「孫さん」のつぶやき・・・。

孫さんの「つぶやき」を読んでいると、いよいよ本気でご自身の「後継者」のことを考え始めたのだろうな・・・と思う。

でも、孫さんの後を継げる人って、いったい、どんな人だろう?

僕が20代の時に勤務していたODSというコンサルティング会社の創業者である山口社長(当時)は、「社風は極めて価値の高い経営資源だ」と言っていた。

どんな理由にせよ、いつかは「創業者」はいなくなる。

でも無形の経営資源である「社風(カルチャー)」を「存続」させることはできる。

インタースコープ(iS)の場合、平石(共同創業者)→山川さん(共同創業者)→田部さんと社長をリレーし、2007年2月にヤフーにバトンを渡したが、その間、微妙に変化しつつも、その根底には、iSカルチャーが生きていたと思う。

僕がインタースコープを去り暫くした後、元iS社員の人達とランチを食べたことがあるが、その時のひとりが、こんなことを言ってた。

「(その後、株価がへたってもよかったから)一度は、ドカン!と花火を打ち上げて欲しかったな・・・」。

彼女は、株を持っていたわけでもないし、ストックオプションもたいして持っていたわけでもない。

でも、そういう「ドリーム」を期待していた社員もいた。

株主に対する責任を負う立場の僕たち経営陣としては、それは出来なかったけど、そう言ってくれたことに、僕は救われた思いがした。

一方、言葉にこそ出さなかったにしても、「上場して僕らに何のメリットがあるわけ?(それなりの株を持っている平石さん山川さんや創業メンバーの人達はいいかもしれないけど・・・)」と思っていた人もいると思う。

時間は前後するが、インタースコープを経営していた頃には、こんな意見もあった。

「僕たちが稼ぎ出した利益は、どこへ行ったんだ(平石さんや山川さんのやりたいことに消えていっているんじゃないの)?」

「最近のインタースコープは経営的に安定してきたけど、新しいことに挑戦しなくなったよね・・・」。

パートタイムを入れても僅か100人程度のベンチャー企業にも、色々な人がいる。

その全員の要望を叶えようと思ったら、船はどこへも行けなくなってしまう。

では、その船をどこへ向けるのか?

それを決めているのが「経営理念」であり、創業者と初期のメンバーによって醸成されていく「社風」である。

違う言い方をすれば、その「船の行き先」が自分の行きたいところと違っているなら、早いうちに降りた方がいいし、ビジョナリーカンパニーでいう「誰をバスに乗せるのか?」にも繋がるわけである。

ということは、その船なりバスがどこへ向かおうとしているのか?

その行き先を明確に示す責任が「経営者」にはある。

インタースコープの場合、僕と山川さんという、個性の強い異なるキャラクターのふたりが経営していたことにより、その良い面が出ていた時期もあったが、最後の頃は、そのことによる悪い面が出て、インタースコープで働いていた人達(株主にとっても。おそらく、顧客にとっても。)にとっては、船の行き先がよく分からなくなっていたと思う。

そのことに対しては、今更ながら、大変申し訳なく思う。

さて、話を「後継者」に戻すと、この国の「後継者」は誰か?

そう、「若者」であり、まだ「生まれて来ていない人達」である。

既得権益に必死でしがみついている人達を優遇する日本だった場合、その彼・彼女たちは、どう思うだろう?

そして、1億2,000万人の全員を満足させることはできないという厳然たる事実を踏まえた時、では、この国は、どういう国民を支持・歓迎し、どういう国民はこの国に住むメリットを享受できるのか?ということを「指導者」は「明示」する必要がある。

最低限のセイフティネットは必要だが、僕は「進取の気質に富んだ人達」にとって魅力的な国にしたい。

安心して「挑戦できる国」にしたい。

そのためにも、まずは「自分自身」が「挑戦し続けないとね」。

こうしてブログを書いているだけじゃ、説得力がないからね・・・。

職業は何だっていい。「生き方」が大切である。

民主党の皆さんは、それは「想定の範囲内」?

