自分との密かな約束。

僕がこうしてブログを書き始めてから1年3ヶ月になるが、今月は、ウィークデイは毎日ブログを書くことを自分との約束にしていた。

4月5月は諸事情により、それまでと較べるとブログの更新頻度が低くなっていたからだ。お陰様で何とかその約束は達成できた。

ところで、先週の日曜日は久しぶりに「下北沢」に行った。子供を連れて親子3人で。

実は、ランチに「蕎麦」を食べたいと思って渋谷・恵比寿界隈をクルマで探していたのだが、そのうちに子供が寝てしまい、中途半端に起こすと機嫌が悪くなるので、だったら、久しぶりに下北沢に行ってみようということになった。

下北沢に着いてクルマを駐車場に入れ、僕が知っている蕎麦屋に向かうと、なんと別の店になっていた。そんなわけで、そもそも洋食が飽きたので蕎麦を食べたいと思ったのだが、その日のランチは結局、パスタとなった。

下北沢には、富ヶ谷の交差点から井の頭通りに入り、大山の交差点を左折して向かった。

下北沢駅のすぐ横の踏切に着いた時、駅の北口からその踏切のあたりまで続いていた、戦後の闇市の名残の商店街が取り壊されていることに気がついた。学生時代に下北沢に住んでいた僕は、とても寂しい気持ちになった。

いつだったか、下北沢北口商店街の再開発に反対する住民のデモ行進の話しを新聞で読んだことがあったが、その話しを妻にすると、「反対して計画が中止になることってあるの?」という質問が返ってきた。要するに、そんなことをしても無駄でしょう?という意味だ。僕は「中には(計画が中止になることも)あると思うよ」と答えた。

たしかに、行政の開発計画に反対して訴訟を起こし勝訴すれば、それは可能である。でも、それは、容易なことではない。そういう意味では現実的ではないとも言える。

僕の妻は、僕と異なり、極めて「現実的」な人であり、無駄な努力はしないし、無駄な感情(憤り)も持たない人である。

話しは変わるが、昨日で上場企業の株主総会がほぼ終了したようである。新聞によると、ファンドによる株主提案はすべて否決されたという。

そもそも投資というものは、その対象の将来に何らかの価値を見出し、リスクを取って、その将来価値に賭けることだし、銀行というものは、起業家なり経営者が事業を興すことを支援し、それに必要な資金を提供することが仕事である。

にも関らず、自分の利益だけを考えての行動が多いような印象を受ける。

もちろん、慈善事業ではなく「営利活動」として事業を行っているわけであり、利益を考えない企業行動はあり得ない。僕も含めて。

でも、この社会の参加者全員が「社会的価値の創造」を考えず、とにかく「お金を増やす」ことだけを考えるようになったら、そもそも社会は機能しないだろう。

より良い社会を築くために必要なことは、「経済合理性」だけだろうか?

久しぶりの「下北沢」で、ゴアの「不都合な真実」を思い出した。

追伸:明日から「7月」だ。今年はどんな「7月(夏)」になるだろう?

「パリ・ダカール」ラリー総合優勝の「篠塚健次郎」さん

今日のエントリーは、久しぶりにかなり長くなりそうなので、忙しい方は週末にでも読んでいただければと思う。

さて、今週の水曜日、クルマ好きな人なら誰も知っているであろう「篠塚健次郎」さんとお会いする機会があった。

日本人で初めて「パリ・ダカール」ラリーで総合優勝(世界一)をされた、ラリードライバーとしては世界的に有名な篠塚さんのお話しを、たった15~16人で2時間も伺うことができた。

