「成果」のあがらない理由。

「急ごうとする。そのために遅れる。成果をあげる者は『時間と競争しない』。ゆっくり進む」。

ご存知の方も多いと思うが、上記は「ドラッガーの言葉」である。

これを実践するには「分析」ではなく(に加えて)、「勇気」が要る。

だから、優先順位の前に「劣後順位(何を行わないか?何を捨てるのか?)」が問われるのだと思う。

何故なら、何事もちょっと見よりも時間がかかるし、予期せぬことが起きるし、予期せぬことは大概のケースにおいて「厄介」なことなので、予期せぬ時間を取られる。

「バフェット」も言っているが、多くのミスをしない限り、人生では「1つか2つ」のことを上手くやればよい(考えてみれば、ゴルフも同じだ)。

でも、凡人は、自分の能力に自信を持てないので、ひとつのことに集中する(絞る)ことが「不安」になり、あれこれ手をつけたがる。

そういう僕もね。

身内の話で恐縮だが、僕の妻は「時間の使い方」と物事の「優先順位と劣後順位」のつけ方が素晴らしい。

そうでなければ、30才を過ぎてから予備校に通い(受験勉強をし)、大学に編入し、大学院に進み、臨床心理の資格を取ることはできなかっただろう。

こうしてブログを書きながら思い出したが、実家で弁護士をしている弟も、「時間の使い方」と物事の「優先順位と劣後順位」のつけ方が素晴らしい。

ひとつのことに集中(つまり、それ以外は捨てること)せずしては、成果は上げられない、ということだ。

「人生の残りホール」が短くなってきた僕は、「劣後順位」を突き詰めて、不要なものはバンバン捨てていかないと、すべてが中途半端で終ってしまう。

いつまでも過去の成功の余韻に浸っているわけにもいかないし(そもそ���、余韻に浸れるほどのことではないし)、やらかしてしまった失敗を引きずっていても仕方ないし・・・。

残りホールで「もう1チャンス」あると思っているけど、「1チャンス」しかないとも思っている。

あれもこれも読もうとしても時間が足りずにすべては読めないわけで、だったら、読もうと思ってブックマークしたり、クリックする「努力?(行為)」自体が「時間の浪費」である。

だから、体調を崩すわけか・・・(痛)。

「理解」とは「行動を伴う」こと。

人は何故、「つぶやく」のか?

Twitterウイルスに冒されたせいか?昨夜半から喉が痛くなり、微熱がある。

ところで、「マズローの5段階欲求説」はご存知の方が多いと思うが、実は「6段階目」があったという話を山川さんから聞いた。

僕は20代の頃、米国の社会心理学者であるヤンケロビッチ博士が世界で初めて開発した、「人間の価値観を定量化(数値化)」する手法を日本で展開していたODSというコンサルティング会社にいたこともあり、このようなテーマにはとても興味がある。

ところで、この「6段階目」の話、フォートラベルの野田さんも知っていた。

マズローはユダヤ系ロシア人の移民の子供だったため、「6段階目の欲求=コミュニティ(共同体)発展欲求(Need for Community Development)。自己実現した個人は、所属する共同体全体の発展を欲求する」という主張をすることは、冷戦下の米国で共産主義者のレッテルを貼られるリスクがあったため、自説を封印したらしい(という説があるそうだ)。

知らなかったのは、僕だけか?

実は、ここへきて炸裂中のTwitter。この「コミュニケーション発展欲求」を満たすための、極めて優れたツールである。

常に、誰かと繋がっていたい。自分と価値観や興味・関心領域が合う人間のネットワークを築きたい。

人間には、そういう欲求がある。

「つぶやき」のTimelineを読めば、その人がどんな人かよく分かるし、自分が気に入った相手を「フォロー」でき、価値あるつぶやきを発することができれば多数の人から「フォローされる」という機能が、「自分と価値観や興味・関心領域が合う人間のネットワーク」を構築する上で、とてもよく機能していると思う。