新しい保育園に移って今日で3日目。

最初は頑張っていたが、何だかんだ言って、今までの保育園が恋しく、今朝は10分ほど大泣きしたらしい。

でも、僕も幼稚園の初日、園の門の前で、そこから出て家に帰りたい衝動を必死に我慢していたが、遂に耐えきれず、泣き出してしまった子供だったので、まあ、仕方ないでしょう。

でも、大丈夫。そんな僕でも起業までして、こうやって何とかやっているんだから。

彼にも、子供は子供の試練があるし、頑張ってもらいましょう。

ところで昨日のTwitterで、民主党参議院議員の藤末健三氏のブログが物議を醸し出していた。

要するに、利益は株主への配当よりも労働者の給与にまわせ、という主張。

彼の主張は「最近のあまりにも株主を重視しすぎた風潮に喝を入れたいです」。

何をもってして、そう言っているのか?

「普通の年でも法人税の対象の約7割が赤字法人である」わけであり、「シリコンバレーの5年後のベンチャー企業の生存確率は『約50%』。投資リターンを得るのは『約10%』」である。

日本でも、新設法人の10年後の生存確率は「3~5%」という統計数字もある。

つまり、95~97%は「倒産」するのである。

そんなハイリスクなことをやっている企業に投資した人間に配当するなというのは、いったいどういうこと?

昨日の「つぶやき」でも書いたが、この国は「リスクをとって挑戦する人間に「足枷」を嵌め、パンをくれとぶら下がる人間に「博愛」である。

民主党の「公開会社法」が成立したら、企業は本社を海外に移転するだろう?

もちろん、民主党の皆さんはそれは「想定の範囲内」であり、それに対する「懲罰」もセットで法案を提出するんだろうね。

でも、そういうことに対する「嗅覚」は、もう、15年も前からあった。

僕がまだインタースコープを創業する前の1995年。

当時、デジタル・マジック・ラボというベンチャーを経営していた吉川さんが、「一度、日本は見捨てましょう。香港かどっかに移住しましょう。政府がようやく分かってきて、『戻ってきて下さい』と頼まれるようになったら、『仕方ないんで戻ってあげましょう』という感じですよ」と言っていたが、そういうことである。

事実、彼はさっさと日本に見切りをつけて?(と言いつつ、彼は日本が好きである。もちろん僕も。)その4年後の1999年にシリコンバレーに移り住み、現地で2社目のベンチャー(ip infusion)を立ち上げた(2~3年前にアクセスに売却)。

そういう僕は未だに日本に居着いているが、いい加減、バカバカしくなってきている。

「既得権益者」である自民党から挑戦者?である民主党に「一度」は政権を獲ってもらいましょう!ということだったわけだが、その民主党の支持基盤は別の意味での「既得権益者」である「労働組合」であり、まあ、「公開会社法」のようなものは想定できたといえばそれまでだけど、他に選択肢がなかったわけである。

企業と経営者を苛めて、いったい誰が労働者に賃金を支払うわけ?

間違いなく、ここ1~2年で、日本の将来は決まる。

ここでミスると、50年はノーチャンスだろう。

ビジネスも「相思相愛」以外はあり得ないってこと。

昨日のエントリーは、本人にとってはそれ程でもないが、他人から見ると赤裸々(僕は小細工やこそこそするのが嫌いなのと、そもそも僕の人生は波瀾万丈であり、ブログに書いたことなんて、ほんの序の口だから/笑)だったせいもあり、何人かの方からメールやレスを頂いた。

その中でも嬉しかったのは、ドリームビジョンが株主として応援しているビートレンド社長の井上さんのTwitterでのコメントと、子供の保育園仲間のお母さんからのメール。

特に彼女は、僕のエントリーを読んで「励まされたし、勇気をもらいました」ということで、ドリームビジョンの企業理念である、社会に「勇気と自信と感動」をもたらす新しい社会的価値を創造することにも繋がることであり、僕自身が勇気を頂いた。

そう。どうせ生きて行くなら、周囲の人達に「勇気と自信と感動」をもたらすことのできる「生き方」をしたいよね。

そりゃ、めっちゃ大変だけど・・・。

ところで、「勇気と自信と感動」ということに強く関連したことで、スピードスケートの清水宏保選手の引退がある。

マネックスの松本さんが今日のエントリーで書いていたが、あの身体(162センチ)で金メダルである。

こうして書いているだけで、背中がゾクゾクするほどの興奮を覚える。

彼の「生き方」にも、たくさんの「勇気と自信」を頂いた。

清水選手、本当にお疲れさまでした!!

