人生はすべて「トレードオフ」。

僕が20代の頃にお世話になっていたコンサルティングファームには、「積極的に『公私混同』せよ」という語録があった。

ここで言う「公私混同」は、接待タクシーで酔っぱらっていた官僚のようなことを言うのではない。

2008年7月23日の夜、恋人とデートをすれば、仕事は出来ない。仕事をすれば、恋人とは会えない。

子供と遊べば、少なくとも、その瞬間は仕事はできない。

自分はひとりしかいない。どちらを取るのか?

つまり、仕事も私生活もすべて含めて、今この瞬間、自分の人生にとって「最も大切なものは何か?」を判断基準として意思決定をする必要があるということだ。

そして、何かを取るということは、何かを諦めざるを得ない。

ギリギリの選択だろうが、明確な選択だろうが、諦められるものは、それだけの価値だということ。

しかし、問題の「本質」は、自分が何を最も大切にしているのか(諦めてもいいことと、そうでないこと)を気づいていないことがあるということだ。

失ってみて初めて気がつく事が多い。

話しは変わるが、若い時に仕事に打ち込まなければ、打ち込む時はない。

僕はコンサルティングファーム勤務の時、月間最大労働時間が「368時間」だった。

インタースコープの創業期は、月間労働時間が「300時間」を下回ることはなかった。

それだけ仕事に打ち込んだから、今の僕がある。

それだけ仕事に打ち込めば、僕のような人間でも、それなりの結果は残せるということだ。

愚痴を言っている暇があったら、仕事に打ち込むことである。

職業人として大成したいなら・・・。

でも、そうでない人生もある。

すべては、自分で決めることである。

「文明の発達」と「プリミティブな幸せ」。

子供ができてから、より正確に言うと、子供が自分の足で歩くようになり、そして、言葉を話すようになり、彼を連れて色々なところに行くようになってから、自分が子供の頃(小学生の頃)のことを思い出すようになった。

この連休中に駒沢公園に行ったことは昨日のエントリーで書いたとおりだが、自転車に乗って公園内を走ると、木陰から心地よい風が吹いてくる。

僕が子供の頃は、エアコンがある家はそう多くはなかったし、僕はランニングを着て自転車に乗り、朝から晩まで遊びまわっていた。

父親のクルマは、ホンダの軽自動車から1,300CCの日産サニーに変わった頃だった。さらに昔、僕が今の自分の子供の歳の頃は、クルマはなく、父はスクーターに乗っていた。乳幼児だった僕が、父のスクーターに跨り、楽しそうにしている写真がある。

今と較べれば、物質的には恵まれていなかったが、その分、社会が「単純」だったし、今のような複雑さは呈していなかった。

そして、僕も父も、他の家族も、幸せだったと思う。

因みに、1970年の日本は、国民一人当たりGDP「9,714ドル」だった。2006年は、同「22,976ドル」。

僕は、40才を超えて「3度目の起業」に「挑戦」できているし、「子供」にも恵まれて、今もとても幸せだが、社会全体が、当時のような「プリミティブ(原始的)な幸せ」を感じる瞬間が少なくなってきているように思う。

そんな「プリミティブな幸せ」を、「1時間200円」の駒沢公園の「レンタル自転車」は感じさせてくれる。

3連休は短い。

晴天に恵まれた3連休。皆さんはいかがお過ごしだっただろうか?

僕の3連休は、以下のとおり。

まず、初日の土曜日は「ゴルフ」でスタート。

コースは、2003年の日本プロ選手権(男子トーナメント)の舞台であり、最近は女子ゴルフのニチレイPGMレディスの舞台でもあり、難コースとして知られる「美浦ゴルフ倶楽部」。

僕は2002年に一度だけ、ネットエイジ(現ngi group)創業者の西川さん、三井物産の中野さんと3人で回ったことがあった。

今回のメンバーは、元アップルジャパン代表の前刀さん、ネットベンチャーの草分けカレンの創業者で尚かつ医療情報の口コミサイト「Q Life」を運営する山内さん、そして、なんと「カリスマ美容師」の「綾小路さん」と僕という4人。

(左から、山内さん、綾小路さん、平石、前刀さん)

僕は全員と親交がある(僕がコーディネイトした)が、他の3人は初対面。にも関わらず、あまりの難コースに会話よりもゴルフに熱中(当然と言えば当然)。

難コースと酷暑に全員ヘトヘト。しかし、綾小路さんは絶妙のショットを繰り返し、ゴルフでも「カリスマ」ぶりを存分に発揮。他の3人を魅了した。

さて、その翌日の日曜日は、予てから下調べを重ねていた「電動アシスト付き自転車」を購入しに、碑文谷のダイエーに出掛けた。ダイエーOMCカードをつくると、その日の買い物が「5%」割引になるので、10万円もする電動アシスト付き自転車を買う前にカードの申し込みを済ませる。5,000円の割り引きは大きい。

