙の社説のことと推察)。

彼はブログだけでなく、Twitterでも同様な趣旨の発言をしており、彼の主張は以前から目にしていたが、日本社会の「年度末」にあたり、僕なりの考えを書いておこうと思う。

増永さんの主張は、以下のふたつに要約される。

「年功序列(の賃金制度)は是」。
「人材の流動化ではなく、業態転換がし易い仕組みを考えるべき」。

最初の「年功序列」の「是非」については、まず「言葉の定義」を明確にする必要がある。

これが違っていると、議論は噛み合ない。

日本には「年季が入る」という言葉がある。

何事も「一流」になるには「修行」を積む必要があり、ある程度の「年月」が必要ということだ。

Yahoo! 辞書を引くと「長い間、修練を積んで確かな腕をしている」と書いてある。

つまり「年功」とは「年季が入った」ことであり、「年功序列」は何ら問題はない。

問題なのは「加齢」序列であり、入社後の「時間の経過」序列である。

僕はちょうと1週間後、またひとつ歳をとるが、そのことと僕の能力の向上は同義ではない。

また「年功?」序列とセットで語られる「終身雇用」であるが、これは、働く側に「安心感」を提供することを目的としたものであり、「来月の給料を心配せずに、とにかく仕事に励んでくれ」というものだろう。

これも、それ自体は悪くない。

僕だって、いつクビになるか分からない状態では安心して働けないし、それでも平然としていられるほど図太くはない。

問題は周知のとおり、「能力の向上カーブ」と「給与の支払いカーブ」のギャップにある。

またまた僕の好きなゴルフの例えで申し訳ないが、100を切ったり、90を切ったりするあたりまでは「努力」に比例して伸びていくが、それ以上のレベル(70台)に行くためには相当な努力が必要であり、「投下努力(練習時間)」に対する「技術向上(スコア向上)」の「効率」は極端に悪くなる(と思う)。

要するに「能力は頭打ち、アウトプットも頭打ち(場合によっては下降気味)でも、給与は伸びて行く」という仕組みに問題がある。

こんなこと、僕がわざわざ書かなくても、みんな分かっている(笑)。

つまりは「既得権」を「手放したくない」という人達がいるということである(まあ、みんなそうと言えばそうだ)。

さらに言えば、これもみんな分かっていることだ。

では、どうすればいいか?である。

僕は「解雇規制」を緩和すべきだと思う。

僕はここ一年ぐらいで、今まではあまり接点が無かった大企業の中高年の方々とお会いする機会が出てきたが、そこで実感したのは、元来は優秀なのにも関わらず、社内に「仕事」がないのか?あるいは上司に嫌われたのか?は別として「窓際の憂鬱」を余儀なくされているうちに、失礼を承知の上で申し上げると、もう手遅れと言ってもいい状態になってしまっている人(恐らく少なくない数の方々)がいるということである。

そうなってしまった理由は色々あると思うが、今までの日本社会は、過去の延長線上で何とか「パイ」の拡大ができており、社員を「労働生産性の低いまま」にしておく余力があったことと、若い働き盛りの有能な従業員を囲い込んでおくために、10~20年満期の「約束手形」を発行してきたということだろう。

そして、「企業年金」というポータブルではない仕組みも、人材の流動性を阻んでいるひとつだろう。

これは、産業構造がドラスティックな変化をせず、線形な成長が見込める時には、極めて有効に機能した「雇用戦略」だったのだろう(僕はその恩恵に被ったことがないので皮膚感覚はない)。

しかし、そのシステムは完全に制度疲労を起こしており、騙し騙しいくのも、もう限界である。

そこで、次の「人材の流動化ではなく、業態転換がし易い仕組みを考えるべき」という命題が必要になる。

ここで議論になると思われるのは、「企業が新しい分野に進出する祭に、既存の従業員で取り組むことができるか?」という点である。

ソフトバンクが、ソフトウエアの流通業からネットビジネスへの投資業にシフトし、自らもブロードバンド事業を始めて、気がつくと「携帯電話」事業者になっている。

ソフトバンクの場合、M&Aでの事業拡大や事業転換を行ってきているので、この問いの事例としては適さないと思うが、そのダイナミックな変化を既存の人間だけでドライブできるだろうか?