ところで、話は変わるけど、僕は自分の子供を見ていて「彼が将来、起業するとは思えないし、そういう話をしてきたら、まずは、諭そうと思う」という話を元アップルの前刀さんにしたら、前刀さんが「そんなことわかんないよ。お前の生き方を見ていて影響されるんだから(お前次第だよ)・・・」と言っていたことがある。

それが父親の責任ってことだけど、そう言われた時は、僕がまだトンネルの中だったこともあり、素直に「そうですね」とは言えなかった。

僕は起業することだけが人生じゃないと思っているけど、とにかく、彼には自分が好きな道で勝負をする人間になって欲しい。

カッコいい背中を見せられるよう、頑張ろう!!

ところで、昨日のエントリーでひとつ大切なことを書き忘れた。

それは、起業なりベンチャーに関わらず、企業にとって最も大切なことは「顧客」を創造するということ。

最初の会社(CREED)の時であれば、DCカード(現三菱UFJニコス)伊藤忠商事東急不動産野村総研、インタースコープの時は野村総研(CREED時代から継続)、リクルートDr.シーラボ等、僕自身が開拓したクライアントで、僕がとても「好き」になった会社がたくさんあった。

その想いと姿勢が相手にも伝わるから、仕事を超えた関係になった人達もたくさんいる。

とてもありがたいことだと思っている。

長くなるので詳細は割愛するが、僕はどうしても、人材紹介というビジネスが好きになれず、当然のことながら、クライアントともそういう関係にはなれなかった。

うまく行く筈が無かった。

当たり前だけど、ビジネスも「相思相愛」以外に上手くいくことはあり得ないってことだ。

肝に銘じよう。

「今年の抱負」と「今までの10年」と「これからの10年」。

今日から仕事始めだった人も多いはず。

僕は仕事始めとはちょっと違うけど、静かに2010年のスタートを切った。

まず、僕たちの子供は今日から新しい保育園に行った。転校ならぬ「転園」である。

昨年末までお世話になった保育園は「私立」の「東京都認証保育園」。今年からお世話になることになった保育園は渋谷区の「認可保育園」つまり「公立」。

「私立」と「公立」の違いがよく分かった初日だったが、我が子も、まずます順調にスタートした。

次は、僕の話。

遅ればせながら、iPhoneを購入した。3GS/32G/Black

セッティングを始めると、2006年に6年ぶりにマック(MacBook Pro)を買った時と同じ興奮が蘇った。やはり、Apple はイケている!!

自宅のMacBook ProとUSBで接続(iTunes経由)するだけで、Webもメールもアドレス帳もカレンダーもすべて同期され、完璧!!

マニュアルを読むのが嫌いな僕は、アルファベットの大文字と小文字の入力方法をまだ理解出来ていないのが難点だが、それは明日の宿題。

さて、エントリーのタイトルどおり、今日は「今年の抱負」を書こう

・・・が、その前に、一昨年末から昨年末にかけてを振り返ろうと思う。

僕は芸能人でも上場企業の経営者でもないし、自分自身の人生を「公」にする責任も義務も追っていないが、僕の「信条(CREED)」として、明確にしておきたいことがある。

特に、2008年10月以前から僕のブログを読んで下さっている方々に対して・・・。

ドリームビジョンのウェブサイトでも告知しているし、12月30日のエントリーでも触れておいたのでご存知の方もいるかと思うが、僕(弊社)は、オフィシャルには2009年8月末を以て、事実上は2008年12月末日を以て、人材紹介業から撤退した。

僕がドリームビジョンを創業した理由は、僕の人生にとって「終っていない宿題(Unfinished Business)」が、2つあったからだ。

そのひとつは「個性を尊重し、リスクを取って既得権益に挑戦する人材を輩出する仕組みを構築する」ことだったが、事業計画(Feasibility Study)を進めて行くうちに、僕の構想を実現するには「億単位の資金(インタースコープの2連発)」が必要だということと、自分の手には余る(実力不足)ことを認識したことにより、自分の想いは維持しつつも、その構想はお蔵入りさせ、先行投資が少なくて済むビジネスに取り組むことにした。

それが「ベンチャー企業に特化した人材紹介業」だったが、当然のことながら、ニッチな領域とは言え、その道にはその道のプロ(先行企業)がいるわけで、そうそうビジネスはさせてもらえず、紆余曲折の末、アクセンチュアやアビームコンサルティング等のI.T.系コンサルティングファームを顧客とするようになった。

最初は苦戦したが、当時のスタッフの奮闘により、それなりの売上が立つようになった(単月黒字は出るようになった)が、通期ではまだまだ赤字であり、僕のおカネを補填しならが会社の経営を行っていた。