人間社会がプリミティブだった頃は、農村や職人の世界や地域社会が「コミュニティ」の役割を担い、工業化社会以降は「職場(企業)」が「コミュニティ」の機能を代替してきたが、ドラッガーの言う「知識労働者」が増えるに伴い「職場(企業)」への帰属意識が希薄になりコミュニティとして機能しなくなってきた今日、「組織(企業・公的機関等)」に依存しない「コミュニティ」が求められていることが、Twitterの爆発的普及を促進したと考えている。

また、人間関係は、常に「ダイナミック(動的)」に変化することから、誰をフォローしてもフォローを解除しても構わないTwitterは、我々現代人にとって極めて親和性が高い。

その点、SNSは、フレキシビリティに欠けるとも言え、Twitterの普及が脅威に映る理由でもある。

尚、別の視点で見れば、アバター等を使ったゲームも、ゲームという「共通のテーマ」を媒介として「コミュニケーション欲求」を満たしているからこそ、支持されていると言える。

Twitter は「コミュニケーション」を「フラット化」する。

今日のタイトルは、山川さんの「名言」

数日前、あることの打ち合わせで新宿で会った時、僕が「APIの公開、Open ID、Twitter、Facebook等の流れは何に最もインパクトを与えると思いますか?」と質問すると、しばらく考えた後、「Twitter はコミュニケーションを『フラット化』したと思います」という答えが返ってきた。

見事に「本質」をついた見解だと思う。

孫さんだろうが、三木谷さんだろうが、ホリエモンだろうが、はたまた政治家だろうが、相手の社会的立場や属性に関係なく、Twitter上では対等(フラット)なコミュニケーションが成立する。

特に、ホリエモンは自分に絡んできた相手に(内容は取捨選択しているそうだ)マメに返事を返している。そのやり取りを横で見ていると、これがけっこうおもしろい。そして、勉強になる。

そういう僕は、孫さんに初めて絡んだ時には、キーボードを打つ指が振るえてしまったが(笑)、中には、特に若い人の中には「それいいと思うよー」的な発言を返す人もいて、びっくりさせられる。

また、孫さんが「街頭演説よりもTwitterでつぶやいた方がよっぽど自分の声が有権者に届く」と言った話は有名だが、Twitterは「定量的効果(多くの人に自分の意見を伝えることができる)」だけでなく、「定性的効果」が大きいと思う。

相手を身近に感じるようになるし、ついつい好感を持つようになる。

フォロワー数が多い経営者であれば、「社員募集中!」とつぶやくと、その数分後には大勢の応募者からダイレクトメッセージが来たりする。

リクルートが求人広告だけを集めたビジネス(有料誌)で成功した後、それを無料化(フリーペーパー化)したが、それすら不要になる。

昨日のエントリーで「ケイタイメルマガ」の効果をテレビCMでいう「GRP(述べ視聴率)」に換算して説明したが、Twitterの場合、メルマガと違って「リアルタイムの双方向性」があり、それ以上にとても強力なメディア?である。

ところで、昨日のエントリーでも紹介した「JAGAT」での基調講演の関係者による事前MTGを本日、フォートラベルのイケてるオフィスにて行った。

そこで「Twitter はコミュニケーションを『フラット化』する」というキーワードを説明し、僕たちのセッションのテーマである「Web、ケータイビジネスを引っ張るコンテンツ」は何か?に関する僕の見解を申し上げた。

予告編ではこの先はお伝えできないので、具体的内容は2/3(水)のセッション後に、当日の模様も交えて「つぶやき」ます!!

