「傍観者」にだけはなりたくない。

「3度目の起業」をしてから「2年半」。

当初の構想の実現は難しいと判断し、次善の策を講じてきたが、本当にこのままでいいのか?自分はどこに行こうかと決めかねていたものにケジメをつけ、大きな決断をしたはいいが、だからと言って、すぐにそれが「結果」となって現れるわけではない。

ましてや、たった数人の会社で、大してお金もない中で、そう簡単に自分が思い描いたことが実現できるわけがない。

仮に、知力と気力は増していたとしても、体力は如実に衰えている。それに対する憤りも感じ、でも、そればかりは自分に苛立っても何も解決しない。

話しを元に戻すと、会社の力という意味では、億単位のお金があり、100人近い陣容となり、業界トップの一角を占めていたインタースコープ時代というのは、とてつもなく恵まれていたことが今さらながらよく分かる。

でも、あの頃の僕には出来なかった、今の僕にしか出来ない「挑戦」もある。それに目を向けていこうと思っている。

どんなことをするにしても、「傍観者」にだけはなりたくない。

さらに言えば、「評論家」にも「解説者」にもなるつもりはない。

但し、20代の頃の自分と30代の頃の自分と40代になった今の自分では、やれることも、やるべきことも、敢えてカッコ良く言えば、周囲から期待されていることも違う。

45才の挑戦者として、平石郁生がやるべきこと(僕らしいこと)をやっていこうと思う。

ところで、昨日、久しぶりに、ある一部上場企業の役員の方とお会いした。

その際に「★★は平石さんが得意なところやな」「○○は、平石さんらしくないよね」というお言葉を頂戴した。

何がその人らしいか(=適性)は、周囲の方も知っている。