Windows VISTA の酷い「バグ」。

ここのところ固い話しが続いたので、今日はちょっとテーマを変えてみた。

僕の妻は今、修士論文の執筆の真っ最中である。

その論文を書いていたところ、きちんと「セーブ」したはずの「文書(WORD)」が跡形もなく「消滅」するという事件が何度も起きたそうだ。彼女にしてみれば、泣くに泣けない話である。

仕方なく、マイクロソフトのカスタマサポートに電話をしたところ、「毎回、テキストに原稿をコピー(バックアップ)を取るようにしてください」という回答だったそうだ。

妻が「他にも、同じ症状を訴える人はいるのですか?」と質問したところ「います」ということで、全員の方に上記と同じように説明をしているとのこと。それ以外に「仕方ない」らしい。

ところで、最近、アメリカではこんな「ジョーク?」それとも実際の「バトル?」があるらしい。

いわゆるI.T.関連のエンジニアに言わせると、自動車産業は、ここ何十年も「イノベーション」がなく進歩がないと映るらしいが、自動車産業のエンジニアに言わせると、何回かに1回の割合で「走行中にエンジンが止まる」ようなクルマには乗りたくないよ、とやり返すという。

たしかに、PC向けのソフトウエアには「バグ」がつきものだ。

しかし、それが「業務用のシステム」になると、バグは許されないだろう。

何千万、何億円、場合によっては何十億円という大金を払っているからだろうか?

それとも、「B2B」は「複数の人々」に責任があるが、「B2C」は個別の関係としては「ひとり」の顧客にしか責任がないからだろうか?

たしかに解せない問題である。

ウィンドウズもマッキントッシュも同じようにバグがあり、DTPの仕事をしていたことがある僕は、マッキントッシュのバグには髄分と悩まされたが、なぜか、憎めない存在だった。今も。

でも、ウインドウズには、感情移入はできない。

「効率」を最優先した「工業品」であり、「嗜好品」的な拘りが感じられないからだと思う。

それにも係らず、何時間もかけて書いた論文が「パー」になる、それも、きちんと「セーブ」したにも係らずというのは「不条理」極まりない。

こちらは、お金を出して買っているのである。

僕はますますウィンドウズが嫌いになった。

「会ったこともない人」から勇気をもらう。

つい先日、ライブレボリューションの増永さんが運営する「プレジデントビジョン」で、ナルミヤ・インターナショナルというアパレル会社の成宮社長のインタビュー記事を拝見した。

ナルミヤ・インターナショナルという会社のことは、僕が大学生だったか就職して1~2年ぐらいの頃から何かのきっかけで知っていたが、当時は、まだ小さな会社で、社名も「ナルミヤ」と言ったと思う。

普段は思うように時間が取れず、プレジデントビジョンを読むことすらままならないが、「褒めるリスク」というタイトルが気になって、ざざっと斜め読みをした。

プレジデントビジョンは、ひとりの経営者に対するインタビューを数回に分けて配信しており、その次の号のタイトルは「ニューフロンティア」だった。

そこに書いてあったことは、「会ったこともない人から勇気をもらう」ということだった。

1963年(僕が生まれた年だ)、成宮社長はニューヨークにいたらしいが、その年は、ケネディ大統領が暗殺された年だ。

興味のある方はプレジデントビジョンを読んでいただければと思うが、成宮社長は増永さんのインタビューに答えて、「ケネディの演説内容に、私は非常に勇気をもらいました。何度聞いても、涙が出てくるぐらいです」と言っている。

