「法政大学」での「夏」の講義。

ここ数年、毎年7月は「法政大学」経営学部での講義がある。

最初に講義にお招き頂いたのはインタースコープを経営していた頃で、恐らく今年で4年目になると思う。因みに、今年の講義は、7/11(水)である。

この講義は、単位認定型のインターンシップに関連するもので、受入企業の担当者が自社の事業内容とインターンの学生に行ってもらう仕事の内容を説明するためのものであり、毎年15~20社ぐらいがインターンを受け入れていると聞いている。

最近では単位認定型のインターンシップを導入している大学は少なくないが、僕が法政大学のインターンを受け入れた頃は、まだまだ珍しかった。インタースコープでは創業以来、常に何人かのインターン生が働いており、そのことを聞きつけた担当の教授が、僕に依頼してきたのが始まりだった。

さて、七夕の土曜日は、今週水曜日の講義資料を作っていた。

今年の講義資料を作るにあたって、改めて、昨年の講義資料を眺めてみた。

その資料は、昨年5月22日に天王洲で行ったドリームビジョン設立記念レセプションでの僕のプレゼン資料をベースにしたものだが、今にしてみると、まったくと言っていいほど「フォーカス」が定まっておらず、これじゃ上手く行くはずないよな(笑)と思う内容だった。

何かを始める時というのは、当然のことながら、とても大きなエネルギーが要るが、その一方、自分を客観視できなくなっているのだろう。正直に言って、リアリティというものが感じられないものだった。

そんな反省を踏まえて、今年の資料は、今やっていること(現実)をベースにして、ドリームビジョンの「将来ビジョン」を語り、尚かつ、それを「具体論」として説明するよう心掛けた。

資料が出来上がった時は、心が弾むというか、久しぶりに気持ちが高揚した。素直に、楽しい、嬉しいという感情が沸き上がってきた。

念のため、ファイルをUSBにコピーして、PCの電源を切り、保育園に子供を迎えに行った。妻が友人の結婚披露宴に出掛けており、僕が迎えに行く日だったからだ。彼が最後のひとりになってしまっていたが、とても元気に遊んでいた。

保育園を出たのは19時過ぎていたが、まだまだ日が高く、ベビーカーを押しながら、夏の夕方独特の華やかさを感じた。

「人生」とは、こういう何気ない「日常の積み重ね」なのだろう。20代や30代の頃には感じることのできなかった感覚(日常の大切さ)を楽しみたい。

水曜日の講義が楽しみである。

「七夕」と「アサガオ」。

今日は六本木の某所でキャンディデイトとの面談があり、その後、一緒に面談をした泉谷とふたりで軽くお酒を飲み、日比谷線に乗って帰宅した。

電車の中で僕の前に座っていた男性が、「アサガオ」の鉢植を持っていた。懐かしさと共に、季節感を感じた。

毎日のようにファンドの記事が新聞紙面を賑わせており、経済合理性が幅を利かす現代社会であるが、グローバル化が進む社会であるからこそ、日本人としての「アイデンティティ」が大切だと思う。

自分を見失ってはいけない。日本的情緒や文化を大切にしたい。

「起業適齢期」と「静かな心」。

今日のタイトル(起業適齢期)の発案者は、インフォプラント創業者の大谷さんである。彼のブログに、このタイトルでのエントリーがあった。

「35才で起業、10年で結果を出す」。たしかに、ひとつの理想型だと思う。

でも、起業にも色々な形があり、個人差があるのも事実だと思う。早熟の人もいれば、晩熟の人もいる。事業内容によっても異なるだろう。

但し、大谷さんが言うように、10年やっても結果が出ないのであれば、それはビジネスモデルが悪いか? 経営者として能力がないのか? そのいずれか、あるいは、両方だろう。

もうひとつ言えることは、自分の身の丈以上のことは出来ないということだ。

ところで、ここ最近は「静かな心」を保っていられたのだが、昨日と今日の午前中は、あることが原因で「心の平静」を失いかけた。

でも、幸いなことに「坊主頭のりょうへいさん」のコメント(すべてを受け入れる)を思い出し、今日の午後には、また、「静かな心」を取り戻すことができた。

僕は最初の会社を丸9年やった後、山川さんと一緒にインタースコープを創業し、丸6年間、甚だ未熟ながら、経営者として仕事をしてきた。そして、ここ2年半は、真剣にゴルフに取り組んで来た。

そこから僕は、とても多くのことを学んだ。

「静かな心、忍の心、最後の5分」。いや、1分かもしれない。

今後は、今までに学んできたことを実践していきたい。

「経営判断」。

昨日の「報道ステーション」で「脳梗塞」の最先端治療に関する特集を見た。

治療名は忘れたが、脳梗塞と思しき症状が表れてから2時間以内に病院に到着し、同じく、発症後3時間以内にその治療を受ける必要がある、それでなければ、治療の効果がないそうだ。

