「学歴」では、人は判断できない。

とは言うものの、高学歴の人間が優秀であり仕事もできる「確率」が高いのは事実である。

いわゆる大企業が人材を採用をする際に、学歴でスクリーニングをするのは「確率論」的には正しいと思う。しかし、確率論で採用をすると「確率論で物事を判断する」人材が多くなると思う。

その弊害はどんなところに現れるか?

例えば、起業するということは、確率論で言えば、失敗する確率の方が圧倒的に高い。

100社のうち、1年後に残っているのは「30社」。3年後に残っているのは「10社」。10年後に残っているのは「3~4社」という。つまり、10年後に存続している「確率」は「3~4%」である。

因みに僕は、今までに「6社」の創業に携わり、ドリームビジョンは自分で経営する「3社目」である。

僕の実力というよりも、色々な人との出会いや協力に恵まれたことの賜物であるが、僕が創業に携わった会社も、自分で経営した会社も、今までに「1社も潰れていない」という事実は、コンマ何%の「確率」である。

オプトの鉢嶺氏が、僕らが運営している法政大学ビジネススクールでのオープン講座にゲストとして来てくれた時に言っていたことだが、統計的に考えたら、自分が興そうとしている会社が10年後に存続している「確率」は「3~4%」しかないわけで、「倒産することを前提に会社を創る必要がある」と考えて、彼は創業したという。それでも、創業したのである。結果的は、ジャスダックに上場し、今も素晴らしい成長を続けている。

では、その確率に挑む人は、はたして、優秀な人だろうか?

ところで、昨日の昼過ぎ、人材紹介の仕事で、ある方と面談をした。

彼は大学も出ていないし、いわゆる高学歴の人ではない。レジュメで普通にスクリーニングをしたら、面談の対象にはならないかもしれない。

でも、お会いして話しを聞いてみると、野心的で尚かつ堅実であり、精神的にもタフで、とても優秀な方だった。そして、この人のキャリアデザインを手伝いたいと思わせる「人間的魅力」を兼ね備えている人だった。

彼は、起業家(チャレンジ)精神が旺盛(なのだと思う)で、高校を卒業した後、語学を習得するために海外に渡り、現地で大学進学を考えていたらしいが、身内に不幸があり、経済的な事情だったのだろうが、日本に戻らざるを得ず、大学の進学も諦め、就職をした。

その後、いくつかの職場を経験しているが、学歴の問題等で、不遇なことも多々あったと言う。

高学歴でない人の中にも、優秀で仕事のできる人はいるし、世の中に埋もれている人材はたくさんいる。

こういう言い方をすると不遜な奴だと思われるかもしれないが、そういう人達に「チャレンジする機会」を提供できたらと思う。

でも、それは不遜とかいう問題ではなく、僕自身が一流大学を出ているわけでもなく、陽の当たらない東北地方の出身であり、エリートと呼ばれる人達とは異なる人生を歩んできたことに起因しているのだと思う。

大谷さんと一緒に「八戸を日本のシリコンバレーにしよう!!!」と思ったのも、同じような想いからだ。

「八戸」を日本のシリコンバレーにする!!!

インフォプラント創業者の大谷さんとは、もう長い付き合いになる。

共同発起人として、2002年2月13日に、記念すべきインターネットリサーチ研究会(IRJ)を設立し、一緒にインターネットリサーチ業界を創ってきた同志だ。

その大谷さんが、生まれ故郷の青森県の八戸市を、日本の「小」シリコンバレーにすることを目標にしたというメールをくれた。

八戸市の太平洋側の海岸にある牧場を利用して、自然を極力活かしたまま、エコ・オフィスや産学連携の事業をやろうとして、八戸市に働きかけている。

1ヶ月前に大谷さんと久しぶりに会った時にその話は聞いていたが、先程のメールに添付して送ってくれた資料をみて、何とも言えない「高揚」を覚えた。そして、「僕にも手伝わせてくれ!!!」とメールを返したところ、「それは心強い。『小』を外します!!!」という返事が来た。

前回会った時、年明け1月9日に八戸の現地に視察に行くことを約束していたが、送ってもらった資料を拝見して、大谷さんが考えている構想のスケールの大きさとその現実味が伝わってきた。以前から感じていたことだが、大谷さんは本当にスケールの大きい人である。

彼の描く壮大なビジョンは、ドリームビジョンとして実現したいこととも共通する部分が多く、僕も一枚、かませてもらうことにした。

10年後、「あいつらが言っていたことは嘘じゃなかった」と言われるように頑張ろう。

今回のことは話しがデカイので、そうそう簡単ではないことは重々承知しているが、今でこそ当たり前のようになったインターネットリサーチにしても、僕らが始めた頃は、一部の学術系の方々からはこっぴどく罵倒されまくっていたわけで、本気でやろうとすれば、なんとかなるものである。

たまたま「八戸」という場所に生まれただけで、最先端の技術や情報に接する機会がないのは残念極まりないので、そのハンディを無くしたいというのが、大谷さんの想いである。

同じ「東北出身」の僕には、彼の想いがよくわかる。

久しぶりに楽しくなってきた感じである!!!