「ケータイ」と「マクドナルド」と「テレビCM」。

今日は久しぶりにマーケティングに関するエントリーを書くことにする。

実は、とあるご縁から、来月3日に開催される「JAGAT(社団法人日本印刷技術協会)」主催のカンファレンスで、「Web、ケータイビジネスを引っ張るコンテンツ」なる基調講演トラックのモデレーターをさせていただくことになった。

僕以外のメンバーは、創業者である津田さんの後継社長4トラベルの野田さん、ドリームビジョンの投資先でもあるビートレンド社長の井上さん。

今回のセッションのテーマは「クロスメディア」。

例えば、印刷物等のリアルメディアとWebやケータイ(モバイル)をどう活用するか?といったことに関して議論をする予定である。

そんなこともあり、昨日はモバイル・マーケティングの勉強および株主として投資先の事業に対する理解を深めるべく、ビートレンドが主催する「モバイルマーケティングカレッジ」なるものに参加した。

細かな話はさておき、僕はそこで「衝撃的な事実」に遭遇した。

知らない人はひとりもいないであろう「マクドナルド(日本法人)」は、2008年6月からケータイの公式サイトをオープンしたらしいが、なんと、開設から1年半強で、彼らのメルマガの登録者は「1,600万人」に達したらしい。

同じメルマガでもケータイの場合、メールが届くと待ち受け画面にアイコンが表示されることもあり、「開封率」はPCベースのメールの「約5倍」だという。

そう言われてみると、たしかに、僕もケータイにメールが届くと必ず開封する。

ところで、マクドナルドに話を戻すと、1,600万人のケータイメルマガ会員を持つということは「1,600万人」への「リーチ」が可能ということであり、乳幼児やご高齢の方々を除く日本の人口を「1億人」とすると、視聴率「16%」ということになる。

つまり、多少の無理を承知で言うならば、100本のメルマガの効果はTVCMを「1,600GRP(16×100)」流すような効果があるとも言え、1GRP=10万円(バブルの頃は、1GRP=15万円と言われいた)で計算すると、1億6,000万円分の効果があることになる。

因みに、マクドナルドはメルマガ会員を獲得するためのTVCMは行っておらず(違ったら失礼)、その告知の殆どは「店頭」で行われており、TVCMと較べればメルマガ会員獲得コストはかなり低いだろう。

また、メルマガ会員を獲得した後のコストは、ほぼ、メルマガを書く人の「人件費」だけであり、そうやって考えると、かなり費用対効果の高いマーケティング投資と言える。

もちろん、「フルカラー×音声×映像」のTVCMと「文字だけのメルマガ」を同一比較することは出来ないが、マクドナルドの認知率は「ほぼ100%」だということを考えると、認知率向上のためのマーケティング投資は不要であり、必要なことは「来店率の向上」と「リピート率の向上」つまり「CRM投資」ということになる。

そういう意味で、ケータイを使ったCRMは効果的だと思う。

因みに、この「モバイル・マーケティング」の成果として、九州地区では、チラシのコストが月間1億円削減できたらしい。

仮に、営業利益率10%だとすると、1億円のコスト削減は、10億円の売上獲得と同義である。

つまり、九州地区だけで年間「120億円」の売上増に匹敵する効果があったということになる。

マクドナルドのモバイルマーケティング投資額は知らないが、どう考えてもTVCM投資よりは安いだろう。

さて、ビートレンドのセミナーに出席しながら思考を巡らせた結果、僕の行き着いた結論は、「B2C」特にコモディティ商品のビジネスをしている企業のマーケティングWebサイトは「ケータイ(モバイル)」がメインにならざるを得ない、ということである。

今の10代、20代前半の「モバイル・プライマリー」な世代が社会の中核を占めるようになると、その流れは益々加速するだろうし、そのシェアはまだ4~5%程度らしいが、スマートフォンが普及するにつれ、マーケティングプラットフォームとしての「モバイル」の重要性が増すことは間違いない。

また、リアルの店舗を持っている企業は、ケータイを有効活用することにより、顧客とのタッチポイントとして「店舗」のもつ「意味(資産価値)」を大きく向上させることができる。

