政治にマジックはない。

「予想通り?」と言ってしまえばそれまでだが、日本は大きな選択をした。

「308」という議席数も重要だが、「当選者の中身」に、今回の選挙の意味が隠されているように思う。

自民党は「当選5回」以上が「59.7%」なのに対して「民主党」は「16.6%」。

そして、民主党の「平均年齢49.4歳(自民党:56.6歳)」という若さのとおり、政治の世界にも「世代交代」が起きたのだろう。

一方、政治家に何かを期待するのではなく、国民のひとりひとりが、政治家を動かす気概を持つことが大切である。

英国のサッチャー元首相曰く、「政治にマジックはない」。

そして、「自助論」のスマイルズが言うように、「国家は子供部屋から生まれる」のだと思う。

「家庭」は「社会の結晶」であり、国民性の核を成している。

僕自身を含めて、「自助の精神」を忘れないようにしたい。

「総選挙」と「ケイタイ電話」。

東京は、生憎の雨模様となった日曜日だが、午前中に「選挙」に行った。

今夜半過ぎにも、歴史的選挙の結果が判明するだろう。

ところで、投票を済ませて会場を出てくると、いわゆる「出口調査」の係員に呼び止められた。

調査票を見せながら回答を確認し、その結果を「ケイタイ」で入力代行する。

こういうところにも、確実に「I.T.化」は浸透している。

そう、ここ10年で、世の中は、大きく変化してきているのである。

「55年体制」という「OS」が、いつまでも機能するはずがない。

「時代の変化」と「世代別」価値観。

キリンと経営統合を決めたサントリーに「次世代研究所」なる組織がある。

そのサイトに、興味深い研究結果が紹介されている。

人々の「価値観」、特に「消費行動」に関する価値観や行動様式は、当たり前と言えばそれまでだが、社会人として「自ら稼いだお金を消費する時期」の「世相」に影響を受ける、というものである。

因みに、僕は「昭和30年代(38年)」生まれだが、この世代は、個人差はあるものの、消費によって「ワンランク上」の生活を実現しようとする(した?)傾向が強いという。

確かに、なるほど・・・思わされるところがある。

バブル期に社会に出た僕たちは、hanako や Tokyo Walker という都市情報誌のお世話になり、DCブランドの服を買い、海外旅行に出かけるようになり、BMW等の高級ドイツ車を持つことに憧れた。

しかし、この世代は、40代になった今、仕事だけでなく、「家庭(夫婦や子供との時間)」も充実させたいと思うようになり、同研究所では、「自分らしく生きたい」と自分の気持ちや欲求を優先する我々のことを「欲張り世代」とも称している。

日本経済の高度成長期が終わり、果実が「成熟」の極みに達した頃に自分でおカネを稼ぐようになったものの、その後、「失われた10年(閉塞感)」に直面。「ネットバブル」により、ある種の「高揚感」を再度経験したと思ったら、今度は「世界的な経済危機」に直面。

ある意味、ボラティリティ(変動)の激しい人生を送っている世代であり、時代のうねりに「翻弄」されている世代とも言える。

但し、同じ世代と言っても、経営基盤の安定している大企業に勤務している人と、僕のような人生を送っている人では、実際に「体感」してきたボラティリティの大きさは、まったく異なるだろう。

ところで、個人的には、今よりもずっとお金が無かった20代の頃の方が、ブランドや高級レストランにお金を投じていたが、今は、それらには殆ど興味はない(但し、クルマは例外。そこが、今の20代の人たちとは異なるのだろう)。

Gパンはユニクロだし、シャツもGAPで問題ない。むしろ、洋服にお金をかけるのは勿体無いと思うようになった。

食事に関しても、カジュアルなイタリアンや、ちょっと上品 but リーズナブルな和食の方が気楽でいい。

さて、社会全体が「変化」を必要としている今日、僕らの世代は今後、どのような人生を歩んでいくのだろうか?

