Yahoo! にバトンを渡す。

来る「7/1(日)」、大谷さんが創業したインフォプラントと僕と山川さんとで創業したインタースコープが合併し、ひとつの会社になることになった。

両社とも1998年頃からインターネットをプラットフォームとしたリサーチビジネスに着手し、2000年にVCから資金調達して、本格的に事業を立ち上げてきた。

現在、業界の中で一歩抜きん出た存在であるマクロミルと共に、業界の「3強」なり「御三家」と称されて、インターネットリサーチ業界をリードしてきた関係である。

その両社による合併会社の「新社名」は、「ヤフーバリューインサイト株式会社」に決まったというリリースが昨日、出された。

僕らがマンションの一室で創業した事業が、天下の「Yahoo!」グループ企業となったのである。

そして、Yahoo! JAPAN の子会社で「Yahoo!」というブランドネームを冠するのは、今回が初めてである。

これは、とても名誉なことだと思っている。

日本では、まだまだ「買収」されるということに対してネガティブなイメージがあると思うが、買収するということは、高いお金を払って購入する価値があるということを意味しており、尚かつ、買収した両社に「Yahoo! JAPAN」として初めて「Yahoo!」という冠をつけたわけで、それは合併によって生まれた新会社に対する期待値の高さを物語っている。

IPOだけが「成功」ではない。

大谷さんや山川、平石ではなし得なかった「夢」を実現していって欲しい。

「創業者」としての素直な想いである。

「ファンド資本主義」を生き抜く。

ここのところ何度も紹介している日経ビジネス・オンラインの1周年記念セミナーで、「ファンド資本主義を生き抜く」というテーマのセッションを聴く機会があった。

そのセッションの講師は、M&Aアドバイザリー「ロバーツ・ミタニLLC」創業者の神谷秀樹氏、企業法務・渉外弁護士の中村直人氏、リップルウッドで新生銀行の再生等に関ったことのある岩瀬大輔氏(現ネットライフ企画 取締役副社長)の3人で、それぞれ、とても示唆に富んだ話しをされていた。

機会があれば他の方の話しも紹介したいと思っているが、今日は「岩瀬氏」の話しを中心に書きたいと思う。

岩瀬氏が所属していたことのあるリップルウッドは「買収ファンド(バイアウトファンド)」であるが、彼は買収ファンドと並んで資本市場で大きな影響力を持つヘッジファンドとの対比をしながら、両者の構造とそこで働く人の評価基準(モチベーション)をもとに、その違いをとても簡潔明瞭に説明してくれていた。

買収ファンドは文字どおり、企業を買収し、企業価値を高めた上で、その会社(の株式)を売却することにより利益を出す。買収してから売却するまでの期間、買収した企業の経営に積極的に関与する。株式の保有期間は、4~5年が一般的だろう。

一方、ヘッジファンドは「ポートフォリオ」の一環として、株式や通貨等の売買を行う。それらの保有期間は短く、長いものでも数ヶ月から1年程度だろう。そのような構造故、株式を保有する企業の経営に積極的に関与することはない。あるとすれば、投資対象の企業の「遊休資産(主に不動産)」等を売却することによりROAを向上させ、株主価値を高めろというようなプレッシャーをかけるということだろう。

また、企業価値を高めるために必要なことは、「売上を上げる(収入を増やす)=トップライン重視」か「コストを削減する=ボトムライン重視」のいずれか(もちろん両方もある)であるが、前者は「事業を創る」ということなので、地道な努力が要求されるし、とにかく大変である。買収ファンドの立場で、より短期的且つ効率的に「利益(ボトムライン)」を出そうすれば、コスト削減をするのは当然である。そして、買収ファンドで働く人は、いくらのリターンを出したかで評価されるので、ファンドの満期が近づけば近づくほど、売却に動くことになる。

一方、ヘッジファンドで働く人の評価は、毎年のポートフォリオの「パフォーマンス」らしい。尚、ここでいうパフォーマンスの定義が「実現益」なのか「含み益(計算上の利益)」でもいいのかは、僕は知らない。

