NILS2007 Spring にて、「地球」という「生命」を考える。

先週の木金土(5/24,25,26)とNILSで札幌に行ってきた。札幌は約2年半ぶりだった。

実は、出張前日の夕方、首に違和感を覚えたのだが、時間と共に痛みが増してきて、とても出張どころではなくなってしまった。その日の夜、いつもお世話になっているセラピアの鈴木さんに看てもらい、一旦はだいぶ良くなったのだが、翌朝、起きてみると、また、ひどくなっていた。

また、出張前日の夜、24時過ぎに帰宅すると、子供が39度の熱を出しており、ますます、出張どころではなくなってしまった。木曜日は、妻が大学院でのカウンセリングを行っており、どうしても休めないからだ。

仕方なく、朝のフライトはキャンセルし、こういうことが起きるたびに看てもらっているスポーツトレーナーに電話をし、無理やり、時間を取ってもらった。その方は、プロスポーツ選手のトレーナー等もしている方で河西さんという。

河西さんが言うには、何かの拍子に首の骨(何番目の骨とかと言っていた)がずれてしまい、それを身体が自然にかばっているうちに他のところにも無理がきたのだろうということだった。

では、そもそも、その原因は何かと聞くと、僕の「姿勢の悪さ」からくるものだそうだ。セラピアの鈴木さんも全く同じことを言っている。また、「昨晩の先生(鈴木さん)は、だいぶ頑張ったみたいだね(これでも、だいぶよくなっている)」とのことで、鈴木さんが素晴らしい技術を持っていることを改めて理解した。

話しは前後するが、子供の熱はだいぶ下がってきたので、妻が近所の掛かりつけのお医者さんのところに連れて行き、その日の午後から保育園に預けた。

そんなことがあり、09:30羽田発のフライトで行くはずが、16:00羽田発のANAで札幌へ向かった。札幌(千歳空港)についてみると、とても肌寒く感じられた。東京よりも10度近く気温が低いので当然である。

さて、NILSのカンファレンスは、二日目しか参加できなかったが、とても有意義だった。今までの中で最も得るものがあった。手前味噌であるが、自分の「吸収力」が上がったことも大きいような気もする。何事も「受け皿」の問題でもある。

ところで、土曜日は、NILS参加者のゴルフコンペがあったが、とても印象的な出来事に遭遇した。

あるホールのティーグラウンドに着くと、なんと「キツネ」がとことこと近づいてきて、僕らの方を向いて「お座り」をした。とても痩せこけていて、病気ではないかと思った。キャディさんにそういうと、食べ物がなくて「餓死寸前」だという。要するに、もともと自分たちが住んでいた「森」が「ゴルフ場」になってしまったため、食べ物がなくなってしまったのだろう。とても申し訳ない気がした。

東京に帰って、妻にその話し(食べ物を持っていたらキツネにあげたかった。どうして、ゴルフ場で食べ物をあげないんだろう?)をすると、「そもそも、人間のエゴで山野を伐採してゴルフ場を造っておきながら、それって、身勝手な話しじゃない?生態系が変わってしまうでしょう・・・」という言葉が返ってきた。

ご尤もな話しである。と同時に、インフォプラントの大谷さんから聞いた「パタゴニア創業者」の話を思い出した。

起業だの上場だのM&Aだのと言っていても、それらのすべては「地球という環境」あってのことであり、我々は「地球に対して最も感謝をしなければならない」と言っているそうである。

ところで、ゴルフでは、あわやホールインワンか?というニアピン賞を取った。グリーンに行ってみると、僕が打ったボールは、カップからボールひとつぐらいのところに止まっていた。同じ組だったグロービスの小林さんに写真を撮ってもらったので、彼からその写真を送ってもらったら、僕のブログで紹介したいと思う。でも、スコアは「99」という平凡な結果だった。詳細は省略するが、やはり、ゴルフは「メンタルな要素」が大きいと改めて思った。

そのゴルフでもうひとつ、紹介したいことがある。

NILS最初のカンファレンス(2004年11月)でのゴルフコンペの時、一緒に回ったCNETの大日さんが、「長い距離はコントロールできない(限界がある)じゃないですか。それ(長いクラブ)よりも、フルショットできる距離で短いクラブを細かく揃えた方が、スコアはまとまると思いますよ。僕はピッチングより短いクラブを3本用意しています」と言っていた。その大日さんは、今回も「75(36+39)」で文句無く優勝である。

先のことを心配することも大切だが、まずは、足元のことに集中することが必要ということだろう。

でも、それは先のことは大切ではないということではなく、グランド・デザインには「誤差」があっても構わない(問題にはならない)が、短期的なことは「コントロールできる範囲が広い」わけで、自分が可能な限り、「緻密」であるべきだ(誤差が大きなダメージになり兼ねない)ということと理解している。

ところで、実は、出張前夜の「首」と「子供の発熱」のことで、「人生はマーフィーの法則?」というブログを書いたのだが、それは感情の発露に過ぎないと反省し、その後、暫くして削除した(某サイトには、自動的にRSSを読み込んだものが掲載されているけど・・・(苦笑))。

にも関わらず、「坊主頭のりょうへいさん」は早速、いつものようにコメントをくれた。

「常に自分への確認作業をするのだと。いかなる状況でも、自分への質問をして、答えを見つけていくのだと。どんな状況でも、自分の軸をしっかりもち、信念を貫いていきます。今日もありがとうございます」。

いつもながら、深い言葉である。まだまだ修行が足りない。