「落ちこぼれ」シリーズの前回のエントリーで「次回は学生時代のエピソードを書こうと思う」と書いたが、その前に、僕が24歳の時(22年前)に亡くなった父のことを書こうと思う。
父は、昭和6年4月27日生まれ。生きていれば、78歳である。
父には、色々なことを教わった。
病床にあり、自分には、もうあまり時間がないと悟ったある日、子供たち3人をベッドの足元に並べて、ひとりずつ、最後の説教をした。
3人兄弟で最も出来の悪い僕には、こんな話をしてくれた。
「オレが生きていれば、お前が結婚する時には、マンションの頭金ぐらいは出してやれる。事業をする時には、資本金ぐらいは出してやれる。でも、これからは、そういう援助は一切無いと思って生きて行け。それがどういう意味か分かるか?お前の友達が一万円使う時、お前は『5,000円』しか使えないぞ。もし、友達と同じだけおカネを使いたいなら、友達の『倍』のおカネを稼ぐ必要がある。そのことを、よく憶えて生きて行け」。
事実として、僕が社会に出て、周囲のみんなが結婚し始めた時、彼らは結婚と同時に「新築マンション」に引っ越していった。
僕はその時、初めて、父親の言ったことの意味を理解した。
そして、僕が、他人が創った組織では生きていけないことを見抜いていたのだろう。
28歳で起業した時、そのことに気がついた。
また、父はこんな話もしてくれた。
具体的な職業は伏せるが、父は「お前が○○で満足できるなら、何も言わない。でも、それでは満足できないなら、勉強しろ」と言っていた。
教育というものは、20年、30年という時間が経って初めて、その意味が相手に伝わる仕事である。
つまり、「自分ではその成果を見届けられない=自分に果実はもたらされない」ことを覚悟しなければいけない、ということだ。
それだけの覚悟で仕事に望んでいる教職者が、どれだけいるだろうか?
僕が子供の頃は、そういう教師がたくさんいた。
幸せな時代だった。
でも、子供を持つ親として、過去形で済ませておくわけにはいかない。