追伸:「自分らしく生きたい」という意味では、集団よりも「個」を優先する風潮が強くなってきたのは、我々の世代からかもしれない。

継続への挑戦。

今日のエントリーのタイトルは、「AKIRA」というゴルフクラブ・メーカーの広告コピーである。

契約プロである「久保谷健一」選手が、連続23試合、予選突破を続けているそうだ。

これは、テイラーメイドやブリジストンなどのようなメジャーなメーカーではなく、AKIRAのような「マイナー」なメーカーだからこそ、意味のあるコピーである。

この先、久保谷選手がどこまで連続予選突破記録を更新していくのかは分からないが、連続での予選突破が途切れた時の対応も考慮に入れた上での戦略なのだろう。

久保谷選手は「地味」ではあるが、とても強かで堅実なプレーをするプレーヤーである。

「ニッチャーの戦略」として、なるほど・・・と思わされた広告だった。

K-1 創始者 石井和義氏

高校生の頃、ある友人の影響で「極真空手」のファンになり、わざわざ郡山から上京し、12月の武道館で「極真空手」の世界大会を観たことがある。

その「極真空手」出身で、その後、ご自身で「正道会館」を設立され、さらには、格闘技を「メジャー」なスポーツにしたいとの想いで「K-1」を創られた、「石井和義」氏のお話を聞く機会に恵まれた。

昨日の「QM義塾社長大学」でのことである。

僕は「K-1」には興味はなく、石井さんのお名前も聞いたことがある程度でしかなかったが、普段はお会いする機会もない方のお話を聴いてみたいと思い、参加させていただいた。

ファンの方はよ~くご存知のことなのだろうが、石井さんは、法人税法違反、つまり「脱税」で、2007年から1年2ヶ月、「服役」されたことがある。

いわゆる「詐欺」に合った結果のことらしいが、しかし、そのプロセスにおいて、不適切な対応があったと、ご自身が仰っていた。

僕が勝手に期待していた「いかにも格闘家」という感じではなかったが、そんなご経験をされたからか、「腹が据わっている」というか、「静かな強さ」が感じられた。

ところで、「空手」は、野球やサッカーと異なり、ウエアや道具でビジネスをすることができず、「空手」をメジャーにするには、その「戦い(試合)」自体の生産性を上げる(商品価値を上げる)しかないと思ったことが、石井さんが「K-1」を創られた理由だったという。

そう言われてみれば、ボクシングにしても、同じことが言える。

さて、「K-1」という競技は、今や世界の「100箇所」以上でテレビ放映されており、スポーツビジネスとして、サッカーの「ワールドカップ」や自動車の「F-1」に匹敵するレベルとなっているそうだが、そんな派手な事業を創られた方にも関わらず、石井さんの話に派手さはなく、むしろ、「地味」なものだった。

特に、僕が考えさせられたのは、会場からの「K-1の経営に戻るつもりはないのですか?」という質問に対し、「自分が戻れば、誰かの席がなくなります。自分の仕事は、次の石井をつくることだと思っています」というひと言である。

つまり、後進に「自分の席を譲る」ということ。

そして、もうひとつ、「独房での生活は、結果として、自分と向き合うことになり、とても為になった」ということ。

人生で大切なことは「芯」だということ。

それが、石井さんのメッセージだと理解した。

但し、同じ話を聴いても、3年前の僕だったら、受け取ったものは違ったと思う。

チャンスを活かすのも、何かを学ぶのも、それを受け取る本人の問題だということだろう。

石井さんは、1953年生まれ。僕より、ちょうど10歳先輩である。

石井さんを講師として招いていただいたパソナの南部さんにも感謝である。

墓参り

昨日は、妻方の両親の墓参りに行った。

8月22日は、義理の母の「命日」で、亡くなってから、今年で丸7年になる。

その年の12月22日、「3度目」の「脳梗塞」を患って、介護病院に入院していた義理の父も他界した。

2002年という年は、とても慌しい一年だった。

ところで、僕らに子供が生まれてからは、妻は、それまでは、あまり会うこともなかった自分の兄にも声をかけ、一緒に墓参りに行くようになった。

義理の兄にしてみれば、僕らの子供は「血の繋がった甥」であり、特別な存在なのだろう。

「子供」の持つ力は大きい。つくづくそう思う。

ところで、墓参りの帰りには、いつも、3人で食事に行くことにしている。

昨日は、目黒にある「八芳園」に行った。

東京に住んでいる方はご存知だと思うが、八芳園には、広い庭があり、池には錦鯉が泳いでいる。

その素晴らしい庭園のせいか、婚礼会場として人気がある。

昨日も、若いカップルが、係りの方に案内されて、庭の中を見学していた。

僕は、お仕着せの披露宴が嫌いで、わざわざ苦労をして、当時はまだまだ定着していなかったフリースタイルの披露宴を行ったが、今にして思うと、肩肘張らず、素晴らしい庭園があり、お年寄りにも喜ばれるであろう「八芳園」で行えばよかったなと、ここに来る度に思う。

