社外取締役の仕事

12年来の友人である岡村氏が創業した「ラソナ」という会社の取締役に就任して、約3ヶ月になる。

商法的な意味であれば今までにも何社かで社外取締役に就任したことがあるが、実際にその責任を果たす(行動を伴う)という意味では今回が初めてだ。これは、僕自身にとっても非常に為になっている。

自分自身を含めて、創業する人というのは当然のことながら自分のやりたいことがある。なので、こちらが社外取締役として色々と意見を言っても聞き入れないことが多く、機能しないことも多いのではないかと思う。いつだったか、グロービス創業メンバーのひとりで当時COOをしていた(現サイバード)加藤さんが、ワークスアプリケーションズのことについて話していたことが印象に残っている。

加藤さんが話をしていたのは、ワークスアプリケーションズの牧野さん達がある会社を買収する際に、その理由として、買収先企業には「優秀な人材がたくさんいる」ということを挙げていたらしいのだが、加藤さんが外部の客観的な目で判断すると、それではペイしないということを牧野さん達に進言したらしいのだが、なかなか聞き入れてもらえなかったということだ。また、加藤さんは、結果的にはフルタイムとしてジョインすることになったサイバードについても、社外取締役の立場で取締役会で色々な進言をするが、なかなか聞き入れてもらえないことがある、ということを言っていたことがある。

僕にとって2度目の起業にあたるインタースコープの場合、僕と山川さんという2人の創業者がいたり、ある時点からは我々創業者よりも外部株主の方がシェアが大きくなっていたこともあり、ワークスやサイバードの事例とは少々異なるかもしれないが、やはり、大なり小なり、そういうことがあったように思う。

さて、話をラソナに戻すと、創業者であり社長である岡村氏は、ラソナを創業する前はスペインで画家として活動していたという非常に変わった経歴の持ち主である。それ故に、ロジカルシンキングだの戦略思考だのという世界には疎いし縁遠い人だが、右脳的な勘で物事の本質を理解する能力に長けており、ある意味で僕と似ているかもしれない。

おもしろいと思うのは、人間は常に「相対的」な関係によって、お互いの役割が決まるということである。

僕はインタースコープ時代、クライアントに対してコンサルティングをする場合には、当然のことながら、論理的に物事を整理して話をする(それが仕事であるので)が、いざ、自分自身のことになると、感覚的な部分が勝り、時として論理性を欠くことが多々あったように思う。

ところが、ラソナにおいては、岡村氏が常に自分の思考パターンに任せて話を展開するので、最初と最後では話のテーマがまったく異なることが日常茶飯事であり、僕は「論理性」によって彼の話を整理し、現実的な解を探ることになる。

言ってみれば僕の仕事は、彼のやりたいことを踏まえつつ、それが論理的に成立するのかしないのか?を整理していくことであり、客観的に判断して、彼のやりたいことには勝算があるかないか?を分析することである。また、事業戦略を考える場合、その内容もさることながら、それを具現化する社内のスタッフのことを考える、つまり、組織デザインと運営面のことや、財務的観点から実現リアリティを検証する必要があり、僕がやっていることは、まさしく「経営企画部」的な仕事である。

今日もドリームビジョンでは、今後の事業戦略についての議論をしていたが、将来的に「投資・育成」機能を持つ必要があるという話をしており、僕が今、ラソナの社外取締役としての仕事をしていることは、その時にとても役に立つように思う。

起業家の意志を尊重しつつ、客観的に状況を分析しながら、どうすれば実現リアリティが増すかを考える。自分自身が起業家であることを活かして、本来の意味でのハンズオン投資をしたいと思う。

あなたの価値観に最も影響を与えたものは何か?

