経営は科学か? 愛情か?

結論から言えば両方が必要だ。

2~3年前、インタースコープの戦略を見直すに際して、株主であるVC(ベンチャーキャピタル)にインタースコープの評価を聞いたことがある。

その時に、あるVCの担当者から、「御社は(しっかりとした)経営はされている。但し、ベンチャーの創業から数年は、もっとメンタルな部分でのグリップが重要だと思う」というコメントを頂いた。

インタースコープの経営理念は、「科学的アプローチと徹底した人間主義により新たな価値を創造する」というもので、経営においても「科学的なアプローチ」がされていたということだと思う。

話は変わるが、先週と今週と2チームに分けて、僕が社外取締役を務めるラソナのマネージャークラスの人達との懇親会を行った。

ラソナは今年が10年目にあたる会社で、今までは外部資本は殆ど受け入れず、創業者であり社長である岡村氏のリーダーシップのもと頑張ってきた会社である。

岡村氏は「画家」出身で、また、彼のオーナー企業としてやってきたということも手伝い、今までのラソナの経営は、決して科学的と言えるものではない。

そのラソナの最大の「資産」は、岡村氏の人柄によるところが大きいのだろうが、主要メンバーが皆、合理性を超えたところでラソナが好きだという点である。これが、あるVCの担当者が言っていた「メンタルな部分でのグリップ」ということだと思う。

その一方、外部資本を受け入れておらず、管理会計や予実管理を厳しく言われる環境ではなかった為、非効率な経営が為されているとも言え、40人を超えたこれからは、科学的な経営が必要である。しかし、科学的視点や手法は「手段」であり、それが目的ではない。そこを間違えると組織に歪みが生じてしまうように思う。

またまた話は変わるが、昨日、僕が20代の頃に働いていたコンサルティング会社で一緒だった友人と、久しぶりにランチを食べた。

彼は先日、僕と同い年にも関らず、ある上場企業の社長に就任した。素晴らしいことである。

「起業」は、そこそこの才能とやる気さえあれば誰にでも出来ると言っても過言ではないが、組織で上り詰めて社長になるというのは、誰にでも出来ることではない。確かに、一般的には、創業社長とサラリーマン社長とを比べれば、その迫力や会社に対するコミットメントには大きな差があると思うが、僕が尊敬する伊藤忠商事の丹羽宇一郎氏のような人もいる。

因みに、僕の友人が社長に就任した会社の前社長は、何事も「論理とパワーと経済合理性」で進めるタイプの人だったようであるが、そのことが災いして社内に歪みや摩擦が生じたらしく、それで退任となったそうだ。

僕は経営を語れるほどの経験も力量も持ち合わせていないが、やはり、何事も根本は「愛情」だと思う。それがなければ、常識の範囲内のアウトプットしか出てこないだろう。何故なら、そこまでして頑張る必然性がないから。経済合理性だけであれば他にオプションはいくらでもあるはずであり、組織にロイヤリティは生まれないだろうから、長期的にみれば生産性が下がると僕は考えている。

ドリームビジョンは、科学的視点と共に、一緒に働く人やお客さんに対する愛情を併せ持っていて、そこで働く人が「物心共に充実した生活が送れるような会社にしたい。もちろん、科学と愛情の順番は逆である。ベンチャー企業では、10年来の友人である鉢嶺氏が経営するオプトは、僕の理想に近い会社である。