日経ビジネス・オンライン「1周年記念セミナー」

昨日は、ホテルオークラで開催された日経ビジネス・オンライン(NB Onilne)の1周年記念セミナーに参加した。

僕がこのセミナーに参加した主な理由は、ソフトブレーン創業者の宋文洲さんの基調講演を聴くことだった。

また、参加者の興味によって3つのテーマから1つを選べるセッションがあり、「ボーダレス」というテーマのセッションに興味があったからだ。その内容は、「新興国市場の魅力と魔力」「アジアへの投資を考える」「ファンド資本主義時代を生き抜く」「世界における日本市場のポジションとその構造的要因」というものだった。いずれも、とても興味深く、勉強になる内容だった。

もうひとつ、結果的に印象に残ったセッションがあった。それは、「経営力で社会を変える」というワタミの渡邉美樹さんの講演だった。ワタミの渡邉美樹さんは、素晴らしい創業経営者のひとりとして以前より興味を持っていた方であるが、実は会場でプログラムを見るまで彼が講演することは知らなかった。

生き方、哲学、物事の考え方という意味では、宋さんと渡邉さんの話を聴くことができ、また、専門的でテクニカルな視点から、新興国の経済、株式市場、ファンドという存在の本質、日本市場の構造等を理解(ほんの入り口)することができ、とても有意義な一日だった。

その中で、僕が印象に残ったことを思いつくままに紹介してみたいと思う。

まず、宋さんの話から紹介すると、彼の話のテーマは「常識から逃げてみませんか?」であったが、常識を否定するということは、「結果として」、誰かの価値観を否定することになる、しかし、それはその人の全人格を否定することではない、ということが印象に残った。

それ以外では、「逃げることは悪いことではない。頑張りすぎることが時として不幸を招く」であるとか、「マスコミに過度な期待をするべきではない」「日本の文化や価値観は奥深いもので、もっと物事を柔軟に考えるべき」というメッセージが記憶に残っている。

渡邉美樹さんは、彼がワタミの経営以外の活動として取り組んでいる「貧困に苦しむカンボジアの子供たちを支援する活動(NPO)」と「日本の教育制度を変える」ことを目的として取り組んでいる学校経営のことを中心に話しをされていた。

彼は、カンボジアの子供たちの支援を始めてみて、その惨状に愕然として、一時は「絶望」したらしい。しかし、彼は「自分は『焼け石に水』になる。砂に水を撒く。一瞬だって砂が濡れたら、それでいいじゃん」として、学校建設の次は、孤児院の建設(運営)に取り組み、「終らない一歩」を歩んでいる。渡邉さんの話しを聴いていて、ETICが主催する社会起業家コンテスト「STYLE」の受賞者である「NPO法人かものはしプロジェクト」の代表の「村田早耶香さん」を思い出した。

もうひとつ、渡邉さんの話(彼の顔とその表情)を聴いていて感じたことは、経営者としての「強かさ(したたかさ)」だ。どんな素晴らしい想いも、それを実行に移す、そして、具現化するには「強い精神」や「強かさ(したたかさ)」が無ければ実現できないということだ。僕には、まだまだ、それが足りないと思った。

また、彼は人から「色々なことをやっていますね」と言われるが、自分がやっているのは「経営」だけだと言っていた。「経営がない」ところには、ビジネスチャンスがあると。数年前から参入した「学校経営」も、規制と助成金(税金)に庇護されて「経営不在」であるが故に、ビジネスチャンス(参入余地)があったということだ。しかし、今の日本の法制度下(学校法人)で、東京で尚且つそれなりの規模の学校を創るには、100~150億円の資金が必要とされるとのことだ。渡邉さんは、入念に計画を立てて、自分の「夢」を実現したという。

最後にもうひとつだけ、テクニカルなセッションでの話しを紹介すると、日本の株式というのは、世界の主要な投資対象の中で「最もリスクに対するリターンが低い」ということを、その構造と共に、スタンダード&プアーズの方が話されていたことが印象に残った。以前のブログにも書いた「異常なまでの低金利」が引き起こしている諸問題等も含めて、「構造的な問題」の大きさを改めて認識させられた。

それ以外では、リップルウッドでの勤務経験を持つ方が、買収ファンドとヘッジファンドの違いを、その「収益構造」とそこで働く人の「評価基準」から説明し、彼らがどんなインセンティブ(モチベーション)のもとに働いているかを理解することが(彼らと付き合う上で)大切であると言っていたことが勉強になった。

