マンションの理事長という仕事

僕たち家族が住んでいるマンションは、2005年3月に竣工した。

僕は初年度の理事会に自ら参加し、管理組合の役員になった。高いお金を出して買ったマンションなので、住み良い場所にするために「当事者意識」を持ちたいと思ったからだ。

初年度は会計担当の役員としてやってきたが、今年度の役員選出にあたり、前理事長の田中さんという方からご指名があり、今年度の理事長になった。正直、まさか僕が理事長に指名されるとは思ってもいなかった。

さて、実際に理事長として管理組合の仕事をしてみると、いろいろなことが分かってきた。ひと言で表すならば「社会の縮図」ということだ。

このマンションには100世帯近い人々が住んでいるが、当然、年齢も異なれば、家族構成も異なるし、仕事も異なる。趣味も違う。

そういう考え方や立場の違う方々と一緒に「ひとつの建物(集合住宅)」に住むにあたっては、様々な問題が発生する。それを「全体最適」と「部分最適」を調整しながら、ルールを定めたり、居住者の方々の意見調整をしていくのが「理事会」の仕事であり、その理事会をまとめていくのが「理事長」の仕事である。

会社を経営するという「直接経済行為(直接的にキャッシュを産むことを目的とする)」とは異なるが、どのようなルールと維持管理のもとに運営していくかによって、このマンション自体の資産価値が異なってくるわけで、とても大きな意味を持っている。

僕は「中学浪人時代」に知り合った友人のお姉さんが言っていたひと言を思い出した。

当時、彼女と僕の友人が一緒に住んでいたマンションが三田(慶応大学の近く)にあり、僕が大学受験の時、そのマンションに泊めてもらっていたのだが、その時に彼女から、「どこの大学に行っても、自分の学校を好きになれれば可愛いものよ(それが一番よ)」と言われたことを思い出した。それから25年もの時間が経つが、とても印象に残っている。

僕がインタースコープを経営していた頃、「自分が所属している組織を好きになることが、自分が幸せになることだ」ということを何度か社員に対して話したことがある。嫌々働いていても自分が辛いだけである。

ODSというコンサルティング会社時代の恩師である三浦さんも、友人のお姉さんと同じことを言っていた。

「当事者意識」を持ち、自分が所属している「組織(団体)」を好きになる。

自分自身が幸せに生きるために最も効果的なアプローチのように思う。

そう言えば、マネックスの松本さんも同じようなことを言っていた。
「好きな仕事を探すよりも、今の仕事を好きになる方が簡単である」。

もうひとつ、紹介したいひと言がある。「自分探しよりも自分創り」。

以前にもこのブログで紹介したことのある「Vivien」というニックネームの女性が、ドリームビジョンのSNSで書いていたことだ。「特に、若いうちは」と彼女は書いている。

追伸:他人の「思考と行動」は変えられないが、自分の「思考と行動」は変えられる。自己変革や組織変革等の本を読むと、必ず出てくる言葉である。

洗濯物

妻が朝から大学院に行くときは、僕が洗濯物を干すことになっている。自分たちの物は別として、悠生の物を干す時は、その時々で何かしら感じることがある。

今朝、洗濯物を干していて、「ふっ」と目に留まったのは、襟の内側のタグのところに縫い付けてあった「こばやしだいき」という文字だった。それもとてもカッコ良く。

以前のポストでも書いた梅原(旧姓)さんからもらった、ベビー服のひとつだ。

その「タグ」を見つけて僕は、梅原さんが愛情を込めて育ててきた「だいきくん」が着ていた服なわけで、僕らはその愛情も引き継いでいるんだなと思った。

僕らはだいぶ年がいってから子供ができたので、周囲の友達から洋服以外も含めてたくさんの貰い物をしており、お陰で出費がとても少なくて済んでいる。

妻はプチバブルな僕とは違い、物凄く「コストコンシャス」な人で、悠生が生まれる前から彼女の友達から色々なお下がりを戴いていた。

でも、僕らが友達から戴いたものは、「お下がり」ということを超越して、みんなが自分の子供に注いできた愛情も含めてもらっているんだと思い、なんとも言えない「やわらかい気持ち」になった。そして、モノを大切にするということは、そういうことなんだろうと思った。

