続ける。

昨晩は、講座運営で大変お世話になっている法政大学の小川教授とジャスダック公開企業の経営者の方と会食をする機会を頂いた。

その経営者の方と僕(ドリームビジョン)の間に接点があるのではないか?とのことで、小川先生がそのような機会を設けて下さった。ありがたいことである。

その席で僕が改めて自覚した(認識を新たにした)ことは、「続ける」ことの大切さと大変さである。

自分自身のマーケティングも考えて、シリアルアントレプレナーとか3度目の起業とかと言っているが、それは、味方を変えれば、ひとつのことを続ける根気がないこととも言えるし、必ずしも良いことばかりではない、ということである。

ただ、僕自身は、この選択は「自分にとって必要なこと」だったと思っており、ここまでは、これで良かったと思っている。

問題は、これからの生き方である。

「40(歳)も過ぎたし、まあ、これで最後にするんですね(笑)」という言葉を、帰り際に小川先生から頂戴したが、「これで最後=これしかない(次のチャンスはない)」と理解し、頑張ろうと思う。

小田急百貨店

僕の父親は、僕の出身地である福島県郡山市にある、とある総合病院の事務長をしていた。

その病院は、従業員が2,000人規模の大きな病院で、東大や女子医大等の医学部の教授に週に何回か診察に来てもらっていたり、その交渉事だったりで、定期的に東京に出張に来ていた。

その父は、僕が大学を卒業した翌年、僕が24才になった5日後、55歳の若さで亡くなった。

父は生前、出張で東京に来る時は必ず、前もって連絡をくれ、スケジュールに余裕がある時は、当時、弟と住んでいた下北沢のアパートに泊まりに来た。余裕がない時でも、どこかで待ち合わせて、夕食に誘ってくれた。

僕が下北沢に住んでいたことと、父の帰りのことを考えてか、新宿で食事をすることが多かった。

今朝は、新宿でアポがあり、その帰りに小田急百貨店に寄り、エレベーターに乗ったのだが、小田急百貨店だったか、My City だったかで食事をした、かれこれ20年も前のことを「ふっ」と思い出した。

父が、どれだけ僕や僕ら兄弟のことを心配し、愛情を注いでくれていたかが、悠生が生まれてからは、より一層、分かるようになっており、一瞬、胸が詰まった。

今まで感じたことのないほど、亡くなった父親にもう一度会いたいと思ったが、それは2度と適わないことを考えると、何とも言えない感情が沸き上がって来た。

「親の心、子知らず」というが、何とも親不孝な子供だった。

悠生を育てていくいことで、その罪滅ぼしができたらと思う。

野毛山動物園

日曜日の午後、悠生を連れて横浜にある「野毛山動物園」に行った。

動物園は、悠生にとっては初めてであるが、僕にとっては、いつ以来だろうか?

行ってみるまで知らなかったが、野毛山動物園は横浜市が運営しており、入園料は「無料」である。

野毛山動物園は都会の動物園にも関わらず、思いの他、ライオンやトラ、キリン、ラクダ等、たくさんの種類の動物がいた。

1時間半ほど滞在したが、犬と猫以外の動物を見るのは初めてだった悠生が最も反応したのは、レッサーパンダだった。庭の中をぐるぐると歩き回るレッサーパンダに手を振っていた。

頭の中に「言葉」がない彼に、動物たちはどのように映ったのだろうか?

無理なことだが、言葉が話せるようになった悠生に、昨日の感想を聞けたら、おもしろいだろうと思う。

悠生が歩けるようになり、言葉を話すようになったら、また一緒にいきたいと思う。

彼が、どんな反応をするのか?それが楽しみである。

追伸:ジローと長島さんの結婚式が横浜だったお陰で、久しぶりの動物園を楽しめた。彼らに感謝である。

折れない魂。

先日、家にあった書籍や雑誌を整理して、中目黒のブックオフに売りに行った。

その中には一度も読まずに終わってしまった本もあり、興味関心だけで買っても、本当にその気がないものは読まない、仕事で言えば、自分が本当に興味や情熱を持っているものでなければ形にはならない、ということを改めて悟った。

