「遺伝子」を受け継ぐ。「44歳」の誕生日に想うこと。

昨夜は住友商事の知り合いと六本木で食事をした。ほぼ3年ぶりだった。彼女も新しいチャレンジをしている真っ只中のようで、とても楽しいひと時だった。

会社の最寄り駅である明治神宮前から地下鉄に乗り、2駅目の乃木坂で降りて約束しているお店に向かう途中、本日(僕の誕生日!!)オープンの「東京ミッドタウン」の前を通った。「上海」の開発とは違い、「成熟」した雰囲気を感じさせていた。今頃はきっと、物凄い人だろう。

ところで、僕の人生は何故か3月に大きな変化が起こる。というより、自分で起こしている。

先程、GREEから送られてきた誕生日メッセージの返事にそんなことを書いたら、山川さんから「明日のゴルフで『ハーフ30台』が出るかもしれませんよ!?」というメールが届いた。

まあ、それはないだろう。でも、3月はまだ終っていないのだ(笑)。

ところで、ALBERTの上村から、同社の代表者ブログにて僕の誕生日を祝うエントリーを書いたとのコメントがあった。早速、覗いてみると相変わらず「心憎い」ことが書いてあった。

確かに僕の「コアコンピタンス」は「メッセージ伝達力」であり「表現力」だと思う。

経営者として必要なオペレーショナルスキルや組織運営力は決して高くはない。というよりも極めて低い。但し、幸いなことに、まだ組織の小さいドリームビジョンでは、今まで磨いて来なかったそれらのスキルを身に着ける時間を与えられている。とても幸せなことだ。

昨日はインタースコープの佐藤俊雄さんから僕のブログにコメントを頂いた。

そこには、ユングの心理学をベースにしているという類型論が紹介されていた。

俊雄さんのコメントには、「平石さんは、ENFPではないですか?」と書かれていたが、実際にやってみると「ENTJ」だった。

そのことを伝えると、「情緒・柔軟から、思考・規範に変わったんですね。それはすごい変化ですね。ちなみに、ENFPの解説の『熱意を持って人生を前向きに生きているので、胸がわくわくするようなアイデアや大儀を掲げると、支援してくれる人が難なく集まってくる』というのは、ドンピシャだと思ったのですが、まあ類型論ですから、あたるところもあたらないところもありますね」という返事がきた。

確かに、ドリームビジョンを創めてから、正確に言うと、昨年12月半ば過ぎから、少しずつ自分の中で変化が起きているのを感じている。

自分の「知力・気力・体力」が続く限りは、ドリームビジョンを続けていこうという覚悟が出来たことが原因だと思う。

その「覚悟」が生まれたのは、創業メンバーの安田の影響が大きい。彼からは色々なことを学んでいる。そして、インターンとして頑張ってくれていた増田くん(この4月からメガバンクに就職する)の影響(プレッシャー)も大きかった。優秀な人達と仕事をすることで、否応無く、自分が成長せざるを得ないとうことだろう。

結果的にではあるが、このブログで何度も紹介してきたリクルートの社是である「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」ということを実践できているとしたら、とても嬉しく思う。

明日は3月最終日。44歳になって初めてのゴルフである。

ベストスコアが出たら嬉しい(笑)。

「リクルートのDNA」と「未来の辞表」。

自宅の窓からも、オフィスの窓越しにも、桜の花が見える。オフィスの窓から見える桜の花は、手を伸ばせば届きそうなところにある。慌しい日々にあっても、自然を楽しむ「心」を大切にしたい。

ところで、上海出張に行く前に「リクルートのDNA」という本を買った。リクルート創業者の江副浩正さんが書かれた本だ。江副さんの本を読むのは、これで2冊目になる。

1冊目は「かもめが翔んだ日」という本で、2003年だっただろうか、僕にとって初めての本を書いている時で原稿の締め切りの日だったが、そんなことはそっちのけで、渋谷マークシティのスターバックスで、人目を気にせず、涙を流しながら読んでいた。

江副さんは幼少の頃、両親が離婚されたか何かで苦労をされたらしい。本の前段にはその頃のことが書かれている。

僕の両親は幸いなことに離婚はしていないが、僕が15歳の時に産みの母親が亡くなったこともあり、当時の江副さんの心境が理解できる気がして、ついつい感情移入してしまったことを今でもよく覚えている。

僕が24歳の時に55歳で他界した父がいつも言っていた、人生に必要な「勇気と自信」を江副さんの本からもらった気がした僕は、当時、一緒に働いていた「上村崇」という若者にその本を手渡した。新しい本を買ってプレゼントしようかと言ったところ、「平石さんが読んだ本を読みたいんです」と心憎いことを言ってきたためだ。暫くして、「何度も鳥肌がたちました」と言って、その本を返しにきた。

