「誕生日」。

今日(3/30)は、僕の「46才」の誕生日。色々なことを考えた一日だった。

産みの両親、父方の祖父母の法要と今の母の誕生日のお祝いをして昨日夕方、東京に戻ってきた。

3月はロシア出張に帰省と忙しい月だったが、4月も忙しくなりそうなので、その前に済ませてしまおうと思い、今日は「運転免許の更新」に出掛けた。

いつもは7時頃には起きるのだが、ロシア出張から帰り、その数日後、実家に帰省して泊まりがけのイベントがあり、さすがに疲れていたのだろう、今朝は8時まで目が覚めなかった。

そんなことで朝から「予定」が狂い、子供を保育園に送り出し、メールをチェックしたり、身支度を整えたりしている間に11時過ぎ。

自宅を出たのは、11時半ちょっと前だった。

金曜日に帰省する際、僕が自分から言い出した「出発」の時刻を守れず、妻から小言を言われ、でも、それはすべて彼女の言うとおりなので反論もできず黙って聞いていたが、今朝もそのことを思い出し、「どうして俺は、いつもこうなんだ・・・」と自己嫌悪に陥りながら、山手通りを鮫洲の運転試験場に向かった。

最近のマスコミを賑わせていることのひとつに「国策調査」という言葉があるが、今年1月12日、横浜の「みなとみらい」地区の「人もクルマも殆ど通っていない広い道路」で「Uターン」をしたところ、「指定横断等禁止違反」で呼び止められ、交番でキップを切られた。

同乗していた我が子は、父親が警察官に連れられて交番に入って行く光景を、とても心配そうに見ていたらしい。

また、先月は、六本木通りから六本木ヒルズの横に下りる道で、前を走るクルマが、その道路ともうひとつの道路が「合流」するところで停車した(警察に呼び止められた)ため(標識や路上のペイントが見えなかった)、やむを得ず、その右側を通って合流する道路に入ったところ、その先に警察官が待っていて、「一時停止違反」で呼び止められた。

さすがに僕は、「これって、捕まえようとして見張っているんじゃん!!」と思い、怒りがフツフツと沸き上がり、クルマを止めて窓を降ろしたものの、「キップを切るなら、早く切って下さいよ!!」と警官に悪態をついた。

「反対車線に駐車しているクルマの方が、よっぽど迷惑だし、危険じゃないですか?国民の税金���使っているわけですから、もっと費用対効果を考えて取り締まりをして下さいよ。先日も、代官山のある場所で、コンビニに入ろうと思い、ほんの数分、クルマを駐車しようとしたら、婦人警官の方が来て『駐車場に停めて下さい』と言われました。(反対車線の)あのクルマは、何分、駐車しているんですか?コンビニに行くために、わざわざ駐車場にクルマを停めろと言うんですか?クルマの往来も激しくない、住宅街ですよ。どっちが迷惑だと思います?とは言っても、どこでどう取り締まりをするのかは、他の方が決めるんでしょうけど・・・」。

僕の血相が激しかったのか、それとも、僕の言うことが尤もだと思ってくれたのかは分からないが、その警察官の方は、「では、警告書(正式な名称は憶えていない)ではどうですか?減点も罰金もありません」と言い、僕に「黄色」の「警告書(文字どおりイエローカード)」を手渡した。

そんなことを思い出しながら、クルマを運転していた。

でも、試験場に着き、手続きを済ませ、「違反者講習」を受けながら、「誕生日にこうして試験場に来たことは、きっと何かの意味があるんだろう・・・」と思うようになった。

ご存知の方が多いかもしれないが、ゴールド免許(僕は今まで、そうだった)の方は「30分」、更新の40日前から5年以内に軽微な違反が1回の方は「60分」、僕のように「2回以上の違反(2~3年前にスピード違反が1回ある)」がある人と「初回の更新」の方は「120分」と、それぞれ講習の時間(プログラム)が決まっている。

僕が受けたプログラム後半の「飲酒運転による悲惨な事故」に関するビデオを見て(とても心が痛んだ)、ここ最近の僕は、たしかに、ちょっとしたことでイライラしがちだったことに気がついた。

ここ数ヶ月の僕が何故、そういう意識に駆られていたかは、もちろん、分かっている。

でも、その意識に自分が支配されていたことには、気づいていなかった。

試験場に着き、講習を受けるまでは、「無駄な取り締まりをして、無駄な講習を受けさせて・・・」と思っていたが、それは僕の思い上がりであり、不遜な考えだと思うようにになった。

そう、「人生はすべて必然(自業自得)」であり、「身から出た錆」である。

一方、これまた最近のマスコミが報じているとおり、「検察」を取り締まる制度(機関)がないのは事実であり、最終的には「司法の場(裁判所)」が検察の間違いを防ぐ機能を担保しているとのことだが、ここでは詳細説明は省くが、「法体系の不完全さ」による問題が生じているのも事実らしい。

しかし、いずれにしても、自分自身の「考え方」や「精神状態」を振り返るきっかけとなったことは事実だし、そのことには素直に感謝をしている。

「GREE」の寄せ書きにメッセージを書いてくれた友人もたくさんいて、その他にも、月末且つ年度末という忙しい時期にも関わらず、個別にメールをくれた友人もいた。

そのような彼・彼女たちに感謝をし、僕にとって大切な「区切り」の最初の年を、文字どおり、一日一日、大切に過ごしたい。

また、僕の拙いブログを読んで下さっている皆さんにも感謝し、皆さんにとっても充実した一年となることを祈りたい。

皆さんにとっては、今日から一年という区切りはないだろうけど(笑)。