「大塚製薬」。

僕が20代の頃、「大塚製薬」の「ポカリスエット」と「カロリーメイト」には、とてもお世話になった。

今日は「大塚製薬」が数年前に発売した「SOYJOY」について書いてみたい。

「大塚製薬」は、その名のとおり、製薬メーカーであるが、その技術力、商品開発力を活かして、「消費者向け商品」も作っている。

また、彼らの「消費者向け商品」は、とても画期的でユニークであり、「市場」自体を創造してしまうことが多い。

因みに、彼らの売上(2008年3月期:単体)は、4,133億円。約2/3が「医薬関連事業」、約1/3が「消費者関連事業」で構成されている。

ところで、僕は昨日、免許更新に向かう途中のコンビニで「SOYJOY」を買った。

その際に、職業的関心も手伝い、「SOYJOY」の隣に並んでいた「デスクの朝食(明治製菓)」と「ライトミール 大豆バー(イオン)」も買ってみた。

「デスクの朝食」の食感は、どちらかというと「カロリーメイト」に似たものがあり、「大豆バー」の方が、食感も見た目もパッケージも「SOYJOY」に近かった。

しかし、「ブランドバイアス」の影響があるとしても、やはり、大塚製薬の「SOYJOY」に一日の長があるように感じた。

また、「カロリーメイト」は、チーズ味・フルーツ味・コーヒー味等のフレーバーがついているものの、「5大栄養素」を手軽に摂れる食品にしました、というコンセプトのとおり、どうしても、人工的というか、普通の食品とは違った形状と味がした(する)が、「SOYJOY」は「大豆」を使い、「低GI食品(等質の吸収が穏やかで太りにくい)」という機能もさることながら、それを抜きにしても、食べ物として純粋に「美味しい」のが素晴らしい。

大塚製薬の「消費者向け」食品事業は更なるレベルアップをしたということだろう。

僕は「SOYJOY」「デスクの朝食」「ライトミール 大豆バー」を食べ較べてみて、「どうして、大塚製薬という企業は、こうして、次々と『新しい市場』を開拓でき、ヒット商品を育成できるのだろう?」と考えた。

その答えは、大塚製薬の「企業文化」にあるように思う。

「創業者」がいなくなっても、「経営者」が代わっても、確固とした「企業文化」が根付いていれば、大塚製薬のように、自ら新しい市場を開拓し、ヒット商品を連発し続けられる確率が高まるのだろう。

では、大塚製薬は、どのようにして、そのような「企業文化」を醸成し、維持しているのだろうか?

とても興味深い。

「誕生日」。

今日(3/30)は、僕の「46才」の誕生日。色々なことを考えた一日だった。

産みの両親、父方の祖父母の法要と今の母の誕生日のお祝いをして昨日夕方、東京に戻ってきた。

3月はロシア出張に帰省と忙しい月だったが、4月も忙しくなりそうなので、その前に済ませてしまおうと思い、今日は「運転免許の更新」に出掛けた。

いつもは7時頃には起きるのだが、ロシア出張から帰り、その数日後、実家に帰省して泊まりがけのイベントがあり、さすがに疲れていたのだろう、今朝は8時まで目が覚めなかった。

そんなことで朝から「予定」が狂い、子供を保育園に送り出し、メールをチェックしたり、身支度を整えたりしている間に11時過ぎ。

自宅を出たのは、11時半ちょっと前だった。

金曜日に帰省する際、僕が自分から言い出した「出発」の時刻を守れず、妻から小言を言われ、でも、それはすべて彼女の言うとおりなので反論もできず黙って聞いていたが、今朝もそのことを思い出し、「どうして俺は、いつもこうなんだ・・・」と自己嫌悪に陥りながら、山手通りを鮫洲の運転試験場に向かった。

最近のマスコミを賑わせていることのひとつに「国策調査」という言葉があるが、今年1月12日、横浜の「みなとみらい」地区の「人もクルマも殆ど通っていない広い道路」で「Uターン」をしたところ、「指定横断等禁止違反」で呼び止められ、交番でキップを切られた。

同乗していた我が子は、父親が警察官に連れられて交番に入って行く光景を、とても心配そうに見ていたらしい。

また、先月は、六本木通りから六本木ヒルズの横に下りる道で、前を走るクルマが、その道路ともうひとつの道路が「合流」するところで停車した(警察に呼び止められた)ため(標識や路上のペイントが見えなかった)、やむを得ず、その右側を通って合流する道路に入ったところ、その先に警察官が待っていて、「一時停止違反」で呼び止められた。

