アインシュタインと自由

前回のブログで約束したとおり、今回はアインシュタインと自由をテーマに書くことにする。但し、その前に少しだけ「お金(収入)」の話に触れたいと思う。

先々月の最終日(3/31)、学生時代にインタースコープでインターンをし、弱冠26才にして、ニッセンとインタースコープの合弁会社(ALBERT)の社長に就任した上村という人間をゲストに招いて、キャリアセッションなるイベントを開催した。僕が上村にキャリアに関する質問をしながら話を進める対談形式のセッションだ。

ドリームビジョンという聞いたこともない会社の、しかも、有料のセッションにも関わらず、20人近い人が参加してくれた。因みに、その集客ができたのは、留学先のアメリカの大学を休学して一時帰国し、ドリームビジョンでインターンをしてくれている山田くんのお陰だ(山田くん、本当にありがとう!!!)。

上村は新卒でアクセンチュアの戦略コンサルティング部門に就職し、1年3ヶ月働いた後、インタースコープに出戻ってきた。というよりも、出戻らされたと言った方がいい。

当時のインタースコープは、結果的にニッセン(インタースコープの株主の1社)との合弁会社となる新規事業開発に着手する少し前で、共同創業者の山川が熱心に上村を口説いていた。

上村は「山川チルドレン」と言っていい程、当時から山川さんを慕っていたが、その山川さんからの誘いとは言っても、さすがに超難関のアクセンチュア戦略部門を辞してまでインタースコープに戻ってくるというのは、そう簡単な話ではなかった。親父さんにも相談をしていたという。

僕は正直、せっかくアクセンチュアに就職して活躍していた上村をインタースコープに呼び戻すことに躊躇いがあった。なので、その模様を静観していた。しかし、最後は結局、何と「君の人生にコミットする!!!」と言って、僕も上村口説きに加担した。

その言葉が響いたのかどうかは分からないが、上村はインタースコープに出戻りニッセンとの新規事業の立ち上げに参画し、結果としてニッセンとの合弁会社(ALBERT)の社長になった。

上村とのエピソードと言えば、もうひとつ、彼がアメリカの大学に留学していた頃の話がある。

彼はネットで検索してインタースコープを発見し、当社でインターンをしたいという趣旨のメールを送ってきたのだが、当時の人事担当者から「ETICを通すように」と通り一遍の返事をされたのをCCで読んだ僕が、それは可哀想だと思い、横から助け舟を出したことに始まっている。

彼はアメリカに留学する前、僕の弟が学生の頃に住んでいた学生寮に住んでおり、僕は彼に親近感をもった。それで、個人的に返事を書き、彼を面接に呼んだ。そんなこともあってか、彼は、山川さんとは別の意味で僕を慕ってくれているようだ。

そのような個人的な人間関係もあり、また、マーケティング効果を考えても、ドリームビジョンとしての最初のキャリアセッションのゲストは上村しかいないと決めていた。

さて、その上村をゲストとして呼んでドリームビジョンとして初めて実施したキャリアセッションは、幸いなことにかなり盛り上がった。

セッションが終わった後、会場から質問を受け付けたのだが、その時の質問の中で「収入」に関するものが印象に残っている。

その質問をくれた方は学生のようだったが、彼は「答えて頂けるかどうか分かりませんが、ALBERTの社長になったて年収は上がったのですか?」と質問をし、その質問に対して、上村は素直に回答した。

一言一句は覚えていないが、「アクセンチュアからインタースコープに出戻った時、そして、ALBERTの社長に就任した時、それぞれ少しではあるが年収は上がった。経営者は失業保険もなく、リスクがあるので、現在の年収は妥当だと思う」と上村は回答した。また、現在もアクセンチュアに残っている同期のスタッフで自分よりも年収が低い人間は誰もいないとも言っていた。

その学生の質問に対する上村の回答を聞いた時、僕は「ミスリードしないかな・・・」と不安になったが、そこで口を挟むことを躊躇し、結局、何も言わなかったことを少々悔やんでいる。

僕自身のことで言えば、最初の起業のクリードエクセキュート時代とインタースコープ時代の役員報酬(収入)を比べれば、インタースコープの時の方がだんぜん高かった。しかし、上村の話のように、経営者は失業保険も無ければ労災も適用されないし、尚かつ、会社の債務(クリードの時とは額が違う)に対する個人保証をしているわけで、負っているリスクを考えれば妥当な金額だったと思う。実際、上村のパターンと同じで、僕の親しい友人で商社や金融業界に働いている人達は、僕の役員報酬よりも高い給料を得ていた。

では、ドリームビジョンになってからはどうか?というと、一言で言えば半減した。

その理由は単純で、ドリームビジョンはインタースコープやALBERTと違ってVC(ベンチャーキャピタル)等の投資家から資金を調達していないので、先行投資に回せるキャッシュが限られているということである。

では、どうやって生活をしているかというと、以前のブログで書いたが、創業メンバーとして参加したあるベンチャー企業が株式を公開したので、多少のキャピタルゲインを得ることができ、それで補填しているということだ。

