「おくりびと」。

投資先であるイミオの小林さんのお兄さんと初めてお会いしたのは、まだ、暑さが残る頃だった。

小林さんのお兄さんは、松竹で映画の宣伝プロデューサーをされており、「第32回モントリオール世界映画祭グランプリ受賞作品」の「おくりびと」を担当されているとのことだった。

京都大学の大学院を修了(中退だったかな?)している小林さんのお兄さんということで、何となく「理知的」な方を想像していたが、実際にお会いしてみると、とても温和な方だった。

そのお兄さんから、とあることを頼まれ、その「頼まれ事」のひとつとして、まずは「おくりびと」を観に行くことになっていたが、何だかんだと慌ただしくしており、なかなか観に行けずにいた。

ようやく先日、何とか時間を作り、久しぶりに「映画館」に足を運んだ。

ご覧になられた方もいるかと思うが、「おくりびと」とは「納棺士」のこと。望んでなろうとは思わない職業だろう。

「おくりびと」という映画は、普段の生活では登場することのない「納棺士」という地味な職業をテーマに、「人生の最後」が持つ「意味」や家族や夫婦の「愛情」、そして、友情をテーマに、ユーモアと繊細なタッチを織り交ぜて描かれている叙情詩である。

主演は、本木雅弘。彼の妻役を瑞々しく演じていたのは、広末涼子。そして、助演男優には、山崎努。彼の圧倒的な存在感は、「おくりびと」という映画をとても重厚なものにしていた。

本木雅弘が演じる主人公の「小林大悟」は、3才の頃から、父親の勧めにより、チェロを習い始める。

そして、オーケストラの一員になることを「夢見て」努力を重ね、遂に、その夢が叶ったと思った次の瞬間、彼が所属していたオーケストラは解散となる。

彼の元に残ったのは、チェロを買うためにした「1,800万円」の借金。

思い悩んだ結果、彼は「夢」を諦め、チェロを手放す(売る)。

そのシーンで彼が放ったのは、「これ(チェロ)が自分の『夢』だと思っていたが、そうではなかった。(チェロを手放して)むしろ、心が軽くなった」というひと言。

華やかな世界を諦めて、傷心のまま故郷の山形に帰り、職探しを始め、ひょんな縁で「おくりびと」の仕事に就く。

最初は、妻に自分の仕事を隠し、疑問を感じながら仕事をしていた主人公だが、徐々にその仕事の奥深さに目覚め、妻が自分の仕事を知り実家に帰ってしまった後も、淡々と仕事を続けていく。

そんな映画だった。

「おくりびと」を観て、僕は以前、他人の評価を気にして、誰かに認めてもらうために仕事をしていた頃があったことを思い出した。

それは「夢」ではなく、「無い物ねだり」であり���「コンプレックスの裏返し」だった。

そして、「他人という鏡に映った自分を見るのではなく、自分の内面にある鏡を通して自分を見つめない限り、本当の心の安らぎは訪れないよ」という、ある人に贈られた言葉を思い出した。

他人の評価ではなく、自分が評価することに取り組むことが大切である。

蛭田さんが言っているように、「評価」は目的ではなく「結果」である。

小林さんのお兄さんに、感謝をしなければ・・・。