さすがに僕は、「これって、捕まえようとして見張っているんじゃん!!」と思い、怒りがフツフツと沸き上がり、クルマを止めて窓を降ろしたものの、「キップを切るなら、早く切って下さいよ!!」と警官に悪態をついた。

「反対車線に駐車しているクルマの方が、よっぽど迷惑だし、危険じゃないですか?国民の税金���使っているわけですから、もっと費用対効果を考えて取り締まりをして下さいよ。先日も、代官山のある場所で、コンビニに入ろうと思い、ほんの数分、クルマを駐車しようとしたら、婦人警官の方が来て『駐車場に停めて下さい』と言われました。(反対車線の)あのクルマは、何分、駐車しているんですか?コンビニに行くために、わざわざ駐車場にクルマを停めろと言うんですか?クルマの往来も激しくない、住宅街ですよ。どっちが迷惑だと思います?とは言っても、どこでどう取り締まりをするのかは、他の方が決めるんでしょうけど・・・」。

僕の血相が激しかったのか、それとも、僕の言うことが尤もだと思ってくれたのかは分からないが、その警察官の方は、「では、警告書(正式な名称は憶えていない)ではどうですか?減点も罰金もありません」と言い、僕に「黄色」の「警告書(文字どおりイエローカード)」を手渡した。

そんなことを思い出しながら、クルマを運転していた。

でも、試験場に着き、手続きを済ませ、「違反者講習」を受けながら、「誕生日にこうして試験場に来たことは、きっと何かの意味があるんだろう・・・」と思うようになった。

ご存知の方が多いかもしれないが、ゴールド免許(僕は今まで、そうだった)の方は「30分」、更新の40日前から5年以内に軽微な違反が1回の方は「60分」、僕のように「2回以上の違反(2~3年前にスピード違反が1回ある)」がある人と「初回の更新」の方は「120分」と、それぞれ講習の時間(プログラム)が決まっている。

僕が受けたプログラム後半の「飲酒運転による悲惨な事故」に関するビデオを見て(とても心が痛んだ)、ここ最近の僕は、たしかに、ちょっとしたことでイライラしがちだったことに気がついた。

ここ数ヶ月の僕が何故、そういう意識に駆られていたかは、もちろん、分かっている。

でも、その意識に自分が支配されていたことには、気づいていなかった。

試験場に着き、講習を受けるまでは、「無駄な取り締まりをして、無駄な講習を受けさせて・・・」と思っていたが、それは僕の思い上がりであり、不遜な考えだと思うようにになった。

そう、「人生はすべて必然(自業自得)」であり、「身から出た錆」である。

一方、これまた最近のマスコミが報じているとおり、「検察」を取り締まる制度(機関)がないのは事実であり、最終的には「司法の場(裁判所)」が検察の間違いを防ぐ機能を担保しているとのことだが、ここでは詳細説明は省くが、「法体系の不完全さ」による問題が生じているのも事実らしい。

しかし、いずれにしても、自分自身の「考え方」や「精神状態」を振り返るきっかけとなったことは事実だし、そのことには素直に感謝をしている。

「GREE」の寄せ書きにメッセージを書いてくれた友人もたくさんいて、その他にも、月末且つ年度末という忙しい時期にも関わらず、個別にメールをくれた友人もいた。

そのような彼・彼女たちに感謝をし、僕にとって大切な「区切り」の最初の年を、文字どおり、一日一日、大切に過ごしたい。

また、僕の拙いブログを読んで下さっている皆さんにも感謝し、皆さんにとっても充実した一年となることを祈りたい。

皆さんにとっては、今日から一年という区切りはないだろうけど(笑)。

「SFIDA」、期間限定で「有楽町丸井」に出店!!

