久しぶりの「歌舞伎町」。

今朝は、健康診断(人間ドック)があり、東新宿というか大久保あたりにある健康診断センターに出掛けた。

こういう日に限って冷たい雨が降っており、新大久保の駅から約20分の道を、傘をさしながら歩いていった。

あの道を歩いたのは、何年ぶりだろうか?

前回は、コンサルティングファーム時代の先輩を訪ねて、ポリゴンピクチャーズという会社を訪問した時なので、2004年の夏だったように思う。3年半ぶりということか・・・。

新大久保の駅を出て明治通り方面に歩いていくと、気のせいかもしれないが、3年前よりもハングル文字の看板が増えていた。通りを歩く人たちの会話も、韓国語が多い。

大袈裟かもしれないが、さながら New York やL.A.のKorean Town のような雰囲気だ。

さて、人間ドックを受けた施設はとても新しく、診断番号が書いているRFID付きブレスレットを専用端末にかざすと、僕のデータが読み取られる。すばらしい。

人間ドックが終った後は、近くにあるロイヤルホストで昼食を食べた。ファミレスは久しぶりだ。

ランチを食べ終えた後、20分ぐらいだろうか、2週間ぐらい前から読み始めたアラン・グリーンスパンの本(波乱の時代)の上巻を読んでいた。

彼の本はベストセラーになっているので読まれた方も多いと思うが、彼が生まれてからビジネスの世界に入るまでの軌跡や、当時のアメリカ社会の状況を、とてもリアルに、また、素晴らしい文章で綴っている。日本語訳をされた方の腕に寄るところも大きいのだろうが、グリーンスパン自体が類稀な文才を有しているのだと思う。

この本を読んでいて感じるのは、ビジネスをしていくには、経済および産業構造の観点から社会を理解することが必要不可欠であるということと、政治と経済の関係を知ることが重要であるということだ。

僕は、極めて偏った人であり、視野が狭いことを痛感させられる。

44才になった今から、どれだけ勉強できるか?追いつけるか?は分からないが、最近はネットやモバイル等ではなく、経済理論や知識に興味があり、おもしろいと感じる。

「経済学」という意味では、当社のスタッフである泉谷は早稲田の大学院で「経済」を学んでおり、彼と話しをすることにより、自分の知識と理解が深まるのは楽しいことだ。

僕は自分で事業を行ってきた立場から、泉谷はアカデミックな観点と会計系コンサルティングファームでの経験をもとに、同じ物事を多角的に見れるのはお互いにとってのベネフィットである。

さて、ロイヤルホストを出た後は、また、20分をかけて、今度は「新宿駅」に向かった。

途中、敢えて、滅多に足を踏み入れない「歌舞伎町」の街中を歩いてみた。

久しぶりの歌舞伎町は、とても眠そうな雰囲気で、まだ、朝かな?と思ったが、それは街の属性(特徴)のせいであることを、時計をみて思い出した。

何の仕事をしているのかは分からないが、通りのあちこちに、ほぼ等間隔で、中年の男性が立っている。

何かの客引きなのだろう。ぬぼっとした若者(と言っても30才前後か?)が、おじさんたちのひとりとお店に消えていった。

また、明治通りから歌舞伎町に入る時からある地点まで、10代後半か20代前半の、茶髪でロンゲの男性数人が、大きな声で話しながら、僕と反対側の歩道を歩いていた。その会話の内容と言葉の抑揚から判断して、どう贔屓目に見ても、知的水準が高いとは言い難い。

こう言っては大変失礼だが、僕の子供があんなふうになってしまったらと思うと、とても悲しいものがある。

でも、彼らも子供の頃は、きっと純真だったのだと思う。何が原因なのか・・・。それが問題である。

実は、僕は正直に言って、歌舞伎町という街が大嫌いだ。日本で最も嫌いと言ってもいい。

しかし、歌舞伎町という街は事実として存在し、毎日毎日、夜な夜な、大勢の人達が徘徊し、かなりの規模の「経済活動」が成り立っている。

その現実を受け入れた上で、自分は何をして、どう生きるべきか?生きたいのか?