上記以外にも勉強になったことはたくさんあるが、続きは、また、何かの機会に紹介したいと思う。

「義援金」と「政治献金」。

ETIC主催の社会起業家コンテスト「STYLE 4th」で優秀賞を受賞した岩本さんという女性がいる。授賞式では光栄にも、僕が賞品を渡す役を務めさせて頂いた。

実は、岩本さんが「どんかふぇ」というお好み焼き屋を出店していた横浜の「浜マーケット」という商店街で大きな火災があり、岩本さんの「どんかふぇ」も全焼してしまった。それにもメゲズ、復興に向けて元気で頑張っている。

火事のことは岩本さんが発行しているメールニュースで知ったが、そこに「義援金」の窓口が書いてあったので、気持ちばかりのお金を送ることにした。

岩本さんが取り組んでいる事業は、親との関係が上手く行かなくなってしまった子供達や引きこもりの子供達等の「自立(自律)」を支援することで、自分が借りている家(寮のようなもの)に一緒に寝泊まりして、就業機会を提供するという意味で「どんかふぇ」で働いてもらっているというものだ。因みに、岩本さんが経営するお好み焼き屋(どんかふぇ)は、年商1億円である!!! 行政の助成金に頼ることなく、ビジネスとして売上と利益をあげながら、自分に出来ることをコツコツと実践している。その「強さ」には感銘すら覚える。

ところで、岩本さんに「義援金」を送ったのと同じ日に、古くからの知り合いである民主党の議員の「後援会」の入会金を支払った。名目は異なるが、いわゆる「政治献金」である。僕にとっては初めての経験だ。

彼の後援会に入会して彼の活動を支援しようということは暫く前に決めていて申込書も送っていたが、いざお金を振り込もうとした時に、一瞬、僕の脳裏を過るものがあった。

それは、岩本さんへの「義援金」と民主党の議員への「後援会の年会費(支援金)」は、いったい、どちらの方が「価値」があるのだろうか?というものだ。

知り合いの議員は能力および人格共に素晴らしい人で、そのことは何も心配していないが、はたして、今の日本の政治システムの中で、たいした金額ではないと言うものの、僕のお金は本当に「有効に機能するのだろうか?」 そう思ったのである。

岩本さんへの義援金は、それがどう使われて、どう人々の役に立つかが極めてクリアにイメージできる。なので、僕のお金は「生きたお金」になることは100%間違いない。しかし、後援会費という名目で今日の日本の政治を支援するお金は、本当に「有効に機能するのだろうか?」 そんな疑問にかられた。

「直接効果」と「間接効果」の違いかもしれないが、であれば尚のこと、「間接的にしか民意を汲み上げられない今の政治システム」には、多くのことを期待せざるを得ない。

そのことを阿部首相は理解されているだろうか?

NILS2007 Spring にて、「地球」という「生命」を考える。

先週の木金土(5/24,25,26)とNILSで札幌に行ってきた。札幌は約2年半ぶりだった。

実は、出張前日の夕方、首に違和感を覚えたのだが、時間と共に痛みが増してきて、とても出張どころではなくなってしまった。その日の夜、いつもお世話になっているセラピアの鈴木さんに看てもらい、一旦はだいぶ良くなったのだが、翌朝、起きてみると、また、ひどくなっていた。

また、出張前日の夜、24時過ぎに帰宅すると、子供が39度の熱を出しており、ますます、出張どころではなくなってしまった。木曜日は、妻が大学院でのカウンセリングを行っており、どうしても休めないからだ。

仕方なく、朝のフライトはキャンセルし、こういうことが起きるたびに看てもらっているスポーツトレーナーに電話をし、無理やり、時間を取ってもらった。その方は、プロスポーツ選手のトレーナー等もしている方で河西さんという。

河西さんが言うには、何かの拍子に首の骨(何番目の骨とかと言っていた)がずれてしまい、それを身体が自然にかばっているうちに他のところにも無理がきたのだろうということだった。

では、そもそも、その原因は何かと聞くと、僕の「姿勢の悪さ」からくるものだそうだ。セラピアの鈴木さんも全く同じことを言っている。また、「昨晩の先生(鈴木さん)は、だいぶ頑張ったみたいだね(これでも、だいぶよくなっている)」とのことで、鈴木さんが素晴らしい技術を持っていることを改めて理解した。