昨日午後から実家に帰省中。今月は、平日は毎日欠かさずブログの更新をすることを密かに目標と課してきたが、残念ながら昨日は更新できなかった。

「継続」することの「大変さ」と「大切さ」を改めて実感。

ところで、ドリームビジョンの投資先「イミオ」が、期間限定で「有楽町丸井」に出店。自社ブランド「SFIDA」で今シーズンから展開するアパレル商品のお披露目を行っている。

平日にも関わらず、売上も好調とのこと。着実に成長軌道に乗れているようである。

本日(3/28)は、「m-floファミリー」で知られる女性歌手「日之内エミ」さんがPRイベントに駆け付けてくれるとのこと。盛況を期待したい。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

「自社ブランドを開発・育成し、様々な商品を展開する」というのは、僕の「夢」のひとつでもある。

僕自身にはそういう能力はないかもしれないが、投資先である「イミオ」の事業展開を通じて、その「夢」が現実のものとなりつつある(実際になっている)。

いつか、スポーツの国際試合のスポンサーができるようなブランドに育てていって欲しい。優秀なイミオの経営陣であれば、きっと、実現できるだろう。

僕(当社)も株主として、社外取締役のひとりとして、微力ながら貢献できたら幸せである。

プレミアムモルツ V.S. エビスビール

「政治と経済」は混迷し、一方、それを吹き飛ばすかのような「WBC」2連覇に沸く昨今の日本社会において、また、僕のブログの傾向からも、ちょっと唐突感のあるエントリーだが、暫く前から気になっていたことなので書いてみることにした。

「モルツ」は、僕が大学生の頃、「麦芽100%」が売り物で、クリアなイメージのブランドとして登場した。「プレミアムモルツ」は、文字どおり、モルツの「プレミアム版」である。

一方の「エビス」は「100年以上(1887年誕生)」の歴史を誇る「老舗ブランド」で、やはり、「麦芽100%」のビールである。

但し、最近は「新興勢力」の「プレミアムモルツ」に勢いに押されて、「エビス」の影が薄くなっているように思う。

両社共に「著名タレント」を起用し「華やかさ」を演出しているが、狙っているポジショニングは、大きく異なる。

「永ちゃん」こと矢沢永吉の「ホンモノ感」とモンドセレクション「金賞受賞」という「ファクト(事実)」により、圧倒的な存在感を発揮する「プレミアムモルツ」に対し、「エビス」は、20年近く前に一世を風靡した「小泉今日子」(ターゲットが彼女を支持する世代なのだろう)と玄人受けする映画俳優「浅野忠信」や元YMOの「高橋幸宏」を起用し「クオリティ感」を出そうとしているのだろうが、ブランドとしての「エネルギー(存在感)」という意味では、「プレミアムモルツ」の方が高いように思う。

ひと言で表せば、「プレミアムモルツ=モダン」に対して、「エビス=ゆったりした時間」といったブランドバリューの違いが感じられる。

商品の歴史的背景やコンセプト、また、企業文化等を考えると、「エビス」が「プレミアムモルツ」のような戦略を採るのは現実的ではないが、もうちょっと違った戦略で、「エビス」の良さを生かし、歴史や伝統を損なわずに「華やかさ」や「洗練された」感じを出すことは、出来るように思う。

ただ、キリンの「ラガー」と「一番絞り」の関係に見られるのと同じ問題が、この両ブランドにも垣間見れる気がする。

「ビール」と聞いて相応しいシーンは?その時の「擬態語」は?といった調査をすると、「ワイワイ」「ガヤガヤ」といった「動的」なイメージがマジョリティを占める(随分前の話なので、今はひょっとしたら違うかもしれない)。

「しっとり」とか「ゆったり」といった「静的」なイメージも出てはくるが、どうしてもマジョリティは「みんなで楽しく」といった「動的」なイメージなのである。

何を言いたいかというと、約20年前、キリンが「一番絞り」を出した時、名優「緒形 拳」をキャラクターに起用し、炉端で串に刺した魚を焼き、一番絞りと一緒に「美味しそう」に飲む、シズル感たっぷりのテレビCMを放映し、素晴らしい成功(売上)を収めたが、欲張って更なる売上とシェアを狙い、「品質感」ではなく、ラガーのような「メジャー感」を狙って「路線(訴求内容)」を変えたところ、「ラガー」と「一番絞り」の差は何?という感じになってしまった時期があったということである。

数字は覚えていないが、売上も伸び悩んだと記憶している。

つまり、その商品のコンセプトなり「ブランド資産」に合わないことをやっても上手く行かない、ということだ。

因みに、人間も同じである。

自分自身のことでも、痛い経験がある。自分には適性のないことをして、たくさんの人達に迷惑をかけた。自分に出来ることとして、その「失敗」から「学びたい」と思う。

さて、話を「プレミアムモルツ」V.S.「エビスビール」に戻すと、エビスはプレミアムモルツと同じような戦略を採ることは難しいが、商品自体が持っているポテンシャルは、まだまだあるように思う。