そんなことを考えた。

オモシロくなければ、テレビじゃないのか?

もう随分前のことになるが、どこかのテレビ局が「オモシロくなければ、テレビじゃない」ということを言っていたと思うが、本当にそれでいいのだろうか?

たしかに、収益構造を考えれば「視聴率」を取れなければ売上が上がらないわけで、より多くの人に受ける番組を製作せざるを得ないことは理解できる。そして、その「視聴率」は国民のリテラシーによって決まることも事実である。

しかし、だからと言って、知性のかけらもないバラエティ番組だけを製作していればいいということではないように思う。

法律で「外資規制」の対象となっていることからも分かるように、そこには「公共性」というものがあることは間違いない。

弁当代だったか制作費だったか忘れたが、とんでもないお金の使われ方がされていたNHKを無条件で支持するつもりはないが、子供が生まれたお陰でNHK教育テレビを見るようになり、子供番組以外にドキュメンタリー等でとても素晴らしい番組を製作している事実を知り、広告スポンサーからの収入で成り立っている民放とは違い、視聴率を気にせずに番組を作れることのメリットを改めて認識した。

また、今でこそテレビ東京の看板番組のひとつと言っても過言ではない「ワールドビジネスサテライト」は、スタートから「10年間」は視聴率「1%」だったらしいが、クオリティの高い番組をコツコツと頑張って製作し続けていけば、視聴者から支持されることは実証されている。

そもそも「番組」という「商品」自体が「社会的責任」を追っているわけで、テレビ局こそ、真剣に「CSR」を考えて欲しいと思う。

子供達のために、どんな未来を創るのか?

12月も今日で3分の1が過ぎた。時間の経つのは本当に速い。

「ジャネーの法則」というものがあるらしく、「主観的に記憶される年月の長さは、年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象」らしい。

具体的には、50才の人にとって1年の長さは「50分の1」だが、10才の人にとっての1年の長さは「10分の1」になり、それ故に、同じ1年でも、年長者には短く感じられると提唱されているそうだ。

この法則を僕と僕の子供(2才)に当てはめると、僕(44才)にとっての「1年」は、彼の「2週間」ぐらいに相当し、僕の「1ヶ月」は、彼の「1日強」に相当する。

最近、1週間が過ぎるのが本当に速い。

ところで、子供ができて変わったことはたくさんあるが、その中で最も大きいのは「社会観」だろう。

子供ができる前は、自分の「職業的成功」という観点から社会を見ていたが、今は子供が暮らす「地域社会」として社会を見るようになった。

どうすれば、より良い社会が実現できるか?そのことを、よりいっそう真剣に考えるようになった。

子供という存在は、とても大きなものである。

「信頼を失うくらいなら、金を失うほうがよい」。

今日は子供が発熱してしまい、ランチを食べに出掛けた以外はずっと家にいた。

午前中は、それほどでもなかったのだが、子供が昼寝から起きた時に熱を測ったら、38度を少し越す熱があった。ここ暫くはずっと元気でいたが、子供なりに疲れが出たのだろうか?

ところで、昨日の「ビジョン倶楽部」主催のセミナー&パーティは、とても有意義な時間だった。

講演者は、個性的なふたり。

ひとりは「熱血」教師として有名な原田隆史さん。著作も多いし、ご存知の方も多いだろう。僕も一冊、読んだことがある。

もうひとりは、元マッキンゼーで現在は神戸で「ラーンネット・グローバルスクール」という、文部科学省の認可を得ていない「学校のような施設(ご本人は私塾と呼んでいた)」を運営する炭谷俊樹さん。

「熱血と冷静」「動と静」とでもいうような対照的なふたりだったが、教育観が「自立」している人材を育てるという点が共通していた。

今日のエントリーでは、おふたりの話しの内容は割愛させていただくが、その代わりと言っては何だが、当日の資料のひとつとして配布されていたビジョン倶楽部の会員誌「SHARE MORE(とても素晴らしい名前だ)」のことを紹介したいと思う。