今日は、その梅原さん達と一緒に、僕らが大変お世話になっている方のご昇進のお祝い(会食)をしてきたのだが、家に帰ったら必ず、この話しを書こうと決めていた。

以前の僕は、家事の中でも「洗濯物を干す」のが一番嫌いだったが、これからは、少しは楽しんでできそうだ(笑)。

何事もちょっとしたきっかけで、変わるんだろう。とても嫌いなことでもね。

サッポロビール

妻が妊娠して以来、家では殆どビールを飲まなくなった。

正確に言うと、外でもあまりお酒を飲まなくなった。家に帰った時に、悠生が熱を出していたり、妻が具合が悪かったりした場合に、酔っぱらっていたのでは「仕事」にならないからだ。

僕の妻は、そもそも、僕よりもお酒が強い人なのだが、悠生を妊娠してからはお酒を飲まなくなり、昨年の9月に悠生が生まれてからも、母乳に出てしまうため、お酒は殆ど飲まない生活が続いている。そんなこともあり、僕も彼女に付き合って、家ではビールを飲まなくなったというわけだ。

それでも、ふたりともお酒が好きで、特に「ビール」が好きなので、ノンアルコール・ビールを飲むようになった。

色々と試してみると、「バクラー」か「レーベンブロイ」(ふたつとも輸入品)がおいしいことがわかり、僕らはバクラーを飲んでいる。不思議なもので、その味に慣れてしまうと、ビールよりも美味しいと感じるようになる。

それでも、たまには「ビール」を飲もうと思い、スーパーのビール売り場に行くことがある。

僕は昔から、特定の銘柄に統一せず、常に複数の銘柄を飲んでいるが、選ぶ銘柄はその時々で変化する。

ここ最近で買ったことのあるビールは、サッポロビールである。銘柄で言うと、「黒ラベル」と「畑の見えるビール」だ。

それは何故かというと、ふたつとも「LOHAS」なビールだから。

協働契約栽培や契約農家で栽培した麦芽やホップのみを使用しており、なんともヘルシーな装いに惹かれたからだ。

サッポロビールはここ数年、あまり売れ行きが良くなく、不動産会社と化した(グループ会社が恵比寿ガーデンプレイスの運営をしている)とか揶揄されることがあったが、最近のマーケティングは世の中の流れを上手くつかんでいるように思う。

ブラインドテストをすると、殆どの人がビールの味を飲み分けられない(どれがどれだか分からない)というし、ビールに限らずアイスクリーム等でも「パッケージ」を変えると評価が変わることが実験で証明されており、そういう意味でも、どんな「価値提案」をするかがポイントになる。マーケティング用語でいうところの「情緒的ベネフィット」である。

商品開発担当者の思惑にハメられていると思いつつ、「畑の見えるビール」を買ってしまった。

パッケージの影響か?原材料の違いか?は分からないが、美味しいビールである。

エリック・クラプトン

実は、僕はエリック・クラプトンと誕生日が同じである。

その事実を知ったのは、かれこれ10年ぐらい前になると思うが、あるエピソードがある。

僕らの結婚式の立会人は、80年代に一世を風靡した「H2O」というデュオの一人だった「赤塩正樹」夫妻だが、彼の言葉で印象に残っていることがある。

彼と知り合ったのは、僕が学生の頃なので、もう20年以上も前のことになる。最近、昔のことを思い出す度に、年を取ったことを再認識させられて、少々ガッカリしてしまう。

いつだったか、彼が、「クラプトンは年を取るに連れて、どんどん良くなるよね」と言っていたことを思い出す。

エリック・クラプトンを知らない人のために簡単に解説すると、クラプトンは「ギターの神様」と言われたほどにギターが上手かったわけだが、ロックギタリストの場合、50才を過ぎるとさすがに衰えるというか、往年の切れ味はなくなると思うが、クラプトンの場合、それがどんどん良くなっていくと言うのだ。

また、こんな話しもある。

田坂広志さんのメルマガで読んだ話しだったと思うが、彼らの「顔」を見せないで、年齢が大きく異なる3人のバイオリニストにバイオリンを弾いてもらい、子供達にどの人が最も「若い」かを当ててもらったところ、最も年上のバイオリストのことを「最も若い」と全員が回答したそうである。物理的な年齢ではなく、「感受性」が年齢を決めるのかもしれない。

ところで、今日の午後、こんなシーンに遭遇した。

渋谷のある交差点で信号待ちをしていた時、僕の前に、自転車で書類を配達する「Bicycle Messenger」の男性がいた。

彼はロードレーサータイプの自転車に乗っており、信号が変わると同時に、筋肉を躍動させて走り去っていった。彼の後ろ姿をみていて、ああいう「躍動感」は若さゆえであり、今の僕には望むべくも無いだろうなと思った。少々物悲しいものがあった。