岩瀬氏が両者の構造的違いをもとに言っていたことは、相手がどういう立場であるかを理解することが、相手の行動を理解する(予測する)ことに繋がるわけで、相手の「モチベーション」と「行動様式」を理解した上で付き合う必要があるということである。

世の中の風潮としてファンドの存在を否定したり、悪者という見方があったりするが、それは短絡的だということである。

では、岩瀬氏はファンドの存在を全面的に肯定していたかというとそうではない。

アメリカでは昨年度、年収が「100億」だか「1,000億」だかを超えたファンドマネジャーが「7人」だったかいるらしいが、その一方で、日本では考えられないような「超貧困層」が「3,000万人」もいるという。

そのことを紹介しながら、資本主義的な「経済合理性」だけを求めることの先行きがどうなるか?それを日本社会が求めるべきか?ということの問題提起をされていた。

もうひとつ追加すれば、クライスラーをファンドが買収したが、以前にもクライスラーは経営危機に見舞われたことがあり、その度に「政府が助けてきた」わけだが、何年後かにファンドがクライスラー株を売却し、利益を上げるとすれば、「ファンドとその出資者」の利益は、国民の「損失(税金負担)」ということとも理解できる。

さて、今日のエントリーは結論のないものになってしまったが、ファンドや投資というものに接することの少ない方にとって、今後の社会構造を考える上で、少しでも参考になったようであれば幸いである。

話しは変わが、インタースコープに出資していただいたVCの方々、特に、JAICの新家さんとグロービスの小林さんは「トップライン(売上=事業を創る)」ことを一緒になって考えてくれ、尚且つ、実行面の支援もしてくれていたわけで、そのことの「意味(ありがたさ)」を改めて感じている。

ドリームビジョンとして「新しい事業」を立ち上げつつ、ラソナの社外取締役として「新規事業」の立ち上げと「既存事業」の強化を支援しているが、世の中に認められる「価値(事業=売上)」を創っていくというのは大変なことである。

どうも僕は、大変なことが好き?なようである。妻に言わせれば、自分から好んで「大変なこと」をしているらしい。

損な性格かもしれない(笑)。

成功の定義 〜 Define your own success. 〜

ドリームビジョンのオフィスから徒歩2~3分のところに、サンドイッチの美味しいカフェがある。ゆっくりランチを食べる余裕がない時は、そのお店のサンドイッチをテイクアウトで買ってくることが多い。昨日もそのお店に行った。

僕のオーダーしたサンドイッチが出来上がるのを待っている間、お店に置いてあったある写真集を手に取った。

それは「aqua」というタイトルで、世界中の「イルカ」を撮った写真集だった。ペラペラとページをめくると、あるページに何とも言えない可愛い目をしたイルカが写っていた。

その本の解説によると、イルカにもいくつかの種類があり、人懐っこいイルカもいれば、警戒心の強いイルカもいるらしい。でも、そのいずれもが、とても愛くるしい表情をしていて、人間の子供を思わせるものがあった。

最近、子供がもう少し大きくなり物心がついたら、アフリカのサバンナや南の島など、とにかく、自然を満喫できるところに連れて行きたい、というか、一緒に行きたいと思うようになった。自分の経験でもそうだったが、親と行動を共にしてくれるのは、小学生までだろう。そうなると、あと10年ちょっと。一緒に旅行に行けるとなると、2~3年後から5~7年間だろう。僕の年齢で言うと、53~54歳までだ。

その「夢を実現する」には、時間とお金が必要である。そして、体力も。

3月に上海に行った帰りの飛行機の中で、大谷さんが「子供と一緒に地球一周をするのが夢だ」と言っていたことを思い出す。その時は、一般論としてしか理解できなかったが、今はとても「共感」できる自分がいる。

ところで、最近のニュースでは、ライブドアや村上ファンドに替わって、コムスンやNOVAが世の中を騒がせている。そのいずれもが、「飽くなき成長意欲」が根底にあるように思う。

誤解のないように言うと、成長意欲自体はとても大切なことで、それを否定する理由はどこにもない。

問題は、その成長意欲を「駆り立てているもの(動機)」にあると思う。

ところで、最近はビジネスの話しではなく、最近の僕の心境や子供との触れ合いの中で感じたことを書いて来たが、久しぶりにビジネスに関するテーマでのエントリーを書きたいと思っている。