篠塚さんは、とても「澄んだ瞳」をされており、58才という年齢を感じさせない瑞々しさを持った方だった。

篠塚さんの話は約90分ぐらいだったが、非常におもしろく、そして、示唆に富んでいた。

「爽やかな感動」と形容したらいいだろうか?久しぶりにワクワクしたというか、少年に戻ったような気持ちになった。

その時のことを僕のブログを読んでいただている方にもシェアしたいと思い、篠塚さんの話しから僕が学んだこと、印象的だったことを紹介したいと思う。

まず、僕が彼の話しから学んだこと、印象に残ったことを整理してみたい。

★チームの全員が「目標」と「役割」を理解していなければ、絶対に上手くいかない。

★人生で大切なことは「出会い」と「変化の時期」の過ごし方。特に、「変化」の時の「出会い」は、その後の人生を大きく変えることになる。

★自分が調子がいい時は行き過ぎる。一番危ない。自分を客観視してくれる配偶者が必要だ。

★人生は何が幸いするかは分からない。

まず、最初の「目標」と「役割」について。

ラリーはフランスが本場だが、フランス人は常に「何をするのか?」ということを尋ねるという。「パリ・ダカ」に出場するというと、そこで「何をするんだ?」と訊かれるらしい。

「優勝」を狙うのか? 「表彰台(3位以内)」を狙うのか? 「10位以内」を狙うのか? 「完走(それすら難しい)」を狙うのか?

優勝できるチームは必ず、全員が「目標(自分たちは優勝を狙っている)」ことを理解・共有しており、そのための「自分の役割」を自覚しているという。

こんな話しをしてくれた。

砂漠や山の中といった悪路をフルスロットルで走るので、途中でパーツを換えたり、故障したところを修理したりする必要がある。

例えば、ギアボックスを換える時、オイルの温度は「160度」ぐらいになっているらしく、間違ってオイルが手に触れてしまえば火傷するのは必至である。でも、ちょっと(数分)待てば、100度ぐらいに下がる。15~20分待てば、もっと下がるだろう。

「優勝」を争っているチームであれば、1分はもちろん、1秒も無駄にしたくない。でも、「10位」以内が目標ならば、2~3分は待てるかもしれないし、「完走」が目標なら、もっと待てることになる。

そのこと(自分たちの目標)をチーム全員が共有していれば、言葉が通じなくても、判断はぶれない。事実、優勝を目指すラリーチームには100人?ぐらいのメンバーがいるらしいが、様々な国籍の人間がいて、満足に言葉は通じないらしい。でも、チームは「機能する」という。

次の「出会い」と「変化」について。

篠塚さんがラリーを始めたきっかけは、大学時代の友人がラリーに出場するということで、そのナビゲーターをやって欲しいと誘われたことだったという。でも、その時は、ラリーという言葉さえ知らなかったらしい。

しかし、その方と一緒にラリーに出て、ナビゲーターとして「4輪ドリフト」でコーナーを回っていく迫力を経験して、一発でラリーの魅力に取りつかれたと言っていた。

篠塚さんに言わせると、「ラリーが向こうからやってきた」そうだ。最初に走ったのがサーキットだったら、F1ドライバーを目指していたかもしれないと言っていた。

彼は学生時代からラリードライバーとして頭角を現し、ファクトリーチーム(自動車メーカーのチーム)の間でも知られる存在になっていったが、プロのラリードライバーにはならず、三菱自動車の「サラリーマン・ドライバー」になった。

その当時、プロのラリードライバーのギャラは安く、諸先輩たちに「サラリーマン・ドライバー」になった方がよいと勧められそうだ。

三菱自動車に就職し、平日はフツーのサラリーマンの仕事をしながら、週末はラリーの試合に参戦するという生活を続けていき、海外の試合にも出るようになっていたが、1973年のオイルショックをきっかけとして、三菱自動車のみならず、すべての自動車メーカーがラリーから撤退することになる。

篠塚さんが「27~35才」までの「8年間」、つまり、ラリードライバーとして最も脂の乗り切っている時期を、彼は文字通り、フツーのサラリーマンとして過ごしたという。相当なショックだったと思う。

僕は篠塚さんの講演が終った後、すぐに質問をした。

「その時はどんな心境だったのか?どうやって腐らずに、モチベーションを保っていたのか?」

篠塚さんの答えは、「自動車メーカーにとってモータースポーツは絶対に必要なことであり、必ず、また、ラリーに参戦する時が来ると信じていた」というものだった。

でも、会社帰りに一杯飲んで帰るという生活をしていたせいで、63kgだった体重は73kgに増えたと言っていた(笑)。

その時の選択肢として、三菱自動車を辞めて、プライベートチームでラリーに出場することもあったかもしれないが、それでは「勝てない」ということは分かっており、「勝機」が来るのをじっと待っていたという。辛抱強い人だ。