生きているという「幸せ」。

僕の妻は僕と結婚する前、DCカードというクレジットカード会社に勤めていた。

当時の僕は、CREED EXECUTE(信条を遂行する)という名前のチッポケな会社を経営していたが、DCカードは、そのチッポケな会社の大切なクライアントだった。

DCカード時代の彼女の同期の友人や先輩達とは、僕も仕事上の付き合いを超えて仲良くさせてもらっていた。そのうちのひとり(夫婦)と僕らで、一緒にハワイ旅行に行ったりもした。

大学院で臨床心理を専攻している妻は、今日は学会というかカンファレンスというかがあり、先程、帰ってきたが、開口一番で僕に話しかけたことは、なんと、彼女の友人の子供が「突然死」したということだった。双子のうちのひとりで、1才になったばかりだった。

考えてみれば、高齢出産だったこともあってか、僕らの子供も、1度は流産をしかけて、1度は早産をしかけてと、この世に生まれてこれなかったとしても不思議ではなかった。

僕は詳しいことは知らないが、「ここのところ整理ができなかったことが整理できて、今日のカンファレンスはとても有意義だった。何が一番大切かが、よく分かった。悠生(僕らの子供)が一番大切だ。優先順位を間違えないようにしないと・・・」と言っていたが、と同時に、僕が取り込んだままにしていた洗濯物をたたみながら、涙を流していた。同じ女性として、さぞかしショックだったのだろう。

僕も何と声をかけていいか分からず、こうしてブログを書いている。

こうして「生きている」ということは、ただそれだけで「幸せ」なことである。

人間は愚かな生き物で、その「幸せ」に気づかないのかもしれない。

24日の告別式には、夫婦で参列するつもりである。

追伸:昨日(金曜日)お会いした投資会社の方から、「CREED EXECUTE(信条を遂行する)って、いい名前ですよね」と褒められた。この名前に込めた「意味」が、僕の原点である。

自分は自分であったか?

通産省(現在の経済産業省)を辞め、カルチュア・コンビニエンス・クラブに転職をし、その後、産業再生機構にてカネボウの社長を務めた小城武彦さんをご存知の方は多いと思う。

彼はいわゆる「エリート」であるが、とても気さくな方で、ETICを通じて知り合い、何度かお会いしたことがある。

先週の水曜日だったと思うが、ETICが主催するイベントに小城さんがゲストとしてお見えになり、短い時間ではあったが、会場に集まった人々にメッセージを送ってくれた。

小城さんは通産省時代、日本経済の活性化のため、様々な民間企業の人たちと接してきたが、民間企業を支援するのであれば、自らが民間企業を知らなければいけないと思い、株式公開前だったカルチュア・コンビニエンス・クラブに入社したそうである。

また、小城さんは通産省時代、仕事上で交流のあった民間企業の人達を見ていて、32~33才ぐらいになると、目が死んでいる人が多いことに気づいたという。

それは何故か? 大きく、2つの原因があると言っていた。

ひとつは「自分の成長を実感できていない」こと、ふたつめは「自分が属している組織で働くことの意味を感じられなくなっている(自分は何故、その会社なり組織で働いているのか?それが社会的に個人的にどんな意味を持っているのか?)」ことだという。

その後の話の展開は覚えていないが、最後に小城さんが言っていたことが印象に残っている。

それは、ユダヤ人の話である。

ユダヤ人というと金融の世界を思い出す人が多いと思うが、彼らは自分が亡くなる前に、自分の人生の成功を、どれだけのお金を稼いだか?という観点ではなく、「自分は自分であったか?」ということを自分に問うという。そして、それがユダヤ人の教えだそうである。

話しは変わるが、僕がインタースコープを創業して2年目の頃、日経ビジネスに長嶋茂雄さんのインタビュー記事が載っていて、その見出しに「職業は長嶋茂雄」と書いてあったことがある。

それを見た僕は「これだ!!」と思って、「職業は平石郁生だ」というような話を周囲の人達にしたことがある。

それを聞いた山川さん(共同創業者)が、「そういうことを言うと誤解をされるから、言わない方がいいですよ」と諭してくれたことがあるが、実際、当時、親しくしていたインターン(今も親しくしている)が、僕の話を聞いて、「経営者なんて、人と仲良くなれれば務まるんだ」というようなことを山川さんに言ったらしい。

その時は、僕の真意が伝わらなかったことがとてもショックだった。

僕が言いたかったことは、インタースコープを経営していようが、どこで何をしていようが、結局のところ、「自分は自分でしかない」ということであるが、何の実績もない僕がそういう話をすれば、そのような誤解をされるのが当たり前である。