その質問を最初に受けたのは、J.W.Thompson(現在はJWT)という外資系広告代理店の社長面接だったと思う。僕が27才の時だ。

当時の社長は、アラン・ミドルトンといったと思うが、牛乳瓶の底のような厚い眼鏡をかけた大柄な人物で、広告業界の人間というよりは、中学か高校の校長先生という感じの物腰の柔らかい人だった。

僕は「Parents.(両親だと思う)」と答えた。

何日か前のポストでマネックスの松本さんのことを書いたが、6/1(木)にドリームビジョン主催で行う、松本さんと僕との対談形式のセミナーでどんな質問をするか?を考えるために、今日は、彼のあるインンタビュー記事を読んでいた。

話は逸れるが、今日は悠生(子供)の具合が悪く保育園に預けることができず、また、妻はどうしても休めない授業があって大学院に行ったため(僕の妻は大学院に通っている。因みに、年齢は20代ではない。念のため/笑)、14時過ぎまで、僕が家に残り、悠生の面倒を看ていた。

こういう生活は、普通のサラリーマンだったら出来ないだろうし、インタースコープの常勤取締役を続けていたら出来なかっただろう。そういう意味でも「人生はすべて必然」なのだろうと思う。

松本さんにはお兄さんがいたらしいが、彼が小学生の頃、不幸にも亡くなってしまったという。そのことで松本さんは大きなショックを受けたそうである。

お兄さんも松本さんも開成高校を目指していたらしいが、そのお兄さんの死により、松本さんは「僕はふたり分、頑張らなければならない」と思い、猛勉強をして、開成高校に合格したと語っている。

彼と比較しては大変申し訳ないが、僕にも似たような経験がある。

僕の出身地である福島県には、地元では有名な進学校が3つあり、そのひとつが「結果的」に僕が卒業した「安積高校」である。僕は安積高校の受験に失敗し、仕方なく、二次募集で他の県立高校に入学した。こう言っては大変失礼だと思うが学力レベルの違いにより、その高校に通うのが嫌になってしまい、3ヶ月で中退した。

僕が「退学して、翌年もう一度、安積高校を受験したい」と言ったところ、父親からも当時の担任の先生からも中学時代の担任の先生からも、みんなから反対された。でも、僕はどうしてもモチベーションが続かず、退学したいと言っていた時に、母親が僕にこう言ってくれた。

「ひとつだけ、お母さんに約束してくれる。結果は問わないから、最後まで投げ出さずに予備校に通うこと。そのことを約束してくれるなら、私があなたのお父さんを説得してあげる」。

父親はメチャクチャ頑固な人で、僕には母が父を説得できるとは思えなかったが、僕は母親と約束をした。すると、何と言ったのかは分からないが、母は本当に父を説得してくれたのである。

それから僕の予備校生活が始まった。当時の言葉で言う「中学浪人」である。

でも、その8ヶ月は、僕の人生の中でも最も楽しく充実していた時間だったと言っても過言ではないかもしれない。本当に楽しかった。

この話は以前に受けた取材でも話したことがあるように思うが、予備校で知り合った連中は皆、「挫折」した少年達であり、何もカッコつけるものもなく、また、その必要もなかったことが、その背景にはあったように思う。その頃に知り合った連中とは、今も「心の中」で繋がっている。なかなか会えないけど。中には、プロ野球の選手になった奴もいた。

さて、頑固な父親を説得してくれた母だが、実は、僕が翌年、安積高校を再受験する2週間前に亡くなってしまった。肺ガンだった。

その時の僕は、母が生きていたら、たまたま不得意な問題ばかりが出たとか、体調が悪かったとか、言い訳も出来るだろうが、「亡くなってしまった人には言い訳はできない・・・」と思い、その母のためにも、絶対に合格する必要があると思った。結果的には無事、合格した。一度も僕を褒めたことのなかった父が、その時ばかりは僕を褒めてくれたことが印象に残っている。その父は、僕が24才になってすぐに亡くなってしまった。

悪い癖でまたしても話が長くなってしまったが、僕は両親から大きな影響を受けたと思う。そのことに、後になってから気づいた。

松本さんもお父さんから大きな影響を受けたと言っているが、そのお陰で「反体制」的になったそうである。詳細は省略するが、あることで納得がいかずに先生に直談判したことが原因で、小学校(私立)を2ヶ月だったか、3ヶ月だったかで退学なったそうである。偉業を成し遂げる人は、やはり、やることが違う(笑)。

彼は、成功したベンチャー企業の創業経営者としては非常に珍しく、人に対する威圧感を感じさせない人だ。物凄い才能と努力の持ち主でありながら、とてもソフトでカジュアルであり、尚かつ「崇高な理念」を持った人である。

6月1日が楽しみだ。

起業家は尊敬されない?