ところで、ドリームビジョンは僕がマジョリティの株主であるが、僕の「ビジョン」に賭けてくれた「大切な株主(友人知人)」がいる。

四半期毎にレポートを送付し、半期毎に株主報告会を行っていたが、聡明な株主の皆さんからは「方向転換するなら、余力があるうちの方がいい。追いつめられてからでは、何も出来ない」という、とても理解のある、有り難い進言を頂いていた。

しかし、お恥ずかしい話だが、当時の僕には、人材紹介業から撤退したとして、その後、どのような事業展開をすればよいか?経営者として、道筋を描けなかった。

半年か一年、苦悩の日々を送っていたが、このままでは、どう考えても「明るい未来は来ない」と確信し、2008年6月初旬、断腸の想いで、僕は人材紹介業から撤退することを決断した。

そこまでは良かったが、最悪だったのは、その後、何のノウハウも経験もないにも関わらず、オンラインメディアを始めたことだ。経営者として、冷静な判断ができていなかった。

また、そのプロセスにおいて、当然のことながら、僕に対する求心力は急速に衰え、僕は苦悩の末、組織を解散することを選択した。

そのまま続けていけば、資金はすべて枯渇し、どうにもならなくなるのは火を見るよりも明らかだった。

何よりも最悪だったのは、当時のメンバー(取締役および正社員・パート社員)との結末である。

僕としては出来る限りのことをしたつもりだが、当然のことながら、彼・彼女たちにしてみれば裏切られたという想いが募り、関係は拗れに拗れ、悲惨な顛末となった。

そんな状況にあっても、株主の方々は、最後まで僕を支援してくれた。

彼らの存在のお陰で、僕は、辛うじて、会社を立て直そうという気持ちを保持することができた。

しかし、現実は、甘くない。

大きく毀損した「株主価値」を元に戻し、キャピタルゲインなり配当なりを出し、株主の方々の期待に応えるためには、新たな事業を興していく必要があるのは言うまでもないが、僕は一時期、「何もやりたいことがなかった」。

これは本当に辛かった。

昔の仲間から声をかけてもらい、昔取った杵柄と得意な英語を活かし、BRICsの一角としてのロシアでのリサーチ事業を手掛けようと試みた時期もあったが、僕が身体ごとロシアに行くのであれば話は別として、さすがにそこまでの覚悟はなく、彼らの好意には申し訳ないが、冷静に判断し、ロシアからは手を退くことにした。

因みに、インタースコープの名前はロシアの広告・リサーチ関連業界でもそこそこ通っていたらしく、ある外資系広告代理店を訪れた際、彼らは僕のことを知っていた。

そんなこともあり、ロシア第2の都市、サンクトペテルブルクで開催されるロシア最大の広告/PR関連のカンファレンスで「初めての日本人」として講演をして欲しいという招待状を頂戴したが、丁重に辞退した。

そんなことで、僕の仕事は、投資先のベンチャー企業の支援や社外取締役・顧問だけとなった。

でも、結果的には、それが良かったのだと思う。

自分自身を見つめ直す時間ができ(というより、必然的にそうならざるを得なかった。残念ながら、それでも能天気でいられるほど、僕は精神的に図太くはない。)、僕は、とてもシンプルなことに気づく(思い出す)ことができた。

それは、僕にとって「起業」は「手段」であり、目的ではなかった、ということである。

それが、ある時から「起業家」でいることが「目的化」してしまっていた。

僕が社長をしたわけではないが、創業に参加したウェブクルーが東証マザーズに上場したり、上場は断念したが、インタースコープはYahoo!(日本法人)が買いたいと言ってくれる会社になり(売却し)、僕は自分自身を勘違いしてしまっていた。

随分と高額な授業料だったが、そのことに気がつけたのは、僕にとって大きな財産になったと思う。

そのお陰で気持ちが軽くなり、そうすると、不思議なもので、また、やりたいことが出てくるようになった。

僕は最初に創ったちっぽけな会社を経営していた頃、いつか、株主から委託される立場で会社を経営してみたいと思っていたが、それも実現でき、狭い世界ながらもインターネットリサーチ業界では(自画自賛で恐縮だが)誰しもが認めてくれる存在になり、貧乏だった懐具合も、多少は温かくなった(高い授業料のお陰で、また、だいぶ寒くなったが・・・)。