日曜日は、子供が朝5時から起きており、さすがに眠かったのか、途中からぐずりにぐずって大変な騒ぎに。帰りのクルマの中で眠ってしまい、帰宅後もそのまま昼寝。

僕はその間、来月のシリコンバレー出張に向けて、現地で会う人たちにメールを送ったり、飛行機の最終FIXをしたり、また、火曜日に泉谷(ドリームビジョンのメンバー)とブレストする案件に関連するウェブサイトを見たりと、慌ただしい日曜日の午後を過ごした。

さて、3連休最終日の今日は、朝から駒沢公園に出掛けた。まずは、自転車を借りて、サイクリングロードを2週する。途中にプールが見えるところがあり、そこを通り過ぎる時、子供が「プールに入りたい」と言うので、ジャブジャブ池に連れて行ったところ、怖がってしまい、結局は入らずじまい。

仕方なく、家の近所にある公園のジャブジャブ池に移動。ここでは慣れているせいか、だんぜん元気になり、思う存分に遊び始めた。先週に引き続き、我が子の「ネイチャー(持って生まれた性格)」を実感させられた。

そんなことで、晴天に恵まれた3連休は、あっという間に過ぎて行った。

ところで、日本が「海の日」の連休中、ゴルフ発祥の地「英国」では、全英オープンが開催されていた。

残念ながら、僕が応援する「グレッグ・ノーマン」の優勝は無かったが、それでも、ノーマンは全盛期を彷彿とさせるプレーを披露してくれたらしい(僕はテレビを見ていない)。

新旧の対決は、いつも見応えがある。

45才のシリアルアントレプレナーの僕も、まだまだ頑張らないと!!!

追伸:グレッグ・ノーマンが全盛期の頃、僕は彼のプレーに魅了されていた。そのノーマンは、なんと今年6月、僕が大ファンだった「クリス・エバート」と結婚した。何という組み合わせだろう。

「野茂引退」。

日本人がメジャーリーグに挑戦する道筋を切り開いたと言っていい野茂選手が引退を表明した

寡黙でストイックな姿勢は、多くの人たちに「勇気と自信」をもたらしただろうし、「人生の意義」や「生きる目的」を見つけるヒントを、自らの姿を以て示してくれたと思う。

誰かが切り開いた道を歩くのと自ら「最初の一歩」を踏み出すために要求される勇気やエネルギーとは比較にならないし、そのことが生み出す価値は量り知れない。

どんな言葉を使っても、野茂選手が残した偉大な功績を賞賛することは難しいが、野茂選手のような人物が存在することを日本人として誇りに思う。

そして、こうしてブログを書いている僕自身も、現実や障害に安易に妥協せず、自分の持てる力を存分に発揮し、自分がなし得る限界を目指して頑張りたいし、その責任がある。

「人生は短い」。

「本当に『挑戦』したいこと」があるなら、次善の策に甘んじている暇はない。

「意思決定」と自分自身への「問い」。

「意思決定」は、経営者の大きな仕事である。

その対象が大きければ大きいほど、それは経営者にしか出来ない仕事になる。

しかし、そこに伴う大きな問題は、その経営者の意思決定における「判断基準やメカニズム」と「プロセス」が、その組織のメンバーにとって理解できるものかどうか?という点である。

株式を公開している企業で尚かつ経営者がマイナーシェアしか持っていない企業であれば、大きな決断になればなるほど、その決定は株主総会決議に委ねられることになるが、株式の公開非公開に関わらず、経営者がマジョリティのシェアを持つ企業においては、経営者のリーダーシップが意思決定とイコールになる。

その場合のもうひとつの大きな問題(論点?)は、その経営者自身もしくはその経営者のビジョンなり意思決定が、組織の構成メンバーにとって理解でき且つ魅力的なものでなければ、「人は去っていく」ということである。

法律の元で「代表取締役」であっても、本人にその価値がなければ、何の意味もない。

法政大学

先週の水曜日。

法政大学経営学部の授業で講義をさせていただいたことは、このブログに書いたとおりだが、嬉しいことに、その時の受講生のひとりが、僕のブログにコメントをくれた。

授業の中で僕が話した「Given Means & Given Goals」について、より詳しく聞きたいという。

近いうちに、このブログで、上記に関する解説を書こうと思う。

それから、ここ数ヶ月ずっと考えてきた、「なぜ、リクルート出身の経営者が経営するベンチャー企業は成長するのか?(例外もあるだろうし、統計を取ったわけではない。念の為)」という問いについても、長文のエントリーを書こうと思っている。

今日のエントリーは、ふたつのエントリーの予告編だと思って頂ければ幸いである。

答えは「相手の中」にある。

大前研一氏関連のメルマガで、コーチングに関する記事があった。

「答えは相手の中」にあり、その相手の中に「問題や課題を解決する能力」があるというものだ。

それはつまり、答えは「自分の中」にある、ということでもある。

そのことは、このブログでも書いたことがあるが、人間は「自分で自分の問題を解決する能力を備えている」ということだろう。

大切なことは、そのことに気づく(=自分に素直になる)ことと、自分以外の誰かに何かをしてあげられることがあるとすれば、相手の中にある「解」に気づかせてあげることであり、それを引き出すことを手伝うということだろう。

すべては「心の中」にある。