「WEB2.0(ウェブ進化論)」と僕の人生

つい先程、ようやく、梅田望夫さんの「ウェブ進化論」を読み終えた。

僕はそれほど読書量が多い人間ではないが、久しぶりに自分の人生や考え方に大きな影響をもたらしそうな本だった。

僕が今までに読んだ本の中で印象に残っているのは、「国富から個福へ(波頭亮)」「日本の時代は終わったか?(ピータータスカ)」「不機嫌な時代(ピータータスカ)」等と、彼の著作はたくさん読んでいるので、どれと言うのが難しいが「田坂広志さん」の本。あとは、大前研一氏の本もよく読んでいるし、堺屋太一氏の「組織の盛衰」、堀 紘一氏の「リーダーシップの本質」も印象に残っている。

さて、では、どういうふうに「ウェブ進化論」が僕の人生に影響をもたらしそうなのか? そのことをひとつずつ整理していこうと思う。今日のポストは長くなると思うので、読んで頂いている方々には予めご了承頂きたい。

彼の本はベストセラーになっているので色々な人が読んでおり、人によってそこから得たものや感銘を受けたところは異なると思うが、僕はまず、彼が「9.11」以降、自分の人生を大きく変えたということに、ある種、共感というか武者震いのような感覚というか、上手く表現できないが、僕の心に響くものを感じた。同時に、彼は非常に「日本という国を愛している」ということと、若い世代に対する「愛情」があり、「教育者」的思想の持ち主であることが伝わってきて、とても勇気づけられた。

彼は「理工系」の頭脳の持ち主であり、僕は極めて「文系」な人間であるという違いはあるが、彼の「思想」と「人間性」と僕のそれらには共通するものがあるように思った。いつか、ドリームビジョンの「トークセッション」にゲストとしてお招きしたい人だ。

彼はウェブ進化論で「若いうちはあまりモノがみえていないほうがいい(小見出し)」と言っているが、僕もそう思う。

僕は、28才で起業家人生をスタートさせたが、それは文字どおり「徒手空拳」であり、事業計画もなければ何の計画性もなかった。

その当時は今と違って、一部の学生ベンチャーを除けば、20代で起業するというのはとても珍しいことであり、周囲の大人達や同年代の人達からは「凄いよね」と言われたりしたが、その度に僕が言っていたのは、「目の前に埋まっている地雷の数を正確に把握できていなかっただけ」ということだ。

もう少し具体的に説明しよう。当時の僕は「A地点」に立っており、「B地点」に行きたいと思っていたが、その間には「地雷」が「10個」埋まっているように見えて、それなら何とかかいくぐって行けるだろうと考えた。幸運にも「B地点」に辿り着き、そこで「ふっ」と後ろを振り返ってみると、そこには地雷が「30個」埋まっていたという意味である。つまり、最初にその「30個」が見えていたら、怖くて渡れなかっただろうということだ。

先々月、僕が創業に携わった保険スクエアbang ! という自動車保険の見積もり比較サイトの運営会社を立ち上げて、その会社を東証マザーズへ上場するまでに育て上げた渡辺さんと、渡辺さんを支えながらずっと一緒に事業をやってきた彼の妹さんが、久しぶりに僕の自宅に遊びにきた。そこで彼も同じようなことを言っていた。彼は、「霧の中を目の前だけを見ながら一歩一歩前に進んできた結果、ある頂きに到着したようなもので、ある時、霧が晴れて後ろを振り返ってみると、自分たちが歩いてきたのは『稜線の上』だったことに気づいて、今更ながら怖くなった。自分たちが稜線の上を歩いているということを知っていたら、ここまで来れなかったと思う」と言っていた。その意味はよく分かる。

僕が尊敬する田坂広志さんが彼のメルマガで、僕らの話とは違う視点で同じことを言っていた。人間は誰でも、幅30センチの上を歩けと言われれば問題なく歩くことが出来るが、それが高さ1メートルの平均台の上になったとたん、歩けなくなってしまう。そんなことを書いていた。

今の僕は、株主や社員の人達に迷惑をかけることを承知の上で、自ら創業した会社を「途中下車」し、次の山を目指して歩き出したわけだが、28才でクリードエクセキュートを始めた時、36才でインタースコープを立ち上げた時と比べると、今は見えているものが随分と増えた。それ故、ドリームビジョンを始める時は、今までに経験したことのないほどに「躊躇」したし、悩んだり迷ったりもした。「失敗する確率」が分かっているからだ。

そんなことを、梅田さんも自分自身の経験を踏まえて言っているのだと思う。

次に、僕が改めて整理(梅田さん流に言えば『再発見』)できたのは、僕がインタースコープでやってきたインターネットリサーチというビジネスのことだ。

今までは「住民基本台帳」という身元が確認できる「特定多数」の信頼がおける母集団をベースに、専門的知識を有するリサーチャーが「質問」を設計し、それを「調査員」の方々が個人の自宅を訪問するか?郵送等して回答してもらっていた超アナログ手法を、基本的な考え方や構造はそのままに、そのプラットフォームをネット上に構築したということである。