配布されたものは創刊第2号だが、今号はHRIのスタッフが今年9月に、現地の教育事情を視察に北欧と東欧を訪れた時のことが紹介されている

その中で僕が最も興味を持ったのは、ドイツのBOSCH(ボッシュ)財団とシュタイナー学校、そして、アウシュビッツに関するレポートである。

「(創業者で技術者だった)ロバート・ボッシュの言葉で特に印象深いもの、今日、自らの言葉になっているものは?」というHRIスタッフの質問に対して、同財団のスタッフは、「信頼を失うくらいなら、金を失うほうがよい」と答えたという。とても共感するものがある。

また、シュタイナー学校の校長先生は「日本の社会はプレッシャーの社会です。しかし、プレッシャーでは人は成長しないのです」と話していたという。考えさせられる言葉だ。

SHARE MORE を読んでいて、20代の頃、僕は周囲に、将来は「財団法人」を創りたいと言っていたことを思い出した。

僕の「原点」は、そこにある気がする。

俺が骨を拾ってやるから最後までがんばれ!!!

今日は午後から、ドリームビジョンの社外取締役でもある野口さんが経営されるHRI主催のセミナー&パーティがある。

野口さんは、非常に優秀な経営コンサルタントであるだけでなく「社会起業家」的な思想を持っている方であり、コンサルティングファームであるHRIとしての活動とは別に、より良い社会のあり方を考える「ビジョンハウス倶楽部」なる組織を設立し、運営されている。

さて、その「ビジョンハウス倶楽部」主催による今日のセミナーは、様々な観点で問題提起がなされている「これからの日本における教育のあり方」がテーマである。

因みに、会場は、僕らが結婚式&披露宴を行った場所である。野口さんとは「縁」があるのだろう。

ところで、今日は子供を保育園に送り出した後、時間が取れずに読めないでいたウェブ上の記事を読んでいた。

伊藤忠商事会長の「丹羽さん」のインタビュー記事、ウェブ進化論の著者「梅田望夫さん」と日本発のオープンソースでは世界的に有名な「Ruby」の生みの親である「まつもとゆきひろ」さんの対談記事など・・・。

立場は違えど、丹羽さんが主張されていることも、梅田さんとまつもとさんが対話されていることも、その根底には、日本人としての「生き方」というテーマが流れていると思う。

丹羽さんが仰るには、この地球上には飢餓に苦しんでいる人が「8億7,000万人」もいるという。そして、飢餓に苦しむ子供たちを救うために、約12円で、とうもろこしと大豆で作ったお粥が1杯作れるらしい。

その財源に充てようということで、丹羽さんご自身が会長を務められいる国連WFP協会(United Nations World Food Programme)主催にて、「仕事と人生~どう生き、どう働くか~」と題するチャリティ講演会を催されるそうだ。早速、申し込んだ。

丹羽さんのインタビュー記事では、「人間は自分自身で意識を変えない限り、自己を変革することはできません。自分は自分で変えるしかない」という言葉が心に残った。

梅田さんの話しは、いつ読んでも様々な示唆を提供してくれる。

彼の話しでは「シリコンバレーには『おれが骨を拾ってやるから最後までがんばれ』というような社会のムードがある。実際、出資してくれる人がいて。だけど、日本にはそういう文化はなかなかできない」という一言が気になった。

柔軟で創造的な「生き方」を自ら考えて実践し、チャレンジする人を「リスペクト」し、尚かつ「応援」する。

そういう社会を子供たちに残したい。

「挑戦」し続ける人。

「自信」とは、読んで字の如く、「自分を信じる」こと。僕は、そう理解している。

時としてそれが難しいことがある。僕自身も。

でも、最後の最後は、やはり、それしかないと思う。

ところで、今日は、とても嬉しいことがあった。ある方から、僕のブログに、とても光栄なコメントをいただいた。

その方は、海外に留学された後、そのまま現地に残り、ご自分の生き方に自問自答しながら、そして、時に不安にもなりながら、でも、ご自分の「夢」を実現しようと頑張っていらっしゃるようだ。

