野田秀樹と夢の遊眠社。

僕が大学生の頃、当時付き合っていた彼女に連れられて「夢の遊眠社」の芝居をよく観に行った。

映画は人並みに観ていたが、演劇というものには興味がなく、自分にとって初めて観た演劇が「野田秀樹」が率いる「夢の遊眠社」のものだった。そんなまったくの演劇素人だった僕にも、野田秀樹の天才ぶりはよく分かった。

その野田秀樹のことが、THE NIKKEI MAGAZINE という毎月第3日曜日に発行される日経新聞の別冊(今月号)に特集されていた。是非、読んでみて欲しい。

「現実は思っていたより、はるかに厳しかったよ」。という彼の言葉が紹介されていた。

野田秀樹は1980年代、彼が20代前半だった頃、常識を破る演劇で頭角をあらわし、その後、一世を風靡した。しかし、彼は「絶頂期」にあった「夢の遊眠社」をあっさりと解散してしまう。

「いつのまにか、野田秀樹という虚名に甘えはじめていたのだから。俺は名前ではないのだ。一個の人間なのだ」(『定本・野田秀樹と夢の遊眠社』)。

また、彼には兄がいるらしいが、その兄から「順風満帆だね」と言われたことに対して、「兄貴になんかわかるもんか。夜中にふっと目が覚めるんだ、こんな才能でやっていけるか、と」と言ったらしい。

その彼が「2度目の挑戦」で、演劇の本場、英国ロンドンでの公演を見事、成功させた。

1回目は「退屈」と切って捨てたプレスが、「評価を完全に回復した。まっすぐ劇場に向かうべし」と評したそうだ。

しかし、その準備に投資を惜しまなかった結果、商業的には2,000万円を優に超える赤字だという。

僕が最後に野田秀樹の演劇を観てから、20年ぐらいが経つ。「50歳」になった彼の演劇を久しぶりに観てみたい。

追伸:野田秀樹は、今回のTHE NIKKEI MAGAZINEの取材で「いつも自分は『よそ者』という感覚が離れない」と答えている。その「よそ者」の彼にとって、演劇という「社会のよそ者」との出会いは決定的だったそうである。彼と同列で語っては失礼極まりないが、僕も自分を「社会のよそ者(マイノリティ)」だと感じてきた。そんなこともあり、彼の生き方には共感を覚える。