彼は、超狭き門を突破して入ったアクセンチュアの戦略コンサルティング部門の職を辞して、学生の頃にインターンをしていたインタースコープに「出戻った」。今は、インタースコープとニッセンとで創った会社の社長をしている。

その上村が僕に「未来の辞表(執行猶予付き辞表)」なるものを書いたことがあった。2005年1月19日の午前1時過ぎだっただろうか。

当時のインタースコープは、上場を目指しつつも、経営体制の面で過渡期にあった。上村は、そのことをとても心配しており、僕に「絶対にこうしてはいけない」とか「こうするべきだ」とか、色々な進言をしてくれていた。

そんな時、たまたま何かの理由で遅くなった日、僕の車で川崎にあった上村の安アパートまで送っていった時のことだった。

足の踏み場も無いほどに散らかったアパートで彼は自説を説き、それをレポート用紙に書き、それを実現するべく経営をしていくのであれば自分はインタースコープに留まり、その実現に邁進すると熱く語っていた。その想いを「未来の辞表(そのとおりにしなかったらインタースコープを辞める)」として、僕に渡したのだった。

上村がその「辞表」に書いてくれたことは、大きく「3つ」の視点で構成されていた。

ひとつは、「Scope of Economy(自社の事業ドメイン)」。
ふたつ目は、「Skill of Economy(スキルの経済)」。
三つ目は、「Scale of Economy(規模の経済)」。

今読んでいる「リクルートのDNA」という本は、同じリクルートの創業物語ではあるが、最初の本とは書かれている視点が異なり、新たな気づきを与えてくれる。当時の江副さん想いを想像しながら読み進めていると、言葉には表現できない「興奮」と「やる気」が沸いて来る。

僕は、江副さんの本を読みながら、自分は何故、彼の本に「こうも興奮を覚えるのか?」 そのことを不思議に思った。

自問自答した結論は、「逆境」にメゲズ、それを乗り越えて「成功」を掴むという「生き方」が好きだということだ。別の見方をすれば、体制側(既得権者側)で生きるのではなく、既得権に挑戦し、新しい何かを世に生み出す生き方が好きだし、自分もそうありたいと思っているからだと思う。

いつだったか、インタースコープのある女性社員から「壮大なビジョンが無くなって、現実的(な利益だけを追い求めるよう)になったら、平石さんは、ただの人になりますよ」と言われたことがある。

言うのは簡単だが、実際にそういう生き方を「貫く」ことは容易くはない。

でも、そういう生き方に拘ろうと思う。

追伸:明日は僕の誕生日だ。「人生は短い」。


江副 浩正
リクルートのDNA―起業家精神とは何か

まずは、フェアウェイに出す。

先日のゴルフでは絶対にやってはいけないミスをしてしまった。技術的なミスではなく、「判断ミス」である。

午後の6番ホールで僕は第1打を林に打ち込んだ。かなり奥深いところまで入ってしまったにも関らず、一番確実にフェアウエイに出せるコースではなく、少しでも次のショットの距離を短くしようとして、少々難しいコースからボールを出そうとした。

結果は、林の中で「3打」叩き、そのホールは「8」となった。一発で出せていれば「6(ダブルボギー)」で済んだはずである。

絶対にやってはいけないミスである。「感情」に「理性」がついていかない、ということだ。

これが経営だったら・・・と思うと、言葉がない。

「心技体」の「心」を磨きたい。

己を知り、足るを知り、終わりを知る。

ライフコーポレーションという首都圏と関西圏で食品スーパーを展開している企業がある。僕の家の近所(中目黒と渋谷)にも店舗がある。

創業者の「清水信次」会長(80才)は1年前、40才年下の三菱商事出身の岩崎高治氏に社長を譲った。

その清水氏の言葉が今朝の日経新聞に紹介されていた。

「己を知り、足るを知り、終わりを知る」。

とても深い言葉だ。

昨年6月1日。ドリームビジョンの設立を記念してマネックスの松本さんをゲストにお招きし、渋谷セルリアンタワー東急ホテルで「トークセッション」を開催した時、松本さんが言っていた「I know my limitation.」という一言を思い出す。

人生には人それぞれの「旬」がある。1度の人もいれば、2度3度とある人もいると思う。

複数回の「旬」を持てる人は、マーケティング的に言えば、自分自身の「リポジショニング」が出来る人だろう。

でも、必ず「終わり」が来る。

僕は今週で「44才」になる。

初めての起業から16年。インタースコープを創業してから7年。既に後半戦に入っているのは間違いない。

僕の妻が先日、こんなことを言っていた。

「平石さんは、いつまで仕事をするんだろうね?」。

彼女は昔の名残で今でも僕を「平石さん」と呼ぶ。

彼女の質問を聞いて、改めて「人生は短い」と思った。

極めて月並みだが、一瞬一瞬を大切にしたい。

仕事もゴルフも友人との交流も、そして、子育ても。

追伸:今週の土曜日もゴルフに行く。80台を出したい!!!