僕のブログに実名入りでコメントを残されたので、お名前を書いてもいいのだろうが、ここでは書かないでおこうと思う。

先週だったかに書いた「大企業へ行かなければ、幸せにはなれないのか?」というエントリーにコメントを下さったので、興味のある方は読んでみていただければ幸いである。

僕はほぼ毎日、こうしてブログを書いているが、1円もお金にはなっておらず、直接的には経済合理性はないが、僕の行動や考えを言葉にして発信することで、僕が「会ったこともない人」に、ほんの僅かでも「勇気」なり「自信」なり、自分の夢に「挑戦」しようという思いを持ち続けるお役に立てているのであれば、そんな嬉しいことはない。

そのことを改めて実感させていただいた。

さて、そうは言いつつ、世の中は世知辛いものである。

お金を稼がなければ生きてはいけないし、美味しいものを食べようと思えば高くつくし、私立大学に通おうと思えば、かなりのお金がかかる。それが現実である。

以前にも書いたが、僕ら3人兄弟は全員が「私立大学」を卒業しており、亡くなった両親と今の母親、そして、僕ら兄弟を支えてくれた親戚や周囲の方々に感謝をしなければいけないと、その方のコメントを読んで改めて思った。

話しは変わるが、いわゆる富裕層をターゲットとした「GOETHE(ゲーテ)」という雑誌があるが、そこでマネックスの松本さんが連載コラムを書いている。

今回のコラムは、インド出張中に書かれたものらしいが、インドのコーポレート・エグゼクティブ(彼はそう表現していた)は、発展著しいインドの話しをしつつ、同時に貧困などの問題も話題にするという。つまり、社会の「問題」に正面から目を向けた上で、全体として、国の「明るい将来」を語るらしい。

「チャンス」を取りに行くということは、同時に「リスクを取る(理解する)」ことでもある。

またまたゴルフの話題で恐縮だが、ピンに絡まないショットは入ることはないし、届かないパットは入ることはない。

つまり、外せばオーバーするということだ。得てして、返しのパットは難しい。

でも、イーグルやバーディを取りたければ、ボギーを叩くリスクを織り込んだ上で、ショットやパットを打つしかない。

僕自身のことで言えば、この年齢で「3度目の起業」に失敗すれば、かなりの打撃を受けるのは避けられない。そして、その可能性は否定できない。

それでも僕は、こうして「挑戦」を続けている。

因みに、僕がドリームビジョンの投資育成事業の記念すべき第1号案件として選んだ(選んでいただいたと言った方がいい)「イミオ」のオリジナルブランドである「SFIDA」は、イタリア語で「挑戦」という意味である。

ドリームビジョンという会社が、年齢も性別も職業も人種も国籍も超えて、「挑戦し続ける人」の最大の支援者となれるよう、毎日毎日、小さなことにくよくよしながら、江幡さんの前でいいスコアを出そうと色気を出して自滅したりしながら、それでも、大きな「夢と志」を決して忘れずに頑張っていきたい。

たまには、休息も忘れずに・・・。

自分の「起点」。

「起点」という単語を辞書で調べてみると、「物事の始まりである点。出発点」と書いてある。

僕にとって起業家人生の「起点」は「原宿」である。1991年のことだ。

住所は何と「神宮前1-1-1」。千駄ヶ谷小学校前という交差点の角だ。

やはり、原宿という街に縁があるのだろう。

ところで、僕の「起点(最初のオフィス)」となった「神宮前1-1-1」にある「原宿タウンホーム」というマンションの入り口の写真を、ドリームビジョンの監査役であり、僕にとっての最初の会社の創業メンバーでもある堀水がメールで送ってきた。

LVMH(ルイヴィトン・モエ・ヘネシー)の展示会が近くであり、懐かしさのあまりにケイタイで写真を撮ったらしい。

自分の出発点には、何かがあると思う。

その時の想いを大切にしたい。