梅雨入り前の「新宿御苑」。

先週の木曜日はブログの更新ができたが、金曜日から3日間、更新することができなかった。

「継続は力なり」とは名言である。

ところで、ここ最近の週末は天気に恵まれず、子供を充分に遊ばせることができなかったが、久しぶりに晴天に恵まれた昨日は、我々家族のお気に入りのひとつである「新宿御苑」に行った。

6月は「環境月間」とのことで、6月最初の週末は入場料が「無料」だった。

いつもより早くに家を出たせいか、11時前に現地に着いた時は、それほど混雑していなかったが、15時をまわり、帰る頃には、とても大勢の人達で賑わっていた。

ところで、僕らの子供が通っている保育園では、子供たちそれぞれの「マーク」が決まっている。

僕らの子供は、森や林の中に棲む、ある生物がマークなのだが、彼は一度も「本物」を見たことがなく、ここ最近の週末は、その生き物を探して、公園巡りをしている。

その甲斐あってか?昨日は、とても小さな、その生き物を発見することができた。

妻曰く、東京でも、彼女が子供の頃は、至る所で見掛けたらしいが、最近は珍しくなってしまっているのかもしれない。

子供たちが「自然と触れ合う機会」を提供してくれているという意味でも、「新宿御苑」や「砧公園」のような緑が多い大きな公園は、とても貴重な場所である。

こういうことに税金を投入してくれるのなら、大歓迎である。

久しぶりの「下北沢」。

大学進学のために上京し、東京で初めて住んだ街が「下北沢」。社会人2年目の途中まで住んでいた。僕にとっては、第2の古里のような街だ。

その下北沢を昨日、久しぶりに訪れた。

厳密に言えば4/30(木)、リアラス創業者の井手さんと「下北沢」で会っているので久しぶりでもないのだが、下北沢で「会った人」が久しぶりだった。

僕らの結婚式の立会人を務めてくれた元H2Oの赤塩正樹さん。彼と会ったのは約2年前の代々木公園での花見以来だった。

でも、2年も会っていない感じがしなかった。

彼と出会ったのも「下北沢」。僕が、21才の時だった。つまり、25年前(四半世紀)。感慨深いものがある。

3人兄弟の長男で、上に兄弟がいない僕にとって、彼は、血のつながっていない兄貴のような存在である。

彼は現在、音楽以外の仕事をメインにしているが、僕と会う前日は遅くまでピアノに向かっていて寝不足ということで、22時過ぎにはお開きにした。

短い時間だったが、とても楽しいひと時だった。

僕は今朝、なぜ、彼と会うのは楽しいのだろうか?と考えた。

その理由は、彼は本質的にはミュージシャンにも関わらず、自分自身や社会を客観視しており、尚かつ、今もなお「ピュア」な人であり、彼と会うことで、僕自身の「本質」を思い出し、「あるべき自分」を再認識させてくれるからのような気がする。

昨夜は、そういう会話はなかったが、時には説教もしてくれる。

おカネがあるとか無いとかも勿論大切だけど、彼のような友人がいることが、僕に「勇気と自信と希望」を与えてくれる。

追伸:今月は、木曜日のジンクスは消滅(笑)!!

使わなくなった筋肉は落ちる。

2ヶ月ぶりに髪の毛を切った。その時の会話が印象に残った。

僕は28才の時から、綾小路さんという方にお世話になっている。

彼は、僕よりもちょうど1才年上だが、こんなことを言っていた。

「(僕は)デコレーション(飾ること)よりも、切ることが好きだってことに気がついたんですよね。この歳になると、色々と考えるじゃないですか。器に例えるなら、飾ってもらうんじゃなく、茶碗のように『使って欲しい』んですよね。割れてもいいから。