ところで、ビール系大手4社の業績や関連数値でおもしろいものを発見した。

「売上」「利益」「資産」といった項目では、「キリン」「アサヒ」が拮抗し、「サントリー」「サッポロ」という順番になるのだが、従業員の「勤続年数」となると、なぜか、「サッポロビール」が「首位」になる。

つまり、人が「辞めない」ということだ。

そのこと自体は良いことなのだが、おそらく、欠員が出ない=新しい人(転職者)も少なく、「人的資産(知識やノウハウ)」の「新陳代謝」が進みにくい(活性化しにくい)ということが危惧される。

因みに、「年収」の順位でみると、「サントリー」はアサヒを抜いて「2位」に浮上。「サッポロ(HD)」は「4位」。首位の「キリン(980万円)」と比較して、「162万円」ほど少ない。

このあたりにも、「動」と「静」の違いや「ブランド資産」の「レバレッジ係数(僕が勝手につくった言葉)」の違いがあるように思うのは、僕だけだろうか。

サッポロHDの営業利益に占める恵比寿ガーデンプレイス等の「不動産事業」の比率が「74%(2006年度)」というのも、何をかいわんやである。

でも、僕は「エビスビール」のファンである。そして、「プレミアムモルツ」のファンでも。

「体脂肪率」。

ドリームゲートを通じて知り合った武田悠貴彦さんという方がいる。

彼はリクルートを辞めた後、アストミルという会社を興し、「ベトナム」でのオフショア開発、ベトナム人エンジニアの育成と日本企業への紹介予定派遣等の事業を行っている。

その武田さんから届いたメルマガに、とてもおもしろいことが書いてあった。

それは、~万病に効く?「半日断食」~。

知り合いの経営者からその話を聞いた彼は、半信半疑だったため、Amazonで関連する書籍を購入し、読んでみたらしい。

結論として、「絶対にやらないといけない」と思ったという。

理由は、こういうことだ(彼のメルマガより)。

・そもそも人類は人類史上、何億年と飢餓と戦いつづけている
・飢餓が身近である時代は、20世紀前半まで世界中にあった
・人間には飢餓に対応できる能力を体内細胞に持っている
・この飽食の時代は、人類史上数十年程度
・実は体力の80%は食物消化にパワーを奪われている
・食べ過ぎると、消化器官がフル稼働するので疲れやすい体質になる
・胃腸を休める、つまり断食をすることでパワーを温存できる
・同時に飢餓状態をつくると、眠っていた遺伝子が活動し始める
・細胞が活発になって、体調が良くなる
・断食で意図的に飢餓状態を作ることで健康になる

※参考書籍1:脳がよみがえる断食力/著:山田 豊文
 参考書籍2:奇跡が起こる半日断食/著:甲田 光雄
 参考書籍3:遺伝子オンで生きる/著:村上 和雄

「なるほど」と思った。

特に、僕が「そうだよな」と思ったのは、下記の2点。

・実は体力の80%は食物消化にパワーを奪われている
・食べ過ぎると、消化器官がフル稼働するので疲れやすい体質になる

半日断食まではしていないが早速、食事の量を減らし、また、とにかく歩くことを心掛けたところ、なんと「2日」で「1.5kg」ほど体重が落ちた。

今朝の体重は「63.3kg」。体脂肪率は「14.5%」。体内年齢は「22才」。

因みに、伸張は約170cm。

40代半ばでも、まだまだ新陳代謝能力があることが分かり、ちょっと嬉しくなった(笑)。

実は、先週のロシア滞在中も、食べる量をコントロールしていたところ、以前は出張から帰ると必ず太っていたにも関わらず、同じ体重のまま帰国することができた。

このペースを続けてみよう。

母の誕生日。

今日は、ここ最近のエントリーからガラッと変わり、久しぶりに私生活に関する話。

昨日(3/23)は、僕たちの母の記念すべき満70才の誕生日だ。

本来は、数え年で70才が「古希」のお祝いのようだが、最近は満年齢で祝う人たちもいるらしく、今週末、僕たち3人兄弟家族が実家に集まり、母のお祝いをすることになっている。

