未来は「過去の延長上」にしか存在しない。

土曜日は、いつものメンバーでのゴルフ。前刀さん、川端さん、今月が誕生月の蛭田さん、そして僕。

さて、肝心のスコアは、55+45=100。

残念ながら100を切ることは出来なかったが、今年7回目にして、ようやくハーフで40台を出せた。それも難コースで知られる「宍戸ヒルズ」での45なので良しとすべきでしょう。

しかし、当然のことながら、反省点がいくつか。

まず、5番ホールの「11打」。バンカーで「4発」。前回のゴルフでアライドアーキテクツの中村さんに教わったバンカーショットを試みるが、練習なしの本番で上手くできるわけがない。おまけに、雨の後で砂が固まっており、違う打ち方の方が良かったかもしれない・・・。

因みに、蛭田さんも同じバンカーに入れたが、涼しい顔で1発で脱出!!

でも、その「4発」がなく、仮にダブルボギーで上がっていれば、スコアは「95」。

「タラレバ」を言っても仕方ないが、ようやくスランプを抜けつつあることを実感できたことは嬉しかった。

反省という意味では、むしろ、お昼を挟んだ後半の「12番ホール」。

パー4のホールを3オンし、最初のパットで「50センチ」を残した。

僕の「読み」は「まっすぐ」。しかし、キャディさんに、僕から見てカップの右10センチぐらいのところを指されて(フックライン)、「そうかな・・・」と思いつつ、アドバイスどおりに打ったところ、ボールはフックせず、そのまま「まっすぐ」抜けてダブルボギー。

その瞬間、「この1打が後で効いて来そうだな・・・」と思った。

その後は無難にパーとボギーを重ねて迎えた最終18番ホール。「ボギー」で上がれば「44」で通算「99」。

今季初の100切りを前にして、当然のことながら僕はプレッシャーを感じていた。

この18番ホールは、ちょっとトリッキーなホール。340ヤードと距離はあまりないが、230ヤード以上打つと「池」につかまる構造になっている。

ティーショットは「クリーク」で約200ヤードを打ちフェアウェイ真ん中。これは上出来だが、問題は2ndショット。

宍戸ヒルズ「東コース」は、グリーン回りに深いガードバンカーが最低2つは待ち受けており、ここ18番もアゴの高いガードバンカーが待ち受けていた。

上りを入れて155ヤードぐらいの距離を「6番アイアン」で打ったが、さすがに痺れて肩に力が入り、ダフってガードバンカー前にポトリ。

入らなかっただけ上出来。しかし、この3rdショットの難易度はメチャクチャ高い。

絶対にバンカーには入れたくないので、やや大きめにアプローチショットを打ったところ、グリーンを転がり、反対側のラフに。

返しのアプローチは下りのライン。これもグリーンエッジまで転がり。12メートルの「ボギーパット」が残った。

「狙って」打ったが、30センチ外れて「ダブルボギー」。INは「45」となり、ちょうど「100」。

客観的に考えれば、5番ホールの「11」が効いているわけだが、僕としては、自分の読みを信じず50センチのパットを外しダブルボギーとした「12番ホール」の方が悔やまれる。

何事も「自分を信じる」ことである。上手く行けば勿論だが、失敗した時でも納得がいく。

ところで、昨日のゴルフで僕が再認識したことは、未来は「過去の延長上」にしかないということ。

詳細は省くが、普段やっていないことは、本番では出来ないということ。

過去(実績や知見やノウハウ)に立脚したことでなければ、成功しない。

という当たり前のことを学んだ。

追伸:宍戸ヒルズの「西コース」は、「UBS日本ゴルフツアー選手権」の舞台。フェアウエイが狭かったり、池が効いていたりと、トリッキーなコース。でも、僕のハーフベストは昨年のUBS日本ゴルフツアー選手権の前週に西コースで出した「42」。対する東コースはフェアウエイが広く、ドライバーで思いっきり打てるが、グリーン回りに「これでもか」というほどガードバンカーが配置されており、2ndショットの出来がスコアを左右する。アイアンとアプローチの精度が求められるコース。どちらもゴルファーを魅了する。

「傍観者」にだけはなりたくない。

「3度目の起業」をしてから「2年半」。

当初の構想の実現は難しいと判断し、次善の策を講じてきたが、本当にこのままでいいのか?自分はどこに行こうかと決めかねていたものにケジメをつけ、大きな決断をしたはいいが、だからと言って、すぐにそれが「結果」となって現れるわけではない。

ましてや、たった数人の会社で、大してお金もない中で、そう簡単に自分が思い描いたことが実現できるわけがない。

仮に、知力と気力は増していたとしても、体力は如実に衰えている。それに対する憤りも感じ、でも、そればかりは自分に苛立っても何も解決しない。

話しを元に戻すと、会社の力という意味では、億単位のお金があり、100人近い陣容となり、業界トップの一角を占めていたインタースコープ時代というのは、とてつもなく恵まれていたことが今さらながらよく分かる。

でも、あの頃の僕には出来なかった、今の僕にしか出来ない「挑戦」もある。それに目を向けていこうと思っている。

どんなことをするにしても、「傍観者」にだけはなりたくない。

さらに言えば、「評論家」にも「解説者」にもなるつもりはない。

但し、20代の頃の自分と30代の頃の自分と40代になった今の自分では、やれることも、やるべきことも、敢えてカッコ良く言えば、周囲から期待されていることも違う。

45才の挑戦者として、平石郁生がやるべきこと(僕らしいこと)をやっていこうと思う。

ところで、昨日、久しぶりに、ある一部上場企業の役員の方とお会いした。

その際に「★★は平石さんが得意なところやな」「○○は、平石さんらしくないよね」というお言葉を頂戴した。

何がその人らしいか(=適性)は、周囲の方も知っている。

「I.T.系ベンチャーのスタートアップ戦略」。

今日は妻が臨床心理の研究活動で遅くなるため、19時半過ぎに会社を出て、僕が保育園に子供を迎えに行った。保育園に連絡してあった時刻には遅れてしまったが、子供は元気に遊んでいた。