その次の「自分が調子がいい時は行き過ぎる。一番危ない」ということについて。

篠塚さんは、1986年にパリ・ダカールラリー(パリダカ)に初出場し、その翌年、日本人で初めて「表彰台(3位)」に立った。成田に帰ってくると、大勢の報道陣が待ち構えていて、物凄いフラッシュを浴びたという。

それまでは、日本では「パリダカ」という存在はそれほど知られていなかったが、たまたま、NHKが日本ではまだ知られていない海外の文化やスポーツ等を取り上げていた時期だったらしく、篠塚さんが「パリダカ」で「3位」になったことを他のメディアも含めて大きく取り上げたらしい。

そして、1997年の「パリダカ」で、彼は日本人として初めて「優勝」する。物凄い快挙である。その時、篠塚さんは、48才。ドライバーとしては、とっくの昔にピークを過ぎている。

僕は彼に質問をした。「いろいろな要因があると思いますが、何か大きかったんだと思いますか?」

彼は、暫く考えた後、「しつこくやってきたからでしょうね。潔い方がかっこいいかもしれないけど・・・しつこさが大切だと思います」と話してくれた。

さて、「調子がいい時は危ない」という話だが、それは彼が三菱自動車を退職し、カルロス・ゴーン体制の日産自動車のドライバーとして「パリダカ」を走っていた時のことを引き合いに出して話してくれた。

彼は当時、51才(or 52才)だったが、三菱自動車としては、そろそろ「潮時」だろうということで、ラリーからの「引退」を要求してきたそうで、彼は何の充ても無かったが、仕方なく、三菱自動車を退職した。その彼に、声をかけたのが日産自動車で、彼は日産自動車の契約ドライバーとして「パリダカ」を走っていた。

その時の1位と2位は「三菱自動車」のクルマ(ドライバー)で、彼は「3位」につけていたらしい。日産自動車として初参戦の「パリダカ」で、いきなり「3位」は上出来である。

実は、最初の3年間で「3位」入賞、4年目で「優勝」というのがゴーンさんの「計画」だったらしいが、ゴーンさんはとても厳しい人で、絶対に計画を達成する必要がある。逆に言えば、計画を達成できなければ、ラリーから撤退するのは目に見えている、ということだったらしい。

篠塚さんは、そのことが分かっていたので、何とか「3位」をキープしたかったそうだ。初年度で「3位」入賞すれば、その後、3年間は無条件で大好きなラリー、それも「パリダカ」に出場することが約束されるのである。

それで、ついつい「無理」をしたという。あるところで「大クラッシュ」をして、ヘリコプターで運ばれるという大事故を起こした。

そのことをマスコミが大きく報道したことに配慮し、日産自動車は、その翌年、「パリダカ」から撤退してしまう。

その話しをしながら、篠塚さんは「配偶者」の大切さを話していた。特に、プロのドライバーは常にハイになっているので、それをいつも横で見ている配偶者の存在はとても大きい(必要な存在)と言っていた。

もうひとつの、「人生は何が幸いするかは分からない」について。

「パリダカ」参戦2年目の時に、あるラリーで、篠塚さんが「パリダカ」で乗るはずだった車がクラッシュしてしまい、仕方なく、フランスにあった車で出場したところ、その車がとても良く出来ていて、結果的には「3位」入賞に繋がったという話しだった。

さて、話しはだいぶ長くなってしまったが、篠塚さんとの「出会い」は、僕の人生に何らかの「変化」や「影響」をもたらすかもしれない。

早速、彼の本を読んでいるが、リクルートの江副さんの本と同じような「興奮」を覚えている。

何が共通しているのか?を考えてみたが、「夢を持っている」とか、常に何かに「挑戦する」とか、ふたりの「生き方」そのものが「イノベイティブ」であり「チャレンジング」であることが、共通しているような気がする。