以前のエントリーにも何度か書いているが、僕たちの母は、法的には「養母」である。

僕たち兄弟の生みの母は、僕が15才の時、45才で亡くなった。

その2年後、はやり既に他界している父と今の母が再婚し、その後、僕たちは「養子縁組」をし、現在に至っている。

父が生前、自分が亡くなった後も、我々息子達が今の母を守って欲しいという思いから、「自分(父)はそうしたいが、いいか?」と聞いていたことによるものだった。

たまたま僕が「長兄」ということで、父は僕にその話をしてきたが、僕は二つ返事で「YES」と答えた。

それから、もう何年になるだろうか。

これも、いつから続けていることか、僕自身も忘れてしまっているが、毎年、今の母の誕生日には、お祝いの「お花」を贈っている。

母は毎年、それをとても楽しみにしているようである。

もう10年以上も前のことだが、僕がうっかりお花の手配を忘れてしまった時に、母が「お花が届かない・・・」と言って、電話をかけてきたことがあった。

最初にお花を贈り始めた頃は、僕と弟たちの名前だけだったが、それぞれが結婚して、今は、僕たち兄弟夫婦、つまり「6人」連名で贈っている。

因みに、毎年、母の誕生日と母の日の「お花」を贈ることは、僕の担当になっている。

今年は、ロシアからの帰国日の翌日が母の誕生日だったこともあり、お花の手配をしてから出張に出掛けた。

ところで、今週末の帰省は、母の「古希のお祝い」以外に、生みの両親と父方の祖父母(一緒に住んでいた)の「法事」を兼ねている。

母は僕が15才、祖母は僕が20才、父は僕が24才、祖父は僕が25才の時に亡くなった。

つまり、母の33回忌、祖母の27回忌、父と祖父(前倒し)の23回忌だと思う。

また、それらの法要は、ずっと、今の母が行ってきた。

自分の夫の「前の奥さん」の法事を一生懸命にやっている母をみて、親族は、不思議で仕方なかったようだ。

無理もないと思う。余程、心の広い人でなければ、そんなことはできないだろう。

そんな母を最も心配し、最も頻繁に電話をし、何かにつけてイベントの企画をするのは、末弟である。

僕と次男は、それぞれ15才(ほぼ16才)、14才の時まで生みの母と生活してきたので、結果として「ふたりの母」がいる(特に僕は)感覚だが、三男(末弟)は「9才」の時に生みの母を亡くしており、それ以来、今の母に育てられてきているので、今の母に対する「感謝の気持ち」や「愛情」が、我々兄弟の中で最も強い。

ただ、我々兄弟にとって、今の母が「大きな求心力」となっていることは、お互いに口にはしないが、紛れもない事実である。

ある意味、生みの母が亡くなった時は、人間の「死」というものがよく理解できず(「生」についても)、また、とにかく無我夢中で、悲しんでいる暇も無かったのが偽らざるところだが、大人になった今は、人間の「生死」というものをよく理解しており、今の母が亡くなった時のことを想像すると、言葉に出来ないものがある。

弟たちは別として、僕の場合、妻の両親も他界してしまっており、僕らの子供にとっては、今の母が「唯一の祖母」であり、せめて、彼の中に「祖母の記憶」が残る年齢までは、今の母に元気でいて欲しいと思う。

言うまでもなく、人生は有限である。

でも、だからこそ、生きていく価値があるのだろう。

この週末は、親孝行をしたい。

「プーチン」のロシア。

僕のブログを読んで下さっている方々も、そろそろ、ロシア話には辟易とされているかと思うので、今日のエントリーでひとまず、ロシアに関する話は終了としたいと思います。

さて、今日のエントリーのテーマである「プーチンのロシア」というのは、NHKが計4回シリーズで放映したテレビ番組の名前でもある(正式には「揺れる大国 プーチンのロシア」)。

今日がその最終回(4回目)だった。

僕がロシアに関わりだしてから、約1年。計3度の訪露を通じて、少しずつではあるが、ロシアという国の輪郭がぼんやりと見えてきたように感じている。

2007~2008年頃、ロシアに駐在している友人から、彼が帰国する度に、「モスクワは世界一、物価の高い都市だ」とか「東京はもはや最先端ではない」と聞かされていたが、70年に渡る「社会主義」の実験に失敗してソビエト連邦が崩壊し、ロシアになってからも、ついこの間まで「ハイパーインフレ」だの「ロシア経済危機(1998年)」だのと騒がれていた国の首都が、ほんの10年で東京を凌ぐ都市になっているとは、どう考えても信じられなかった。