インタースコープで言うところの「伝説のインターン」で、大手の広告代理店に就職した人間がいる。

久しぶりに彼と会った時に、彼が言っていたことが印象に残っている。

「平石さん。うちの会社の同期でベンチャーに転職したいと思っている奴は、ひとりもいないと思いますよ」。

僕は大手の広告代理店からベンチャーに転職した人を何人も知っているので、ひとりもいないというのは大げさであり、学生時代に統計を選考していた彼にしては誇張した表現だと思ったが、彼の発言の本質は、これだけベンチャーが注目されるようになった現在でも、まだまだ、ベンチャー企業に対しては「君子危うきに近寄らず」という認識が根強いのだろうということだ。

もう少し具体的に論じてみると・・・

彼(はそうでもなさそうであるが)のように一流大学を出て、一流企業に就職できた人間は、余程、自分でやりたいことがない限り、その「ブランド」と「経済的恩恵」を捨ててまで、自分では想像も出来ない荒野?へ行こうとは思わないということだろう。

俗に言う一流企業に就職できた人にとっては、その会社では実現できない、どうしても自分でやりたいことが無い限り、実際に享受している恩恵を捨ててまでベンチャーに飛び込む経済合理性がないし、そもそもベンチャー企業のカルチャーが社会に認識されていない、つまり、常識的に考えて「リスク」は想像できても「リターンとベネフィット」は想像しにくい状況では、「飛び込む」に値するか否かの判断自体が難しいのだろう。

上記のことに関連するエピソードがある。

ドリームインキュベータの堀さんの講演会で聴いたことだ。

ベンチャー企業(を起こす人)にとって現在の日本の良いところは、「上場しやすい」「資金調達しやすい」という点。

一方、悪い(ハンディになる)ところは、「アントレプレナーシップを尊敬する文化がないところ」と言っていた。

数字を挙げると、「起業家を尊敬するか?」という質問に対して、いつの調査結果かは分からないが、「尊敬する」と答える人が日本では「10%」しかいないそうである。今は多少は変わっているかもしれない。

諸外国はどうか?というと、アメリカ:90%、ドイツ:70%であり、ジェントルマン(別の見方をすれば階級社会)の国と言われるイギリスでも40%が「起業家を尊敬する」と言っているという。

お隣りの韓国はどうか?というと、具体的な数字は忘れたが、過半数を超える人が「尊敬する」と言っているそうである。

僕の知り合いで早稲田大学に通う女性のエピソードを紹介しよう。

彼女は大手企業からの内定を取れる実力はありそうだが、そもそも、大手企業に就職する気がなく、インターンをしていたベンチャー企業に就職しようと思っているが、両親は世間体?を気にしてか、頑に「大手企業の内定をもらいなさい」と言っているそうである。

僕の両親は、父親は総合病院の事務長、母親は教師をしていたが、僕に「一流企業へ就職しろ」とは一度たりとも言ったことがなかった。諦めていたのかもしれない(笑)。

父はその代わりに、「俺が幼稚園を創ってやるから、お前はそこの園長先生になれ」と言っていた。おそらく、僕という人間の個性や価値観を見抜いていたのだろう。

母親はいつも僕に対して、「結婚する時は、自分と似ている人だけは止めなさい。電流もプラスとマイナスだから流れるのであり、プラスとプラス、マイナスとマイナスではぶつかり合うだけで、上手く行かないから。あなた達(僕は父とよくぶつかっていた)はそっくりよ」と言っていた。

