「挑戦する権利」と「失敗する自由」。

今日から仕事始め。ドリームビジョンでは11時ぐらいから皆で近所?の明治神宮に初詣に出掛けて、お昼を食べてからオフィスに戻ってきた。

今日は諸雑務を片付けて、今週1週間の予定をたてた。

詳細な理由は省略させていただくが、今年から、毎日「7つ」の仕事を完了させ、毎週「7つ」のことにコミットし、毎月「3つ」の目標を掲げることにした。

さて、今日は今年最初の新年会、僕の言葉でいう「いつものメンバー」での新年会があった。

僕以外のメンバーは、ソニーOBで同郷(福島県出身)でもある蛭田さん、森ビルでレジデンシャル関連の仕事をしている川端さん、そして、元アップルの前刀さんだ。

この4人での恒例として、年末ないし年始に「反省会 and 新年の目標設定会」なる会合を続けている。かれこれ、10年ぐらいになると思う。

因みに、目標は「公私」の両方を設定するが、昨年はなんと、全員が公私ともに未達成だった。情けない(笑)。

それで、今年は最低でも「5勝3敗(2目標×4人=8目標)」にしようということで盛り上がった。

こういうメンバーがいることは、とても張り合いがあり、自己向上に結びついている。

尚かつ、僕だけが皆よりも5~6歳年下であり、こうして仲間に入れて頂いていることを、とても幸せなことだと思っている。

さて、今日はもうひとつ、僕にとって嬉しい出来事があった。

インタースコープ時代にお世話になった方で、電通のある部署に所属されている方から、僕が出した年賀状に関するコメントを頂いたのだが、そのコメン���がとても嬉しい内容で、涙腺が弱い僕は、返事を書きながら目頭が熱くなった(笑)。

「年賀状に書かれていた『夢と志』と言う日本語でのスローガンの潔さに感銘を受けるとともに、『Innovation Engineering』と言う英語のショルダーの内容が心に刺さりました」。

僕が一生懸命に考えて考案したコピーなり言葉が、その方の心を捉えたのであれば、そんな嬉しいことはない。

今年は「構造改革を推進する」と固く心に決めた僕は、その一方で、本当にそれを達成できるのか?という不安もあり、その方のメッセージは、僕に大きな「勇気と自信」をくれた。

青天霹靂の訃報を受け、昨日急遽、大阪に向かい、何ともやりきれない想いにかられ、また、その影響もあるのだろうが、行きだったか帰りだったかの新幹線の中で、今の自分はインタースコープの頃と較べて「何も持っていない」と感じ、本当に「夢と志」や「Innovation Engineering」などというカッコいいことを成し遂げられるのか・・・と不安になっていた僕にとって、その方のメールは、とても大きなエネルギーとなった。

人間は何気ない一言で傷ついたり、こうして、勇気づけられたりするということを改めて実感した。

Right to challenge. Freedom to fail.(挑戦する権利と失敗する自由)

その方のメールを読んで、ngi group の小池さん(当時はネットエイジ)に教わった言葉を思い出した。

これまた月並みで陳腐な話しで申し訳ないが、若くしてこの世を去った親友のためにも頑張ろうと思う。

ほぼ創業メンバーの「松本知之」。

松本と初めて会ったのは、1997年か1998年。とても暑い夏だった。

その頃の日本は、故「橋本龍太郎」首相が「金融ビッグバン」なる金融行政の大改革中で、インターネットに代表される「I.T.革命」と共に、社会主義的日本が「市場資本主義」への移行を始めようかとしていた時だった。

そのような時代背景を踏まえて、国際決済銀行(BIS)に勤務していた井浦さんという方が、間接金融から直接金融(二アリーイコール株式投資)へ、そして、ネット系ベンチャーの起業促進をテーマとして「スマート・インベスター」というメーリングリスト(ML)を主宰されており、彼も僕も、そのMLのメンバーだった。

当時の彼は、まだ、法政大学の学生だったが、株式投資に興味を持っていたのか?ネット系ベンチャーに興味を持っていたのか?井浦さんがスイスから一時帰国した際に開催された「ベンチャー投資」に関する勉強会の「受付」として参加していた。因みに、インフォプラント創業者の大谷さんと知り合ったのも、そのMLであり、その勉強会だった。