久しぶり・・・でもないゴルフ。

今月は毎日ブログを更新しようと思って書いてきたが、テーマを温める(プチ充電)期間が必要だと感じ、先週からペースダウンした。

やはり、何事も「充電・準備・醸成」といったことが必要で、それがあることで、内面から沸き上がってくるものがあることを実感した。

ところで、先週の土曜日は、ウェブクルー創業者の渡辺さん、楽天リサーチ社長兼楽天役員の森さん、ビズシーク創業者で元楽天の小澤さんと僕というメンバーでのゴルフだった。

「48+51=99」という平凡なスコアだったが、慣れない高麗グリーンで、セカンドはウェッジでの距離でないとナイスショットしてもボールが止らずこぼれてしまい、尚かつ、パットはタッチが分からなかったこと、そして、バックティーからだったことを考えると僕にとっては悪くない出来だろう。

行き帰りの車中で渡辺さんと色々な話しをした。渡辺さんと一緒にラウンドするのは、おそらく2年ぶり、ゆっくりと話しをするのは、1年3ヶ月ぶりだった。

渡辺さんとは90年代の後半からお互いに切磋琢磨し、共にビジネスでの成功を目指し頑張ってきた間柄であるが、彼は2004年にウェブクルーを上場させ、その後、色々な経緯があり、2005年12月に退任した。

ウェブクルーを設立する前は、岐阜の春日井にあった自宅のマンションで妹さんと一緒にペガジャパンという、自社開発の擬似キャッシュを使ったオンラインモールを経営していた。サーバがダウンするとモール出店者に迷惑がかかるため、サーバには「お守り」が巻き付け、仕事場であるマンションに寝泊まりしていた。正月も休まず働いていた。

ウェブクルーの渡辺さんとインタースコープの僕という立場になった後、久しぶりに食事をしたことがあった。ウェブクルーにコミットするため(上場を目指すため)、ペガジャパンを清算し、そのお金を妹さんとふたりで分けたという話しをしてくれた時、彼は思わず声を詰まらせて泣いた。僕には、渡辺さんの気持ちが痛いほどよく分かった。本当に一生懸命に頑張ってきたのだ。その苦労が報われて、本当によかったと思う。僕もとても嬉しく思っている。

その一方、僕はある種の寂しさを感じている。渡辺さんには、また、新しい事業を立ち上げて欲しいと思っている。切磋琢磨し頑張ってきた仲間がビジネスの世界から去って行ってしまったことが残念なのだろう。

僕は、自分の感情が何に起因するものなのか分からず、ヒルズ族になった渡辺さんへの嫉妬なのか?それとも、渡辺さんの価値観を受け入れられないのか?それが一体何なのか?を考えた。

その結論は、ライバルというわけではないが(ビジネスが異なる)、お互いの存在を意識し、負けないように頑張るという相手がいなくなってしまったことの寂しさというか、作用と反作用ではないが、力を入れる対象がいなくなってしまったことの不安定さであり、貧乏性な僕は、人間は気力・知力・体力が続く限りは働いているべきだという考えがあることに起因しているということではないかと思う。

一方、渡辺さんが言っていたことの意味も理解できる。彼は生活のために働く必要はなくなったわけで、となると、物凄く儲かるか、とにかくおもしろいか、社会的意義があるか、自分を惹き付けるものがなく中途半端な事業であればやる意味がない(やる気がしない)というのは、何となくではあるが、分かるような気がした。でも、次のビジネスの構想も持っているようで、是非、具現化して欲しいと思う。

そんなことを考えながらゴルフをした翌日(昨日)は、赤ちゃん本舗に子供用の「滑り台」を買いに行き、リビングの模様替えをした。ソファーを動かしたり、リビングを掃除したり、掃除機をかけたりしているのを見て、我が子は大はしゃぎしていた。

模様替えが完了した後は、近所のスーパーに買い物に行った。いつもであれば昼寝をしている時間もはしゃいでいたせいか、車に乗ってしばらくすると、彼は眠ってしまった。起こすのは可哀想なので、僕らふたりが車中に残り、妻が買い物が終わるのを待っていた。子供の寝息を聞きながら、家族というものの意味を考えた。こういう何気ない瞬間にこそ、幸せを感じるのだろう。