これを、WEB2.0的に整理すると、インターネットユーザーという「不特定多数」の人々の「意見(回答)は正しい」という前提のもとに、市場調査という「マーケット情報(顧客情報)の生産工場」を構築したと見ることができる。つまり、既に「従来の手法」として構築されていたものを、「ブラウザ(質問票の代替)」と「サーバ(調査員なり郵送の代替)」と「データベース(住民基本台帳の代替)」に置き換えたということである。

これを、インタースコープという会社単位で見ると、マクロミルに売上的には5倍もの差をつけられてしまっているが、独自のポジションを構築し、インターネットリサーチの主要プレーヤーとして今までやってこれているのは、僕らが「質問設計・統計・解析・分析」という従来型リサーチビジネスの必須要素を身につけていたからであるが、別の角度から見れば、リサーチビジネスにおける「こちら側」に意識が強くなり過ぎてしまったがために、「あちら側」や「低バジェットの市場」に対する意識が低くなり(実はここにも紆余曲折があったのだが)、マクロミルほどのブレイクには至っていないと言うことも出来る。

その点、梅田さんが取締役を務める「はてな」やMIXIの笠原さん、GREEの田中さん、ドリコムの内藤さんという僕よりも10才以上も若い人達は、I.T.関連のビジネスに対する見方やスタンスが異なるのであろう。

昨年12月の定時株主総会で自ら創業したウェブクルーを退任した渡辺さんが、「20代の人達には敵わない」とよく言っていたが、そのことの意味が「ウェブ進化論」を読んで、とてもよく理解できた。

話は変わるが、来週月曜日に、ドリームビジョンの設立を記念して簡単なレセプションを開催することにした。実はそこに、インタースコープ関係者は殆どお招きしていない。

僕は自分の中でインタースコープ時代の「何かにケジメをつけたい」と思ってそうしたのだが(誰を招くと誰も・・・的な問題も考えたという理由もある)、その「何か」がウェブ進化論を読んで確認できたような気がしている。

それは、僕の「本質はネットベンチャー」ではないということである。

もちろん、インターネットリサーチにしても、保険スクエアbang ! にしても、ネットをキードライバーとして活用したビジネスであることは間違いないが、その発想のベースはマーケティング的なところにあり、テクノロジーではない。そこに戦略的な矛盾があったと思っている。そして、その「垢」を落としたい。

今からもう10年近く前になるが、名古屋に本社を置くユニーというGMSの子会社の社長をされていた、古河さんという方との会話が頭に残っている。

当時の僕は、最初に創った会社を経営している時だったが、ウェブクルーの渡辺さん達と一緒にネットビジネスを始めていた時期だった。古河さんは、おそらく20才は年下だろう僕に色々なことを素直に質問してきて、少しでも頼りにされていることを嬉しく感じていた。

ある時、古河さんから「これからの時代は平石さん達のような人達が創って行くんでしょうね」と言われたのだが、僕は「僕なんかは野球で言えば、中継ぎのような役割であり、僕よりも若い世代には物凄い人達がたくさんいます。僕は、せいぜい勝ち試合の中継ぎを務められるような存在になれれば幸せだと思っています」と返事をしたことがあった。僕はその時、あることがきっかけで知り合った孫 泰蔵さん(現在はアジアングルーブ代表取締役社長兼ガンホーオンライン代表取締役会長)のことを頭に思い浮かべていた。

梅田さんはウェブ進化論の中で、「大きな環境変化が起きたときに、真っ先に自分が変化しなければ淘汰される。(中略)これまでの生き方に固執するよりも「リスクが小さい」と、私は強く確信していた。本質的変化に関する一つ一つの直感を大切に、『時間の使い方の優先順位』を無理してでも変えてしまうことで、「新しい自分」を模索していきたいと思った」と書いている。また、「これまでに引き受けた仕事はすべてきちんと続けていくが、もうそういう委員みたいな仕事は新しく引き受けないと決心した」とも書いている。

僕が一度目の起業の後半において、当時の「ドル箱」だったDTPの仕事をバサッと切った時があったが、あの時の判断も「今、変わらなければ淘汰される」という「直感」でしかなかった。

今回は、それなりの裏付けなり、僅かではあるが資金的手当はあってのことだが、それでも「直感」の域を出ないだろう。敢えて言えば、「理念や思想」のようなものに後押しされているとも言えるし、インターネットリサーチ業界のみならず世の中の環境変化を考えた結果、43才という年齢的なことも含めて、今やらなければ一生できないで終わってしまうと思ったということである。

西川さんがネットエイジを立ち上げたのが40才の時、山川さんが僕と一緒にインタースコープを立ち上げたのが43才で今の僕の年齢の時である。

既に、スタートは切ったので、あとはやるだけだ。

このテーマで、もう少し書きたいことがある。「経営者の孤独」に関しては、しばらく先にしようと思う。