人間を見て貸す。

今朝は妻が大学院の用事があり、僕が子供を保育園に送っていった。1才5ヶ月にもなると、いつも一緒に登園する母親が一緒に行かないことを知ると、悲しそうな表情と声を出していた。知能も情緒も日に日に発達していっているようだ。

ところで、彼を見送った後、恵比寿の駅ビルに入っている神戸屋キッチンに立ち寄り、日経新聞を読みながら、朝食を食べた。

いくつか気になった記事があったが、その中でも「重いバブルの教訓」といコーナー(副題は、サラリーマン2007)の内容が心に留まった。

還暦を迎えた元拓銀マン(北海道拓殖銀行)の岡実さんという方のヒストリーが紹介されていた。

彼が中野支店の副支店長をされていた1989年から1991年当時は、本店から「貸付残高」の目標が数字で示され、役員が支店に出向いて発破をかけるという状況だったという。当時の銀行では「当たり前」のことだったのだろう。わずかな土地を担保に「商店主」に「億単位」の融資をしたこともあったという。

拓銀の経営破綻後、彼は、道東の小さな町に本店がある信用金庫の理事長に請われて再就職をした。

札幌地区の営業強化を任された際、肝に銘じたのは、教訓を忘れずに「人間を見て貸す」という原点に立ち戻ることだったという。

当時は、いわゆる「貸し渋り」の時代だったようで、「居酒屋の経営」をやめて「収入がない」元店主が、恐る恐る「アパート建設資金の融資」を求めてきたことがあったらしい。

その方のご自宅に行くと、室内はきれいに片付き、暮らしぶりも質素で、夫妻の人柄に好感を持ったそうだ。

家計の収支や家賃収入からの「将来の現金収支」を計算したが、夫妻の「誠実な人柄」も「返済が滞ることはない」と判断した理由のひとつだったという。

そして、その信用金庫の札幌での「業績は伸びた」。

そもそも「銀行家」という「言葉」が昔はあったらしい。

起業家や企業経営者の「理念や志」に共感し、人物を評価して、その事業の社会的な意義を実現するために「必要な資金」を提供したのが、そもそもの「銀行の社会的役割」だったと思う。

ある意味で、ソーシャル・アントレプレナーシップが出発点だったはずである。

僕がドリームビジョンで行っている「人材紹介」も、いたずらに規模を追求するのではなく、志のある人材を、志のある経営者のもとに紹介したいと思っている。

近い将来、手掛けようと思っている「投資育成」事業においても、そういう姿勢を大切にしたいと思う。

追伸:そういう姿勢を大切にすることが「評価・支持」される「社風と仕組み」が「必要」である。