自分の両親ながら、素晴らしい指摘であると思う。

話を元に戻すと、日本を進取の気質に富んだ社会にするためには、価値観を変えて行く必要がある。

僕が教育的な観点の事業を立ち上げたいと思う理由は、そこにある。

仕事、子育て・・・ときどきゴルフ

久しぶりにゴルフに行ってきた。

メンバーは、ネットエイジの西川さん、元GMOの廣末さん、オプトの福岡さんと僕の4人。太平洋クラブの成田にあるコースで、とても素晴らしいところだった。

今年になってから2度目のゴルフということもあり、フロント9は全くダメだったが、バック9に入ってからはショットが切れてきて、180ヤードの2nd を5番アイアンで2オンし、パーを取ったりと、かなりの手応えがあった。自画自賛だが、特に、アイアンの切れ味は抜群だった。

2004年8月から、片山晋呉プロのコーチを務める谷将樹さんのところへ通い出しスイング改造に取り組んできたが、結果がようやくショットに表れて、その効果を自分自身で実感した。今日はドライバーは使わずのラウンドだったので、これでドライバーを打てるようになれば、かなりのスコアが期待できそうである。

ところで、最近、物事の優先順位というか、限りある時間の中で何を優先するか?ということをよく考えるになった。

以前に、DREAM GATE という起業家排出プロジェクトでBlogを書いていた時に、マーケティングジャンクションの吉澤さんという方が言い出した「落とし前マーケティング」という概念を紹介したことがあるが、彼のマーケティング的視点はシャープだと、改めて感じる。

僕は今、このBlogのタイトルのとおり、「3度目の起業」と「初めての子育て」に奮闘中であるが、それ以外にやりたいことがいくつかある。

ひとつは、ゴルフ。もうひとつは、英語である。

ゴルフの話はさておき、英語に関しては、僕は一度も英語圏に住んだことがないが、このBlogを書いたり、プレゼンテーションをしたり、もちろん、日常会話には事欠かないレベルにあり、自分が持って生まれた才能の中では唯一自信がある。レベルチェックを目的に、トライアルのふりをして英語学校に行ってみることがあるが、普段は英語を話していないにも関わらず、常に上達していることを実感する。

「落とし前マーケティング」的に解説すると、僕は10代~20代前半の頃、英語の習得と異文化での生活を目的として留学をしたいと思っていたが、諸事情(単に時間とお金とやる気の問題)により、それを実現できずに今まで来た。

そろそろ、その「落とし前」をつけたいのである。人間、40才を過ぎて、この先の人生を考えるようになると、自分自身も含めて、本当にやりたかったことに「時間とお金」を使うようになるようである。中高年に「オープンカー」が売れているのは、吉澤さん流に言うと「落とし前マーケティング」的ニーズということになる。

今日のラウンド中に西川さんも言っていたが、若いうちじゃないと良いスコアも出せないし、語学も上達しないので、身体が動くうち、脳が新しいことを覚えられるうちに、ゴルフも英語もやる必要がある。

そういう意味では、ゴルフは仕事と子育ての合間を縫って毎週レッスンに通っており、それなりの時間とお金をかけているが、英語に関しては、今は何も出来ていない。

身体(運動神経)が動くうちか?脳が言語習得力があるうちか?というと、今現在、どちらに「時間とお金」を投下するべきか?(自分ひとりでも出来ることと、人に習わなければ出来ないことという視点で判断すると良いかも?)は何とも言えないが、いずれにしてもやりたいことはたくさんある。

そう、「人生は短い」のである。

強く、そして、濃く。

昨日、子育ての合間を縫って、ドリームビジョンの企業理念と代表者挨拶を書いた。

今月22日に行うドリームビジョンのお披露目レセプションと6月1日にマネックスの松本さんをお招きして開催する「Talk Session」にあわせて、Webサイトをカットオーバーすることになっている。