先日、ドリームゲートの松谷さん、榎本さん、そして、クルミドコーヒー店主の影山さんと僕とで食事をした際に、田坂広志さんが言う、自分の一生を終える際、もう一度、同じ人生を歩みたいと思うか?という問いに、「然り」と答えたいか?という話になり、僕は、きっぱり「NO」と答えた。

あまりにも計画性に欠け、思慮深さが足りず、周囲に迷惑をかけ、しなくてもよい苦労ばかりをしてきている人生をもう一度送るというのでは、あまりにも「進歩」も「成長」もないというものである。

せめて、残りの人生は、今までの人生を顧みると同時に、本当の意味で「反省」をし、今までとは違う人生を送りたいと思っている。

周囲からどう見えるかは別として、自分から見て、進歩し、成長したと言える人生を送れれば幸せである。

さて、話を「八芳園」に戻すと、ところどころに休憩所があり、そこには、心地よい風が吹いている。

そして、庭園のほぼ中央の通路には、樹齢500年という盆栽が置いてある。

江戸時代の遥か前の室町時代から現在に至るまで、日本社会の変遷を見つめてきたことになる。

そういう意味では、都会の喧騒を逃れて、心を落ち着けたり、精神修行?を行うには、良い場所かもしれない。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
建物から臨む庭園の景色。奥には、新しいマンションが見える。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
池のほとりに建っている小屋。茶室のような佇まいである。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
見事な錦鯉。父は錦鯉が好きで、僕が子供の頃、自宅の庭の池で、錦鯉を飼っていた。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
これが「盆栽ストリート」。真ん中あたりに、樹齢500年の杉(だったと思う)の盆栽が置いてある。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
左にあるのは、樹齢300年の松。

この庭園を眼下に見てのランチは、格別である。一度、行かれることをお勧めしたい。

すべてを知ることは不可能。

僕の好きな宋文洲さんのメルマガに、「日本の単位面積の農薬使用量は世界で最も高いという事実を知る人は少ないと思います(世界平均の3倍前後だと思います)」ということが書いてあった。

インターネットが普及したからといって、自分の欲しい情報が、自分の欲しい形で、どこかに格納されているわけではなく、上記のような情報を自分で調べようと思うと、かなりのエネルギーと時間が要求されるだろう。

そうなると、誰の言うことであれば信用できそうか?ということで、「有識者」の方々の発言が「影響力」を持つし、「マスコミの報道」はとても「大きな影響力」を持つ。

因みに、日本の食料自給率は40%で世界最低(小学校の教科書にも載っているらしい)というが、宋さんのメルマガによると、この数字の作り方は国際的な笑い話だそうだ。

上記の話を最近どこかの番組が報道したそうだが、裏番組の酒井法子の話題に抑えられ、殆ど見られていなかったという。

一方、大前研一氏のように、外国の農業に投資をする(経営権を取得する。例えば、オーストラリアやウクライナ等)ことで「食料」を「確保」すれば、食料自給率に拘る必要は無いという主張もあり、いったい、何をどう考えればよいのか、僕もよく分からない。

しかし、ひとつだけ言えることは、これだけ国際化が進展した現代社会において、食料自給率を上げれば、それで良いのか?というと、そう単純な話ではないと思う。

そういう意味では、シンガポールのような国は、どうすればいいのか?となってしまう。

国際的な役割分担は、必要不可欠である。

たしかに、有事の時を考えれば、食料自給率は高いに越したことはないが、食料自給率が高いだけでは、国家の安全を担保できるとはいえないだろう。

何事も「複眼的」視野が必要である。

そういう意味では、酒井法子の件に限らず、芸能界の話題や「バラエティ番組」ばかりが目立つ最近のテレビの在り方は疑問である。

しかし、そういう番組を求める「視聴者(国民)」が多いということの証でもある。