それはイコール、TVCMの凋落に拍車をかけることになると思う。

人生は短い。

僕よりも5才ぐらい若い世代までの人なら、電撃トレードで巨人から阪神に移籍した小林繁投手のことは誰でも知っていると思うが、その小林繁投手が昨日、急逝された。

享年57才。因みに、僕の父の享年は55才。

残された家族はさぞかし悲しみに暮れているだろう。

小林繁投手に関しては、あの記者会見での凛とした姿が今も脳裏に焼き付いている。

「怪物」と呼ばれたとは言え、プロ未勝利の江川卓投手とトレードされたことは、沢村賞投手としてプライドが許さなかったはずである。

にも関わらず、愚痴や文句は一切、言わず、「向こう(阪神)に行ってからの仕事で判断して欲しい」と言った彼の言葉に、強い決意が感じられた。

僕が高校生の時だった。

早過ぎる小林投手の旅立ちに、江川は「(亡くなったからと言って)申し訳ないという気持ちは終らない」と言い、目を真っ赤にして言葉を詰まらせたという。

僕も、小林繁投手のような「潔い生き方」をしたいと思う。

心からご冥福をお祈りします。

冬枯れの新宿御苑。

雲一つない快晴に恵まれた日曜日の東京。僕たちは新宿御苑に出掛けた。

本当は「ららぽーと豊洲」に行くはずだったが、玄関で我が子が「公園がいい」と言い出し、急遽、予定を変更。

寒くてあまり人はいないかな・・・と思いきや、冬の新宿御苑を楽しんでいる人がそこそこいた。

新宿御苑は一面が芝生なのがいい。冬でも「ふかふか」で、子供が転んでも大丈夫だし、我が子もそういう靴底の感触が好きなのだろう。思いっきり走り回っていた。というか、シンケンジャーごっごに付き合わされて、僕も走っていたのだが・・・。

ところで、昨日(土曜日)は、ドリームゲートの松谷さんと食ベログのカフェ部門(東京)でNO.1を獲得した「クルミドコーヒー」オーナーの影山さんと僕で、今年初めてのゴルフに行った。

そして、ゴルフの後は、ドリームゲート起業家表彰プログラムの審査委員(上記3人+榎本さん)で「新年会」を行った。

ゴルフの話題は株主からの指摘もあり、人材紹介業から撤退してから一年ほど控えていたが、1月4日に昨年一年間の報告と今後の抱負をブログに書いて「Redesign宣言」をしたので、また、時々は書くことにした。

ところで、このメンバーでのゴルフは、昨年の1月10日から始まった。

ゴルフは、つくづく人生あるいは経営そのものだと思わされるが、今回も、そのことを強く認識させられた。

松谷さんと僕は毎回、前半、後半、全体のスコアで勝負をしているが、昨日を含めて僕の「2勝1敗1分け」。

負けたのは、昨年の1月10日だけ。

しかし、ゴルフの実力は、松谷さんの方が一枚も二枚も上手である。

ベストスコアは「82」。前々回(僕らとのラウンドの直前)は「84」。手強い相手だ。

ところで僕は金曜日の夜、約5年ぶりに麻雀をした。僕以外はみんな麻雀が上手で、一昨日は僕が「最下位」。

その悪い流れを引きずり、尚かつ、寝不足の昨日は正直、あまり調子が良くなかった。

スタートホールはボギーでまずまずの滑り出しと思いきや、2番ホールのアプローチをバンカーに入れ、脱出に2打を要し、8打を叩く。次のショートもティーショットを2回OBし、尚かつ、3パットで、また8打。

「やっぱり、今日は無理か・・・」と半ば諦めかけたその瞬間、「ちょっと待て。ゴルフは何が起きるか分からない。最後まで頑張れ!!」と自分を励まして望んだ4番ロングホールで、松谷さんが「まさかの13」を叩く。

池越えの2ndショットが「池ポチャ」となり、リカバリーも2打連続で「池」。その2打目は「バンカー」で脱出に「4打」。

因みに、松谷さんは、そのホールと2番ホール以外はすべてパーとボギーで前半を終えている。

ホント、勝負は最後の下駄を履くまで分からない。前半は松谷さんが48、僕が54で折り返した。

昼食を挟んでの後半は、お互いにいまひとつのゴルフをしていたが、最後の18番にドラマがあった。

ティーショットも2ndも3rdも「池越え」となるロングホール、松谷さんはティーショットを林に打ち込むが幸運にもボールが出て来てセミラフ、僕は風に負けてボールが右に流れるも約250ヤードぐらい飛び、まずまず。