その後のことはよく覚えていないが、彼が大学を卒業して丸三証券という証券会社に勤めるようになってからも時々、会うようになっていた。ご他聞に漏れず、彼が僕に営業にきて推奨した銘柄を買ったことがあったが、相場師としての才能があるのか、彼が勧めた銘柄はすべて、見事に値上がりした。

さて、そんな彼は、今にして思えば、ある種の「熱病」に冒されていたのだろうが、丸三証券をちょうど一年で辞めて、単身中国(上海)へ渡った。

そんなことじゃないかと思っていたが、僕も知っているある不良中年に騙されていたようで、丸三証券時代に貯めた貯金を使い果たし、裸一貫になって日本に帰ってきた。

上海には約2年ぐらいいたと思うが、何ヶ月かに一度は日本に帰国しており、その度に僕に連絡をくれて、一緒に食事をした。

そんなこともあり、彼とは一緒に働いたことは一度もなかったが、僕は彼を、彼は僕をよく理解しており、僕がドリームビジョンを経営していく上で何を大切にし、何を大切にして仕事をしているのかを、言葉ではなく、皮膚感覚で理解してくれている。そういう安心感が彼にはある。

そんな関係の松本だが、ドリームビジョンに合流する前は、あるベンチャー企業の名古屋支社の責任者をしており、三顧の礼ならぬ「二顧の礼」で口説き落とした。つまり、一度は断られたという意味である。

因みに、ドリームビジョンへの参画を決意した時、彼には婚約者がいて、結婚と転職を同時に、それも、いつ何時どうなってもおかしくないドリームビジョンに、転職(事実上、創業に参加)してきてくれたわけだ。

人生というか人と人の縁というのは、とても不思議なものだ。

月並みで且つ陳腐な言葉で恐縮だが、松本たちのような「夢と志」のある若いスタッフに対して「責任を果たせる生き方」をしたいと思う。

TIME & STYLE

さて、予告編では、今日はもうひとりのほぼ創業メンバーである「松本知之」のことを書くことになっているが、その前にどうしても書いておきたいことがあり、順番を変更することにした。

東京都目黒区八雲に「TIME & STYLE」というインテリアショップがある。

2005年の3月、僕が初めて家具らしい家具を買った店だ。

それまでの僕は、狭く、しがない賃貸生活で、とても家具どころではなかったが、初めて住宅(マンション)を購入することになり、妊娠中だった妻とふたりで、東京の様々なインテリアショップを回ったなかで、最も気に入った店が「TIME & STYLE」だった。

昨年末のエントリーで、僕の人生は「苦労の缶詰」のようだったと書いたが、その中身をどうしたかは別として、幸運にもその缶詰を開けることができ、お気に入りのBMW Z4で何度も何度も通ったことを思い出す。最近は、またしても、缶詰に逆戻りのような気がするが・・・。

その「TIME & STYLE」が10周年を迎えたということで、彼らに縁のある30人余の人たちが、それぞれの「人生」や「TIME & STYLE」について語っている一冊の本が昨年10月、僕のところにも送られてきた。

お正月の3日に、今の母親と次男と末弟夫妻と彼らの子供(僕にとっては甥)を自宅に招くにあたり、掃除や書類の整理をした際に、その本が出てきて目を通したというわけだ。

僕を直接知っている人には「えっ(リアリティがない)」と思われるかもしれないが、僕は、JAZZ の演奏が楽しめるインテリアショップ兼カフェのようなものをやりたいと思っている。

そのインテリアショップ兼カフェの名前は、「SFIDA」と決めている。

イタリア語で「挑戦」という意味で、ドリームビジョンの投資事業にとって記念すべき「第1号案件」であるイミオが展開するブランドの名前でもある。というか、彼らに投資をすることになり、知った単語である。

話しは逸れるが、僕が20代の頃に務めていたODSというコンサルティングファームでの上司だった林さんという人に、唯一評価されていたのが「チャレンジ精神」だった。それ以外は「圧倒的勉強不足」「ガキっぽい」「お前は世界一バカだと思え」とコテンパンだった。

たしかに、僕に取り柄と言えるものがあるとすれば、いい年をして、また、スクラッチから会社を立ち上げようとするような「バカ」なところであり、それをカッコ良く言えば「チャレンジ(挑戦)精神」ということになるのかもしれない。

