「幸せのちから」。

今朝は子供を保育園に預けた後、本当に久しぶりに映画を観にいった。最後に映画館に行ったのは、かれこれ2年近く前だと思う。妻の出産前のことだ。

六本木ヒルズにある旧バージンシネマ(現TOHOシネマ)で、10:30から「幸せのちから(the PURSUIT of HAPPYNESS/本当はHAPPINESS)」を観た。「不都合な真実」と人気を二分しているので、観に行った人も多いと思う。

この時間から映画を観たのは初めてのことだ。子供が出来てから、早起きになった。自宅でネット経由で指定席を予約して出掛けたが、さすがに空いていた。

「幸せのちから」を観て、色々なことを考えた。

映画に限らず、何事に対しても、人によってその受け止め方は異なるし、同じ人でも、どのような状況の時かによって感じるものは大きく違ってくるだろう。

自分自身のことを考えても、ドリームビジョンを始める前、あるいは、子供が生まれる前、あるいは、貧乏な生活をしたことがなかったとしたら、今日の映画を観て考えたことは違ったと思う。

このエントリーに書きたいことは色々あるが、敢えて要約するならば、それは田坂広志さんがしばしば言っているようなことになる気がする。

「起業家精神というものがハングリー精神(欠乏感)によってしか生まれて来ないとしたら、それはあまりにも哀しいことである。世界第二位の経済大国となり、路頭に迷う事すら難しい日本社会において、なぜ、我々はハングリー精神を持たなければならないのか? もうひとつの起業家精神があるように思う。それは、『感謝の心』から生まれてくる起業家精神であり、意志であり、活力ではないだろうか? そういうエネルギ-を我々は持ちたいと思う」。

住む家を失った父子が、一晩の「温かいベッド」を求めて教会に並ぶシーンが何度も出てくる。アメリカ社会には、そういう受け皿があるとみることも出来るが、そういう受け皿が必要な社会(貧富の差が激しい)だとみることも出来る。

僕はさすがにホームレス生活を余儀なくされるほどの貧乏は経験したことはないが、30代半ばにとても貧乏な生活をした。今の僕を支えているのは、その時の「苦労」のように思う。

あの時に諦めていたら、今の自分はなかった。

子供も生まれ、40才を過ぎて「3度目の起業」にも挑戦でき、こうして、朝から「六本木ヒルズ」で映画を観ることができているということを、とても「幸せ」なことだと思う。