少々脱線するが、色々なことが絡み合っているものの、僕が「目的と手段」のことに気づいたのは、城繁幸氏の「若者はなぜ3年で辞めるのか?」という著作を読んだことが大きい。

最初の会社を経営している頃の僕は、城繁幸氏流に言えば「人生の勝ちパターン(レール)に乗ることができた一部上場企業に勤める彼ら」に勝るとは言わないまでも劣るとは思えないにも関わらず、社会から受けていた「対応と待遇」に納得がいかず、だったら、実力で這い上がるしかない!!と思っていた。

つまり、「看板と既得権益」に頼らず、自分の力で、人生を実り多いものにするための「カネ」を稼ぐことと、自分の存在を「社会に認めさせてやる」ということが、僕にとっての「目的」であり、その手段が「ネットビジネス」だったことを思い出した。

幸運にも、それらはある程度、達成できた。でも、それが、ドリームビジョンとしての失敗を招いた。

さて、だいぶ前置きが長くなったが、これからの僕が何をしたいと思っているか?

「海外で生活する(仕事をする)」ことを実現したいと思っている。

実は「日本社会の先行き」に対する僕の考え方と、それに伴う「子供の教育」とも絡んでいたりする。

また、何だかんだ言って、自分がやりたいと思ったことは実現してきたが、それだけ(でもないが)が「終っていない宿題(Unfinished Business)」だったことと、実は、幼少の頃から、そのことに憧れていたことを思い出した。

ビジネスの内容は現在思案中であり、まだ株主にも話をしていないので具体的な話を書くことはできないが、何もやりたいことがなく辛かった時期に暇に任せて読んだドラッガー曰く、「新しい道具の使い方を学ぶより、古い道具をより上手に使えるように努力をした方がよい」ということで、僕という人間のトラックレコードを振り返り、順番とウエイトは別として、マーケティング、インターネット、資金調達、エンジェル投資(茶髪の中年男性/先日の日経新聞)、英語、そして、それらと「海外」というキーワードを組み合わせたことを手掛けていこうと思っている。

もうひとつ考えたいと思っているのは、年末に久しぶりに山川さんと会った時にアドバイスされた「中小企業」という存在。

あとは、やはり僕は「若い人を応援すること(人材育成)」が好きだということ。

これは幸いにも、某ビジネススクールからお声がけを頂いており、来年度(今年4月)から、また、教壇に立つことになっている。

ところで、僕がなぜ、このエントリーを書くのを今日にしたかということを書いておきたい。

それは、アスキー創業者の西さんから「絶対に迷わない時が来る」ということを教わったからだ。

自分自身が何の迷いも躊躇いもなく、自信を持ってこのエントリーを書けるようになるまでは書くべきではないと思っていた。

同時に、迷ったらやってはいけないし、既に何かをやっていたら「一秒後に撤退すべき」ということも教わった。

そういう意味では、人材紹介業からの撤退は、遅きに失した極みである。

それからもうひとつ、僕はインタースコープを経営していた頃、2つ、強く思い、言動に表していたことがある。

それは、創業者である自分自身も含めて、誰一人として、一生、インタースコープで働く人はいないと思っていたが、縁あってインタースコープで働いてくれていた彼・彼女たちには、その時間の長短は別として、後で振り返った時、インタースコープで働いて良かったと思えるようにするために、僕に出来る限りのことをするということと、僕(&僕ら)に賭けて、投資してくれた株主の期待に応えたい、ということである。

ドリームビジョンでは、大変遺憾ながら、前者は申し上げるまでもなく、後者も、少なくとも現時点では何も申し上げられる状況にない。

でも僕は、その思いには拘っていきたいと思っている。

最後にもうひとつ、マネックスの松本さんのブログや堀江さんのつぶやきで、「時間」と「年齢」に関する言及があった。

彼らと僕を同列で語っては大変申し訳ないが、その気持ちは、よく分かる。

僕が初めて起業したのは28才の時。ウェブクルーの創業に参加したのは34才の時。山川さんとインタースコープを創業したのは36才の時。

現在の僕は、46才。

「集中力」も「体力」も「残された時間」も違うので同じようなプレーはできないが、ひと通り18ホールを回ってきているし、スイング理論も学んできたので、今までの僕には出来なかったプレーができると思っている。

35才になった時、50才を意識したけれど、46才の今は、56才を考えたい。

その後は、また、別な人生を送りたいから・・・。

今年は、その「Redesign(再設計)~次の10年~」の具体的な一歩を踏み出す年にしたい。

本気でね!!

