「道のありがたみ」を知っている者は、「道のないところを歩いた者」だけだ。

先週の金曜日、久しぶりに山川さん(現ALBERT代表取締役会長)と食事をした。

本当は、8月下旬か9月初旬に会うはずだったが、僕の具合が悪くなったり、山川さんの都合が悪くなったりで、3ヶ月越しとなってしまった。

思い起こしてみると、山川さんと会ったのは、僕がまだ20代の頃。もう20年の付き合いになる。

年月の長さだけではなく、インタースコープというベンチャー企業を一緒に創業し、波瀾万丈の人生を共にしてきた間柄である。

一時期は、険悪極まりない関係になったこともあったが、何かがお互いを惹き付けているようで、今でもこうして会っている。

その山川さんと、あることを約束した。

ひとつは、新春のゴルフ。もうひとつは、秘密。でも、それは、とても楽しみなことである。

山川さんと僕に共通しているのは、自画自賛と言われるかもしれないが、パイオニアとして「道を切り開いてきた」ことだと思っている。

僕らがインターネットリサーチをやり始めた頃、インターネットリサーチ市場なり業界と呼べるものは無かった。

それが今では、マクロミル、クロスマーケティングと、上場企業を「2社」も擁立するほどに成長し、立派な「市場」なり「業界」に発展している。

僕らを「扱き下ろした」統計学の先生も、今ではインターネットリサーチの存在を認めざるを得ないだろう。

ところで、今日のエントリーは、大島亮吉(登山家・随筆家)という方の発言らしい。

僕が大好きな「アクティブ感動引っ越しセンター」のメルマガ(佐藤英典さんという方が書いている)で見つけた。

言葉には「力(エネルギー)」がある。

何事も焦らず、欲張らず、目の前のことを「ひとつずつ」。

よく晴れた土曜日(11/22)。いつものメンバーで久しぶりにゴルフをした。

今年は「超スランプ」に陥っており、前回まで、一度も100を切れなかった。

昨日のゴルフの「前のゴルフ」で、今年初めて100を切った。スコアは、45+52=「97」。

そのゴルフは、あるところが主催するプロアマのようなコンペで、参加者の多くがゴルフの上手な方々。

そんなコンペで迷惑をかけてはいけないと、とにかく「安全に安全に」と心掛けた結果、前半のハーフを「45」でまわることができ、後半は「52」を叩いたが、合計97と久しぶりに100を切ることができた。

ところがである。昨日のゴルフでは、51+57=「108」。久しぶりに100を切ったことに気を良くして、まあ、それはいいとしても、ここであわよくば90台前半を・・・などと気負い過ぎて「平常心」を失い、リズムを崩す。

頭(理性)では理解できていても、心(感情)が「焦り」、早く早く「良い結果」を出したいと思い、「冷静さ」を失ってしまう。

こうして、分かっているのに、それができないのである。

同じマンションの方で、毎朝、ゴルフの練習を欠かさない人がいるが、その方がこう言っていた。

「(林の中からは、ナイスショットはできないと)分かっているんですけど、コースに行くと、打てる気になっちゃうんですよね(笑)。うちの奥さんに、(ゴルフの練習の前に)座禅でも組みに行った方がいいんじゃない?って言われます(笑)」。

考えてみると、80台でまわった時は、いずれも「目の前の一打に集中」していたし、余計なことを考えていなかった。

何事も焦らず、欲張らず、目の前のことを「ひとつずつ」。

ゴルフに限らず、仕事でも何でも同じである。

「感情移入」。

「挑戦する生き方」をテーマとして今年9月よりメディアの運営を始め、そのメインコンテンツである「挑戦する生き方」というコーナーを僕が担当している。

僕自身がインタビューを行い、そのテープ起こしを読み返しながら、どうすれば、彼らが自らの人生を通じて会得したことのエッセンスを伝えられるか?を考える。

僕の性格なのだろうが、毎回、彼らの生き方に「感情移入」することになり、文章を書く以前に、かなりのエネルギーを要求される。

でも、そのプロセス無くしては、納得のいく文章は書けない。

そして、彼らの「人生」を「疑似体験」することにより、書き手の僕自身が、最も多くの学びを得られていると思う。

インタビューに応じていただている方々に、心から感謝を申し上げたい。

元「新日鉄」の起業家、オーリック・システムズの幾留さん。

今週の月曜日、いつものとおり、法政大学ビジネススクールでの授業があった。

今週は、ウェブのログ解析ソフトを開発・販売しているオーリック・システムズの幾留さんにゲスト講師としてお越しいただいた。

幾留さんは、1958年生まれの現在50歳。今回のゲスト講師陣の中では最高齢だが、そのご年齢に相応しい、とても示唆に富んだ話をして下さった。

幾留さんは、東工大の大学院を出て、新日鉄に就職。その後、社内留学にて「カリフォルニア工科大学」に留学し、そのまま現地に「居着いた」。当時の新日鉄は、オラクル等のI.T.系ベンチャー企業にかなり積極的に投資を行っており、投資先のモニタリングや新規事業の開発等の仕事を担当する現地法人(子会社)での仕事に魅せられていったそうだ。

新日鉄の立場で開発したある製品が米国企業に支持され、それを販売しようとしたところ、諸事情によりそれが困難だったことにより、当時の仲間数人と一緒にオーリック・システムズをカリフォルニアで創業した。

その後、ネットバブルの崩壊があり、紆余曲折を経て、ウェブのログ解析ソフトの開発に「業態変換」し、現在に至っている。

ご本人は「さらっ」としか話をされていないが、かなりのご苦労があったはずだ。

講義は、自社の事業内容に関する話の他に、I.T.産業の日米比較、起業に関する国際比較、生き残り、成長するベンチャー企業の条件等、まさしく、ビジネススクールの授業に相応しい内容だった。