もちろん、ある程度は対応可能だと思うが、但し、非常に「優秀な人達」であれば、という条件がつく。

大多数の人々にとって「変化は痛み」を伴うし、ある程度の「年季」を経て、ようやく、それなりの仕事ができるようになってから、まったく畑違いのことに挑もう(挑める)という人は、そうそういないのではないだろうか?

そう考えた時、僕は「そのゲームに必要な人材を社外から連れて来る」必要があると思う。

そこで「人材の流動性」が必要になるわけだが、日本では「様々な要因」で、それが阻害されている、というのが社会的なコンセンサスだろう。

僕も、そう思っている。

しかし、この場合は「逆もまた信なり」とはいかない。

つまり、人材が流動化しさえすれば、今の日本社会の閉塞感は解決するか?というと、そうは思えない。

それ以外に、教育の問題、税制の問題、行政の問題等、様々な問題がある(この話をすると、ただでさえ長いエントリーがさらに長くなるので今日は割愛)。

ここが悩ましく、難しいところである。

さて、話を「解雇規制」に戻すと、僕は今までに何度か、経営者として「解雇」をしたことがあり、日本の法律がいかに「労働者」保護を前提としているかを身を以て学んだ。

「法律」というものは常に「事実の後追い」なので、ドラッガーの言う「既に起こった未来」を反映してはいないし、そうなることはない。

産業史を専攻したわけではないので詳しいことは知らないが、以前は「経営者=資本家」であり、明確に「労使」という構造があったと思うが、今の経営者(ここでいう経営者は、大企業なり一部上場企業の経営者)は、一部の創業経営者を除けば「サラリーマン経営者」であり、今や純粋な意味での「労使対立」はない。

また「知識労働者」の社会になると価値の源泉となる「資本」は彼らの頭の中にありポータブルとなり、「資本家=知識労働者」という構図である。

その上で、どうやって「優秀な人材」を「自社に繋ぎ止めておけるか?」が、経営者の仕事である。

そして、現代社会のように「産業の盛衰」サイクルが短い時代においては、「労働力」という観点において社会が「フレキシブル」であることが「競争優位」の条件のひとつだと思う。

また、「社会的価値(効用)」を生み出すことが「企業の存在意義」であり、僕はそれを達成するために「雇用」があると思っているので、雇用を守ることや生み出すことが、企業なり経営者の使命だとは思わない。

「雇用」を生み出すのは「産業」であり、その「産業を創る」のが「起業家や事業家」である。

そういう意味では、結果として、起業家・事業家・経営者は人々を雇用する。

そして、起業家・事業家・経営者は労働者から「選ばれる対象」であり、僕は両者はフェアな関係だと思う。

但し、経営者は「どんな『未来』を実現しようとしているのか?」を明確にし、その船に乗ることが、自分の人生にとって「有益(幸せ)」かどうかを判断できるようにする責任を負っている。

そして、ここで言う「未来」の定義は「創造したい社会的価値(効用)」であり、それによって「どんな社会を実現したいのか?」が人々が自分が働く場所を選択する物差しになるし、そのアウトプットを最大化することが、その企業で働く人々が「物心共」に満たされることに繋がるはずである。

また、パイの拡大が困難な状況で「解雇規制」が厳しく、社会慣行としての「終身雇用」が残ると当然、若者の「椅子」は少なくなる。

加えて、失業リスクの低い人(正規雇用の人)が「失業保険」に入ることができ、失業リスクの高い(非正規雇用の人)は失業保険に入れない(セイフティネットがない)ことも、大きな問題のひとつではないかと思う。

この辺は、城繁幸氏の著作に詳しいので、興味のある方は、そちらを読まれたい。

最後に、そもそも、起業したことも、会社の経営もしたことのない人間が、「雇用」というテーマで、どれだけ示唆に富んだ論説ができるのか?という疑問も残る。

以上が、増永さんがクレームをつけていた某経済紙の社説に対する僕の感想と考えである。

もうひとつ、これは「制度」と「価値観」の問題になるが、日本社会というのは、アスリートやミュージシャン等が「サクセス」をすることは応援するにも関わらず、いわゆる通常のビジネスの世界での「成功者」を出そうとはしていないように思う。

