「権力は必ず、腐敗する」。

フランシス・フォード・コッポラ監督の映画「ゴッドファーザー」は、僕の人生のバイブルと言ってもよい。

パート1,2,3を合わせると、かれこれ20回以上は観ていると思う。最近は、子育ての関係でゆっくりDVDを鑑賞する時間はないけど・・・。

マーロン・ブランド扮する初代ドンの言葉で、とても印象に残っているものがある。

それは、「(社会の底辺からキレイな世界を目指して)必死の思いで這い上がってきたが、上に行けば行くほど、汚れていた」というものだ。

日興コーディアル証券、不二家、少し前であれば、雪印、JR西日本、コクド等、企業のトップによる不祥事は枚挙に暇がない。

個人的には、JALにも憤慨を覚える。

「権力は必ず、腐敗する」。

哀しい現実であるが、明言である。

人生はすべて必然。

大谷さんと「八戸」に行ってから、約1ヶ月が過ぎた。

通常であれば「熱は冷める」のだろうが、僕の中では、むしろ、少しずつ「温度」が上昇し続けている。静かに、でも、確実に。

それは何故か? 大谷さんの想いの強さを感じるからだ。

その大谷さんと一緒に、今度は「上海」に行こうと思っている。

数年前に「上海」訪問計画を立てていたのだが、サーズ問題で頓挫してしまい、いつか行きたいと思っていた。

メディアで見聞きするだけでなく、自分の目と心で、今の上海を確かめることが、これからの僕の人生に大きな影響をもたらすと思っている。

「人生はすべて必然」。

自分の意志で選択した行動が原因となり、自分に返ってくる。

仕事もお金も自由もね(笑)。

「下流社会」~新たな階層集団の出現~(三浦展)

つい先日のエントリーでも引用した、三浦展氏が2005年9月に出した「下流社会 新たな階層集団の出現」を読んでいる。とても興味深い本だ。

僕はドリームビジョンを創業してからこの10ヶ月、経営に関する本はそこそこ読んできたが、統計やマーケティングに関する本は殆ど読まなかった。そういう意味で、この本は久しぶりに読む「僕を育ててくれた業界」の本である。文調や出てくる「単語」に、懐かしさを感じる。

まだ、途中までしか読んでいないので結論めいたことは言えないが、三浦氏が言いたいことは、この国(日本)の未来を担う「若者」の間において「経済的」な「上昇」を望まない層が出現し、尚かつ、固定されてしまうこと、意識の面においても社会の底辺に甘んじることを善しとする人口ボリュームが増えることに対する警鐘なり危機感なのだろう。

ところで、僕は1986年、22才の時に、初めてニューヨークを訪れた。

その時に感じたことは、(その時点から)15年後の「東京の環七以内」は、間違いなく、「今(その時点)のニューヨークと化すだろう」ということだった。つまり、経済的且つ知的階層が「2極化」し、犯罪が多くなり、治安維持のための社会的コストが増大するということだ。結果的に、東京都心部は、そのような傾向を見せている。

それは何故か? 今の日本社会、特に、都会では、自分が持って生まれた「アセット(能力資産)」では、報われない、と思う人が増えているからだと思う。

もうひとつ、僕が初めてニューヨークを訪れたことにより、予見したことがある。

それは、日本において「出生率」が低下するだろうということだ。

それは何故か?というと、高度成長期のような万人が将来の所得上昇がほぼ約束されていた時代は過ぎ去り、将来の所得は「保証されない」時代が来るだろうということを、ニューヨークの人々と交流することで感じたからだ。

そういう僕自身、将来の所得が「右肩上がり」で上昇していくなんてことは、どうやっても信じられず、子供を設けることを、40才過ぎまで躊躇してきたという事実がある。

話しは変わるが、僕の妻の父親は、今話題の「不二家」の「ペコちゃん人形」の作者だが、彼は「お金や名誉」には全くと言って良いほど執着しなかったらしく、お酒を飲ませてもらえれば仕事をしてた人だったため、彼女の家の経済状態は、常に不安定極まりなかったようだ。そのせいか、夫婦だけなら構わないが、子供には絶対に貧乏はさせたくないという強い思いが、彼女にはある。

統計的事実として、東京大学合格者の家庭の平均世帯年収は「1,016万円」である。

その事実をどう受け止めるのか? 日本の未来を決めることである。

三浦 展
下流社会 新たな階層集団の出現

「教育の現場」を考える。子供たちに、どんな「未来(社会)」を残せるか?