話しを「ユダヤ人の教え」に戻すと、「自分が自分であったか?」という問いには、説得力があるというか、共感するものがある。

ところで、今朝ほど、出社したら、リンクアンドモチベーションの小笹さんから、ご自身が書かれた本が届いていた。

「仕事がうまくいく 自分の創り方」というタイトルで、小笹さんにとっては初めての経験となる、ご自身のこれまでの歩みを綴った「体験記」であり、テーマは「自己開示」だそうである。

目次を見ると、「おわりに ピンチこそ自分を創り変えるチャンスである」と書いてある。

年末年始の休みに帰省する新幹線の中ででも読もうと思う。

ノロウイルス

幸いにして僕は元気であるが、僕の周りにもノロウイルスにやられてしまった何人かいる。ドリームビジョンの創業メンバーである安田くんもそのひとりである。

彼は一人暮らしをしており、心配になったので、コンビにでお粥などを買い込み、中目黒に彼を見舞いに行った。今週月曜日のことである。

だいたいの場所は知っていたが、住所までは知らなかったので、彼のアパートの近所と思われるコンビニで買い物をした後、電話をした。

熱があるので外に出てくるなと言ったのだが、ケイタイで話しをしながら、ダボダボで今風のGパンとシャツを着て、僕を探しに外に出てきた。

彼は精神的にマチュアというか安定しており、仕事の時はとても大人びて見えるのだが、その時は、26才の若者の顔をしていた。

その彼を見て、ふっと、自分が26~27才の頃を思い出した。

あの頃の僕は、43才(今)の自分はまったく想像できていなかったが、当時の「夢」は叶っただろうか・・・。

当時の僕は、将来に対する「不安」の方が大きく、「夢」や「希望」といったものは持っていなかったような気がするが、今の自分はとても幸せだと思っている。

子供も生まれて父親になり、こうして、3度も起業するチャンスをいただき、安田くんのような優秀なパートナーに恵まれている。そのことに感謝をしている。

そして、5~6年経った頃、僕と一緒にドリームビジョンを創業して良かったと安田くんが思えるよう、ひとつずつ、努力を重ねて行こうと思う。

NHKの取材

つい先日、NHKの方があることで取材に来られた。

今年、世の中の話題をさらったある出来事について書いた僕のブログを読んで連絡をして来られた。

僕の話が採用されるかどうかも分からないし、そもそも番組の放映前なので、企画を進めるに際してご迷惑をかけるといけないので、テーマは書かないでおく。

取材=番組のテーマは、一見するとドリームビジョンの事業内容とは関係のないことだが、彼の取材に応じて話しをしていくうちに、それはドリームビジョンの「企業理念」や事業内容の「本質」に深く関係していることに気づいた。

その出来事に対して僕が見出していた「意味」は、「生(きる)」ということや「信頼」「瞬間」「脆さ」ということとだった。別の見方をすれば「非言語コミュニケーション」の持つ「価値」と言ってもいいかもしれない。

話しは変わるが、先日、ある会社で実施している学生向けの面接講座を見学する機会を頂いた。

そこで、講師の方が言っていたのは、人間が相手を判断するのは、表情、しぐさ、服装、言葉の抑揚といった「非言語コミュニケーション」による部分が「85%」もあるということだ。

何も言葉を発しなくても存在感を持つ人がいたり、同じ話しをするのでも、誰が言うか?によって伝わり方が異なるのは、その人の持つ「オーラ」なり「雰囲気」の力によるものだろう。

更に言えば、その人の「生き様」が、そのような「非言語コミュニケーション」の力を生むのだと思う。

色々な意味で「生き方」が問われている今という時代において、取材のテーマとなった出来事は、僕にとっては、「生きる」ということの尊さや、自分以外の誰かとの「信頼感」といったものを改めて考えさせられる強いメッセージを持っていた。

詳細は、番組が放映された後に改めて書こうと思う。

六本木ヒルズ

昨日は久しぶりに、悠生を連れて五反田のTOCに入っている赤ちゃん本舗に買い物に出掛けた。店内は大勢のお客さんで賑わっていた。

赤ちゃん本舗を出て、代官山のピーコックで夕飯用の買い物をし、その後、久しぶりに六本木ヒルズに行ってみた。

実は、同じマンションに住んでいる人が六本木ヒルズのイルミネーションをデザインしている会社に勤めており、彼女がデザインしたという「青と白のイルミネーション」を観に行った。

悠生の機嫌が悪くならないか心配だったが、次の週末はとんでもない渋滞になっているだろうからと思い、遠回りをして帰ることにした。現地に到着すると、思っていた以上に素敵なイルミネーションだった。

こうして、親子3人で年末の夕方を過ごせることに感謝したい。