人間は困難に遭遇している時、ちょっとした出来事や会ったこともない人の話しを聞いて、とても勇気づけられたり、自信を取り戻したりすることがあると思う。

僕は、故アイルトン・セナやカズ選手や伊達公子さんの言動や生き方から、勝手に、勇気や自信をもらってきた。

そんなこともあり、僕は成宮社長のインタビュー記事を読んで、僕と似ている方だと思ったと同時に、親近感を抱いた。

ところで、今朝、会社に向かう途中の電車の中で、元JAFCOの石丸さんと数年ぶりに遭遇した。なんという確率だろう。

彼とは、僕がインタースコープを創業した年に、JAFCOから出資を受けたことにより、その担当者として知り合った。

この広い東京で、同じ時間帯に同じ電車に乗り、尚且つ、同じ車両のすぐ近くに乗り合わせるということは、天文学的な確率だろう。

彼とはきっと、「縁」があるのだと思う。

早速、会う約束をした。

小沢さんの辞意撤回を受けて考えたこと。

昨日は体調が優れず、早めに会社を出た。

21時前に家に着いたところ、僕らの子供は宵っ張りで、まだ、起きていた。子供は、21時半頃に寝たが、どうにも身体が辛く、僕も22時前に就寝した。

その後、2時半頃に目が覚めて、メールのチェックをしているうちに、この時間になってしまった。

ところで、民主党の小沢さんが辞意を撤回したらしい。豪腕でならした小沢さんらしからぬ翻意である。

このドタバタ劇をどう理解するべきか?

原因は、「政局優先」という小沢さんの政治手法と、民主党が「寄り合い所帯」であり、根本的なところで「理念」が共有されていないことや、そのことにより、「目的」と目的を達成するための「戦略=手段」に対する判断が異なるというところにあるように思う。

「寄り合い所帯」という意味では、アメリカ合衆国は、その最たるものであり、最近であれば、「EU」もそれにあたる。

では、そのアメリカの求心力は何か?「自由」と「経済合理主義」だろう。

僕の理解では、すべてを「定量的」に価値判断するということであり、「儲ける」ことが最大の価値だということだ。それは極めて分かり易い。しかし、その弊害が噴出しているように思う。

さて、話しを民主党なり日本の政治に戻すと、この国をどうしたいのか? その「本質的メッセージ」が見えない。

そういう僕も「他人事=政治家事」と思わず、自分の問題として、自分の子供が今の僕の年齢になった時、日本がどういう国であって欲しいかを真剣に考える必要があるだろう。

それは、企業においても、同じだと思う。

「現在価値」しか考えなければ、自ずと「未来」に対する投資は行われなくなるだろうし、そうすれば、将来の競争力は担保できない。

企業の「未来」を考えるには、経営者の役割が重要であるのは言うまでもないが、その会社で働く人達が、どれだけ真剣に「未来を考える」かに懸かっていると思う。言い方を変えれば、「未来を考える価値のある企業であるかどうか?」ということだ。

それは、働く立場の人にとってみれば、それだけ真剣に未来を考えたことにより、自分にとってどういうメリットがあるのか?ということだろう。

高度経済成長期の日本では「終身雇用と年功序列賃金と慰労退職金」というものが、その役割を担ってきたのだろうが、これからの日本は、それに代るものとして、何を用意すれば良いのか?

「難しい」=「唯一絶対の解は無い」問いである。

その問いの答えが、その企業の性格を決めるのだろうし、そのひとつが「理念」であり、その理念の「実現リアリティ」だろう。

「理念」には、色々なものがあっていい。

自分に合う「理念」を選べばよいということだ。

「政党」を選ぶのも、同じである。

今の自分を知る。「体力」と「計画性」。

「3度目の起業」と「初めての子育て」の同時進行を始めて、1年半強になる。子供は「2才」になった。

あることで知り合った、ローランドベルガー(戦略系コンサルティングファーム)からドイツのトイレタリー関連企業の日本法人社長に転じた足立さんという方に言わせると、「子供と向き合うのはエネルギーを要するので、子育てと転職や起業は同時期にやるべきではない、というアドバイスを後輩にはしています」ということだ。

