「満開の桜」と「石川遼」選手。

快晴の日曜日(昨日)は、ほぼ1年ぶりに「砧公園」に出掛けた。

朝10時半に家を出て、10:50に到着。駐車場に並ぶクルマの列もなく、スムーズにクルマを駐車し、公園に入った。

砧公園に限らず、都内の主な公園は、朝11時を過ぎると、急に駐車場待ちのクルマが増える。昼過ぎになると、駐車場にクルマを入れるために「30分~1時間待ち」になることも珍しくない。

ほんの10分から20分の差が、天国と地獄の分かれ目となる。

ところで、久しぶりの砧公園は、桜の花に替わって、新緑がとてもキレイだった。

実は昨日も、先週の日曜日も出掛けた「新宿御苑」に行くはずだったが、子供が「砂場セット」を持って行き「砂場遊び」をしたいと言い出し、正確には公園ではなく「庭園」の新宿御苑には砂場なるものはなく、急遽、砧公園に変更したという経緯がある。

ご存知の方も多いと思うが、新宿御苑には様々な種類の桜があり、先週も「満開の桜」を楽しむことができた。

おそらく昨日も、新宿御苑では、何かしらの「満開の桜」を楽しめたと思う。以下は、4/5の新宿御苑。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

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ところで、先程、NHKの番組で、プロゴルファー「石川遼」選手の特集を見た。

その番組を見るまで知らなかったが、彼は、この春の「米国PGAツアー挑戦」の直前に、スイング改造に着手したという。

通常であれば考えられないことである。

でも、17歳という年齢(先が長い)が、無謀とも言える、その挑戦を可能にしたのだろう。

番組では、彼の「苦悩」を紹介していた。

いくら「石川遼」選手とは言え、そう簡単に新しいスイングが身に付く筈がない。

でも、腐らず、諦めず、ただひたすら「ボールを打ち続ける」石川遼選手の姿は、何かを訴えるものがあった。

番組の中で、14才で単身渡米し、18年の歳月を経て昨年、ようやく米国PGAツアーで初勝利を挙げた「今田竜二」選手との練習ラウンドの模様が紹介されていた。

通常のドライバーショットでは、17才の石川選手が、今田選手の飛距離を上回っていたが、あるアゲインスト(逆風)のホールでは、今田選手のドライバーショットが石川選手のそれを、約20~30ヤード上回っていた。

その光景に釘付けになっていた石川選手に今田選手は、「状況に応じて、様々な球筋を打ち分ける必要がある」とア���バイスしたそうだ。

「満開の桜」を咲かせるためには、長い時間が必要だということだろう。

何事も「根っこ」が大切。「一過性の結果」は、「再現できない」。

日々、精進あるのみ。

定額給付金

麻生内閣の「肝いり?」政策である「定額給付金」の通知書が本日、届きました。

僕と妻が、それぞれ「12,000円」ずつ、僕らの子供が「20,000円」。合計で「44,000円」が給付されるそうです。

たしかに、それなりの金額です。

しかし、です。

これって、結局は、我々が支払っている「税金」の還付のようなものですよね?

いえいえ、それなら「健全」ですが、政府(つまりは国民)の借金が「GDPの約2倍」もあるわけですから、「給料の前払い」のようなものです。

それも、何世代も先の世代が収める「税金」を原資としてのです。

因みに、このままの出生率でいくと、2030年には、日本国民の「3人に1人」が「65歳以上」の高齢者となるそうです。

つまり、「納税者」の人口が大きく減ることを意味します。

では、「前払いの給料」は、どうなるのでしょう?