僕の言葉で言わせてもらえば、日本社会というのは「ナローバンド」を善しとし、「ブロードバンド」な生き方を善しとしない傾向があるように思う。

つまり、「はみ出るなよ・・・」という暗黙の価値観が横たわっているように感じるということである。

ところで、とある「歳の離れた友人」が、「ホンダ技術研究所」で「エアバッグ開発者」をされていた「小林三郎(64歳)」氏から聞いた話を教えてくれた。

それが、今日のエントリーのタイトル、

「羊(ものまね)でいる代償は退屈、狼(クリエーター)でいる代償は孤独」

である。

上手いことを言う人だなと思った。

「孤独な狼」でいるには「勇気と自信」が必要だ。

また、同氏は「長期の研究を支えるには自分のコンセプトが不可欠。反対が多く、目標と方向を定めていないと、ぐらつく」とも言っていたらしい。

身につまされる話である。

そして、「あなたの人生(の目的)は何か?」とも。

「皆さん、ここがないんだよ。戦略的に生きてない。あなたの人生なんだから。年に2-3回考えてもいいじゃない、変わってもいいしね。そういうことを考えると自分が自立してくる」。

人生は人それぞれであり、「千差万別、多種多様」である。

「社会の物差し」ではなく、これからも「自分の価値観」に則った「成功」を目指す「生き方」をしていきたい。

そして、「主体性と多様性」に基づいた「生き方」を許容する「懐の深い」社会になることが、もう一度、日本が世界で輝くための「必須科目」だと思う。

「光陰矢の如し、学成り難し」。

Twitterでも書いたが、木曜日の夜、イギリス人の起業家との会食で盛り上がり、ついついワインを飲み過ぎたせいで、金曜日は終日、酷い二日酔いに悩まされた。

さすがに、一日で抜けるかと思っていたら、何と今日も二日酔いが残っており、三日酔い?状態。

三連休初日で天気も良く、子供を連れて、久しぶりに新宿御苑に出掛けたが、夕方まで頭痛と吐き気が治まらなかった。

その新宿御苑、早春に咲く「桜」が満開で、周囲の緑とのコントラストがとてもキレイだった。

今年になったと思ったら、もう一週間もすれば桜の季節。

時間の経つのは、本当に速い。

昨日、「光陰矢の如し、学成り難し」という言葉を検索してみたところ、なるほどな・・・と思わされるブログを発見した。

「少年老い易く、学成り難し」という言い方もあるが、こうして書きながら、僕は35歳になった時、

「20歳から今日までと同じ時間がもう一度訪れると、僕は50歳になる」

と思ったことを思い出した。

因みに、3月30日で「47歳」。あれから12年(一回り)になる。

20歳から35歳までの15年間よりも、この12年間の方が密度が濃かったし、あっという間だった。

1998年頃からネットビジネスを始め、2000年にネットバブルの最終列車に飛び乗り、それなりの成果をあげることができ、一方、2008年末には人材紹介業から撤退し、痛い思いもして、まあ、飽きることの無い12年間だったことは間違いない。

インタースコープを創業した頃、30代最後の3年間を懸けようと思って頑張っていたが、40代最後の3年間をどう過ごそうか?と思っている。

さすがにもういい大人なので、50歳以降の人生も考えないといけないしね。

そして、何よりも重要で大切なことは、どうやって子供を育てていくか?ということ。

ドリームビジョンの株主に対する責任も果たさなければいけないし、あの頃のように、ただ我武者らに突っ走ればいいというものではない。

ドラッガーの言うとおり、「時間」というものは最も「貴重」且つ「厄介」な資源である。

有限であり、保存もできない。

「劣後順位」を整理し、何を捨てて、何を拾っていくのか?を、よくよく考えたい。

追伸:3月という月は、僕にとっては特別な月だ。生まれたのも3月。人生で初めての会社を創ったのが3月27日。インタースコープ創立記念日は3月9日。そして、ドリームビジョンは3月4日。今の母親の誕生日は3月23日。
今年の3月も残すところ、あと11日。充実した毎日を送りたい。

それ、いつからやるんですか?