ところで、今日は色々な意味で「考えさせられる(刺激)」ことの多い、とても充実した一日だった。

今日のスケジュールは、僕が個人株主のひとりであり社外取締役を務めている「ラソナセンシュウ(千修と資本提携をして、ラソナからラソナセンシュウに社名を変更した)」の月1度の取締役会議兼経営会議に参加することから始まった。

千修という会社は、社歴数十年の老舗の印刷会社で、市ヶ谷に立派な本社(自社ビル)を構えている。

その最上階のプレゼンテーションルームでの会議に参加しながら、「ローマは一日にしてならず」という諺を思い出した。

僕の人生も、45年という歳月の積み重ねの上に成り立っているものであり、今日いきなりできたものではない。

つまり、小さなことでも毎日積み重ねれば、それなりのことができるということでもあり、焦っても何も始まらないということでもある。

そのラソナセンシュウの取締役会議に参加する前、昨日のエントリーにコメントをくれた僕の知り合いに電話をした。

内容は分からないが、僕のブログが彼の意志を固める上で何らかの役に立ったらしく、ひと言、応援のメッセージを贈りたかった。他人を勇気づけることで、僕自身が勇気づけられている。とてもありがたいことである。

取締役会議の後は、ラソナセンシュウの新しいオフィス@三番町(千修から徒歩数分のところ)に立ち寄った。

恵比寿時代よりフレッシュな雰囲気で、新しいことに「挑戦」している空気が伝わってきた。新しいステージに向かって頑張っていって欲しいと思う。

ラソナセンシュウのオフィスを出た後は、とてもお世話になっている法政大学の田路教授と一緒に東京大学を訪問した。

実は、今秋から法政ビジネススクール(MBA)の「客員教授」を仰せつかり、田路教授と一緒に「I.T.系ベンチャーのスタートアップ戦略」をテーマとしたワークショップ形式の授業を担当することになった。

その絡みで、東大発ベンチャー創出の推進をミッションとされている産学連携本部を訪ねたり、先日のIVSにもいらしていたモルフォの平賀氏や同じく東大発ベンチャーの情報基盤開発の鎌田氏を訪ねた。

やはり、我が国最高学府の東大は、やっていることのレベルが違うことを実感した。

ところで、僕が読んでいるメルマガのひとつにWEEKLY COACHというものがある。

そのメルマガに「自分が【やりたい】と思って、明確にビジョンを思い描けたことだけが実現しています」というフレーズがあった。

まさしくそのとおりだと思う。

何事も一歩ずつ、決して焦らず無理せず、かといって怠けず・・・。

それを、10年、20年と続けることができた人だけが、その人にとっての「成功」を掴めるのだと思う。

たくさんの「勇気」をもらった一日だった。

「変化」を受け入れる。

今まで慣れ親しんだことを止めたり、変化を受け入れたり、自分から変化するには「勇気」が求められる。

人間は誰でも失敗したり何かを失うことは怖いが、スティーブン・ジョブスがスタンフォードの卒業式で言ったとおり、「人間というのは不思議なことに、自分が何をしたいのかを直観的に知っている」。

内なる「心の声」に耳を傾け、その声を信じることである。

自分以外の誰も自分の人生に責任を持ってくれないし、唯一絶対の解はない。

つまり、自分の価値観で決めるしかない。

そして、決めたことに「コミット」することである。

遅まきながら、最近になって、そのことの意味を少しだけ理解できた気がしている。

「構造改革」。

定例会議で「爆弾発言」をしてから2週間。

「発言」だけでなく、僕は勿論、メンバー全員の「行動」も着実に変わって来ていると感じている。

人間は「退路」を断たなければ、なかなか本気にはなれない生き物なのだろう。

それには「勇気と自信」が必要である。

しかし、その「勇気と自信」を持って「決断」をするには、実は「日頃からの準備」が最も大切ではないか・・・。

気合いと根性だけでは、勝負は出来ない。

「子供という存在」の大きさ。

雨の日曜日。今日は我が子の保育園友達が、彼の両親と共に遊びに来た。

友達がドアを開けて入ってきた瞬間からお互いに興奮状態。仲がいいんだか悪いんだか分からない、喧嘩したり一緒に遊んだりの数時間を過ごした。「家庭」というものを実感する時間でもある。

ところで、我が子の友達のお父さんは、僕が良く知る会社の方であることが判明。共通の知り合いも多く、不思議な縁を感じた。自分たち夫婦だけだったら間違いなく知り合うことのない関係である。

こうして、子供を起点として親同士の付き合いが増えていく。

子供たちのことを考えると、ずっとこの街に住んでいたいと思う。

こうして、自分たちが住んでいる地域に対する愛着が育まれていくのかもしれない。

「子供という存在」の大きさを感じた。

「継続は力なり」。

起業するのはリスクはあるし確かに大変である。でも、続けるのは「もっと大変」である。

「勢い」のある人はそこそこいる。でも、そのエネルギーを「持続」させることができる人はそうそういない。

シリアルアントレプレナーもいいが、「継続は力なり」である。

辻井さんのブログに、とてもいいことが書いてある。

先程、僕の妻にも同じことを言われた。

「平石さん。大切なことは『継続(持続)』させることだよ」。