そして、僕が何故、チャレンジする人たちが好きなのかというと、彼・彼女たちの「生き方」に「感動」を覚え、挫けそうになった時、前に進む「勇気と自信」をもらえるからなのだと思う。

そんな僕にとって「TIME & STYLE 」は、そのデザインテイストはもちろん、カフェが併設されていることも、そして、JAZZ レーベルを有しており、10周年を記念してアルバムをリリースし、ライブを開催したことなども含めて、憧れのお店であり、会社であり、人々である。

さて、TIME & STYLE「10周年記念」の本の最後に、TIME & STYLE を運営するプレステージジャパン代表取締役である「吉田龍太郎」氏の写真と挨拶が載っている。

彼の表情と文章から、吉田氏はとても「人間臭い人」であり、魅力的な人であることがわかる。きっと素敵な人だ。

彼は、20歳の時に単身ドイツに渡り、1990年にベルリンで創業したらしい。そして、1997年に目黒の八雲で「TIME & STYLE」1号店を開店した。僕が最も貧乏だった頃だ。

僕が大好きな「TIME & STYLE」のインテリアは、決して安くはないが、そこそこの値段で、とても質感が高く、実際にその家具を使う人たちの「暮らし」をイメージし、そこに「愛情」を注いでいることが、静かに無言で伝わってくる。

そんな家具を造れたら幸せだろうなと思う。

さて、TIME & STYLE(プレステージジャパン)代表の吉田さんの挨拶文には、こんなことが書いてある。

「離ればなれで暮らしていた12歳の息子、武士(たけし)が一人でベルリンから僕の所にやってきた。もう離れて暮らして8年になる。5歳の時から毎年、夏休みになると一人で飛行機に乗って僕の所を訪れていたが、この8月から一大決心をして僕と日本で生活することを決めた。武士は日本語が全く話せない。父親がどんな生活をしていて、どんな毎日を送っているのかも知らないのに勇気ある決断だ。日々飲んだくれて、よろよろになっている僕のとんでもない日常も知らずに。そんなことで僕は武士の決断を心から嬉しく思いながらも、これから訪れるであろう彼との右往左往の毎日を思うと、親としての責任と自分自身に対する不安でいっぱいになっていた。8月27日、武士の日本での新たな学校生活がスタートした。朝5時半に起きる、そして朝飯を作る、ほとんどはコーンフレークに牛乳をかけただけ、6時には武士を叩き起こし、朝食を済ませ、駅までの25分の道のりを二人で歩く日々が始まった。残暑の蝉と烏の鳴き声、澄んだ空気と木々の匂い、東京の朝がこんなにも気持ち良いことを初めて知った。晴れの日も、雨の日もこれから毎朝、武士と歩く駅までの25分は僕にとって、心が安らぐ大切な時間となった。二人で歩く駅までの時間、本当にくだらない冗談、お寺の境内のラジオ体操の老人達を横目に二人で歩きながら僕は武士との何気ない会話を楽しんでいる。
 スクールバスが6時50分に駅に到着する少し手前で僕たちは別れる。彼がスクールバスに乗り込むまで、なぜかそこを離れられない。バスが出て行くのを見届けて帰り道を一人で歩く一瞬、何とも形容しがたい心に染み入るような感情がこみ上げてくる。これまでの僕の人生で初めて味わうような幸せな気持ち。何気ない日常に潜む思いがけない感情との出会い。思い返すと僕は無責任に家庭や仲間を省みず、自分のやりたいことだけに奔走し、仕事を言い訳にして人間らしい感情や人への思いやりのかけらも無かった。この歳になって初めて日常の生活の中に在る一つ一つの目立たないささやかなことの味わいを知った。

~中略~

今年の春に僕の大好きな友人を失った。僕はこの20年間に幾度となく、迷った時や何かを決める時、彼のもとを訪ね、夢や未来を語り合った。
 彼は病床でも最後まで未来に向かって夢を持ち続けていたし、最後まで僕のことを心配してくれた。時々、彼の笑顔や声を思い出す。この本に出て語って欲しかった。
 今を生きることをより大切にしたいと思うようになった。武士との1日1日を、家族との1日1日を、仲間との1日1日を。
 朝、武士と別れて寄り道をする目黒不動尊にて天国の親父と友人に向かって、皆の幸せと安全を祈る」。

