第10回 江原 理恵氏 vol.1 (4)

第10回 江原 理恵氏 vol.1 (4)

京都での大学生活。そして、就職。

アメリカでの留学生活を終えた江原さんは、京都にある立命館大学へ進学する。

「私がいた高校は女子校で、皆似たような感じだったですが、大学では、個性的な人がたくさんいて、交際範囲や生活が大きく変わりました。私は、映画や音楽が好きで、DJもやっていました。それから、いろんなアルバイトを一生懸命にやりました。一番長くやったのがホテルのアルバイトで、結婚式の配膳の仕事をしていました。最初は、掃除機がけから始まったのですが、最後は一番上になってしまって・・・」。

「早く働きたくてしょうがなかった」という江原さんは、実は、スチュワーデス(フライトアテンダント)になりたかったらしく、留学も、ホテルでのアルバイトも、「フライトアテンダント」の仕事に役立つという意味があったという。

しかし、江原さんが社会に出る頃は「就職氷河期」で、航空大手3社とも採用は殆ど見送り状態。仕方なく、他の業種を探したそうである。

写真:江原 理恵 氏

「早く働きたいと思っていたので、アルバイトが楽しくて仕方ありませんでした。そこを通じて学ぶこととか、知り合う人たちとか・・・」。

「そもそも留学して他の人たちよりも1年遅いので、これ以上、歳を取っていくと就職も厳しくなるし、就職留年みたいなやり方は両親も反対していたので、『それも運命だと思って、どこか縁があったところに行きなさい』ということで、すごく遅い就職活動を始めました」。

結果として、江原さんは「証券会社」の内定を獲得し、就職をする。

「なぜ証券会社かというと、Yahoo!のトップページかリクナビのトップページに、バナーが光ったからというだけなのです。『証券会社っておもしろそう』みたいな、それこそウォールストリートみたいなイメージから。
(中略)後悔はしていませんが、もっとアンテナを立てておけばよかったとは思います。スチュワーデスにならないという選択肢がなかったので、他のことは何も考えていなかったし、調べてもいませんでした。スチュワーデス専門学校まで通っていましたから」。