お互いに3rdショット勝負となり、松谷さんはグリーン横の「ガードバンカー」。僕は池超えの125ヤードをピン側1.5メートルにつけ、バーディチャンス。

17番ホールを終えた時点では松谷さんが2打リードしていたが、僕の3打目を見て「このバンカーショットを絶対に寄せなければ・・・」と思ったらしく、見事にグリーンオン。

僕のバーディパットは軽いフックライン。打ったボールは見事にラインに乗っていたが、緊張のあまり打ち切れず、50センチショート。

それを見た松谷さんは安心して緊張の糸が切れたのか、パーパットを外し、そして、なんと30センチもないボギーパットも外してしまう。

彼は結局、ダブルボギーとなり、後半は松谷さんが54で、僕が48。お互いにトータル「102」。

引き分けに終った。

一昨日の教訓は、何事も「途中で諦めてはいけない」ということと、「パター」。

後半は「16パット(3パット無し)」にも関わらず、前半は「23(3パット5回)」。

仮に、前半も3パットが無かったら「49」。トータル「97」。

「ドライバー is ショー。パット is マネー」という格言があるが、まさしくそのとおり。

たった「30センチ」のパットも「1打」なのである。

「地味なところにこそ、成功の鍵が隠されている」。

そのことを改めて認識させられた。

ところで、話を新宿御苑に戻すと、最高気温6~7度で冬枯れの新宿御苑も、あと3ヶ月足らずで「さくらの季節」を迎える。

ドラッガーは「(人々は)1年という時間を過大評価し、5年という時間を過小評価する。1年で出来ることは極々限られているが、5年あれば相当なことができる」と言っている。

そのことを思い出した。

「成果を挙げる者は『時間』を見方につける」。by ドラッガー

追伸:先程、iTunes経由で「ハイチ」に寄付をした。こういう活動は、このぐらい簡単にして欲しい。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★雲ひとつ無い快晴に恵まれた「冬枯れの新宿御苑」。来る度に思うが、高層ビル群とのコントラストがなんとも素晴らしい。New York のセントラルパークを思い出す。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★木の根元から顔を出していた葉っぱ。こうして若い生命が出てくる。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★芝生に仰向けになって見上げた空。一面ブルー。

追伸その2:新宿御苑は「財団法人 国民公園協会」による運営。新卒で人材を採用しているとは思えないし、省庁からの天下りを受けていているのだろう。でも、こういう公園のためなら、僕は許容できる。もちろん、「給料」の額による!!!

国家存亡の危機?大揺れの日本。GMとJAL。

今日は「パサデナ会」と称する仲間の新年会があった。

会の名称の由来は、2001年3月末から4月初旬にかけて実施されたインターネット関連のカンファレンスの会場が、米国西海岸のパサデナだったことによるもの。

メンバーはそのカンファレンス参加者の中で仲良くなった人達で、今年の3月で丸9年を迎える。

いつもそうだが、今回もとても楽しい時間だった。

さて、今日のエントリーのタイトルは、とてもお酒が入った頭で書けるテーマではないのだが、最近の日本社会の動向を見ていて、マジメな話で、日本という国は今後も存続できるのか?と心配になっており、僕が思っていることを書き留めておきたい。

まず、政治に関しては、首相は偽装献金で、故意か過失かは別として結果として「脱税」。幹事長は、献金疑惑で関連団体の強制捜査を受け、会計事務担当だった議員は立件と、その真偽は別として、政権与党の首脳陣が揃ってこのような事態となっているのは、さすがに僕も聞いたことがない。