昨日は、神奈川県相模原市にある高校にお邪魔して、1年生を対象とした「職業(仕事)を知る」と題する授業で講演をしてきた。

何日か前に「自分を知る」という趣旨での授業があったらしく、今日の授業はそれを踏まえてのことだそうだ。僕以外にも、新聞記者やホテルの副支配人、看護士、保育士、ケアマネジャー、建築家等の方々が参加されていた。神奈川新聞の記者の方は、授業で話しをすること以外に取材の意味もあって参加されていたらしい。僕もいくつかの質問を受けた。

僕の授業の参加者は「21人」。今回は、上記のように様々な職業の方の中で、生徒自身が「話しを聴きたい人」を選んで参加するものだったそうである。

僕は職業柄、大学や大学院で講義をすることは多々あるが、高校生の前で話しをしたのは今日が初めてだった。昨年の秋に、津久井湖(神奈川県)の近くにある中学校で同じような趣旨の授業にお招きいただいたことがあったが、今日はその時以上に難しかった。

ところで、僕は今日の授業をしてみて「教育」というものの難しさを改めて感じた。

偏差値的には極々普通のレベルの学校らしいが、僕の授業に出席した生徒達の学力や意識には、かなりの差があることが伝わってきた。当然のことながら、興味も関心事も異なるだろう。そういう彼ら全員を満足させる授業をすることは極めて困難なことだ。先生達の日頃の苦労が伺い知れた。

昨秋の中学校(3年生)も、同じように学力の差はあったと思うが、それでも、彼らの方が、まだ、世間の現実というものを良くも悪くも知らない分、自分の将来に対するポジティブな姿勢を持ち続けているように思えた。しかし、昨日の高校生は、自分の将来に希望を持っている人と、そうでない人との差が大きいように感じた。

僕は、2度めに入学した高校(最初に入った高校は3ヶ月で中退した)で、数学や物理について行けず、また、古文漢文の先生が「偏差値教育の申し子」のような人間で、成績の悪い生徒は「追試追試」の連続で嫌気が差し、勉強のみならず、人生そのものを「流して」生きるようになってしまったように、自分の将来そのものに対して諦めてしまっている生徒が少なくないような気がした。

でも、数学が出来なかろうと、古文漢文が出来なかろうと、その生徒の人生が決まる訳ではない。

僕は総務省が行った調査結果を引き合いに出し、仮に「夢が叶わなかった」としても、小学校6年生の時に「将来の夢や希望」を持っていた人の方が、夢や希望を持っていなかった人よりも、今が「幸せ」と感じている人や今までに「達成感や充実感」を覚えたことのある人が多い、というを話した。

また、僕は「高校中退経験(挫折)」があること、その翌年の「受験の2週間前に母親が亡くなった」こと、「ミュージシャンになる夢を諦めた」こと、「500人に5人しか受からない俳優のオーディションに受かった」ものの、その道で勝負する「勇気がなかった」こと、起業してからは「極貧時代」があったこと、その一方、創業に関与した会社が上場をして「キャピタルゲイン」を得たことなど、挫折と波乱の人生を歩んでいることを話した。

「夢を持つことの大切さ」を伝えたかったが、はたして、どれだけの生徒が理解してくれただろうか?