そのWebサイトに載せるために、今までの僕の人生で経験してきたこと、温めてきたことを、改めて文章にした。

そこには新たな発見は無かったが、これからの自分の人生において、何を成すべきか?を言語化できたことは、とても意義があった。おそらく、何らかの選択を迫られた時、岐路に立たされた時、迷うことなく、自分の進むべき道を決める上で、力になってくれそうな気がする。

ところで、5/3(水)の昼前から昼過ぎにかけて、ドリームビジョン創業メンバー3人で議論をした。

ドリームビジョンが目指すべきものは何なのか? そして、それを具現化するサービスは何なのか? という、根源的且つ本質的な熱い議論をした。

そのことにより、3人の共通理解が更に深まったと共に、この先の事業展開のフェアウエイを明確に出来そうな気がした。

僕に関して言えば、確かに子育てで体調がボロボロになっており、体力的にも気力的にもシンドイという理由はあったにせよ、今まで溜めに溜めていた仕事に「具体的」に着手する気持ちが芽生えた。

そして、途中何度も「おむつ交換」や「ミルク」や「あやす」ことで仕事を遮られても、集中力を維持することができ、とても効率よく仕事が捗った。

やはり、正面から仲間とぶつかり議論をすることが、カオスの渕から何かを生み出す唯一の方法なのだと思う。そして、その前提として、価値観を共有できていること必要だということを再認識した。

これがなければ、何も始まらない。

アインシュタインと自由

前回のブログで約束したとおり、今回はアインシュタインと自由をテーマに書くことにする。但し、その前に少しだけ「お金(収入)」の話に触れたいと思う。

先々月の最終日(3/31)、学生時代にインタースコープでインターンをし、弱冠26才にして、ニッセンとインタースコープの合弁会社(ALBERT)の社長に就任した上村という人間をゲストに招いて、キャリアセッションなるイベントを開催した。僕が上村にキャリアに関する質問をしながら話を進める対談形式のセッションだ。

ドリームビジョンという聞いたこともない会社の、しかも、有料のセッションにも関わらず、20人近い人が参加してくれた。因みに、その集客ができたのは、留学先のアメリカの大学を休学して一時帰国し、ドリームビジョンでインターンをしてくれている山田くんのお陰だ(山田くん、本当にありがとう!!!)。

上村は新卒でアクセンチュアの戦略コンサルティング部門に就職し、1年3ヶ月働いた後、インタースコープに出戻ってきた。というよりも、出戻らされたと言った方がいい。

当時のインタースコープは、結果的にニッセン(インタースコープの株主の1社)との合弁会社となる新規事業開発に着手する少し前で、共同創業者の山川が熱心に上村を口説いていた。

上村は「山川チルドレン」と言っていい程、当時から山川さんを慕っていたが、その山川さんからの誘いとは言っても、さすがに超難関のアクセンチュア戦略部門を辞してまでインタースコープに戻ってくるというのは、そう簡単な話ではなかった。親父さんにも相談をしていたという。

僕は正直、せっかくアクセンチュアに就職して活躍していた上村をインタースコープに呼び戻すことに躊躇いがあった。なので、その模様を静観していた。しかし、最後は結局、何と「君の人生にコミットする!!!」と言って、僕も上村口説きに加担した。

その言葉が響いたのかどうかは分からないが、上村はインタースコープに出戻りニッセンとの新規事業の立ち上げに参画し、結果としてニッセンとの合弁会社(ALBERT)の社長になった。

上村とのエピソードと言えば、もうひとつ、彼がアメリカの大学に留学していた頃の話がある。

彼はネットで検索してインタースコープを発見し、当社でインターンをしたいという趣旨のメールを送ってきたのだが、当時の人事担当者から「ETICを通すように」と通り一遍の返事をされたのをCCで読んだ僕が、それは可哀想だと思い、横から助け舟を出したことに始まっている。