精神的にはいつまでも若くいることができても、やはり、肉体は確実に衰えていく。そのことは止めようもない。女の人の気持ちが少し分かるような気がした。

人生は短い。だからこそ、刹那的という意味ではなく、今を楽しみたい。

ドブ川の匂い

今日の午後3時過ぎ、僕が社外取締役を務めるラソナでの経営会議を終えて、渋谷区役所の恵比寿出張所に向かうために明治通りと並行して流れるドブ川を渡った。季節柄か、橋の上を通ると生臭い匂いがした。

その匂いは一般的には良い匂いではないと思うが、僕はその匂いを嗅いで、子供の頃のことを思い出した。それは、近所のドブ川で「ザリガニ獲り」をしていた時に、いつも嗅いでいた匂いだった。そして、その瞬間、悠生(僕らの子供)のことを思い出した。

あと数年もしたら、一緒に野外で遊ぶようになるのかと思うと、言葉には表せない感情が沸き上がってきて、胸が詰まった。悠生が生まれなかったら、その川を渡っても、その「匂い」には気づかなかったと思う。

子供の頃は、毎日遅くまで、日が暮れるのも忘れて遊んでいて、一日がとても長く感じられたことを思い出した。あれから、30年もの時間が経過しているにも係らず、なぜか、つい昨日のような気がする。

年齢は43才になっているが、僕はその頃に感じた「感情」を今も鮮明に覚えている。精神年齢が変わっていないのかもしれない。

20代の時に勤めていたODSというコンサルティング会社の社長に、「あなたは理想主義者だ。あなたが40才になっても、今と変わらずにいることが出来たら、その時、僕は初めてあなたを尊敬する」という「嫌み」を言われたことがある。その時は、それが「嫌み」だとは気づかないほどに精神的に幼稚だった。

しかし、結果的には、僕は、その時と何も変わっていない気がする。

話しは変わるが、昨日、2001年から通っている代官山にある「セラピア」というリラクゼーションのお店に行った。以前は毎週必ず通っていたが、今は諸事情により毎週は通えないが、それでも月に2~3回のペースで通っている。そこの鈴木さんという人に整体でお世話になっているのだが、彼がこんなことを言っていた。

「(以前の)平石さんの身体は、何か『怒っている』のがヒシヒシと伝わってきましたが、今はそういうものが無くなって、不思議と力が抜けていますね」。

確かに、あの頃は色々なことが大変で、常に精神的に「緊張」を強いられていたし、自分らしさを出せていないところが多々あった。人間の身体とは正直なもので、精神的なストレスが身体にも表れるということだろう。

子供が生まれ、インタースコープを退任し、新しい会社を立ち上げている最中で、経済的には極めて不透明な状況にあるにも係らず、今の方が、精神肉体ともにリラックスしているということなのだろう。

それで、ドブ川の匂いで子供の頃のことを思い出したのかもしれない。

ドブ川を渡りながら、もうひとつ、思い出したことがある。それは、「ヒート」というハリウッド映画のワンシーンだ。

ご覧になった方も多いと思うが、「ヒート」は「アル・パチーノ」と「ロバート・デニーロ」の共演によるものだ。

僕が思い出したシーンというのは、警察との銃撃戦で負傷したヴァル・キルマーが、警察に追われているのを承知の上で妻と子供が警察に匿われている家の近くにやってきて、子供を抱きながらベランダに立っていた妻の顔をみて、何とも表現できない嬉しそうな表情を見せたシーンだ。そして、妻は「囮(おとり)」として、わざとベランダに立って(立たされて)いたのだが、夫の顔を見て目に涙を浮かべながら、右手の人差し指を右に振り、「これは囮(おとり)捜査よ」と教えたシーンだ。

そこには、切ない「家族の愛情」が描かれていて、それが「ヒート」という映画を単なるアクション映画に終わらせていない所以だと思う。

以前のポストにも書いたが、電通の和田さんという女性が、「平石さん、子供を産むのを諦めてまでする仕事は無いよ」と言ったことや、ここ数年親しくしている、ある欧州系の著名企業の社長を退任し、苦労しながら自分でビジネスを立ち上げている米国人が、「自分にとって仕事はとても大切なものだが、家族に勝るものはない」と言っていたことの意味が、今は実感として理解できる気がする。

悠生は残念なことに、僕の産みの両親とも、妻の両親とも会うことは適わないわけだが、もし、双方の両親が生きていたらと思うことがある。

年齢的にギリギリのところで子供を授かった僕らは、幸せである。

そして、その悠生のためにも、「3度目の起業」を絶対に成功させたいと思う。

追伸:サッカー日本代表の初戦は残念だった。最後まで諦めずに頑張って欲しい!!!