具体的には「ヘッジファンド」と「バイアウトファンド」の行動様式の違いや、大袈裟に言えば「資本主義の未来」といったことにも想いを巡らせつつ、自分の考えを整理してみたい。

追伸:昨日は、ドリームビジョンの株主(正確には彼が経営する会社)でもあり取締役でもあるジョナサン・ヘンドリックセンがオフィスに来た。彼も人生の「大きな転機」にいるらしい。彼の新しいチャレンジを心から応援したいと思う。

初めて?の「父の日」と「最後の5分」。

先週の金曜日は用があり、早めに会社を出た。帰宅して玄関のドアを開けると、子供が僕に走って寄ってきた。

リビングに行くと、妻からあるものを見せられた。子供が保育園で書いた「父の日」のプレゼントだった。

当然のことながら、彼は何も分かってはいなが、保育園の先生に言われて、クレヨンを持って僕にメッセージ?らしき「落書き」を書いてくれていた。先生が書いた「お父さん、いつもありがとう」という文字の横に、クレヨンを持つ彼の写真とその「落書き」が貼ってあった。

そのプレゼントを見て、インタースコープの頃、社員の結婚式で初めてスピーチをした時のことを思い出した。嬉しさ半分、その一方、そんな立場(年齢)になったのか?という思いもあり、少々複雑な心境だった。

「母の日」に関しては毎年、実家の母親に花を贈っているし、妻の母親が生きていた時もそうしていたが、実の父が生きていた頃、父の日にプレゼントを贈った記憶はない。義理の父にはプレゼントを贈ってはいたものの、8年間という短い付き合いだったこともあり、僕にとって「父の日」は「縁遠い」存在だった。きっと、僕だけでなく、弟たちにとってもそうではないかと思う。

でも、これからは、違う意味で「父の日」にも縁ができるのかもしれない。

ところで、土曜日は、またしても、河西さんというスポーツトレーナーのお世話になった。

左側の首・肩・背中が良くなったと思ったら、今度は「右側」のそれらが痛くなった。針治療をしてもらい、状態はだいぶ良くはなったが、いよいよ「年」かと思い、ちょっと悲しい気分になった。

日曜日は、隔週で通っている「セラピア」の鈴木さんの整体を受けた。

彼に「ゴルフのフォームを改造しましたか?」と聞かれたので、「右の股関節をより意識するようにした」と言ったら、右足首と右の股関節に負担がかかっており、その延長線で「右の首あたり」に影響が出たのだろうとのことだった。

彼の話を聞いて、先日観た「ブラッド・ダイヤモンド(紛争ダイヤモンド)」の監督が、「世界は相互に影響しあっている(紛争ダイヤモンドは他人事ではない)」と言っていたことを思い出した。

セラピアの鈴木さんは以前、音楽関係の仕事をしており、とても創造的な方だ。そのことを関係があるのかどうかは分からないが、彼の整体を受けると、身体だけでなく、心がスーッと落ち着く。「ストレス」が抜けていくと言えばいいだろうか・・・。因みに、河西さんも以前は「音楽」関連の仕事をしていたという。僕も下手くそながら音楽をやっていた。何となく関係あるのかもしれない。

ストレスで思い出したが、インタースコープの最後の頃、机の前に、「静かな心。忍の心。最後の5分」と書いた小さな紙を貼っておいた。ドリームビジョンのオフィスでも、その紙を貼っておいたのだが、今のオフィスに越してきた時に、貼り忘れたままになっていたことに気づいた。早速、新しいものを作って、貼っておこうと思う。

実は「静かな心」というのは、プロゴルファーの「宮里 藍」が言っていた言葉である。

ここ最近、自分の思うように物事が運ばず、イライラすることがある。でも、イライラしても何も解決はしない。むしろ、自分が「損をする」だけである。そう分かっていても、自分を律することが出来ないことがある。

