捨てる勇気

以前にも書いたが、僕は「中学浪人」をしたことがある。

地元(福島県)の進学校を受けて不合格となった僕は、二次募集で他の高校に入学したが、どうしてもモチベーションが続かず、3ヶ月で退学した。

その後、予備校に通ったわけだが、途中から成績が悪くなり、僕が「リベンジ」をしたい「安積高校」ではなく、その次のランクの高校を受けた方がよいのではないか?という話しが出た時があった。

その時の僕は、まだ、生きていた母親との会話において、「前に進む勇気は簡単だけど、僕には一歩退く勇気はない」と言ったことを覚えている。

結果的には、安積高校に合格したが、その時に「退く」勇気を持っていたら、僕の人生は大きく変わっていたかもしれない。

ある人と話しをしていて、そのことを思い出した。

それが上記でいう「退く」こととは違うと思うが、僕は丸6年かけて創ったインタースコープという基盤を自分から放棄した。ある意味で過去のことは「捨てた」ということだ。

でも、今の僕には、まだまだ「捨てるべきこと」があるような気がする。

それが何なのか?自分で分かっていることもあるし、気がついていないこともあると思う。

「内なる自分の声に素直に耳を傾ける」努力が、まだまだ足りないのかもしれない。

社会的な価値基準に引きずられていたり、変な見栄やプライドが邪魔をしているところが多々あるんだろう。悟りの境地になれるほど、人生の経験を積んでいないが、まだまだ「捨てる」べきものがあるように思う。

平石郁生という人間の本質を考えて、「優先順位」をもう一度、考えてみようと思う。