僕はエコノミストではないので、よく分かりませんが、公共サービスを賄うには、納税者ひとりあたりの負担は相当な額になると思われます。

北欧の国のように、高い税率でも、それに見合った公共サービスが提供されれば問題はないとも言えますが、日本がそのような社会になるとは、にわかには考えられません。

すると、支払っている税金に見合わないサービスしか受けられない、つまり、税金を搾取されるだけの社会になってしまうと、優秀で且つ「外国語ができる若い人達」は、海外に移住してしまうのではないかと思います。

だって、自分たちの責任でそのようなことになるわけではないですから。

そうなると、日本の「税収」は、ますます落ち込むことになり、日本は、破綻の道へ進むという「悪夢」が頭を過ります。

僕は、確定給付金のような政策(それに伴う書類の印刷費、郵送費、銀行振り込み等の経費は、数百億円にのぼるそうです)を実行するよりも、まだまだ手をつけ切れていない、「利権の巣窟」である「特殊法人」等の解体・改革に取り組み「無駄な税金の支出を削減する」方が、「圧倒的に優先順位が高い」と思います。

とにかく、早く総選挙を行い、新しい政治体制を創りたいと思います。

現実的には、次回の総選挙だけで、それが実現されるとは思えませんが、小沢さんの善し悪しは別として、政権交代を実現させることにより、日本社会に「変化」を起こすことの効果は、それなりにあると思います。

さて、そろそろ、GWです。

皆さんは、定額給付金、どのように使われますか?

政治に「おカネ」が必要な理由。

先日、「政治家は、国民のレベルを代表する」というエントリーを書いた。

最近は、日本国内に限らず、国際的に政治に関するニュースを見聞きするせいか、自分で書いたエントリーが気になっていた。

そもそも、なぜ、政治、厳密に言えば「選挙」におカネが必要なのか?

そのことが気になっていたところに、日経BPオンラインで、「民主党」から出馬宣言をしている「新人」の方の活動に関する記事を見つけた。

第7話:借りた3,000万円が底を突く
第8話:老後の生活資金も息子のために
第9話:妻は一時、うつ状態にも

色々な方からコメントが寄せられていた。

ある方は、「なぜ、ネットを使っ活動をしないのか?YOU TUBEに載せればいいじゃないか?」。
また、ある方は、「素晴らしい奥さんですね」。

たしかに、インターネットをもっと有効に活用すれば、選挙(告知)に関する費用は格段に削減できると思うが、「70歳や80歳といった有権者にはリーチできない」だろうし、候補者の肉声を聴いたり、生で演説を聴いたりすることが、その候補者の人となりを理解する上で有効なのは間違いないだろう。

また、候補者としても、有権者の反応を肌で感じたいというニーズもあるように思う。

一方、このような選挙手法の問題は、時代の変化と共にある程度は変わっていく可能性があるだろうが、僕が気になったのは、むしろ、政治家を目指す人の「奥さん」のことだ。

日本社会、特に、地方都市に行けば行くほど、女性の「内助の功(=男社会)」を求める風潮が根強く、夫の選挙演説の隣りで奥さんが笑顔を振りまくという姿が「票」に結びつくという構図があるように思う。

しかし、日経BPオンラインの記事で紹介されていたような事実があるとすれば、はたして、それは「美談」なのだろうか?

かく言う僕は、28才で起業し、31才で結婚し、40才を越えて子供が出来るまでは、僕の「人生=仕事」で、自分の時間やエネルギーの90%以上を仕事に費やしてきた(その間、妻には散々苦労をかけたし、迷惑をかけてきた。今でもそうと言えばそうだが・・・)。

そんなこともあり、妻が大学に入り直し、大学院を目指したいと言ってきた時は、今度は、僕が彼女の人生を手伝えると思い、少し荷が軽くなった気がした。

また、僕が気になったことは、記事の記載が事実だとすれば、その候補者は、「父親のおカネ(支援)」を見込んで立候補したようであるという点だ。

何の基盤もない新人が、いきなり、国政を目指す?それも、自民党が圧倒的に強い選挙区でである。

何億と言うお金があるか、あるいはタレント議員のように「知名度」があれば話は別だが、まずは、市議会なり、県議会なりで実績をつけ、それから国政を目指してもいいのではないだろうか?