彼はアメリカに留学する前、僕の弟が学生の頃に住んでいた学生寮に住んでおり、僕は彼に親近感をもった。それで、個人的に返事を書き、彼を面接に呼んだ。そんなこともあってか、彼は、山川さんとは別の意味で僕を慕ってくれているようだ。

そのような個人的な人間関係もあり、また、マーケティング効果を考えても、ドリームビジョンとしての最初のキャリアセッションのゲストは上村しかいないと決めていた。

さて、その上村をゲストとして呼んでドリームビジョンとして初めて実施したキャリアセッションは、幸いなことにかなり盛り上がった。

セッションが終わった後、会場から質問を受け付けたのだが、その時の質問の中で「収入」に関するものが印象に残っている。

その質問をくれた方は学生のようだったが、彼は「答えて頂けるかどうか分かりませんが、ALBERTの社長になったて年収は上がったのですか?」と質問をし、その質問に対して、上村は素直に回答した。

一言一句は覚えていないが、「アクセンチュアからインタースコープに出戻った時、そして、ALBERTの社長に就任した時、それぞれ少しではあるが年収は上がった。経営者は失業保険もなく、リスクがあるので、現在の年収は妥当だと思う」と上村は回答した。また、現在もアクセンチュアに残っている同期のスタッフで自分よりも年収が低い人間は誰もいないとも言っていた。

その学生の質問に対する上村の回答を聞いた時、僕は「ミスリードしないかな・・・」と不安になったが、そこで口を挟むことを躊躇し、結局、何も言わなかったことを少々悔やんでいる。

僕自身のことで言えば、最初の起業のクリードエクセキュート時代とインタースコープ時代の役員報酬(収入)を比べれば、インタースコープの時の方がだんぜん高かった。しかし、上村の話のように、経営者は失業保険も無ければ労災も適用されないし、尚かつ、会社の債務(クリードの時とは額が違う)に対する個人保証をしているわけで、負っているリスクを考えれば妥当な金額だったと思う。実際、上村のパターンと同じで、僕の親しい友人で商社や金融業界に働いている人達は、僕の役員報酬よりも高い給料を得ていた。

では、ドリームビジョンになってからはどうか?というと、一言で言えば半減した。

その理由は単純で、ドリームビジョンはインタースコープやALBERTと違ってVC(ベンチャーキャピタル)等の投資家から資金を調達していないので、先行投資に回せるキャッシュが限られているということである。

では、どうやって生活をしているかというと、以前のブログで書いたが、創業メンバーとして参加したあるベンチャー企業が株式を公開したので、多少のキャピタルゲインを得ることができ、それで補填しているということだ。

とは言っても、この先、2年も3年も持ち出し生活が可能なほどお金がある訳でなく、2年目(出来れば初年度の後半)からは、しっかりとキャッシュフロー(現金収支)を生み出す必要がある。そういう意味では、VC等の投資家から多額の資金を調達して事業を始められるというのは、本当に恵まれている。それなりのお金が無ければ、優秀なスタッフを採用することも出来ない。

先程の質問に話を戻すと、インタースコープの時の僕も、ALBERTの上村も、「投資家」がいるからこそ、そこそこリスクに見合った収入を得ることが出来た/出来ているということだ。そして、今の時代は10年前と比べればだいぶ違うと思うが、それでも投資家からお金を集めることはそう簡単ではない。もうひとつ、大事なことは、当然のことだが、投資家からお金を集めるということは、同時に、大きな責任を背負い込むということだ。そのことを忘れて安易にお金を集めると不幸になる。

実は本日昼過ぎに、あるVCの方がドリームビジョンのオフィスに僕を訪ねてきたのだが、その方が「平石さんがやろうとしていることには、とても共感するよ。みんな総論は絶対に賛成だと思う。だけど、お金を出すか(投資するか)?というと、なかなか難しいだろうね」と言っていた。僕もそう思う。