今日は何年ぶりか分からないほど久しぶりに、オプト創業メンバーのひとりである野内さんとお会いし、お昼をご馳走になった。

Twitterで再会したのがきっかけだった。

彼とは、オプトがまだ「ファックスDM」事業をやっていた頃からの知り合いだが、ゆっくりと話をしたのは、今日が初めてだった。

特に一緒に仕事をしたことがわるわけでもなく、そんなに深い話をしたこともなかったが、お互いに、スクラッチからベンチャーを立ち上げることがどれだけ大変で、どんなダイナミズムがあるかを知っていることもあり、じっくりと話をしたのが初めてとは思えない感じがして、とても楽しい時間だった。

やはり、同じ価値観を共有できる関係というのは「わくわく」するということを、改めて実感した。

ところで、最近、Twitterでグロービスの堀さんをフォローするようになり、堀さんのブログを読むようになったが、その中で、とても考えさせられることがあった。

堀さんが言うには、彼のブログにコメントを寄せたり、Twitterやブログで意見を述べる人の中には、彼の言葉でいうところの「評論知」に長けている人と「実践知」に長けている人がいることに気づいたという。

つまり、社会のあり方について「評論・批判」することに長けている人と、自分が実践してきたことをもとに「こういうふうにした方がいい」と提案することに長けている人がいる、ということだ。

では、僕はどうか?と考えた時、マーケティングやネットビジネスに関することであれば、それなりの具体的な提案ができる自信があるが、政治や社会制度のことになると、堀さんの言うところの「評論値」の域を出ないと思う。さらに言えば、それにすら至っていないと言った方が正しい。

それなりの「問題意識」を持ち合わせている自負はあるが、その「解決策」を考えるには、まだまだ、政治・経済、社会制度に関する知識が足りないのは間違いない。

一方、社会に通用する解決策を提案できるほどの「知識と知恵」を身につけるためには、勉強や情報収集に、かなりの「時間」を投下する必要がある。

それを「職業」にしている(例:政治家や官僚)、つまり、それで生計を立てているのであれば別だが、僕にそのような余裕はないのも、これまた事実である。「能力」の問題もあると思う。

では、堀さんが言うところの「実践知」を磨くにはどうすればよいか?

自分が「得意な領域」あるいは「当事者である領域」に絞ることである。

ドラッガーの言う「劣後順位」を明確にし、自分がフォーカスする領域を「選択する」ことが必要ということだ。

マイケル・ポーターの言う「選択と集中」である。

そういう意味では、今日のランチの席で僕は、野内さんに「(この一年、いろいろなことを考えてきた結果)あることをやりたいと思っている」と話したところ、間髪入れず、「それ、いつからやるんですか?」という質問が飛んできた。

さすが、成功したベンチャーの創業メンバーである。

「人生は短い」。

僕の自作の「座右の銘」のとおりである。

「合格発表」と「初めての挫折」。

「暑さ寒さも彼岸まで」と昔の人は言ったらしいが、今日の東京は、春がもうすぐそこまで来ていることを実感させてくれる陽気だった。

ところで、毎週火曜日は、妻の仕事が朝早いので、親子3人で家を出て、まず、子供を保育園に送った後、彼女を仕事場まで送っていくのだが、ここのところ、家族旅行だのインタースコープ10周年イベントだの、子供が昨年まで通っていた保育園の遠足(OBOGも遠足に参加可能な、とてもフレンドリーですばらし保育園である!)だのと、かなり予定が盛りだくさんな日々を送っており、ガソリンを入れにいく暇がなく給油マークが点灯していたので、彼女を送った後、いつものスタンドまでガソリンを入れに行った。

青山学院の西門前を通り、並木橋の交差点を過ぎ、八幡通りを代官山方面に向かう辺りから、サンルーフと窓を開けてみたところ、とても心地よい風が入って来た。

話は変わるが、今日(3.16)は、僕にとって、人生で初めての「挫折」を味わった日だった。

「早生まれ」の僕は当時、まだ「14歳」だったが、高校受験の「発表」が今日(3.16)だった。

実際に「年齢」を書いてみると、まだまだ幼かったということを再認識させられる。

「14歳の少年」にとっては、何度見直しても自分の番号だけが「飛んで」おり、高校受験に「落ちた」ことを理解した瞬間は、それこそ、人生そのものが終ったような気にさえなり、自分の顔を周囲に晒すことが耐えられなかった。