話しは前後するが、子供の熱はだいぶ下がってきたので、妻が近所の掛かりつけのお医者さんのところに連れて行き、その日の午後から保育園に預けた。

そんなことがあり、09:30羽田発のフライトで行くはずが、16:00羽田発のANAで札幌へ向かった。札幌(千歳空港)についてみると、とても肌寒く感じられた。東京よりも10度近く気温が低いので当然である。

さて、NILSのカンファレンスは、二日目しか参加できなかったが、とても有意義だった。今までの中で最も得るものがあった。手前味噌であるが、自分の「吸収力」が上がったことも大きいような気もする。何事も「受け皿」の問題でもある。

ところで、土曜日は、NILS参加者のゴルフコンペがあったが、とても印象的な出来事に遭遇した。

あるホールのティーグラウンドに着くと、なんと「キツネ」がとことこと近づいてきて、僕らの方を向いて「お座り」をした。とても痩せこけていて、病気ではないかと思った。キャディさんにそういうと、食べ物がなくて「餓死寸前」だという。要するに、もともと自分たちが住んでいた「森」が「ゴルフ場」になってしまったため、食べ物がなくなってしまったのだろう。とても申し訳ない気がした。

東京に帰って、妻にその話し(食べ物を持っていたらキツネにあげたかった。どうして、ゴルフ場で食べ物をあげないんだろう?)をすると、「そもそも、人間のエゴで山野を伐採してゴルフ場を造っておきながら、それって、身勝手な話しじゃない?生態系が変わってしまうでしょう・・・」という言葉が返ってきた。

ご尤もな話しである。と同時に、インフォプラントの大谷さんから聞いた「パタゴニア創業者」の話を思い出した。

起業だの上場だのM&Aだのと言っていても、それらのすべては「地球という環境」あってのことであり、我々は「地球に対して最も感謝をしなければならない」と言っているそうである。

ところで、ゴルフでは、あわやホールインワンか?というニアピン賞を取った。グリーンに行ってみると、僕が打ったボールは、カップからボールひとつぐらいのところに止まっていた。同じ組だったグロービスの小林さんに写真を撮ってもらったので、彼からその写真を送ってもらったら、僕のブログで紹介したいと思う。でも、スコアは「99」という平凡な結果だった。詳細は省略するが、やはり、ゴルフは「メンタルな要素」が大きいと改めて思った。

そのゴルフでもうひとつ、紹介したいことがある。

NILS最初のカンファレンス(2004年11月)でのゴルフコンペの時、一緒に回ったCNETの大日さんが、「長い距離はコントロールできない(限界がある)じゃないですか。それ(長いクラブ)よりも、フルショットできる距離で短いクラブを細かく揃えた方が、スコアはまとまると思いますよ。僕はピッチングより短いクラブを3本用意しています」と言っていた。その大日さんは、今回も「75(36+39)」で文句無く優勝である。

先のことを心配することも大切だが、まずは、足元のことに集中することが必要ということだろう。

でも、それは先のことは大切ではないということではなく、グランド・デザインには「誤差」があっても構わない(問題にはならない)が、短期的なことは「コントロールできる範囲が広い」わけで、自分が可能な限り、「緻密」であるべきだ(誤差が大きなダメージになり兼ねない)ということと理解している。

ところで、実は、出張前夜の「首」と「子供の発熱」のことで、「人生はマーフィーの法則?」というブログを書いたのだが、それは感情の発露に過ぎないと反省し、その後、暫くして削除した(某サイトには、自動的にRSSを読み込んだものが掲載されているけど・・・(苦笑))。

にも関わらず、「坊主頭のりょうへいさん」は早速、いつものようにコメントをくれた。

「常に自分への確認作業をするのだと。いかなる状況でも、自分への質問をして、答えを見つけていくのだと。どんな状況でも、自分の軸をしっかりもち、信念を貫いていきます。今日もありがとうございます」。

いつもながら、深い言葉である。まだまだ修行が足りない。

あれから20年。

今朝(5/23)の日経新聞の一面に「円の独歩安」に関する記事が掲載されていた。ご覧になられた方も多いと思う。

記事中にドルベースでの日米中そしてEUの「名目GDP」の比較が掲載されていた。GDPの成長はドルベースということでGDPの数字は「為替」の影響を受けるわけだが、物価を加味した実質での円の貿易加重平均は、1985年のプラザ合意前の水準だそうである。

僕は、その翌年の1986年に初めてアメリカ(ニューヨーク)を訪れたが、アメリカ人の友人の「初任給(年俸)」が、当時の為替レートで計算すると「約1,000万円」だったことに驚いたことを覚えている。要するに、円がまだまだ弱かったということである。