僕自身、そういう「生き方」をしたいと思っているし、ドリームビジョンはそういう生き方を志向する人たちが集まる会社にしていきたい。

因みに、ドリームビジョンでインターンをしている学生のひとりは、フォーミュラカー(レース)のあるカテゴリーで、ドライバーとして「全日本チャンピオン」になったことのある奴で、本気で「F1レーサー」を目指している。

彼に、「篠塚さんに会って、サインも貰ったよ!!」と言って、彼の本を見せたら、目を輝かせていた。

彼にも是非、「夢」を実現して欲しい。

追伸:今日はこの後、インターネットリサーチを一緒に盛り上げてきてくれた吉澤さんが創業したマーケティングジャンクションの10周年記念パーティに参加させていただくことになっている。「夢」を持ち続けている人は、いくつになっても若々しい。僕もそうありたい。

南米エクアドルの「田辺農園」。

以前のエントリーで紹介した「エクアドル 田辺農園」のバナナが、また、我が家に登場した。

「どこで買ったの?」と妻に聞いたところ、恵比寿の駅ビル(アトレ)に入っている「成城石井(スーパー)」で買ったとのこと。

一房、300円ぐらいするらしく、普通のバナナよりもかなり高い。でも、確かにおいしい。甘さが濃密である。

時代の変化の中でコモディティとなったバナナの製造販売における、小さな、でも、心に響く「マーケティング・イノベーション」である。

「再現性」。

今月の恒例のメンバーでのゴルフは、蛭田さんの記念すべき誕生月ということもあり、その後、4人でのメールのやり取りがあった。その中で、蛭田さんのメールに、とても意味深い言葉が書いてあった。

「再現性」がないと辛いですよね・・・。

ゴルフはもちろん、仕事においては尚更である。

アウトプットの「再現性」を担保するには、業務の標準化やシステム化が欠かせない。

更に言えば、標準化やシステム化が出来る領域の仕事にフォーカスするということも必要だ。

マクロミルが増収増益を続けている最大の要因であり、ドリームビジョンで今、力を注いでいるテーマである。

かつての競合から学ぶことは多い。

物語には「続き」がある。

昨夜は、あるI.T.関連のベンチャー企業で働いている方と久しぶりに会った。

どんな文脈だったかは覚えていないが、彼と話しをしている時に「物語には続きがある」という言葉を口にした。

僕が言わんとしたことは、最近の「坊主頭のりょうへいさん」のコメントのように、自分の身の回りに起きる出来をすべて受け入れて、それらに感謝をすることが大切だし、僕自身、そういう生き方をしたいと思っているということだ。

田坂広志さんが言うところの、「空白を埋める」ため(ハングリー精神)ではなく、「感謝」の気持ちから生まれるモチベーションと言ってもいい。

卑近な例で言えば、あのミスショットがなければ、ひょっとして30台が出たかも・・・と悔やむよりも、気の置けないメンバーと楽しくゴルフができて、尚且つ、あのミスを防げれば「次は、30台を狙えるかも・・・」とポジティブに考えた方が自分が幸せだという意味だ。

その話しにも関連することで、あることを思い出した。

僕なりに熟慮に熟慮を重ねた結果、インタースコープの代表取締役を退任するということを決断し、そのことを当時の筆頭株主であるデジタルガレージの全体会議で発表した時のことである。

僕が自分の進退をゴルフに例えて話したことを受けて、「でも、まだまだ残りのホールはありますよね?(ゴルフは続けますよね?)」という、とても温かいメールを下さったゴルフの上手な役員の方がいた。

ヴィクトール E. フランクル流に言えば、そもそも出来事そのものに固有の意味はなく、そこにどんな意味を見出すかは、その人次第である。

物語の「続き」を楽しめる、「心の余裕」を持ちたいと思う。

「静」かな心。

先週の土曜日は、恒例のメンバーでのゴルフに行った。

今月末に記念すべき「50才」の誕生日を迎えられる蛭田さん、今回のコースの運営企業でもある森ビルで事業開発の仕事をされている川端さん、そして、元アップル日本代表の前刀さんというメンバーだ。僕以外は皆さん同じような年齢で、僕だけが特別枠?で参加させてもらっている。

