Diplomatic Smile(愛想笑い)

もう随分と前のことになるが、友人の奥さん(アメリカ人)から「イクオは結婚してから、ストレートに物事を言わなくなった」という趣旨のことを言われたことがある。

正確には、友人を介して、彼女がそう言っていたことを聞いた。

彼女は「diplomatic(外交の、如才ない、外交辞令の)」という言葉を使って、そのことを表現したらしいが、英語で「diplomatic」という単語を使った場合、「政治家的な感じで、はっきり物事を言わない、言葉を濁す」というネガティブなニュアンスがある。

その時は、その話を聞いても、それほど深くは考えなかったが、今は、彼女が何を言いたかったか、分かるような気がしている。

平たく言うと、相手との「言い争い」を避けるというか、意見をぶつかり合わせることを避けるようになったということだ。

それは、結婚とは直接の関係はないと思うが、自分の主義主張を貫くことによる精神的負担とストレスに対峙していくのに疲れたのだと思う。

そういう話があった時から、かれこれ14~15年になるが、最近は、自分の意見を言うことにより、仮に、その場がギクシャクしたとしても、そのストレスから逃げず、以前のように、自分が正しいと思うことを言うようになった。

でも、以前のようなストレートな表現ではなく、タイミングと言葉を選びながら・・・。

そうなった理由は自分でもよく分からないが、ここ一年の変化と出来事が、大きいと思う。

「信念」を持って相手にぶつかって行かない限り相手との信頼関係は築けないし、それで関係が終わってしまうのであれば、それだけの縁だったということであり、一時的な嫌な思いを避けて、その縁に固執しているよりも、新たな縁を求めた方が建設的である。

でも、そういう「生き方を貫く」には、文字通り、「信念」が必要である。

「政策」の違いを妥協して「数」を確保しても、本当にやりたいことはできないだろう。

でも、それも計算ずくで物事を進めるのであれば、矛盾するようだが、そういう選択肢もあると思う。

「信念」を貫くにしても、「計算ずくで妥協する」にしても、何事にも、メリットとデメリットがあるわけで、その生き方を貫く「覚悟」が必要である。