この本に書かれていることから推測するに、彼は僕よりも少し若いように思う。身体は、僕の方が少しだけ締まっているようだけど(笑)。

ところで、正月早々に申し訳ないが、僕のところに訃報が届いた。

僕が高校受験に失敗して予備校に通っていた頃に知り合った友人で、翌年、高校に入学し直した後、彼とはバンドを組んだりしていた。最後に会ってから、もう10年近くなるだろうか。

数学や物理が出来ない僕に、それこそ、幼稚園生に教えるような口調で、丁寧に「家庭教師」をしてくれたこともあった。僕が一生懸命にバイトして買ったギターを借りたまま返さない奴だった。一緒に散々、悪さもした。万引きをして捕まったこともあった。

彼の遺品の中に、僕からの年賀状があったらしく、一度も会ったことのない彼の奥さんが、「お正月早々に申し訳ありません」と言って、僕に電話をかけてきた。

明日は早起きをして、大阪までご焼香に行くことにした。

「人生は短い」。

ほぼ創業メンバーの「泉谷光一」。

今日は、久しぶりにウェブクルー創業者の渡辺さんと会った。

彼の本拠地である六本木ヒルズにあるグランドハイアットのロビーで待ち合わせ、食事をして、その後、JAZZの演奏が楽しめるバーに寄った。

渡辺さんと会ったのは、昨年の3月末に一緒にゴルフをして以来だったが、とても元気そうだった。

さて、今日のエントリーでは約束通り、ドリームビジョンのほぼ創業メンバーと言っていい「泉谷光一」との出会いと彼のひととなりを紹介したいと思う。

彼は1975年生まれで、僕とはちょうど「ひとわまり」違う。

彼と初めて会ったのは、インタースコープが入っていた池尻大橋のオフィスだった。2005年の秋だったと思う。

彼は当時、母校である早稲田の大学院に通いつつ、週に3~4日、インタースコープでアルバイトとして働いていた。

成績優秀な彼は、早稲田の「公費留学」の聴講生として、シアトルにあるワシントン大学に留学することになっており、それまでの間、大学院で学んでいることの実務への適用を自分の目で確かめたいと思い、ネットで検索してインタースコープを発見し、自分からアルバイトとして働きたいと問い合わせてきたらしい。

最初は給湯室等で顔を会わせるだけの関係でしかなく、「彼はどこのチームで働いているのかな・・・」と思っていたが、ある時、僕にとってインタースコープでの最後の仕事となった、あるクライアントの新規事業開発に際するフィージビリティスタディを一緒に進めることになり、それが縁で今日に至っている。

その仕事は、現場を離れて久しい僕に、久しぶりに「ご指名」を頂戴した仕事だったが、インタースコープの通常ラインの仕事ではなく、コンサルティングファーム的な知見が求められる仕事だったため、コンサルティングファーム出身の泉谷に声をかけたのだった。

その仕事のクライアントは、当時(きっと今もそうだろう)のインタースコープにとって、とても大切なクライアントだったこともあり、半ば彼を「ひっぺがした」ようなものだったため、彼が所属していたチームの責任者からは、こっぴどく文句を言われた。そのせいで、それから1年ぐらいは、その彼女とは疎遠になってしまったというおまけ付きの仕事だった。

さて、その泉谷であるが、今も週に1.5日ぐらい、早稲田の大学院で学んでいる。

とても頭脳明晰な奴で、僕は持ち合わせていない、物事を多角的に分析し、オポチュニティとリスクを分かり易く整理する能力に長けている。

まだまだチッポケなドリームビジョンには、彼の能力を存分に発揮してもらえる仕事はないにも係らず、また、彼の持ち味をそのまま活かせるコンサルティングファームなり、それなりの会社の経営企画なりにアプライすれば、ドリームビジョンで得ている報酬の倍は固いだろうにも係らず、苦労を厭わず、会社とは言えない会社で働いてくれている。とてもありがたいことだ。

彼と仕事をするようになったお陰で、僕は、僕が考えていることを客観的且つ「数値」におきかえられる(泉谷が置き換えてくれる)ようになり、仕事の幅や能力が少しずつストレッチされているように思う。本当にありがたいことである。

