見えてくる「木陰」。

僕のブログに毎回必ずコメントを下さる「坊主頭のりょうへいさん」の最近のコメントは、今の僕の「心境」というか「状況」にピッタリのものが多い。シンクロニシティというか不思議なものを感じている。

その中でも、特に印象に残っているコメントで「見えてくる木陰」というタイトルのものがある。

「自分の人生における木陰を見つけて、魂の休息をするのだと。

命を洗濯して、また日向に出て行くのだと。

両方の温度を計れるように経験を重ねていきます。

今日もありがとうございます」。

確かに、常に「日向」にいたら暑さで死んでしまうし、人生には日の当たる時期もあるし、日の当たらない「準備の時期」もある。

僕自身のことで言えば、インタースコープを立ち上げた頃は、長年やってきた「リサーチ&コンサルティング」の領域にインターネットというドライバーを注入することにより、社会的なインパクトを創出することが出来たわけで、それまでの苦労が実ったという意味で「日向」の時期だったと思う。

では、今はどうかというと、次の「勝負」に向けての「準備」をしている時期であり、日陰というわけではないかもしれないが、日向ではないと思っている。

「自分の人生における木陰を見つけて、魂の休息をするのだと」。

この言葉には、説得力といか、何とも言えないものを感じた。

「命を洗濯して、また日向に出て行くのだと」。

好きなゴルフも「2年半」の努力を経て、ようやく「結果」が出てきた。成長は線形ではなく、蓄積されたものが、ある日、何かの「きっかけ」により、一気に開花するものである。

その日を信じて一日一日を大切にしていこうと思う。

追伸:りょうへいさん 「ありがとう」を言わなければいけないのは僕の方です。毎日ありがとうございます。