いくつか、その内容をご紹介したい。

1. I.T.産業の日米比較(Forbes the Global 2000 より)
・Forbes による主要企業に占める「I.T.系企業」の割合を日米で比較すると、米国:約10%(全産業中:4位)、日本:1%あるかないか。
・日本のソフトウエア輸入額: 約9,200億円(輸出額:約90億円)

2. 起業について(GEM reports 2006)
・起業する能力はありますか?(2006年) 米国:50.2%、先進7カ国平均:40.8%、日本:15.7%
・実際に起業している人の割合(2006年) 米国:7%、先進7カ国平均:5%、日本:2~3%
・ベンチャー企業1社への平均投資額  日本:6,000万円(調査国中の最下位)、米国:9億円(最高位)

3. 日本の国際競争力: 1997年(I.T.革命の黎明期)を境に急速に下降。1996年:4位→1997年:17位、2008年:22位

4. 企業の寿命は30年(日経NEEDS調査)
・若い企業の方が「成長性」に関する得点が高い。企業規模のみ「社歴」が長い程、大きい。
・日本が国際競争力でNO.1だった時代は、戦後の復興期に勃興した企業の内、松下電器(現パナソニック)、SONY、ホンダといった優良企業の社歴が「30年前後」だった時期と重なる。

5. I.T.ベンチャーの戦略
・市場の選定(伸びている市場か?自社の強みが活きる市場か?)
・差別化できるポイント(強み)に集中する。
・セグメントリーダーになる。

どれも当たり前のことと言えばそれまでかもしれないが、実際に自分で、それも「異国の地」で事業を興して来られた方の話には、言葉の表面的意味を超えた深い示唆があった。

僕のブログ読者の皆さんにとって、少しでも参考になれば幸いである。

幾留さん 日米往復でご多忙の中、本当にありがとうございました。

子育てほどクリエイティブなものはない。

もう20年も前のことになるが、あることで知り合った10歳ほど年上の友人と彼の奥さんから、「子育てほどクリエイティブなものはない」という言葉を聞いた。

こうして今も僕の記憶に残っているとおり、当時20代だった僕にとって、かなりのインパクトがあった。

広告代理店(奥さんの方は電通)出身の夫婦が、口を揃えてそう言っていたことも、僕には意外だった。

また、僕が20代の時に勤めていた外資系企業で一緒だったある女性が、「平石さん、子供を産むのを止めてまで、する仕事はないよ」と言っていたことも、その時の彼女の表情も含めて、鮮明に憶えている。

最近になって、そのことの意味が実感としてよく理解できるようになった。

他人の子供でも、特に、小学生の男の子を見ると、その無邪気さに言葉には表現できない気持ちになる。

亡くなった父親が生前、何かあると「お父さんが幼稚園をつくってやるから、おまえは園長先生になりなさい」と言っていた気持ちも、今は理解できる。

僕の大好きな「ゴッドファーザー」も、「子供は未来だ」と言っている。

40才を過ぎるまで子供を育てる自信がなかった僕に他人をとやかくいう資格はないが、子供を産み、育てることは、人生をより深いものにしてくれると思う。

自分達のことを犠牲にして子供に愛情を注ぐことは、結果的に、自分達に返ってくる。

まだ3才の我が子が、いずれ大学生(本人が行けば)になる日が来ると思うと、不思議でならない。

いったい、どんな生活が待っているのだろう。

その日を、家族全員、心身ともに健康で迎えたい。

ゴルフは、シングルになっていたい。息子にバカにされないように・・・。

「前にいく勇気がないからです」。

東京都の樹木である「銀杏」が紅葉でキレイな黄色になっている。

でも、すっかり紅葉している銀杏もあれば、まだ、緑色のままの銀杏もある。そう、人間と同じで、樹木にも「個性(個体差)」がある。

一本として同じ銀杏は存在しない。人間と同じように・・・。

ところで、ちょっと前のニュースになってしまったが、僕が大好きな「伊達公子」選手が「全日本選手権」で優勝した。凄いとしかいいようがない。

「元女王の気まぐれ」と皮肉を言った人達は、この快挙を何と思っているだろう?

話は変わるが、これまた、僕が大好きな「宋 文洲さん」のメルマガに、こんな一節があった。

「不況は誰かのせいではありません。皆のせいです。危機は誰かを狙ったものではありません。皆が被害者です。後ろ向きになるのは後ろに魅力があるからではありません。前にいく勇気がないからです」。

考えさせられる一文である。

「経験」という「功罪」。

僕が山川さん(現ALBERT 代表取締役会長)と一緒にインタースコープを始めた頃、インターネットリサーチという市場は無いに等しく、とにかくひたすら「顧客開拓」に奔走していた。

クライアントになるかどうか、その可能性さえ分からない見込み客?に対しても、一生懸命に営業活動をし、多くの時間を費やしていた。

途中で、そんな努力が本当に報われるのだろうか?と疑問を感じたこともあったが、経験則がない以上、とにかくやるしかなかった。

しかし、経験を重ねると、何かを始める時、ある程度、これはイケルだろうとか、これはダメだろう、ということが分かるようになってくる。

良く言えば「冷静な判断」。しかし、先が読めてしまうが故に、果敢な行動が出来なくなったりする。

「判断能力の向上」という意味では、経験は「成長」を促進するが、可能性に懸けて「挑戦する」という意味では、必ずしも「経験」がプラスに働くわけではない。

「挑戦する生き方」で紹介させてもらった吉川さんも、同じようなことを言っている。そのようなプロセスを「経験」した人であれば、その意味が分かると思う。

「起業」は若いうちの方がいい。

「チャンス(旬)」は限られている。

「人生は短い」。