しかし、昨年5月にモスクワを訪れて以来、彼の言っていることの意味がよく理解できるようになった。

まだ、その経済構造までは理解できていないが、平均的なモスクワ市民の収入に比して、モスクワの物価は極めて高い。

きっと一部の富裕層が、その富を吸い上げているのだろう。

因みに、モスクワの人口は、約1,400万人。ロシアの人口の約12%が集まっている。

しかし、ロシアの「富」の実に「約80%」が、モスクワに集まっているとも言われている。

異なる見方をすれば、ロシアという国は、それだけ貧富の差が激しい、極端な「格差社会」だということである。

ところで、僕はモスクワよりも、サンクトペテルブルグの方が好きだ。

サンクトペテルブルグ建造時、当時のヨーロッパの著名な建築家を集めて建築した歴史的建物がそのまま残っており、街中は、さながらヨーロッパを彷彿とさせる。

そういう僕は、実は一度もヨーロッパには行ったことがないけど・・・。

因みに、世界の「ナカタ」も、サンクトペテルブルグがお気に入りらしい。

さて、話を今日のエントリーのタイトルに戻すと、NHKの番組での「異質な存在感を示す」という表現のとおり、ロシアという国は「独特の威圧感」を感じさせる国である。

特に、モスクワには、その「威圧感」を感じる。

ソビエト連邦崩壊後、旧ソ連の国々で構成された「CIS国家共同体」の中心国として再スタートしたロシアは、ヴォッカ中毒じゃないの?と思わせる「エリツィン」大統領の下、世界における影響力を低下させていったが、「原油価格の高騰」と「プーチン」という指導者の登場により、再び、国際情勢の「表舞台」に登場してきた。

社会主義から資本主義への移行に伴う国営企業の民営化の過程で誕生した「オリガルヒ(新興財閥)」に代表される世界経済における影響力増大の一方、ソ連時代と比較して、当時の見る影もなく「軍」が「弱体化」したことに危機感を憶えた「プーチン」は、大統領に就任するなり「軍」の強化に力を入れた。

それまでの「徴兵制」ではなく、「志願兵」を組織したのである。そして、その「志願兵」を厚遇し、同時に「愛国心」を植え付ける教育をしていった。それが「カデット」と呼ばれる「軍人養成学校」である。

プーチンが「軍」強化に動いた背景には、ブッシュ政権下のアメリカがロシア軍の弱体化に付け込むかのように、CIS諸国を次々と「NATO(北大西洋条約機構)」陣営に取り込んでいったというプレッシャーがある。

ロシアと国境を隣接する「ウクライナ」や「グルジア」までもがNATO加盟かという情勢になり、プーチンが強い危機感を抱いたのだろうことは想像に難くない。

ところで、ロシアにおける「愛国主義」は同時に、その歴史的背景も影響し「ナショナリズム」を生みやすいという。

その負の側面が、ここにきて現れているらしく、モスクワでは、外国人排斥運動が発生しているらしい。

しかし、現在のロシアは、さすがに旧ソ連時代とは異なり、政権や軍を批判するメディアや団体も存在し、NHKの番組では、それらの人々も紹介されていた。

それらの人の存在は、僕のような、よく言えばロマンチスト、悪く言えば(それが現実)「イマチュアな人間」には、ある意味、救いでもある。

何故なら、自分がビジネスとして付き合い始めたロシアが全体主義一色の国だとしたら、自分のやっていることに疑問を禁じ得ないからである。

一方、僕が知り合ったり付き合っている人々は、とても「知的」で「社交性」に富み、自分達の国をニュートラルに捉えており、ビジネスを抜きにしても、交流を続けたいと思う人たちである。

先日の訪露で訪れたサンクトペテルブルグの街中では、横浜市から小学生がサンクトペテルブルグを訪問し、現地の小学生との交流を深めるというイベントのポスターを見掛けたりもした。

罪も無い人達が尊い命を落としたグルジア紛争の早期解決と、ますます複雑化する世界情勢の平和を祈りたい。