とは言っても、この先、2年も3年も持ち出し生活が可能なほどお金がある訳でなく、2年目(出来れば初年度の後半)からは、しっかりとキャッシュフロー(現金収支)を生み出す必要がある。そういう意味では、VC等の投資家から多額の資金を調達して事業を始められるというのは、本当に恵まれている。それなりのお金が無ければ、優秀なスタッフを採用することも出来ない。

先程の質問に話を戻すと、インタースコープの時の僕も、ALBERTの上村も、「投資家」がいるからこそ、そこそこリスクに見合った収入を得ることが出来た/出来ているということだ。そして、今の時代は10年前と比べればだいぶ違うと思うが、それでも投資家からお金を集めることはそう簡単ではない。もうひとつ、大事なことは、当然のことだが、投資家からお金を集めるということは、同時に、大きな責任を背負い込むということだ。そのことを忘れて安易にお金を集めると不幸になる。

実は本日昼過ぎに、あるVCの方がドリームビジョンのオフィスに僕を訪ねてきたのだが、その方が「平石さんがやろうとしていることには、とても共感するよ。みんな総論は絶対に賛成だと思う。だけど、お金を出すか(投資するか)?というと、なかなか難しいだろうね」と言っていた。僕もそう思う。

では、何故、そこまでして「3度目の起業」をしたのか? 
それは、カッコ良く言えば、そこまでしてやる価値があると思っているからだ。

今日(5/2)の午後、僕の親友が経営するWeb製作会社で、ドリームビジョンのWebサイト構築に関するMTGを行った。そこで、ドリームビジョンとして何を伝えるのか?そもそもドリームビジョンのミッションは何なのか?ということを、当社メンバーと友人の会社のスタッフと熱い議論をした。

既にだいぶ長くなっているので途中の議論は省略するが、僕はそのMTGで、僕が大ファンだったアイルトン・セナの話をした。

正確な時期は覚えていないが、ホンダがF1から撤退し、当時のセナが所属していたマクラーレンはパワフルなホンダのエンジンの代わりに、非力なフォードのエンジンを搭載してのシーズンだった。

当時は、ウイリアムズルノーというチームがダントツに速かったのだが、フォードエンジンでは、さすがのセナのドライビングテクニックをもってしても優勝することはおろか、表彰台に立つ(3位以内に入る)ことも出来ないという状況だった。

あれはドニントンサーキットだったが、雨が降りしきるレースとなり、路面のグリップが甘くなったお陰でマシンの性能差が相対的に小さくなり、代わりにドライバーの技量の違いが大きく効いてくる状況となった。お陰でセナは8番グリッドからスタートしたにも関わらず、オープニングラップ(最初の1週目)で「前の7台をごぼう抜き」にして「TOP」で帰ってきた。そして、完走し、優勝した。

その時の解説者は、もう解説ではなく、絶叫していた。僕はテレビの前で感動のあまりに泣いていた。

当時の僕は、それこそ「起業したはいいものの」・・・、苦戦の連続で、もう諦めようか(サラリーマンに戻ろうか)?と悩んでいた時だったのだが、セナの勇姿をみて「勇気」をもらい、「諦めずに頑張っていけば必ず、チャンスは訪れる」と想い、ちっぽけな会社の経営に踏みとどまることができた。そして、その7年後、僕はインタースコープを創業した。

僕はドリームビジョンという会社を経営していくことを通じて、そのサービスはもちろんのこと、僕たち自身の生き方を通じて、一生懸命に頑張っている人たちに、僕がセナからもらったような「勇気」をあげられたら・・・(そういうと偉そうだが、適切な言葉が見つからない)と思っているし、それが無理でも「勇気」を持つ「きっかけ」ぐらいは提供したいと思っている。

さて、では、何故、この話がアインシュタインに繋がるのか?であるが、ドリームビジョンのインターンの山田くんが教えてくれたことがある。

アインシュタインは間違いなく「天才」だと思うが、そのアインシュタインは「わたしは、一日100回は自分に言い聞かせます。わたしの精神的ならびに物質的生活は、他者の労働の上に成り立っているということを」という言葉を残しているそうです。

自分がどんなに天才でも優秀でも、常に社会や周囲に対する感謝の心を忘れない。(もちろん僕は天才ではないが)僕は常にそうありたい(感謝の心を忘れない)と思っているし、そういう人が好きだ(尊敬する)。そして、そういう人は、そのベースとなる才能や素質は親から与えられたものであり、自分の努力で勝ち得たものではない。アインシュタインはきっと、そういう姿勢を生涯に渡り持ち続けたのだろう。だから、素晴らしい功績を残すことができたのではないだろうか?

僕は科学者でもエンジニアでもないのでアインシュタインのことは通り一遍の知識と関心しかなかったが、山田くんからその話を聞いて(正確には、彼がドリームビジョンのSNSの日記に書いていたことを読んで)、アインシュタインを身近に感じるようになった。

実は、ALBERTという社名は、アインシュタインが大好きな山川さんのことを考えて、上村が提案した名前である。「アルベルト・アインシュタイン」というらしい。素晴らしい師弟愛である。

もうひとつのテーマの「自由」であるが、お金があると「自由でいられる(選択肢が増える)」ということと、お金があると「お金では買えないものを守ることができる」ということを書きたかったのだが、さすがに長くなり過ぎたので、今日はこの辺でオヤスミナサイ(笑)。