僕の義理の父は、なんと「脳梗塞」を「3度」も経験し、さすがに、3度目に関してはそうは行かなかったが、2度目までに関しては無事に治ったという、驚異的な人だった。

そんなこともあり、遅い夕食を食べながら、興味深く番組を見ていた。

その特集を見ていて、要するに「限られた情報」と「時間との戦い」の中での「判断力」が問われるということだと思った。そういう意味では、経営と似ている。

状況は刻一刻と変化する。判断を下すに必要十分な情報が集まることは無いと思った方がよい。

そうなると、どこかで線を引き、リスクを取って判断するしかない。

「限られた情報と時間」の中で、いかに「精度の高い意思決定」をするか? それが、「経営判断」だとすれば、「物事の本質」を見極める目を養うことが必要不可欠である。

そして、意思決定したことを「実行」する力が必要である。「推進力」と言ってもいい。

経営者自ら手を下すべきところと、信頼の置けるスタッフに任せるべき仕事があると思う。

こういう考え方が出来るようになったのは、お恥ずかしい話し、最近である。

話しは変わるが、昨日、ある雑誌の取材を受けた。

その取材で話したことは、当たり前の話しだが、自分の中で「リアリティ(実現性)」を感じられないこと(夢物語)にはモチベーションが湧かないし、「リアリティ(実現性)」を感じられることにはコミットするということ。

以前の僕は、自分の力量を顧みず、何でもかんでもやろうとする人間だったが、インタースコープを創業し経営してきた6年間と真剣にゴルフをするようになったことにより、そのことを学んだという話しをした。

残り225ヤードを3番ウッドで打った時、今の自分の実力で、グリーンに乗る確率は何パーセントあるか? ミスショットした時はどんなダメージがあり、そのダメージはリカバリーが利くのかどうか? それを冷静に考えられるようになった。時々、その冷静さを失う時があるが・・・(笑)。

経営も同じだと思う。

そういう意味では、良いスコアを出すには精確な「状況判断」をする必要があり、そのためには「優秀なキャディ」が必要不可欠である。闘っている勝負のレベルが高ければ高いほど。

何故なら、失敗が許されない(致命傷になる)から。

でも、それがなかなか出来ないのが人間なのかもしれない。

社会という「仕組み」。

昨日は知り合いに不幸があって急遽、藤沢まで出掛けた。先日のエントリーで紹介した妻方の叔母と妻の母親がとてもお世話になっていた方のお母様が亡くなられ、そのお通夜に参列するためだ。

こういう時、僕たち夫婦は、どちらからの両親や親族が近所にいるわけでもなく、常に、子供をどうするかが問題になる。昨夜は、朝早く連絡したこともあり、保育園で延長保育をしてもらえることになり、助かった。

お通夜には、叔母と彼女の娘(僕らの従姉妹)と僕ら夫婦で向かったが、問題は交通手段をどうするか?だった。クルマで行くか?電車で行くか? それぞれ所要時間を検討した結果、電車で行った場合、藤沢駅から斎場までの移動時間、特に、帰りのタクシーにすぐに乗れるのかが不確定だったため、クルマで出掛けることにした。

渋谷で叔母達を拾って第三京浜、横浜新道経由で藤沢の斎場に着くと、所要時間は、予定どおり、1時間30分だった。帰りは、町田まで抜けて東名高速、首都高3号線を通って帰ってきたが、保育園に着いたのは、20:35だった。やはり、クルマで行った方が早かった。

とても慌ただしい半日だったが、行き帰りの車中で、久しぶりに会った従姉妹とも色々と話しをすることができ、そういう意味では何よりだった。

そして、保育園という存在のありがたさを、改めて感じた。

社会という「仕組み」に感謝したい。

「父と子」の触れ合い。

昨日のエントリーにも書いた叔母の家に遊びに行った際、近所の駐車場にクルマを停めた。叔母と僕ら親子とで近所の公園に散歩に行った後、駐車場に戻り、帰宅の途についた。

駐車場を出る前、子供を助手席に乗せると、彼は自分から運転席に移動してハンドルを握り、とても満足げな表情をしていた。それを見ていた叔母が、「やっぱり、男の子ね」と言って笑っていた。

妻がその時の模様をデジカメで撮っていたが、なかなか良い写真になっていた。親ばかの僕としては、このブログにアップロードしようかと思ったが、それは止めておいた。

こうして、今日のエントリーを書きながら、僕が2~3才の頃だと思うが、父親のオートバイ(スクーター)に乗って笑っている自分の写真のことを思い出した。当時の我が家にはクルマ(自動車)はなく、オートバイしかなかったようだ。

僕からせがんでオートバイに乗せてもらったのか? 父親が写真を撮ろうとして僕をオートバイに乗せたのかは分からないが、そこに、父と子の触れ合いがあったのは事実だ。

僕らの子供が僕の年齢になった時、彼はどんな人生を歩んでいるのだろうか?