一昨日のエントリーで「中退予防研究所」の取り組みについて紹介したが、意中の高校に落ちた僕は、定員割れで二次募集をしていた高校に入学したものの周囲の友人と話が合わず、3ヶ月で「中退」した。

つまり、僕自身が「中退」経験者であり、当時から「時代の先端」を行っていたとも言える(笑)。

あれから32年。でも、こうやって何とか「幸せな人生」を送っている。

ところで、僕たちの子供は、今年から「新しい保育園」に転園した話は何度か書いたが、一時期はだいぶ慣れてきたように思えていたのも束の間、最近は、また、毎朝、大泣きするようになった。

理由はともかく、彼にとっては「アウェイ」な環境なのだろう。

そういう僕も、幼稚園の頃、仮病を使って「登園拒否」をしていたことがあり、彼の気持ちはよく分かる。

「親ばか」で大変恐縮だが、2歳10ヶ月の時に、自分からバイオリンを習いたいと言い出す(とにかく音楽が好きである)くらい感受性の豊かな子供なので、逞しい子供たちには何ともないことでも、彼は敏感に感じてしまうのだろう。

でも、この先の彼の人生を考えた時、これは「必要な試練」だとも思う。

ところで、「子供手当」法案が衆議院で可決されたとか・・・。

おカネをバラまくよりも、もっと効果的な政策がたくさんあるはずである。

「財源」を無視すれば、おカネを配るのは簡単だが(その結果がどうなるかは別として、一万円札を刷ればいいのだから)、おカネで解決しようとするのは「能がない」からだと思うのは、僕の性格が悪いせいだろうか?

勿論、大概のことは「おカネ」で解決できるのは事実であり、僕はそれを肯定こそすれど否定はしないが、問題は「おカネの使い方」である。

要するに、おカネを配った方が「簡単」なのである。

「教育制度」や「保育園・幼稚園」の仕組みを改革するには、相当な「覚悟」がいる。

「大学生」になってからでは遅すぎる。

東京では一気に春めいた昨日、僕たちの子供が昨年まで通っていた保育園の遠足に出掛けた。

遠足といっても歩いてどこかに行くというわけではなく、品川にある「水族館」前に集合し、それぞれのクラスで記念写真を撮り、その後、世界中の海の生き物を見て、最後は米国アカデミー賞で物議を醸し出していた「イルカ」のショーを観劇し、現地解散、という催しである。

久しぶりに旧友達と再会した子供たちは、水族館前の広場を所狭しと駆けずり回り、守衛さんに注意されるほどはしゃいでいた。

ところで、その前日つまり金曜日は、東京駅丸の内側にある新丸ビルのカフェで、僕がボランティアでアドバイザリーボードのひとりを務める「日本中退予防研究所」の事業展開に関する相談を受けた。

同研究所の運営母体であるNPO法人NEWVERYの代表理事である山本繁さんとは、かれこれ5~6年の付き合いになるが、彼との議論をしながら、前回のMTG(半年ちょっと前)の時と較べて、格段に成長していることを感じた。

そもそもは、コトバノアトリエなる「引き蘢り」且つ「漫画家志望」の若者を漫画家としてデビューさせるための活動(言ってみれば、漫画家育成プロダクション)をしていたのだが、様々な活動を通じて、若者が「NEET」や「フリーター」になる大きな原因のひとつとして「中退」という問題があることに行き着き、年間13万人と言われる「中退者」を未然に防ぐ活動に取り組み始めた。

その当時は、NPOではなく、株式会社として事業をスタートしようかと考えており、僕のところに資金調達に関する相談に来たことが、僕がアドバイザリーボードに就任するきっかけになった。

あれから2年、彼の問題意識は社会に浸透し始め、ようやく「初期の形」を形成しつつある。

ところで、彼らの経営ノウハウでもあるので、その詳細は書けないが、彼らの「分析力」と「社会的価値」をご理解いただきたく、彼から聞いた「学生が中退してしまう原因」の触りを紹介したいと思う。

彼が挙げていた「5つの要因」の内、その「3つ」を挙げると:

1. 先輩との関係構築
2. 教職員との関係構築
3. 同年代との関係構築

の「有無」である。

つまり、至極当たり前のことだが、人間は誰しも「周囲との人間関係(コミュニティ)」を求めており、それが「相互理解」と同義であるということだ。

また、このことは、大学生や専門学校生に留まらず、「保育園」や「幼稚園」の園児にも当てはまるということである。

登園拒否になる場合、新しい環境に溶け込めず、「友達ができない」ということが理由となるわけだが、では、なぜ、友達ができないのか?ということに目を向ける必要がある。

僕は「他人に対する興味」の有無であり、「相互理解」を促すような「教育」をしているかどうか?が重要であると思う。

しかし、3歳児や4歳児にそんな教育をして、機能するのだろうか?