彼の年齢であれば、それでも充分に間に合うはずである。

ところで、米国の大統領選挙も、莫大な資金が必要である。

なにせ、投票日まで、ほぼ「2年」もあるわけで、尚且つ、国土が広いアメリカでは、演説に周るにしても、マスコミで広報活動をするにしても、とんでもないお金が必要である。

では何故、アメリカの大統領選挙は、活動開始から投票日まで、2年もの期間が必要なのか?

それは、その国土の広さゆえ、建国当時は、交通インフラもマスメディアも今ほど発達しておらず、1~2年という時間がなければ、全国を行脚できなかったし、全国民に広報でき���かったからだと聞いている。

でも、時代は大きく変わり、それこそ、マスコミやインターネットが発達した今、1~2年という選挙期間は不要だろう。

日本だけでなく、諸外国でも様々な「制度疲労」が生じてきているということである。

さて、政治の世界における「女性の内助の功(=男社会)」に話を戻すと、人間の「価値観」を変えなければ、社会も制度も変わらないということだと思う。

「価値観」を変えて行くには、「教育」の問題に立ち返らざるを得ないが、それでは、結果が出るまでに何10年という歳月が必要になる。

昨日のエントリーでも書いたが、マネックスの松本さんが提唱する「世代別選挙区」なるものは、今の政治が抱える問題に対するひとつの解決策かもしれない。

問題は、どうやって、その「世代別選挙区」なるものを実現するか?ということである。

さて、話が、振り出しに戻ってしまった・・・。

子供は誰が育てるのか?

今日は、妻の仕事の関係で、僕が子供の面倒を看る当番である。もう暫くしたら、保育園に迎えに行く。

ところで、「子供は誰が育てるのか?」という今日のエントリーだが、それは、当然ながら「親」である。

但し、経済的な面では「社会全体」が子供を育てているのも事実である。

大前研一氏が運営するAGORIAというSNS会員向けのメルマガで読んだことだが、児童ひとりにかかる「保育所」運営費つまり自治体の負担額は、月額「20~30万円」だという。

因みに、東京都の場合、土地代が高いせいだろうが、月額40万円を超えるらしい。

一方、子育て中の女性は、夫の扶養家族の枠内で働こうとする方々も多いだろうから、年間103万円以内、月額にして「約8万円」以内で働くことになり、自治体の負担額の方が多いことになる。

そのような状況を踏まえて、学習院大学・鈴木亘 教授が、「103万円を児童手当(所得制限をかける)として支給したほうが良いのでは?」という提案をされているらしい。

その方が、そのお金が消費に廻る可能性が高く、経済効果が期待でき、さらに、「育児に専念する妻」と、「高い生産性を求めて本格就業する妻」の二極化によって、保育施設を増やさない(自治体=税金の負担を増やさない)という案とのこと。

僕は、メルマガでそのことを読んだだけで、鈴木亘 教授の提案の詳細を存じ上げないので、ひょっとしたら、的外れなことを言っているのかもしれないが、このテーマは、単純に「経済合理性」だけでは語れない気がしている。

これは、ある人材派遣会社の方から伺った話だが、女性の中には、フルタイムで働く能力やスキルがあっても、必ずしも、それを望まない人がいて、むしろ、週2~3日の就労を望む人もいるという。

つまり、子育てや家事と仕事を両立させることにより、俗に言う「ワーク・ライフバランス(個人的には、単語の順番が逆だと思う)」を図りたいということだと思う。

また、子育ての観点から見れば、「核家族化」した現在の日本社会において、また、特に東京のような都会においては、安全性の問題等により、子供が自由に外で遊ぶことのリスクが大きく、一日中、母と子だけで過ごすことは、子供の「社会性」を育むという点において、問題が多いと感じている。

僕自身は、保育園に預けられた経験はなく、幼稚園に行く前は、近所の子供達と遊んでいたが、今の日本社会(特に都会)では、そういうことは現実的ではないだろう。

たしかに、月額20~40万円の自治体の負担はとても大きいし、僕も驚いたが、これは、保育園の運営費と扶養家族控除という2つの変数の問題ではなく、どのような社会システムであれば、自治体つまり税金の負担を少しでも軽くして、より多くの社会的ベネフィットを生み出せるか?という、社会全体の問題として捉える必要があるように思う。