日経の記事に話しを戻すと、「円の実力(価値)」が、僕が始めてニューヨークに行った頃の水準以前に戻ったということだ。

では、最近の円安基調の原因は何か? 為替やマクロ経済の専門家でもない僕が言うことではないが、日本の低金利に辟易とした「個人マネー」が日本から脱出していることが大きいのは、僕のブログを読んで下さっている方々もご存知のとおりである。

問題は、その原因である。単純に言えば、「預金金利が低過ぎる」からである。銀行が低金利の恩恵に預かり、預金者が「搾取」されてきた結果である。ヘッジファンドの「円キャリー取引」も、日本の超低金利の産物である。

ところで、銀行と言えば、住友信託銀行が何年かぶりで「法人税」を支払うという。

ここ何年かの間、多くの銀行が不良債権処理のために最終利益がマイナスだったのが、ようやくプラスに転じたということだが、僕には、どうも腑に落ちないものがある。

僕らの血税による「公的資金」を注入し、銀行の構造改革を「支援」してきたわけだが、その結果が「超円安」を招き、国際基軸通貨としての「円」の存在感が薄らいで来ているのは何とも皮肉な話しである。

確かに、円安は「輸出関連」企業の業績を押し上げるが、はたして、このままでいいのだろうか?

記事中にドルベースでの日米中そしてEUの「名目GDP」の比較が掲載されていたと書いたが、過去10年間のGDPが殆ど成長していないのは日本だけである。

今年3月に上海を訪れた時、インフォプラントの大谷さんが「東京は止っているように見える」と言っていたことが、GDPという数字にも顕著に表れているということだ。

ここ数年は一部上場企業の業績が好調で株価も堅調であるが、失われた10年を経て、日本の構造改革が進み産業構造が変化した結果ではなく、BRICsを代表とする「新興国」の成長により「輸出産業」が潤った結果である。要するに「外需」に依存した体質がより助長されたということだ。

GDPは殆ど成長せず、国際通貨としての「円」の陰はどんどん薄くなり、いったいこの国はどうなってしまうのか? 

確かに、経済成長がすべてではないが、これらの現象に日本人として危機感を感じているのは、僕だけではないはずである。

でも、リラックスが大切。

ドリームビジョンを始めて1年が経った。インターンや派遣の人を含めるとメンバーは10人。いつの間にか立派?な会社になった。

ここ1ヶ月は第一四半期のレビューを踏まえて、今期後半の事業計画を協議中(見直し中)である。今月末には外部の株主の方々に送付する予定だ。

以前にも何度か書いたことがあるが、経営は「ゴルフ」と似ている。

「自分の実力(経営能力)」と持っている「クラブ(資金・ノウハウといった経営資源)」とラウンドしている「コース(事業を行っている業界やマーケット)」を冷静に把握して初めて「良いスコア(業績)」を残すことができる。

スタートアップの会社は経験則や経営資源に乏しく、プレーしているのがメンバーにとって新しいコース(マーケット)であれば尚更、試行錯誤の連続である。

材料(経験則と経営資源)が充分でないのに強気な計画を立てると、間違った経営判断をしてしまう。ゴルフで言えば無理にグリーンを狙おうとすると、大概はミスショットする。肩に力が入って自然なスイングが出来なくなるからだ。

ところで、今週木曜日から久しぶりに「北海道」である。NILS(New Industry Leaders Summit)に参加するためだ(5月は毎年、北海道で開催されている)。

経営者としてはまだまだダメダメ君の僕であるが、インタースコープ時代の経験(7年間)があるので、あの頃(インタースコープを創業した頃)と較べれば、かなりマシな仕事が出来ているという実感がある。

その一方、さすがに「3度目」でもあり失敗はできないし、したくない、という想いが強いせいか、子育ての負担も手伝い、精神的にも肉体的にも、ちょっとバテ気味である。

そんな僕にとって、たった3日間であるが、このタイミングでの「久しぶりの北海道」は、東京を離れて「静かな時間」を過ごすよい機会だ。

経営もゴルフも「リラックス(自然体)」が大切である。

「未練がましさ」を「捨てる勇気」。

先週のことだが、ある会社の方が「営業」に来られた。

メールと電話で提案された内容はとても魅力的な話しだったが、今のドリームビジョンでは、その効果を充分に活かしきれないということと金額的に厳しいことから、僕の中では「難しい」思っていた。

