「政策論争」は「不毛」である。

良く晴れた土曜日、朝食を食べた後、僕は、法政大学経営大学院(MBA)イノベーションマネジメント研究科「プロジェクト発表会」なる催しに出掛けた。

実は4月から、このプロジェクトという「事業計画作成」の「指導担当(非常勤講師)」を拝命しており、その見学をさせていただいた。

家庭の事情があり、最後までいることは出来なかったが、学生の方の発表を聴いていて、その内容の善し悪しよりも、自分の「人生」を懸けてやろうとしていることか?それとも、単に自分の仕事のレベルアップをしたいということなのか?が、聴衆を惹き付けるか否か、この人だったら手伝いたいと思わせるかどうかを決めるということを、改めて実感した。

それは自分自身の今までの人生を振り返っても同様である。

ところで、先日、Twitterで鳩山首相にメッセージを送ったことは、このブログでも書いたと思うが、そのことに絡んで気づいたことがある。

それは「政策論争は不毛」かもしれない、ということである。

「不毛」とまで言ってしまうと、たしかに、言い過ぎだとは思うが、いずれにしても「合意形成」は困難だと思うということだ。

実は、鳩山首相に宛てた僕のメッセージに対して、弁護士であり大学で教鞭を執られている方(その方のTwitterを拝見したところ、どうやら、経済学者は嫌いらしい)から、僕の「最低賃金制度」は雇用創出にむしろマイナスだという趣旨の文面に対して、「最低賃金法が雇用を下支えしているという実証研究がある」というコメントを頂いたことがきっかけである。

僕は「その実証研究を是非、教えて欲しい」とコメントを返したが、そのことで気づいたのは、人間は誰しも「自分のポジション(思想、価値観、職業的立場等)」があり、ドラッガーの言う「7つの窓」のいずれかから世の中を見ており、同じ物事を見ても、人によって受け取り方も評価も異なる、ということだ。

またドラッガーは「医者は、自分の『専門科目』の病気を治すことが仕事であり、それによって身体の他の部分の問題を引き起こすことまでは考えない(分からない)」という例え話を引き合いに出し、「全体最適」と「部分最適」の話をしているが、「最低賃金制度」により、何らかの社会的効果が生まれるのは間違いないのだと思うが、そのことによる「弊害の有無」は別の話だということである。

つまり、先日の「鳩山首相の『行動基準』には共感できない」というエントリーで、世の中の問題の殆どは「思想」か「経済」に起因すると思うと書いたが、根源的なことは「思想」の問題を抜きには語れない、ということだ(考えてみると、過去にそういうエントリーを書いている)。

言うまでもなく、世の中には色々な人がいる。

僕のような「リスク愛好バイアス」が高い人もいれば、安定した生活が何よりも重要という人もいるし、事業が好きな人もいれ���、研究が好きな人もいる。営業が好きな人もいれば、ファイナンスが好きな人もいるし、興味のある産業や業種も人それぞれだ。

それぞれの立場から見れば、それぞれの「最適解(部分最適)」があるのは当然であり、それぞれの最適解が「相矛盾する」ことは少なくないだろう。

そうなると「自由で選択肢の多い」、より多くの立場の人を受け入れられる社会が良いということになる。

「そんな魔法のような話があるのか?」と思われるかもしれないが、では「他人に依存する社会」と「自助の精神で生きる社会」とでは、どちらが「フェア」で、どちらが「自由」で「選択肢」が多く、「頑張る意欲が湧く」社会だろうか?

・・・と、ここまで書いたところで、Twitterの「ドラッガーBOT(ロボット)」なる自動配信アプリから、こんな発言が送られて来た。

「今や社会活動、社会問題のすべてがあまりに複雑である。唯一の『正しい答え』があらゆる問題に通用するはずがない。答えは複数ある」。

おっしゃるとおりである。

僕は「柔軟性」に富み「多様な人々」を受け入れられる「自助の精神」に基づく社会が、理想的な社会だと思う。

しかし、今の民主党政権(というのが適切か?鳩山政権というのが適切か?)の発想はすべて、「税金」により「困っている人」を守る(保護する)、という「思想」に基づいていると受け取れる。

僕が鳩山首相に送ったメッセージで書いた「企業の内部留保への課税、最低賃金法、子供手当等」も、上記の思想に基づいていると考えられる。

「本当に困っている」人達であれば賛成する(やり方にもよる)が、そうでない場合もあるように思う。

例えば、農家に対する「所得補助」は「勤労の精神」や「創意工夫の精神」を助長するだろうか?それとも「JAL」のような「体質」を生み、それを「温存」するだろうか?

ましてや「兼業農家」なる取り組みが、「勤労の精神」や「創意工夫の精神」を生むだろうか?

農業の大切さと、それをどう育成、発展させるか?という問題とは別であり、日本の農業の「生産性」と「競争力」を向上させるやり方はたくさんある。

とにかく、今の日本に必要なことは「イノベーション(社会革新)」であり、いかにして「創意工夫」に満ち「効率的な社会」に「ReDesign(再設計)」するか?である。

ま、僕は「イノベーション・バイアス」かもしれないけど。

追伸:ライブレボリューションの増永さんに、「継続は力なり」で「鳩山首相」にTwitterし続けますと返事をしましたが、このエントリーのとおり、「不毛」だということに気づいたので、止めることにします。