そのような事態に対して、国策捜査だという主張も散見されるが、もし、本当にそうだとしたら、それはそれで、この国の未来を憂わざるを得ない。

外交面は普天間問題で大揺れに揺れている。

もし、日米同盟が破棄されたとしたら、本当に「ジャック・アタリ」が「21世紀の歴史」で予言していることや「ビル・エモット」が「アジア三国志」で問題提起していることが現実味を帯びてくる。

日本は防衛費を積み増さざるを得ず、人口が減り、マーケットが縮小する中、経済的負担が重くのしかかり、尚かつ、中国の軍事的脅威や北朝鮮の問題を考えると、核開発に踏み切る可能性も否定出来ない。

国内外の世論が許すか?と思うかもしれないが、あり得ないことが起きるのが歴史である。あのソビエト崩壊やベルリンの壁の崩壊を誰が予想しただろうか?

また、首相と幹事長の状況を考えると、今夏の参院選で民主党が過半数を獲得できるかは疑問に思う一方、抵抗勢力となるべき自民党は「長老議員」が「公認」を求めているらしく、断末魔の様相を呈している。

4才の子供を育てている親としては、心配で仕方が無い。

ところで、JALの問題であるが、これも悲惨である。

2008年3月に優先株で「1,500億円」、2006年7月は普通株の公募増資で「1,380億円」。これらはいずれも無価値になるか大幅に毀損される。

ぐっちーとかいう山口なんとかさんという金融出身の人がブログで書いていた(彼は植草氏に関するブログ記事で捏造したらしいので、話は割り引いて読むとしても)が、たった2年や3年で、これほど急激に経営が悪化したとは思えない。

要するに、増資時点でのJALは、既にかなり病んでいた可能性がある、ということだ。

もし、本当にそうだとすれば、詐欺に近い。

また、これはある匿名のブログで読んだことなので情報の正確性に確証はないが、とても示唆に富んだことが書いてある。

問題の企業年金はOBが「3割減」、現役社員は「5割減」で決着したらしいが、OBの方は、先週の土曜日の時点では議決に必要な票数(2/3)に遠く及ばなかったのが、法的整理が決まったとなると急に票が動き、ギリギリではあるものの、2/3に超えたという。

つまり、法的整理となれば、5割減どころか6割、7割減もあり得るわけで、だったら、5割で手を打つか?ということである。

自分たちが散々お世話になったJALを救うために自分たちの年金を犠牲にするという気は毛頭なく、JALが潰れようが無くなろうが、自分たちの年金の方が大切ということだ。

これが規制に守られ尚かつ赤字を垂れ流してきた、つまり、誰かの犠牲のもとに生存してきた、それも、かなりの厚遇を受けて、の人達の現在の姿である。

これを「国」に例えると、日本の個人資産の50%以上を持つ「60代以上の人々(OB)」は、財政赤字が膨らもうが何しようが、自分が活きている間にもらえる年金は確保してくれ(現役世代が支えてくれ)ということであり、このままでは人口減、GDP減少が避けられない日本を考えると、最後はJALのようになり兼ねない。

問題の根が深いのは、それらの人々が「選挙権を持っている(大きな票田)」ということだ。

ドラッガーが「高齢者が政治を動かす」と言っているのは、そういうことである。

因みに、強いアメリカの象徴だったGMも同じように退職者の企業年金問題で苦しんだそうだが、経営破綻のA級戦犯とも言える「ワゴナー会長(当時)」の年金など退職関連手当の合計はなんと「20億円」。

帰国子女で英文でのニュースを読んでいると思われる友人が言うには、ワゴナーさんは亡くなるまで、毎年「70万ドル」が支給される「契約」になっているらしい。

1ドル=100円で計算すると、なんと7,000万円である。何もしないで・・・。

「契約社会」と言えばそれまでだが、何とも酷い話である。

さて、今日のエントリーは書いている自分が憂鬱になってくる内容で読者の皆さんに申し訳ないが、もう少し「エコノミクス」と「政治・行政」を勉強した上で、日本再生に関する僕なりの処方箋を書いてみたいと思う。