教育改革の方針において、しばしば「個性を活かす」という議論がなされるが、実際に「教育の現場」へ落とし込み、これからの日本社会における「教育」の在り方を考え、変えていくのは、そう簡単なことではない。

子供が1才4ヶ月になり、言葉らしきものを話すようになったこともあり、自分の子供の教育をどうしていくべきか?親としての立場で考えさせられた。

「今しか」ない。

昨日は朝食を食べた後、近所の公園に、妻と悠生と3人で散歩に出掛けた。

妻から聞いてはいたが、1才4ヶ月の彼は、本当に自分で「滑り台」を登っていった。子供の成長は速いというが、そのことを実感した。

公園を出た後は、そこから程なくの恵比寿ガーデンプレイスに行き、中央の広場で悠生を遊ばせた。陽射しが温かく、悠生は一生懸命に遊んでいた。

家に帰り昼食を済ませた後は、修理に出していた空気清浄機と加湿器を受け取りに渋谷に出掛けた。最近は、渋谷西武の駐車場に車を停めるのがお決まりになっている。

一通り用事を済ませた後、駐車場を出て公園通りを左折した時、ふっと昨日のゴルフのことを思い出した。

07:08。車のダッシュボードに表示される「気温」が「マイナス5.5度」で「霜」が下りていたゴルフ場に着いたのが、つい先程のような気がして、改めて「人生は短い」と思った。こうして、ブログを書いていても、渋谷の西武にいた自分たちは、もう過去のことで、この世には存在していない。

人生は常に「今しか」ない。最近、そのことを強く感じる。

前刀さんのように、常に「ベストショット」を目指そう。

ゴルフは経営そのもの。

昨日は今年初めてのゴルフに行った。

メンバーは、元アップルの前刀さん、素材系ベンチャーの取締役をしている蛭田さん、森ビルの川端さんと僕の4人。いつものメンバーである。既に、あと4回は予定されている。

スコアは、53+53=106 でガッカリ。

でも、ロングホール4つ中3つはドラコンを取り、最後のショートホールでは、アゲインストの151ヤードをピンそば80センチにつけ、難しい下りのスライスラインを沈めてバーディを取ったりと、ショットのキレはまずまずだった。

スコアが悪かったのは「戦略ミス」だ。

あるロングホールで僕は、キャディーさんにヤーデージの確認をした。

左のバンカーまでは130ヤード。右奥のバンカーまでは180ヤード。ピンまでは225ヤード。

アゲインストの風だったので2オンは諦め、手堅く3オン狙いにした。

しかし、僕が選択したクラブは自分の飛距離で「160ヤード」の6番アイアン。

こういう時に限って、ドローボールの力強い球が打てて、結果は、左手前のバンカーの「先にあるバンカー」につかまった。そこからのリカバリーができず(3オンできず)、左のブッシュに打ち込み、結果は「10打」の大叩きとなった。

その時の僕の心理状態は、こんな感じだった。

「130ヤードで刻むのは『何となく』嫌で、でも、右のバンカー手前を狙うのはミスショットした時にダメージが大きい。なので、その2つのバンカーの間のフェアウエイ(そこに落とすのが一番難しい)にボールが『飛んでくれれば・・・』」。

極めて「曖昧」な狙いのまま、ショットを打ったということだ。

6番アイアンのショットを打ってバンカーに入れた時、僕は、僕の弱点が分かった気がした。

その点、前刀さんは、そういう「中途半端」なミスは殆どしない。僕が言うのは生意気だが、技術的なミスはけっこうしている。でも、「可能性がある」と判断した時には、自分で打てる最高のショットを目指して、常にベストショットを試みる。だから、元祖ライブドアで一世を風靡し、一方、会社の倒産という挫折も経験し、次は、アップルコンピュータの日本代表という表舞台に復帰し、彼独自の戦略と実行力とで「iPod」を日本市場で不動のものにできたのだと思う。

話しを自分のことに戻すと、昨日は、8打が1回、9打が2回、10打が1回と、大叩きが4つもあった。その原因は、技術的なこともあるが、やはり、精神面での未熟さが大きいように思う。

前刀さんの前で「いいところ(いいスコア)」を見せようという変な自己顕示欲があるため、通常のゴルフができないのである。ある意味で、彼の「存在感の大きさ」とも言える。