考えてみると、僕のお客さんって、シンプルな(生き方が好きな)人が多いんですよね。自分を必要としてくれるお客さんって・・・。やっぱり、相性ってありますよね」。

「自分が何物なのか?」を考えるようになり、上記のように思うようになったと言っていた。

「筋肉と同じで、使わない(不要な)ものは、削げ落ちていきますよね」。

綾小路さんの何気ないひと言から、物事の本質を学んだ気がした。

「人の世に不変なものは変化のみ」。

1ヶ月程前だろうか? 田坂広志さんが運営されている「社会起業家フォーラム」主催によるトークイベントに参加した際に、「国をつくるという仕事」という本を購入した。

そのイベントのゲストである元世界銀行副総裁の「西水美恵子」さんの著書である。

彼女が世銀の職員として、23年間に渡り、貧困の撲滅のために戦い続けた日々を綴ったもので、決して難しい内容ではないが、あまりに「重厚」であり、文章を読むのが遅い僕には、読むのに根気がいる本である。

彼女が今までに会った中で最も優れたリーダーだと絶賛する「ブータン国王」が、彼女の表敬訪問を受けて政治改革の話をする前に、その前置きとして「人の世に不変なものは変化のみ」と言ったという。

とても考えさせられる言葉である。

ところで、「西水美恵子」さんは世銀での仕事に就く前、米国プリンストン大学で経済学を教えていたらしいが、あることがきっかけとなり、政治の腐敗と貧困に苦しむ発展途上国に赴き、お世辞にも衛生とは言えない民家にホームステイし、どうすれば、その国が貧困から抜け出すことができるか?を草の根から考え実践する世界銀行職員に転じた方である。

僕は、彼女と田坂さんのトークイベントに参加するまで、西水さんのことは存じ上げなかったが、その眼光から、並々ならぬ胆力の持ち主だということが伝わってきた。

心ある人なら誰しも、貧困のない世界であって欲しいと思うだろうが、世界で最も裕福な国の尚かつ知的な職業を捨て、衛生環境劣悪極まりない国々での仕事に飛び込むというのは、そうそう出来ることではない。

そういう意味では、僕は極めて「俗人」であり「煩悩の塊」である。

でも、その「煩悩の塊である俗人」にも、出来ることがあると思っている。

まずは、自分の家族のため、そして、僕が接点のある人達に少しでも役に立つように。

大きなことを考える前に、まずは、そこからである。

追伸:ソフトブレーン創業者の宋文洲さんが4日前、~「大きな」話の虚無~というタイトルのメルマガを書いてた。以下は、その号の最後のパラグラフである。

「日本に貢献したいならば日本に頼らない人間になることです。その時、GDP1.5倍の国債は初めて減少に向かいます。世界に貢献したいならば異なる価値観に寛容になることです。その時、世界はより戦争から遠ざかります」。

あの本を読めば、この本は読めない。

今日から6月。2009年も今月で半分になる。

個人的には、46才になって、早2ヶ月が過ぎた。「2/12」つまり「16.7%」が終了したことになる。

「時間」というものをかなり意識してきたせいだろうが、それなりに充実した時間だった。
また、遅まきながら、46才にしてようやく、「計画」というものを真剣に考えるようになった。

今月は、来月以降(今年の下半期)と46才の間に何をどこまでやるのか?について真剣に考え「具体化」し、それを「行動計画」に落とし込むところまで進めたい。

色々と言い訳はある。予想外のトラブルがあったり、体調を壊したり・・・。

でも、結局は、自分自身の「意志」の問題である。

ところで、今日のエントリーのタイトルは、僕が生まれ育った郡山市にあった「本屋」のカバー(包装紙)に書いてあった言葉である。

「人生は短い」。

つまり「あの本を読めば、この本は読めない。読む価値がある本は、買う価値がある」と、その書店のカバーには書いてあった。

あの頃は、その意味がよく分からなかったが、もちろん、今はよく分かる。

そして、僕にとって、あの「本屋」の想い出は、亡くなった「産みの母」の想い出でもある。