技術だけでなく、身体づくり。能力だけでなく、精神力。

前よりも「大きな紙」に書いて、机の前に貼っておこう。

「静かな心。忍の心。最後の5分」。いや、最後の「1分」かもしれない(笑)。

「リーダーシップ」と「生い立ち」。

今週は色々なことを考えさせられる一週間だった。

そのひとつとして、ドリームビジョンを創めてから知り合ったある方から、「リーダーシップ」に関するインタビューを受けるという出来事があった。そのようなテーマでインタビューを受けることは、とても光栄なことであるが、僕の話しがその方にとって役に立つのか、少々不安だった。

インタビューを受けた翌日、その方から頂いたお礼のメールに、とても考えさせられることが書いてあった。

「その理由は、日々リーダーシップを発揮されている平石様の「生き様」が、ご両親から受け継がれたものらしいと感じられたことです。そこには親の深い愛と、誇りを持ってそれを受け取る子どもの純真な力が存在しています。最も理想的なパワーの伝授の仕方であり、今の世の中に最も必要とされているものです」。

僕にどれほどのリーダーシップがあるかは分からないが、彼のインタビューに答えながら、今の僕を形成している源は、間違いなく、亡くなった両親からの影響が大きいということを再認識した。父も母も、「人生」というものに、とても「真剣」に向き合っており、そのことが僕の生き方に大きな影響をもたらしたと思う。

ソフトブレーン創業者の宋文洲さんのコラムにも、言葉に出来ないものを感じた。彼の肩肘張らない正直で自然体の生き方が僕はとても好きで、数ヶ月前から彼のコラムを読んでいる。

彼はここ1年間に渡って書いてきた日経ビジネス・オンラインでのコラムを今月いっぱいで終了すると公言しているが、最近のコラムには、彼が幼少の頃のことが書かれている。

詳しくは、宋さんのコラムを読んでいただければと思うが、彼の文章から、彼が幼少の頃に受けた両親の愛情や隣人との生活で感じていた友情や絆、そして、「偶然に対する感謝」の心が伝わってくる。

今までのコラムでは、日本社会の矛盾や不条理、非合理、非効率等を、彼独自の新鮮な切り口で論じていたが、ここ最近のコラムでは、そういったメッセージはなく、ただ単に、自分自身の幼少の頃の出来事や思い出を書いている。

これは、僕の勝手な推測でしかないが、彼は本当はコラムを続けたいと思っており、また、異国の地である日本でビジネスでの成功者となったことに対して、言葉に出来ない感謝の念を感じているのではないかと思う。それは、彼の成功が、彼の努力だけではなく、幸運な「偶然」にも助けられているという気持ちがあるからではないだろうか。

そして、自分のコラムの読者や日経ビジネス・オンラインの方々に対する感謝の気持ちが、不幸な出来事も多々あったにも係らず、幸せだったと感じているご自身の生い立ちを、最近のコラムに書かせているような気がする。

もうひとつ、これも中国に関するトピックスであるが、「留守児童」と呼ばれている農村地区の「出稼ぎ労働者」の子供たちに関するコラムがある。そのコラムは、住友商事総合研究所 中国専任シニアアナリストの北村豊さんという方のもので、こちらも日経ビジネス・オンラインにて書かれている。

彼のコラムによると、中国で故郷を離れて働く出稼ぎ者の総数は1億5000万人以上、彼らが故郷に残している「留守児童」の総数は2,000万人以上(7,000万人という説もあるらしい)に上るという。幼少期に親と離れて暮らすことによる、子供たちの影響は想像に難くない。

日経ビジネス・オンライン1周年記念セミナーで、北村さんの話を聴く機会に恵まれたが、ビジネスマンとしての視点を超えて「社会のあり方」を考えている、とても温かい人柄を感じた。

上記以外では、田坂広志さんがご自身のメルマガで書いていた「全霊を込めて創り上げ、無心の境地で流し去る」という一言、アイスタイルの吉松さんのインタビュー記事にあった「困難な時期に支えてくれたもの、それは信念」「折れない心」というタイトルが心に残った。