そんな泉谷の「夢」は、「投資育成」事業を軌道に乗せ、フローでの利益を出すのではなく、ドリームビジョンを、バランスシートに載っている「資産」が「利益」を生み出すような「BSドリブン」の会社し、40才にして、セミリタイヤし、沖縄に移住することだという。

その「夢」を実現するためには、おそらく、いや、間違いなく、相当な苦労を覚悟する必要があると思うが、その苦労を「ドリームビジョン」でするのか?それとも、違う組織なり環境でするのかは、彼の自由である。

人間は最終的にはすべて自己責任であるが、僕の誘いを受け、こうして一緒の船に乗ってくれていることとに感謝をしていると共に、掛け替えのない人生を、それも尚かつ、彼の人生にとって、とても大切な時期である「30代」という時期を、ドリームビジョンという船を立派にすることに費やそうとしていることに、言い出しっぺとしての責任を感じている。

DeNAの南場さんが先日の日経新聞のインタビュー記事で、赤字続きの時期に、「人を巻き込んでいるわけなので、とても怖くなった」と言っていたが、彼女の心境が分かる気がする。

プレーヤーとしては、既に峠を越えて久しい僕に出来ることは、泉谷や安田や松本という30才前後の優秀な人間が、持てる力を存分に発揮し、充実した人生をおくれるよう、少しばかりのお金を出すことと、今までの経験を通じて学んだ少しばかりの知恵を出すこと、そして、僕がお世話になってきた方々のご支援を取り付けることだと思っている。

こうしてブログを書いている僕自身が不安で仕方がないが、10年後、みんなで楽しいお正月を迎えられるよう、はやる心を抑えて、ひとつずつ、今の自分に出来ることをやっていこうと思う。

自分の心に「忠実」に生きるために・・・。

2008年が始まって今日で3日目。皆様はどんなお正月をお過ごしでしょうか?

お正月と言えば「年賀状」ですが、インタースコープの個人株主のひとりだった方から頂いた年賀状で、「(ブログで)何かテーマを決めて連載をやってみては?」というコメントを頂きました。

「なるほど・・・」と思いました。

早速、どんなテーマであれば書けるかを考えてみました。

「出会い」「変化」「挑戦」「感謝」「反省」・・・。

僕が書けそうなテーマというと、こんな感じでしょうか?

以前に、雑誌やウェブサイトでの連載をさせて頂いたことがありますが、その時は、編集者の方から「テーマ」を指定されていましたので、ある意味、あまり苦労はしませんでした。

でも、自分でテーマを決めてブログを書くとなると、勝手が異なります。ちょっと考えてみたいと思います。

ところで、その方からのコメントを読んで、何か連載モノをやるとして、それとは別に、僕が生まれてから現在までの人生を振り返ってみようかと思いました。

実は、以前にもそのことは考えたのですが、まだまだ人生を振り返るような年齢でもないし、それ以前に、私の履歴書じゃあるまいし、僕の人生は見ず知らずの方々に付き合って頂けるほど大したものではありませんので、そんなことをしても、「お前、勘違いしているんじゃないの?」となってしまうだろうしと思い、その企画は封印しておりました。

しかし、45才になる今年は、いくつかの理由により、僕の人生にとって大きな節目になることは間違いなく、また、僕の「直観」のようなものによれば、今年は、43才から始まった「転換期」の最後にあたる年でもあり、過去にケジメをつけるというか、46才以降は、今までの人生に未練を残さないためにも、この辺で、自分が生きてきた道程を振り返っておくことも悪くはないかと、年賀状で頂いたコメントを読んで思いました。

僕の今までの人生を振り返るという「連載」とは別に、上記に挙げたテーマか時事ネタかの「連載」も考えてみようと思いますが、その前に、ドリームビジョンの「ほぼ創業メンバー」と言ってもよい「泉谷光一」と「松本知之」との「出会い」と「彼らのプロフィール」について紹介させていただきたいと思います。

入社順ということで、明日(1/4)は「泉谷光一」、1/5(金)は「松本知之」という順番でご紹介させていただきます。

そして、1/6(土)は、今年の抱負を書こうかと思っています。

ということで、今年も宜しくお願い申し上げます。

謹賀新年 2008

新年明けましておめでとうございます。

さて、皆様はどのような元旦をお迎えになられましたでしょうか?

今年一年が皆様にとって実り多い年になりますことをお祈りいたします。

今年も宜しくお願い申し上げます。