証拠はありませんが、嘘はいけませんよ。

郡山から東京に戻り、今日は横浜でランチ。

本来であれば、もっと子供の運動になる場所に行くのだが、帰省中に子供が足を軽く捻挫してしまい本格的な運動はできないので、仕方なく、第三京浜をドライブがてら「横浜ベイクォーター」へ。

$シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

僕たちが到着したのは12:20。待つことなく駐車場に入れたが、「以前にも行ったことのあるレストラン」で食事を終えて外を見ると、写真のとおり、駐車場待ちのクルマの列。

Time is money. というが、まさにそのとおり。

ところで、食事をしに入ったレストランでちょっとした悶着あり。

僕たちが頼んだ料理は、トマトソースのパスタ、パエリア風パスタ、ポテトサラダ、ラタトゥーユ。

問題は、料理に時間がかかる「パエリア風パスタ」。

僕たちの後に入って隣に座ったお客さんに「パエリア風パスタ」が運ばれるものの、僕たちには来ない。

それどころか「食後」と言って頼んだコーヒーをどうぞ・・・。

これって、どういうこと?

と思いきや、妻が「絶対に間違っている(我々が頼んだパエリアを間違えて隣りに運んだはず)!」とおかんむり。

確かに彼女の言うとおり、待てど暮らせどパエリアは来ない。

10分?ほど待ち、さすがの僕も痺れを切らし店員を呼び注文を確認すると・・・「申し訳ありません。注文は入っているのですが、もう少々お時間がかかります・・・」。

さらに、10~15分。

そう、パエリアは、時間がかかるのです。店員自ら、注文時に言ってましたよ。

ようやくパエリアが運ばれると、子供が「トイレ・・・」。

僕が子供を抱きかかえながら「隣りのお客さんの方が後から来て、どうして僕たちの方が遅いんですか?」と尋ねると、「すみません」のひと言。

・・・さて、食事を済ませて会計をして出て来た妻に「何か言ってた?」と聞くと、「パエリアはタダにしてくれた。我々の殺気に気づいたんじゃない?」。

でも、もうあの店に行くことはないでしょう。

証拠はありませんが、嘘はいけませんよ、嘘はね。

状況証拠的には、かなりの確率で「黒」です。

Time is money. 「40分」も待たせて、ちょっと解せない返答をされるとね。顧客は離れます。

ということで、我々は今後、横浜ベイクォーターに行く頻度が下がり、その分、「ららぽーと豊洲」に行く頻度が増えるでしょう。

本格的な「スペイン料理」のお店もあることだし。

顧客の逃すのは一瞬の「判断ミス」です。

僕も肝に銘じます。

雪だるま

「雪景色」で始まった僕たちの2010年。我が子は、実家の庭で「雪だるま」製作に乗り出した。

年末にスキー場で初めて本格的な雪景色を見た感動の余韻が残っているのか、庭の雪を見て、「雪だるま」を作りたいと言い出した。

とは言っても、4歳児に雪だるま製作はまだ難しく、僕たち夫婦で手伝った。

下の写真は、雪遊びに精を出す我が子。その下の写真は、我々が作った雪だるま。左が妻の作品で、右は僕の作品。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

祝2010年 「Redesign(再設計)」と「原点回帰」

皆様 新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

さて、皆様はどんなお正月をお迎えになったでしょうか?

僕は郡山の実家で、雪景色の中、2010年の元旦を迎えました。

最近は地球温暖化の影響であまり雪が降らなくなりましたが、子供の頃は今日ぐらいの雪がしばしば降っていました。

今年の僕のテーマは、「Redesign(再設計)」と「原点回帰」です。

「Redesign(再設計)」というテーマは年賀状にも書きましたが、「原点回帰」という言葉は、すっかり雪化粧をした実家の庭を見ていて子供の頃を思い出し、また、色々な人のメールやつぶやきを読む中で、「Redesign(再設計)」のテーマを「本来の自分を見つめなおす(原点回帰)」にしようと思った次第です。

今年は、より自分らしく、そして、自分らしい挑戦をしていこうと思います。

今年一年が皆さんにとって良い一年になりますよう心よりお祈り致します。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★きれいに雪化粧をした実家の庭。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
イミオの倉林さんが贈ってくれたお節料理。倉林さん とってもステキなお節料理、ありがとうございました。とても美味しく頂きました。