昨夜はゴルフの後、ETICが主催するイベントで起業家志望の学生の方々に対して講演をした。

「成長とは何か?」という質問に対して、僕は「いろいろな面があると思うが、そのひとつは『精神的に成熟すること』だと思います」と答えた。前刀さん達とのゴルフの例も説明しながら。

どんな局面であれ、相手が誰であれ、常に「平常心」でいられるようになることが、経営者としてもゴルファーとしても、成長に繋がるのだと思う。

昨日は、そんなことを考えさせられた一日だった。

錦鯉(にしきごい)。

僕が子供の頃に住んでいた家には、小さいながらも「池」があった。

父は、その池で「錦鯉」を飼っていた。サラリーマンだった父にとって「錦鯉」を飼うというのは、それなりにお金のかかることだったのではないかと思う。

僕が生まれ育った福島県郡山市というのは、県のちょうど真ん中に位置しているが、その郡山市から南へ20キロぐらい行ったところに「鏡石」という町があり、父はそこまで「錦鯉」を買いに行っていた。子供(小学生)の僕には、その頃の父の想いは伺い知れぬことだったが、父にとってはささやかな趣味だったのではないかと思う。

趣味という意味では、父は「車(自動車)」が好きだったようである。

今となっては極々ありふれた車だが、当時(1970年代)のサラリーマンそれも地方都市の賃金水準で、中古とはいえ「フォルクスワーゲン」を買うのは、それなりのお金が必要だったのではないかと思う。そのフォルクスワーゲンを買う時、カタログを楽しそうに眺めていた父の姿を今もおぼろげながら覚えている。僕が車好きなのは、父譲りなのかもしれない。

また、僕の父は「完璧主義」で「ワンマン」な人でもあった。僕ら兄弟にとっては、とても怖い存在だった。

しかし、その父が、母が亡くなってからは、別人のように「温和」になったのを覚えている。僕が15才の時だった。

父はある時、ある会社からのオファー(ヘッドハント)を受けたことがあったらしい。でも、その勤務地は、県外であり、年老いた両親(僕にとっては祖父母)を今さら見知らぬ土地に連れて行くわけにはいかない(一緒に住んでいた)と思ったのか、その誘いは断念したという。ある時は、地元の「選挙」に出ないかという話しもあったらしいが、それも、家庭のことを考えて止めたと、親戚のおじさんから聞いた。

手前味噌ではあるが、父はとても優秀な人だったが、父をよく知る人から聞いた話しでは、様々な事情により、自分でやりたいことは封印してきた人だったらしい。

その父は、55才にして病に倒れたが、ある時、僕たち3人兄弟を病室のベッドの足元に立たせて、「いいか。俺がお前達に説教をできるのはこれが最後かもしれないので、耳の穴をかっぽじってよおく聞け」と言いながら、最後の力を振り絞って3人それぞれに言葉をくれたことがあった。

他のふたり(弟達)に何と言ったかは覚えていないが、僕が言われたことは今でもよく覚えている。

「郁生、俺が生きていれば、お前が将来、結婚する時には、マンションの頭金ぐらいは出してやれるし、何か事業をやりたいという時には、資本金ぐらいは出してやることができる。でも、これからはそういう援助は一切無いと思って生きて行け。それはどういう意味か分かるか? お前の友達が『1万円』使うところを、お前は『5千円』しか使えないぞ。もし、お前が友達と同じ『1万円』使いたいなら、友達の『2倍』稼ぐ必要があるぞ」。

父が言ってくれたことの「額面」どおりの意味は理解できたが、その言葉の「本質」を理解できたのは、僕の友人達が「結婚」するようになってからだった。父の言葉どおり、僕の友人達の多くは結婚と同時に「親がかり」でマンションを買い、住んでいた。

そんな父にも関らず、特に大学生の頃の僕は、ろくに勉強もせず、遊び呆けていた。

理由は自分でもよく分からないが、今日は父のこと、それも「錦鯉」のことを思い出した。

今度は僕が「父親」の端くれとして、子供との時間を大切にしたいと思う。