2人だけの経営会議。

今日(厳密には昨日)は創業メンバーで取締役の安田と2人でMTGをした。

数字もついてきつつあり、これからの事業推進に関して意見交換をした。

夕方、妻に電話をしたところ、子供の体調もよくなってきたようで、これからエンジン全開?でいけそうな予感。

一昨日(3/21)に開催されたネットエイジデイでの西川さんと小池さんの対談で、成功する起業家の共通項として、「運命的な出会い」があること、とにかく「気力、情熱、突破力」があることが挙げられていたそうだが、僕に関しては、「運命的な出会い」に支えられていると思う。

もうひとつ、シリコンバレーの起業家と日本の起業家の違いは「能力」ではなく、最初から「世界を目指すかか否か?」という「マインドの違い」らしい。

勘違いも含めたマインドには自信がある僕は、その勘違いに「磨きをかけよう」と思った。

「夢しか実現しない!!!」。

「久しぶりの休日」と「ライブレボリューションの増永さんのブログ」。

「春分の日」の今日は、久しぶりに休日らしい休日を過ごした。

先週から嘔吐と下痢が続いていた子供の体調もよくなり、妻もだいぶ回復してきたので、親子3人でスーパーに買い物に行った。でも、夜はまだ途中で目が覚めてしまい、何度も起こされる。子育ては本当に体力との戦いである。

我々が済んでいるマンションには、同じぐらいの月齢の子供を持つ家族が何組かいて、その中のある家族とはそこそこ親しくしているが、同じようにほぼ1週間、子供が嘔吐を繰り返していた時があったらしいが、奥さんの実家が近所にあり、お母さんが看病に来てくれていたらしく、彼女は1日も会社を休まなかったという。

「バナナだったら食べるかなとか、おかゆも少しずつにしないと吐いてしまうとか、そういう対応は母親じゃないと無理でしょう(お金を払って預けることには限界がある)。でも、どちらかの親が近所にいれば違うよね。やっぱり、そういう環境でない限り、子供を育てながらフルタイムで且つ責任のある仕事をすることは難しいよ」と、実感を込めて妻が言っていた。

彼女は病院での研修を休まざるを得ず、僕も会社を抜けて食料の買い出しに行ったりした。

今月から派遣社員の方を採用して初めて知ったことだが、毎日ではなく、週に数日の勤務を希望する方というのは、結婚あるいは出産前は総合職として働いていたが、家庭の事情でどうしても毎日働くことは出来ないというケースが多いという。

言われてみれば当たり前のことかもしれないが、やはり、自分達が「当事者の立場」に立ってみなければ分からないということだろう。

それに関連することで、あるベンチャー企業の社長がおもしろいことを言っていた。

「160キロのボールを打ったことのない人には、本当のことは分からないでしょう。その時の手の痺れとか、そういうボールを打ち続けても、シーズンを通じてケガをしない身体がなければ務まらないとか。理論だけでは本質は理解できないですよ。実際にやったことのない人には」。

そう、百聞は一見に如かず。しかし「百見は一行に如かず」である。

ところで、久しぶりにライブレボリューションの増永さんのブログを読んだ。

彼のブログは更新頻度は決して高くはないが、毎回、とても勉強になる内容である。今回のブログは「採用」に関する内容だったが、特にこの一行が僕の「心」に響いた。

「もし、私に子どもがいて、大切に育てたわが子が民家の中にある当時のLRに入社したいといったら、それを心から祝福し入社を許すことが出来たかというと自信がありません。その点、彼のご両親に感謝しなければなりません」。

増永さんは、若くて才能があるにも関らず、とても謙虚な人である。

詳しいことは彼のブログを読んで頂ければと思うが、彼はこの3月末をもって、ライブレボリューションでは「中途採用を一切止める」という方針を打ち出した。

ベンチャー企業への「転職支援(採用支援)」をしている当社としては、何とも「不都合な真実」であるが、でも、その結論に至った理由に関しては、とてもよく理解できる。

増永さんも僕も、会社は「カルチャーが最も大切だ」と思っている。

ドリームビジョンでは、この4月1日とGW明けに、ひとりずつ、新しいスタッフを迎えることになっている。

僕は、新卒に拘る(限定する)ことは考えていないが、やはり、ドリームビジョンの価値観、現時点で言えば、「僕の価値観」に共感していただける人だけを採用しようと思う。

ビジョナリーカンパニーを創るために、とても大切なことだと思っている。