それを同時並行で進めてきた僕は、年齢のせいもあると思うが、先週は、ダウン寸前の状態だった。彼の言葉の意味を改めて感じている。

ところで、ここ最近は、寝ても覚めても、1年後のドリームビジョンのことを考えている。

今までの僕の人生は「計画性」に乏しかったこと甚だしいが、さすがに、この先の人生は、それでは「無謀」過ぎる。

足立さんに言わせるまでもなく、体力にしても、集中力にしても、30代の頃のようにはいかないので、燃費を良くすることが絶対に必要だ。

自分の良さを生かしつつ、リスクシナリオを想定し、自分の頭の中で漠然とイメージしているドリームビジョンの将来像を、今の時点でいかに「具体的」に落とし込めるかが勝敗を分けるだろう。

伸ばすべき(伸びしろがある)能力も今までとは異なる。

それによって、この先の1年、何に時間とお金を投下するのか?また、僕自身がやるべきことと、当社のスタッフにやってもらうべきこととの役割分担も、自ずと変わってくる。

さて、話しは変わるが、昨日は、いつもお世話になっている「セラピア」の鈴木さんの整体を受けに代官山に行った。その途中に通った「代官山アドレス」には、例年に違わず、きれいなイルミネーションが飾られていた。

もう1年が経ったのかと思うと同時に、1年前のイルミネーションを見たのが数年前のような気がした。

来年の今頃は、どんな気持ちで、同じイルミネーションを見れるだろうか?

人生は「妥協」の産物。

僕のことを直接知っている方は、僕がこういうことを言うと、「えっ」と思われるかもしれないが、僕もある人物から、この言葉を聴いた時は、「えっ」と思った。

ある人物とは、僕の父親である。

いつのことだったかは覚えていないが、郡山の実家で聞かされた気がするので、きっと、高校生の頃ではないかと思う。

手前味噌で恐縮だが、父はとても頭の良い人で、人望があった。

父が亡くなってから、僕ら兄弟は知らない人(父の友人)から、ある本が届いたことがある。

それは、その方が「自費出版」で出された、僕らの「父の生き方」についての本だった。

その本によると、父は若い頃、常に「夢を語り」、周囲の友人たちが驚くような発想をし、事業のアイディア等を提案していたりしていたようだ。

その父は、大学を卒業する間際、肋膜炎と言う病に倒れ、半年間、入院生活を送ったという。

父が志望していたある企業は、父が退院するまで待ってくれると言っていたらしいが、退院してすぐに就職すれば、また、身体を壊すことになると判断したらしく、父は泣く泣く、その内定を辞退したらしい。

入院中は、父の友人たちが代わる代わる見舞いに来てくれたらしいが、その度に、気持ちは焦るばかりだったという。

その父が退院後、療養生活を経て、選んだ仕事は、地元の総合病院の「事務職」だった。

自分の身体はもちろんだっただろうが、長男であり、まだ働けけない弟と妹がいる家庭環境を考えて、また、両親の老後を考えての選択だったのだと思う。

結果として、勤めていた総合病院の経営の仕事に就くことにはなったが、彼には色々な無念があったことと思う。

父は生前、僕達兄弟に、自分自身の「言葉」でも、自分自身の「生き方」を通じても、とても多くのことを教えてくれた。

その父の告別式には、地元の政財界の方々をはじめ、1,500人の弔問客の方々がいらしてくれた。僕が24歳になって1週間後のことだった。

さて、亡くなった父親の自慢話しはこの辺にして、僕が父から学んだことを書きたいと思う。

それは、先日のエントリーで紹介した佐々木大輔が送ってきた論文に書いてあった、「Given Means」をもとに人生を組み立てる、ということだ。

「Given Means」。今の自分が持っている材料で何ができるか?

理想を追求するのはよいが、自分が持っていない材料なり才能を前提としても、成功するはずがない。

それは、「夜と霧」の著者である、ヴィクトール・E・フランクルが言う、人生のすべての局面に「意味」を見出す、ということにも通ずるように思う。

後ろ向きではなく、どれだけ前向きな妥協が出来るか、それが凡人が成功するために必要な条件のような気がする。