贅沢だと言われれば、そうなのかもしれないが、仮に僕が女性だったら、専業主婦か?キャリアウーマンか?という「二者択一」ではなく、自分に合った、もっと柔軟な選択をしたい、と思うような気がする。

その一方、ドリンク剤「Regain」の「24時間、戦えますか?」というコピーが一世を風靡した1980年代にキャリアウーマンが持てはやされたのとは対照的に、最近では、スパッと仕事を辞めて、育児に専念することが「幸せ」だと思う女性も増えているようにも思える。

僕が子供を持ったことで、そのような女性が目に留まるようになったせいかもしれないが、電車の中で子供を連れて楽しそうに会話をする母親たちを見ていると、女性の「幸せ観」が多様化していると感じる。

ところで、ベンチャー仲間でもある井手さんという方がご自身のブログで、「日本社会は、高齢者に配慮する(おカネをかける)一方、将来を担う子供たちにお金をかけない傾向があるのでは?」というエントリーを書かれていたが、僕もそのような実感を持っている。

日本の個人金融資産の過半は、60歳以上の高齢者が持っているという社会構造にあって、将来を担う子供を育てることに、社会としてどのような取り組みをするべきか?もっともっと考えるべきテーマだと思う。

それにも通ずることだと思うが、マネックスの松本さんが、「世代別選挙区」なる制度を導入することにより、「世代間格差」を是正することを提案されている。なるほど・・・と思う。

本来であれば、僕自身で行政のあり方や税金の使途を調査し、それをもとにこのエントリーを書くべきだと思っているが、そこまでのキャパシティがなく、他の方の話を引き合いにして、自分の考えを書くに留まっていることをご了承いただきたい。

追伸:学習院大学・鈴木亘 教授の公式ホームページを訪問してみたが、とても興味深い研究をされている。時間を作って、氏の論文等を拝読してみようと思う。

「国をつくるという仕事」。

昨夜は、前世界銀行副総裁「西水美恵子」さんの著作「国をつくるという仕事」の発売を記念して、著者の西水美恵子さんと主催者の「社会起業家フォーラム代表」田坂広志さんとのトークセッションがあった。

コーディネーターは、田坂さんと共に社会起業家フォーラムの運営をされている藤沢久美さん。

TOKYO FMホールで開催されたそのイベントには、定員300名のところに、600名もの方の応募があったらしく、参加できた僕は幸運だった。

ところで、会場に向かう途中、表参道の駅で、お母さんに連れられた5~6才ぐらいの女の子(お姉さん)と3~4才ぐらいの女の子(妹)を見かけた。

ホームで電車を待ちながら本を読んでいた僕は、最初は何と言っているのか聞き取れなかったが、「そんなにいっぱい飲まないで!!」と言って、妹の方が「大粒の涙」を流しながら泣いていた。

カルピスウォーターのようなペットボトルをお姉さんの方が飲んでいたのだが、お姉さんに「全部飲まれてしまうんじゃないか?」と心配した妹が、必死になってお姉さんに訴えていた。

お姉さんにとっては大したことじゃないだろう(全部飲むつもりはなかっただろう)し、母親にとってもそうだろうし、傍から見れば、それこそ大した問題じゃないが、妹にとっては、人生の一大事だったのだろう。

僕らの子供も時々、そういうことがあるので、彼女の気持ちはよく分かる。

実は日曜日の昨日、こんな出来事があった。

子供を連れて「新宿御苑」に行った帰りに、新宿の新南口にある高島屋に行った。

駐車場に戻り、クルマを出そうと思ったところ、その駐車場は何やら新宿高島屋の指定駐車場らしく、土日祝日に限り、一定金額以上の買い物をすると何時間か無料になるという看板に気づき、高島屋(厳密には高島屋に隣接している紀伊国屋書店)に戻り、無料券をもらって帰ってきたところ、運転席に「葉っぱ」が一枚、置いてあった。