では、何故、そこまでして「3度目の起業」をしたのか? 
それは、カッコ良く言えば、そこまでしてやる価値があると思っているからだ。

今日(5/2)の午後、僕の親友が経営するWeb製作会社で、ドリームビジョンのWebサイト構築に関するMTGを行った。そこで、ドリームビジョンとして何を伝えるのか?そもそもドリームビジョンのミッションは何なのか?ということを、当社メンバーと友人の会社のスタッフと熱い議論をした。

既にだいぶ長くなっているので途中の議論は省略するが、僕はそのMTGで、僕が大ファンだったアイルトン・セナの話をした。

正確な時期は覚えていないが、ホンダがF1から撤退し、当時のセナが所属していたマクラーレンはパワフルなホンダのエンジンの代わりに、非力なフォードのエンジンを搭載してのシーズンだった。

当時は、ウイリアムズルノーというチームがダントツに速かったのだが、フォードエンジンでは、さすがのセナのドライビングテクニックをもってしても優勝することはおろか、表彰台に立つ(3位以内に入る)ことも出来ないという状況だった。

あれはドニントンサーキットだったが、雨が降りしきるレースとなり、路面のグリップが甘くなったお陰でマシンの性能差が相対的に小さくなり、代わりにドライバーの技量の違いが大きく効いてくる状況となった。お陰でセナは8番グリッドからスタートしたにも関わらず、オープニングラップ(最初の1週目)で「前の7台をごぼう抜き」にして「TOP」で帰ってきた。そして、完走し、優勝した。

その時の解説者は、もう解説ではなく、絶叫していた。僕はテレビの前で感動のあまりに泣いていた。

当時の僕は、それこそ「起業したはいいものの」・・・、苦戦の連続で、もう諦めようか(サラリーマンに戻ろうか)?と悩んでいた時だったのだが、セナの勇姿をみて「勇気」をもらい、「諦めずに頑張っていけば必ず、チャンスは訪れる」と想い、ちっぽけな会社の経営に踏みとどまることができた。そして、その7年後、僕はインタースコープを創業した。

僕はドリームビジョンという会社を経営していくことを通じて、そのサービスはもちろんのこと、僕たち自身の生き方を通じて、一生懸命に頑張っている人たちに、僕がセナからもらったような「勇気」をあげられたら・・・(そういうと偉そうだが、適切な言葉が見つからない)と思っているし、それが無理でも「勇気」を持つ「きっかけ」ぐらいは提供したいと思っている。

さて、では、何故、この話がアインシュタインに繋がるのか?であるが、ドリームビジョンのインターンの山田くんが教えてくれたことがある。

アインシュタインは間違いなく「天才」だと思うが、そのアインシュタインは「わたしは、一日100回は自分に言い聞かせます。わたしの精神的ならびに物質的生活は、他者の労働の上に成り立っているということを」という言葉を残しているそうです。

自分がどんなに天才でも優秀でも、常に社会や周囲に対する感謝の心を忘れない。(もちろん僕は天才ではないが)僕は常にそうありたい(感謝の心を忘れない)と思っているし、そういう人が好きだ(尊敬する)。そして、そういう人は、そのベースとなる才能や素質は親から与えられたものであり、自分の努力で勝ち得たものではない。アインシュタインはきっと、そういう姿勢を生涯に渡り持ち続けたのだろう。だから、素晴らしい功績を残すことができたのではないだろうか?

僕は科学者でもエンジニアでもないのでアインシュタインのことは通り一遍の知識と関心しかなかったが、山田くんからその話を聞いて(正確には、彼がドリームビジョンのSNSの日記に書いていたことを読んで)、アインシュタインを身近に感じるようになった。

実は、ALBERTという社名は、アインシュタインが大好きな山川さんのことを考えて、上村が提案した名前である。「アルベルト・アインシュタイン」というらしい。素晴らしい師弟愛である。

もうひとつのテーマの「自由」であるが、お金があると「自由でいられる(選択肢が増える)」ということと、お金があると「お金では買えないものを守ることができる」ということを書きたかったのだが、さすがに長くなり過ぎたので、今日はこの辺でオヤスミナサイ(笑)。