僕が「幼稚園」に通っていたある冬の日。

ここのところ政治問題というかヘビーな話が続いていたので、今日は久しぶりに子育てに関することを書きたいと思う。

僕らの子供も4才になり、最近はだいぶ自己主張が出て来たり、質問内容も高度になってきた。特に、言葉の使い方について頻繁に質問をするようになった。

そんな彼との接し方で、どうするのがいいか?と思うことが多々ある。

話は逸れるが、僕が幼稚園に通っていたある冬の日、園庭一面に雪が積もったことがあった。

それを渡り廊下で見ていた僕は「とてもキレイだな」と思い、その瞬間、内履きの靴のまま、園庭に飛び出し、一周して帰ってきたことがある。その時の「感動」を表現したくなり、何も考えず、瞬間的な行動だった。

ところが、僕が園庭を一周して、実は、僕の後に友人がふたりほどついてきて、つまり、3人で園庭を一周して帰ってくると、そこに担任の先生が立っていて、何の言葉もなく、いきなり「ほっぺた」を叩かれた。

体罰が愛情として理解されていた、大らかな時代だった。

最初は、いったい何のことか分からず、気が動転したが、内履きのまま、園庭を走ってきたことが問題(悪い)だということに気がつき、「そういうことか・・・」と思ったことがある。

僕は、子供ながらに「雪の上を走ったので、靴が土で汚れたわけでもないし、なぜ、キレイだと思ったことを素直に表現してはいけないんだろう?」と思い、悲しくなった。

その先生は、とても良い先生だったが、子供の立場(思考)に立って僕たちと接することができなかったわけだ。

そういうことが、僕と僕の子供の間でも、あるんだと思う。

自分の想いが理解されなかった時、彼は、大粒の涙を流し、精一杯、訴えてくる。

そんな彼を見ると、あの時の自分を思い出す。

子供の「創造性」や「感性」を育むには、大人の常識で子供と接するのではなく、彼らが「なぜ?」そのような行動をとったのか?その「理由」を理解することから始める必要があるのだろう。

でも、こちらも人間。頭では分かっていても、なかなか思うように行かない。

僕の両親が生きていれば、僕が子供の頃のことを聞き、それを参考にして自分の子供と接することができるが、さすがに、記憶のない頃のことは、どうしようもない。

でも、参考情報がない方が、子供と真摯に向き合うことができるのかもしれない。