そんなこともあり、アポイントを設定した電話で「ご来社頂いてもご意向に沿えないこともありますので、その点は予めご了承下さい」と伝えておいた。

実際にお会いしてみると「なるほど・・・」と思うことが多々あった。それでも現在の当社では先方の提案を受け入れることは難しいと思われ、冷静に考えてみようと思い「検討します」と答えた。

すると、「検討?」という答えが返ってきた。

僕が「検討」の意味を説明すると、「僕は『検討』というのは嫌いなんです。検討されるのであれば、○○万円でお願いします」となり、6月中に契約をすれば定価の半額という話しはご破算になった。

結論は当然のことながら「破談」であるが、その途中、「だったら電話で言って頂ければよかったのに・・・」という言葉が返ってきた。僕が電話で伝えていたにも関らずである。

さて、この商談で僕が学んだことは何か?

30分の無駄な商談は、「自分が招いた」ということである。

自分の中では「難しいだろうな」と思っていたにも関らず、「でも、ひょっとしてより良い条件を出してくれるかもしれないし・・・」などという、不遜な考えがあったということだ。

人間という生き物は自分に都合のよい生き物であり、来社して頂いたその方にとってはそんな話しは耳に入ってなく、「アポに応じた=契約の意向がある」という認識のもとに来社されたわけである。

僕は今回の一件で、自分の「甘さ」や「スケベ心」のもたらす「災い」や「ロス」を再認識することができ、そういう意味で得るものがあったが、その方にとっては、えらい「迷惑」な話しだったに違いない。

「捨てるものを潔く捨てる」ことができるためには、自分の中で「ぶれない軸」が必要である。

ただでさえ「短い人生」を充実したものにするために、「未練がましさ」を「捨てる勇気」を持ちたいと思う。

自分に起こった出来事の原因は、すべて「自分の中」にある。

プロゴルファー中嶋常幸氏の秘密。

日曜日(今日)の午後、インタースコープ創業メンバーの平岡さんが子供を連れて遊びに来るというので、久しぶりに家の中を片付けた。

僕がまだ20代の頃、小学生の子供がいる30代の友人夫婦の家に遊びに行った時に、奥さんが「家の中がスラム化している」と冗談まじり(エクスキューズだったのだろう)に言っていたことがあるが、自分たちが子供を持ってみて、その意味が分かるようになった。

ところで、古い雑誌を片付けていて、THE NIKKEI MAGAZINE 3月号を見つけた。その小冊子には「17 SECRETS」というコーナーがあって、著名な方に対するインタビュー(質問)とその回答が載っている。3月号の著名人は、プロゴルファーの中嶋常幸氏だった。

質問の中に「特技があったら教えて下さい」というものがある。彼の答えは、「ゴルフ」。実直な方なのだろう(笑)。ゴルフ以外には取り柄が無いということを「謙遜」を交えて言っているのだと思う。

もうひとつ、おもしろい回答があった。「自由に使えるお金が1,000万円あったら何に使いますか?」という質問に対して、「小心者なので使えません」と答えている。彼の人となりを物語っているような気がする。

僕は中嶋常幸氏がプロゴルファーとしてピークだった頃は、特に好きでも嫌いでもなかった。僕は「青木功」氏がとても好きだった。それが、ここ数年前ぐらいから中嶋常幸という人の「生き方」に惹かれるようになった。

昨年の秋だったと思うが、彼が久しぶりにレギュラーツアー(彼は50才を超えているのでシニアツアーにも出場できる)で優勝したことにより、マスコミから「中高年の星」と書かれるようになった。

彼はインタビューに、こんなふうに答えていた。

「中嶋常幸が若い人達と必死になって競い合っている姿を見て欲しい」。

プロゴルファーとしてのピークはとっくの昔に過ぎていることは彼自身が一番よく知っていると思うが、その自分が「僅かな可能性(逆に言えば可能性があるのは事実である)」に賭けて「優勝」を狙って頑張っている姿を見せることにより、自分自身がプロゴルファーとしてのキャリア(人生)を楽しむと同時に、同じような年齢の人達(特に男性)に少しでも「勇気と自信」を提供することができれば・・・というような気持ちなのではないかと思う。

自分のために頑張ることが、結果として「他人(社会)」のためになる。そんな生き方が出来たら、最高である。

追伸:僕が好きなプロゴルファーと言えば、倉本昌弘(51才)も健闘している。