「坊主頭のりょうへいさん」によれば、自分の目の前に現れることや出来事は、すべて、今の自分に必要なものだという。

今週の僕の心にとまった出来事やコラムや情報は、今の僕がそれらを必要としているからだろう。そこに何らの「意味」を見出したいと思う。

僕がドリームビジョンで成し遂げたいことを常に自問自答し、自分の信念を忘れず、でも、柔軟な視野と行動を持ち続けらるように。

追伸:僕は日経ビジネス・オンラインの回し者ではありません(笑)。

バナナ。

我が家では「バナナ」を常に買い置いている。

栄養価が高いにも係らず安価で且つ簡単に食べられるので、僕が朝食代わりに食べるようになったのがきっかけである。でも、最近は子供にもよく食べさせている。

古い話しで恐縮だが、僕が子供の頃、明治生まれの祖父母から、彼らが若かった頃はバナナは高級品であり、具合が悪くなった時にしか食べさせてもらえなかったという話しを聞かされていた。しかし、今の時代においては、バナナは典型的な「コモディティ」である。

「バナナ大学」なるバナナの総合情報サイトによると、日本における1世帯あたり(2人以上の世帯)のバナナの「年平均支出」は「3,980円」だそうである。

因みに、我が家ではほぼ毎週、バナナを買っている。ひと房が150~250円ぐらいなので、平均200円で計算すると、年間のバナナ支出は「9,600円」となり、日本の世帯平均よりも「約2.4倍」ほどバナナを食べていることになる。

そのバナナであるが、先日、家にあったバナナ(妻が買ってきたもの)に、とてもおもしろいシールが貼ってあった。そこには、「南米エクアドルで日本人が育てたバナナです。田辺農園 TANABE FARM」と書いてある。

僕はエクアドルという国の位置すら思い浮かばないが、遙か遠くの異国の地で、どうやったら「コモディティ化」したバナナという商品を差別化でき、自分たちが育てたバナナをより多くの日本人に食べてもらえるか?(売上をあげられるか?)を真剣に考えている人々のことに思いを馳せた。

その起業家精神というか、マーケティング努力というかに、軽い感動すら覚え、ついつい応援したくなった。

起業やマーケティングやイノベーションというと、ついつい最先端の技術や産業等を思い浮かべがちだが、バナナのような「コモディティ」商品においても、創意工夫の余地はたくさんあるということだ。

今度、スーパーに行った時は、田辺農園のバナナを探してみようと思う。

追伸:200円前後で買えるバナナであるが、味にはかなり違いがある。僕はけっこうバナナ通である(笑)。

夢の中の自分。

今朝方、不思議な夢を見た。

その夢の中で、下北沢(東京都世田谷区)の北口にある、戦後の闇市の名残りの商店街の一角で、衣料品店のようなお店を経営している女性と知り合った。

彼女は変なプライドも見栄もなく、とても自然に肩肘張らずに生きており、その魅力のせいでお店は繁盛していた。

ところが、僕と知り合ったことにより、彼女はストレスからお客さんと口論をしてしまうという出来事があった。

夢の中の話なので細かいことは覚えていないが、そのことにより、僕の中に存在するプライドや劣等感が、自分の成長や可能性を阻んでいることがあることに気づいた。

随分と昔の話になるが、当時、H2Oというデュオを組んでいた赤塩さんから、「プライドを捨てることが出来たら、郁生ちゃんはもっと色んなことが出来るようになるよ」と言われたことを思い出した。

「坊主頭のりょうへいさん」のコメントに、

「自分の目の前に起こったことは、自分が引き寄せた結果なのだと。自分の行動、言動、がその結果を連れてきたのだと。常に自分なのだと。全てを受け入れ、さらにバージョンアップしていきます。今日もありがとうございます」

というものがあったが、まさしく、そういうことなのだろう。

仕事もゴルフも何事も、無欲の時の方が良い結果が生まれるような気がする。少なくとも、ゴルフにおける過去3回の「80台」は、その「いずれも、肩の力を抜いて無欲で臨んだ時だった(笑)。

一方、何かを絶対に達成するという強い意志がなければ、何事も成就しないとも思う。

でもそれは、他人との比較ではなく、自分の中での話しである。

今朝の不思議な夢のお陰で、何か力が抜けたような気がする。