僕は、それを拾って外に捨てた。

クルマを走らせて暫くした頃、後部座席に座っていた我が子が「お父さん、葉っぱは?」と聞いてきた。

その瞬間、大の「葉っぱ」好きの彼が、駐車場に落ちていた「葉っぱ」の中から、自分の分だけでなく、僕ら夫婦の分も含めて、わざわざキレイな葉っぱを探して、そのうちの1枚を運転席に置いておいたのだということに気づいた。

さすがに「捨てた」とは言えず、「あれっ、どっか行っちゃった」と言うと、その瞬間、それこそ「大粒の涙」を流して泣き出してしまった。

表参道での女の子を見て、そのことを思い出した。

さて、今日のイベントに話を戻すと、西水さんが仰りたかったのは「当事者意識」を持つことの大切さ(難しさ)だと理解した。

彼女は、世界銀行での仕事に就く前、名門プリンストン大学経済学部で教鞭を取っていた。

ご本人曰く、「好きな研究を極めてノーベル賞を取ってやろう!!」という不謹慎?な考えのエコノミストだったという彼女が何故、世界から貧困を根絶することを目的に設立された「世界銀行」で働くことを決意したのか?は、彼女の著書を読んでいただければと思うが、「世界銀行」で働き始めて暫くした時、世界から貧困を無くしたいと言いつつ、実は「貧しい人々をバカにしていた」自分がいたことを知ったと仰っていた。

根源的なレベルで、「当事者意識」を持つに至っていなかったということだろう。

それこそ、話のレベルがあまりに違って、西水さんには大変申し訳ないが、今日の表参道の女の子の心境を理解するにも、昨日の我が子の心境を理解するにも、彼女・彼の立場に立ち、彼らの思考に想いを馳せなければ、それは出来ない、ということだと思う。

西水さんは、ある時から、とにかく「現場(貧困に苦し村)」に足を運び、貧村での「ホームステイ」をするようになったという。

ところで、僕はこのイベントに参加するに際して、西水さんの今回の著作の出版社である「英治出版」のウェブサイトを久しぶりに訪れた。

そして、久しぶりに英治出版の「企業理念」を拝見した。

会場では、久しぶりに、社長の原田さんにお会いした。

先日のエントリーでも同じようなことを書いたが、今日のイベントに参加して、久しく忘れていた「僕の原点」と僕に影響を与えたいくつかの「原体験」を思い出した。

インタースコープを退任してから3年間の「試行錯誤」を経て、外れかけていた自分の中での「ピント」が、少しずつ戻って来ているような気がしている。

そうあって欲しいと思う。

祝:「片山晋呉」選手 マスターズ単独4位!!

ゴルフ好きの方は、既にご存知のとおり、男子プロゴルファーの「片山晋呉」選手が、日本人の「最高位」記録を更新する「マスターズ単独4位」でフィニッシュした。

一度だけ、片山晋吾プロと言葉を交わしたことがあるが、身長(171センチ)は、僕と殆ど変わらない。

その体格で、並みいる大型選手を差し置いての「4位」。

尚且つ、調子が悪かったとは言え、タイガーウッズよりも、良いスコア。

並々ならぬ「努力の賜物」である。

片山選手の「更なる飛躍」を期待すると共に、その「姿勢」を見習いたい。

追伸:日本では、横峯さくら選手が10勝目!!ますますの活躍を期待したい。

「人生は短い」のは、「時間の使いたが下手」なせい?

今日のエントリーのタイトルは、どこかのメルマガか何かで読んだ「ある人の言葉」。

それが、誰のものだったかは憶えていないが、「なるほど」と思った。

僕には、「耳が痛い」言葉である。

何事も「優先順位」と「目的」を明確にすることが大切ということだ。

40代も半ば。本当に自分が「したいこと」「やるべきこと」に集中するべし!という神様のお告げ?でしょう。