これは僕の考察であり推察に過ぎないが、とどのつまり、親が家庭で自分の子供の話に耳を傾け、保育園や幼稚園での生活に関心を持っているか?園の先生達が、子供たちが各自の家庭でどんな生活をしているかに関心を持ち、実際にそのような語りかけをしているかどうか?が、物事の分かれ道だと思う。

親や教師が「他人に対する興味」を持たず、「相互理解」に努めようという姿勢がなければ、子供たちにそういう姿勢が育まれるはずはない。

とても示唆に富んだ出来事なので紹介するが、ちょうど昨年の今頃、僕たち家族がサイパン旅行で数日、園を休んでいたことがあったのだが、旅行から帰り、久しぶりに登園すると(実際には妻が送っていったので僕はその場には居合わせてはいない)、「わーっ、○○くんが来たよ!!」と言って、友だち達がいっせいに彼のところに集まってきたらしい。

それを受けて我が子は、「そうなんだよ。サイパンに行ってきたんだ!!」と言って、嬉しそうに友達の輪に入っていったという。

つまり、園の先生達が、各園児の休暇中(なぜ、休んでいるのか?)のことまで話をしており、子供たちに「周囲(ここでは友達)に関心」を持つことを教えているのだと思う。

それも、いかにも教育というやり方ではなく、あくまでも自然にというか「結果的に」と言った方が適切かもしれない。

では何故、結果的にそのような教育効果が生まれるのか?であるが、それは、先生達が「子供たちへの愛情(関心)」があるから、だと思う。

但し、そのような先生達を集めるには、確固たる「理念」が必要だし、相当な「経営努力」が求められるのは間違いないだろう。

さて、話を「中退予防」に話を戻すと、対策は「2つ」ある。

ひとつは「入学前」で、もうひとつは「入学後」である。

また「学生の立場」に立つか?「学校の立場(経営的視点)」に立つか?という問題もある。

話が長くなるので、今日は後者の問題は割愛するが、問題の本質を考えると「入学前」の方が大切ではないかと、僕は思う。

勿論、一定の効果があるのは間違いないが、根本的な解決という意味では、大学なり専門学校に入ってからでは遅く、「保育園や幼稚園」の頃から、さらに言えば「親の教育」が「大切」だという結論に行き着く。

ところで、山本さん達とのMTGの後、久しぶりに「兄弟3人」で食事をした。

実家(郡山)で弁護士をしている弟(次男)が日弁連の会議で上京するのに合わせて、僕と三男が予定を調整し、「日本の将来」を肴に、最終の新幹線に間に合うまでの2時間半、議論をした。

そこで、弁護士をしている次男が「国母選手」の「腰パン」問題に関し、こんな話をしていた。

「個人的には『腰パン』はいかがなものかと思うけど、それが出場の是非が問われるほどの問題だとは思わない。あの問題によって、『これで結果が悪かったら何を言われるか分からない・・・』という重圧がかかったのは間違いない。個性を認めない日本社会の方が問題だと思う」。

彼がドロップアウトした人間であれば、それって「自己弁護」だろう?と言われるかもしれないが、司法試験にパスし弁護士をしている、どう謙遜しても「知的エリート」であることに疑いの余地はない彼(自分の弟のことで申し訳ないが)が「国母選手」に理解を示す発言をしたことに、僕は軽い衝撃を受けた。

「単一民族」国家の弱点かもしれないが、日本が国際社会でもう一度、輝きを取り戻すには、自分とは「異なる価値観」の人間にも興味を示し、「多様性」を認める「懐の広さ」が必要ではないかと思う。

「自戒の念」を含めて。