手元に残しておいたもので、2005年12月1日号の「ナンバー」というスポーツ誌があった。

わざわざ僕が説明をする必要もないと思うが、ナンバーは、スコアや勝敗やテクニカルなことを伝えるのではなく(もちろん、コンテンツとしては含まれる)、プロフェッショナル・スポーツという世界で、自分の身体と精神力だけで人生を切り拓いていっている人達の「生き方」にスポットを当てている雑誌である。

昨晩、家に帰ると、ちょうど1年前のその「ナンバー」を、悠生がどこかから引っ張り出してきたらしく、リビングの床においてあった。

表紙には、僕の大好きな「カズ」が右手を高々と上げてボールを持っており、「折れない魂」というコピーが中央を縦に走っている。

昨年、初めての「世界クラブ選手権」に出場するために、カズがシドニーFCに期限付きで移籍した頃のことだ。

「ドーハの悲劇」によって、カズは悲願のワールドカップには出場できなかったが、彼の「生き方」と「存在感」は、人々に大きな影響力を持っていると思う。

個人的なことで言えば、起業したものの鳴かず飛ばずだった最初の会社の頃、カズの「挫けない」姿勢に励まされ、勇気づけられて、踏みとどまってきた。

カズ以外でも、勇気をもらってきた人がたくさんいる。

173センチという小さな身体でNBAに挑戦し続けている「田臥勇太」も、そのひとりである。

僕も、そんなふうに人々を勇気づけられる人間になれたら幸せである。

今は、自分で自分を勇気づけるので精一杯だけど(笑)。

原宿のカフェ

今のオフィスに越してきた頃から気になっていたカフェがある。カフェというよりも、昔ながらの「喫茶店」と言った方がいい。

そのカフェには、随分前、おそらく、15年ぐらい前に、一度だけ入ったことがある。

昨日、考え事をしたくて、15年ぶりにお店に入った。

すると、店内には誰もいなくて、まるで僕だけの書斎のようだった。

笑顔のステキな女性(40代後半だろうか)が出迎えてくれた。

二言三言、言葉を交わすと、来年の1月で29年になるらしい。

今ほど賑やかになる前から、原宿の街の変遷をずっと見てきたのだろう。

丁寧に煎れてくれたコーヒーを飲みながら、いつだったかのエントリーに書いたユニクロの柳井さんの著書「一勝九敗」の巻末にある同社の経営理念を読みながら、ドリームビジョンのことや自分自身のことを考えてみた。

カッコ良く言えば起業して、実際には、組織では生きられずにスピンアウトしてから、15年になる。

いつも全力で走っては躓き、挫けそうになり、でも、その都度、色んな人に励まされて立ち直り、生きてきたが、ここ1年は、うまく言葉に表せないが、今までの人生とは異なる慌ただしい生活をしてきて、ちょっと立ち止まって考えてみたかった。自分自身のことや会社のことを。

こんなに速かった1年は、今までになかったと思う。

話しは変わるが、ここのところ、また、悠生が夜中に起きるようになり、睡眠不足気味である。午後になると集中力が無くなるので、また、マッサージに通うようになった。

その帰りに寄り道をして、そのカフェに入った。

お陰で、少し気分が和らいだ。

ところで、昨夜は久しぶりに妻と話しをした。

臨床心理を勉強している彼女は、いつも冷静で客観的である。どうしろとは言わないが、絡まった糸を整理するきっかけを提供してくれる。

お陰で、少し気持ちが整理できた。

私のすべて。

つい先日、西麻布の某所で開催されたパーティ?で、KAZという方と知り合った。

僕の義理の叔父(日系二世)と同じ名前ということもあり、親近感を持った。

その彼のGREEのプロフィールを見ていて、強烈に心に刺さったひと言があった。

お嬢さんのことを「私の宝物、アイドル、お姫様、、、私のすべて」と紹介されていた。

写真を見ると、とってもカワイイ。彼がメロメロになっている姿が目に浮かぶ。

「私のすべて」。

子供ができる前だったら、彼の言葉は、これほど、心に留まらなかったと思う。

今日は18:30過ぎに会社を出て、保育園に悠生を迎えに行き、帰宅後は彼をお風呂に入れ、アトピー気味の肌にクリームを塗り、麦茶を飲ませ・・・と慌ただしくしていたが、KAZさんの気持ちが痛いほど分かる。

女の子でなくて・・・本当に良かったと思う。