このメンバーでの今年のゴルフは、年初に話しをして、各人の誕生月に行くことにしているが、行き帰りの車中ではゴルフ以外の話題でも盛り上がり、毎回、楽しい時間を過ごすことができている。今月は蛭田さんの記念すべき誕生月ということで、彼へのプレゼントも用意しての開催?だった。

さて、肝心のスコアであるが、後半のハーフで「自己ベスト」を更新した。

今までのベストは「43」だったが、「42」を出すことができた。

9ホール中、6ホールで「パー」をセーブすることができ、今までの僕のゴルフで最も納得がいくと言ってもいい内容だった。

でも、前半のハーフは「50」を叩き、自分の課題もより一層、明確になった。

僕の「課題」は「メンタル(精神)」面である。

今回のコースは、今週木曜日(6/28)から「UBS日本ゴルフツアー選手権」が開催される「宍戸ヒルズ」の「西コース」で、とても難しいコースである。

加えて、トーナメント仕様にするために「ラフ(の芝)」を伸ばしており、ラフに打ち込むとボールを捜すのさえ一苦労というコンディションで、更に難易度が増していた。

そんなコースでハーフの「自己ベスト」を更新できたことは嬉しかったが、自分自身の「精神的な未熟さ」を再認識されられた日でもあった。

ここ数週間は、仕事の面でも、私生活の面でも、色々と変化があり、精神的に不安定になっていたり、ストレスがあったりしていたが、それが最初のハーフにも表れたということだ。

また、先々週にレッスンで修正された「テイクバック」と「右腰の使い方」を自分のものにできておらず、フェイスが開き気味になっていたという「技術的」な問題もあった。最初は、そのことに気づかず、「こんなはずじゃない」と「結果を焦る」気持ちがあったが、途中から、そのことに気づき、少しずつ修正できていた。

一方、これだけ調子が悪くても(そういう思いにかられても)何とか「50」で収めることができたことは、技術的に進歩している証拠でもあり、それが、後半から「気持ち」を切り替えられた要因でもあったと思う。

「心技体」と言うが、まさしく、その「3つ」が噛み合って、初めて「結果」が出るのだろう。

余談だが、「体力」があってこそ「技」を磨け、「技」があるから「静かな心」を保てるということを考えると、順番は「体技心」のような気がする。

「7月」からの「下半期」を、「静かな心」で迎えたいと思う。

追伸:前刀さんに「お前は、このコース(宍戸ヒルズ)とは相性がいいと思うよ。前回の東コースでも89を出せたしさ・・・」と言われたとおり、ゴルフに限らず、何事も「相性」も大切である。

著者「適格」。

今週も慌しく時間が過ぎていった。

あることを題材として出版を考えており、英治出版の原田さんと久しぶりにお会いした。彼は、アクセンチュアを辞めて、7年前に出版ビジネスに飛び込んだ人である。

僕らが考えていた(持っている)題材と時代環境を考えて、そのテーマでの出版は見送ることにしたが、とても参考になる話を聞くことができた。

そのひとつが、今日のエントリーのタイトルである「著者適格」という考え方である。

原田さんから、「平石さんが書くのであれば、○○や◎◎ですよね(が適してますよね)」というコメントを頂いた。

要するに、僕が何かのテーマで本を書く場合、それが「説得力」のあるテーマであることが大切ということである。

数ヶ月前に、Oakキャピタルという投資会社の緒方さんという方と話しをした際に、「そのことを、マーケットが平石さんに期待しているか?が大切ですよね」と言われたが、それと同じことだ。

要するに、僕が投資事業を行うのであれば、どの「領域」を手掛けるのが「説得力」があるか?ということである。

この話しは、転職者というか、キャリアデザインにも当てはまると思う。

その方のバックグラウンド(経験)やスキル、適性といったものを考えた時、どういう仕事であれば「転職市場」から評価されるか?(期待されているか?)ということが大切である。

自分を「客観視」できている人は、転職も上手く行く。

「坊主頭のりょうへいさん」の最近のコメントにある「自分を知る」ということと、その「自分を活かす」ことが大切だということだろう。

さて、僕は、自分自身を「客観視」できているだろうか?