子供の成長を見守るのは、とても幸せなことだということを、最近、少しずつ分かってきたような気がしている。

「生き方」が問われる時代。

7月最初の日曜日の今日は、五反田TOCに入っている赤ちゃん本舗に出掛けた。高島屋のバーゲンや催し物があり、10:30にも係らず、駐車場を待つクルマの列が出来ていた。

買い物を済ませた後は一旦、家に帰り、それから代官山で出産祝いを買い、妻方の叔母の家に出掛けた。妻の従兄弟夫妻に2番目の子供ができたので、そのお祝いを持っていった。

叔母は日系2世の男性と結婚し、現在は、普段はロサンジェルスに住んでいる。たまたま、知り合いの結婚式があったとかで日本に帰ってきていた。彼女は叔父と結婚してからは、日本とロスとを行き来する生活を送っている。

叔母は若い頃、「松竹歌劇団」の女優というかダンサーというかをしており、今でもスタイルがいい。部屋には、現役だった頃の写真が飾ってあった。

松竹歌劇団を辞めた後は、ロスで日本の芸能界関連の仕事を始めたり、ここ10年ぐらいは、芸術関連の専門学校の副校長をしたりと、とても変化に富んだ人生を送っている人である。

彼女の夫(僕らの叔父)は、彼女以上に変化に富んだ人生を送っている人だ。

僕が初めて叔父に会ったのは、僕らの結婚式の時だったと思うが、ある時、僕が最初の会社を経営していた頃、僕らのオフィスを訪ねてきてくれたことがある。彼も会社を経営しており、きっと経営者としては極めて未熟な「義理の甥」のことが気になったのだろう。特に、頻繁に会っているわけではないが、それ以来、叔父と仲良くなった。

僕らの新婚旅行の帰りに、ロスにある叔父達の家に行ったことがある。高級住宅街の一角に建つ、ステキな家だった。

彼は、いわゆる「成功者」だと思うが、若い頃は、かなり貧乏な時期もあったらしい。叔母から聞いた話しだが、明日の食事にも困るような時でさえ、タバコは「マルボロ」で、TIMEを読んでいたらしい。相当に風変わりな人であるのは間違いない。と同時に、物事の本質を捉えている人でもある。

僕の回りには、叔父や叔母のような、ちょっと風変わりで、波瀾万丈な人生を送っている人がたくさんいる。

「類は友を呼ぶ」のだろうか?

彼らに共通しているのは、当然のことながら、経済的にもボラティリティ(不安定さ)が高いということだ。でも、みんな魅力的で、楽しそうな人生を送っている点も、共通している。

話しは変わるが、僕の記憶が正しければ、現在の日本社会はサラリーマンが「約8割」を占めている。そして、今後はどうかは別として、現時点では、まだまだ、年功序列賃金と終身雇用が根強く残っているのではないだろうか?

それは、余程のことがない限り、一度、上った階段を下ることはないことを意味している。もっと具体的に言えば、余程の失敗をしない限り、年収が下がることはないということだ。

そうなると、どうなるか? 失敗を恐れるようになると思う。

だってそうだろう。ソツなく仕事をこなしていけば、その額はともかくとして、必ず収入は増えていくわけで、その一方、一度でも大きな失敗したら、2度と「当初のルート(出世階段)」には戻れないと分かっているのだから。

でも、それは、見方を変えれば「アップサイド」も限られているわけであり、「ボラティリティの低い人生」ということだ。

インターネットの出現により、以前と較べると、いわゆる「起業」ということが格段にし易くなったと思う。それはイコール、ボラティリティの高い「生き方」をする人が、微々たる数ではあるが増えていることを意味している。

成功した人も失敗することはあるし、失敗しても、実力がある人は必ず、また、浮上していく。

失敗しても、貧乏な生活に陥っても、自分を信じて頑張って行けば、自分でも想像していなかったような出来事に遭遇する(成功する)こともある。僕の周りには、サラリーマンであっても、そういう人が何人もいる。

一度、沈んでも、また、浮上することが出来るということを理解できれば、自分がしたいことに「チャレンジ」できるはずである。

そういう人が一人でも多くなっていくことが、失敗を許容し、チャレンジを讃え、選択肢の多い、「自分らしい生き方」が出来る社会に繋がっていくように思う。

僕自身も、そのモデルの一人になれるよう、頑張っていきたい。