Connecting the Dots.(点を繋ぐ)

まあまあの天気に恵まれた3連休の初日は、旧インタースコープ社員(現Yahoo!バリューインサイト社員)が結婚するということで、インタースコープ創業メンバーのひとりの平岡さんの自宅に集まった。

中目黒で創業した年に入社してきてくれた彼女は、とても柔らかな表情をしていた。こうして集まると、「人と人の繋がり」は、あの頃と何も変わっていない気がする。

連休2日目は、オフィス用の照明を買いに、第三京浜の港北インターチェンジから程なくのところにあるスウェーデンの家具&インテリアメーカーの「IKEA」に行った。残念ながらお目当ての商品は探せなかったが、「これが噂のIKEAか!!」という感じで、その人気ぶりを実感できた。3連休ということもあり、物凄い人出だった。

連休最後の昨日は、末弟夫妻と彼らの子供と僕ら3人で「東京タワー」に行き、その後、上野に住む親戚の家に数年ぶりに遊びに行った。

僕らの子供は、まだ、東京タワーの価値(楽しさ)は分からなかったようだが、弟の子供はそこそこ楽しんでいたようだ。

でも、ふたりとも最も楽しそうだったのは、ビルの5階(屋上)にあるミニチュア遊園地の「乗り物」だった。アンパンマンやトーマスなど、子供に人気のキャラクターの乗り物がたくさんあり、「もう1回!!!」と言って、何度も乗っていた。

それらの乗り物のひとつは「SEGA」製で、社会的に有意義な商品を造っているということに気がついた。僕にとっては新鮮な発見だった。

東京タワーの1階にある「タワーレストラン」なるところで昼食を食べ(ここが何ともレトロな雰囲気を醸し出している。まさしく昭和の高度経済成長期である)、芝公園から首都高に乗り、上野の親戚の家に向かった。

その親戚はあの辺りでは典型的と言える「町工場」のような小さな会社を営んでいるが、僕が大学生のある夏、バイトをさせてもらったことがある。とても暑い夏で、今では極普通かもしれないが、最高気温が37.4度まで上がったことを覚えている。

親戚のおじさん(亡くなった父親の従兄弟にあたる)は、自分が営んでいる事業を、「この商売はいずれは無くなる商売」と言っており、また、彼の奥さんは、「この10年は仕事が激減し、一体、どうなることかと思った」と言っていた。

彼らの商売は、日本橋界隈にある会社の下請けのような仕事らしいが、それらの会社が日本橋から郊外に移転したり(それに関連して、外注先を見直す)、メーカーが直接、中小のお客さんを相手にするようになったりとで、時代と共に、その存在意義が失われていっているということだ。

その中で、同業他社が次々と廃業する中、なんとか踏ん張って商いを継続させてきたお陰で、ここ1年ぐらい前から、だいぶ仕事が増えてきたという。それでも、以前の水準にまでは回復はしていない。

そのような状況において今の課題は、「人手」がないということだ。彼らの商売を手伝ってくれるような人はいないということである。

僕は、1990年代の後半から昨年まで、いわゆるネットビジネスの世界で生きてきたが、その一方で、上野の親戚のおじさん達のような世界で生き抜いてきた人たちもいるという、当たり前のことを、改めて考えさせられた。

そのおじさんとの会話で、今でもよく覚えていることに、こんな言葉がある。

「30代で稼いだ金では一生は食えないが、40代で稼いだ金は、50代60代と食える・・・」。

その言葉を僕に言った時の彼は、50代になっていたと思うが、それまでの自分の人生を振り返っての実感なのだろう。彼は今、60代の半ばである。

ところで、ドリームビジョンを創業してそろそろ1年半になるが、ここ最近、今の局面は、あの頃のあの時のことに通じなるな・・・とか、28才で初めて起業してから現在までのことを、よく思い出す。

子育てをしていても、数年ぶりに上野の親戚夫妻と会っていても、そこかしこに、今までの人生で遭遇した「点」を思い出すきっかけがあり、それらが今に繋がっていることを感じる。

アップルのスティーブン・ジョブスがスタンフォード大学の卒業式でスピーチした際に、「我々は未来のことはコントロールできない。出来ることは、過去の出来事に意味を見出し、それらの点(Dots)を繋ぐことだけだ」と言っていたことを思い出す。

来年は、40代の折り返し地点を迎える。

ある方からのメールに「テンションは高くないですが、静かに何かを模索しながら動いていっている気がしています」ということが書いてあった。

我武者羅に頑張るだけが頑張るということではないということを、体力の衰えも含めて感���ている。