第06回 保坂 高広氏 vol.1 (1)

第06回 保坂 高広氏 vol.1 (1)

プロボクサーにして、3社の経営者。

初めて保坂氏に会ったのは、まだ、暑い頃だった。
弊社の泉谷と早稲田の大学院で一緒だったことが縁で、弊社に来てくれた。

「プロボクサー」だと聞いていたということはあるかもしれないが、それを抜きにしても、保坂氏の眼光の鋭さと引き締まった表情から、この人は「精神的に強い人だな」ということが一瞬で理解できた。

彼は現在、ご自身が創業した株式会社アスリブという、アスリートの「セカンド・キャリア」を支援する会社の他に、お父さんから引き継いだ2つの会社の経営をされている。1社でさえ大変なのに、尚かつ、まったく業種の異なる会社を3社、しかも、従業員総勢100人を超える組織をマネージするということは、並大抵のことではない。

今回は、そんな異色の経営者である保坂さんの「挑戦する生き方」をご紹介したい。

写真:保坂 高広 氏

アスリブのオフィス。ボクシング関連の写真が飾ってある。

「異文化」との触れ合い。

彼は、東京都世田谷区で生まれ、神奈川県横浜市で育つ。
小学校の時は、全員が中学受験をする、いわゆる進学校だったらしいが、「いろいろあって」、中学は地元の公立中学に通う。しかし、そのギャップに戸惑ったという。

「中学の頃は、結構悪くて、ブンブンとバイクに乗っている人がたくさんいました」。

その中学生の頃、イギリスに2週間、ホームステイに行った保坂氏は、「異文化」との触れ合いに魅了される。それがきっかけとなり、高校3年間を「スイス」で過ごすことになる。

「なんでアメリカじゃないの?とよく言われるんですが、スイスってヨーロッパの中心にあるので、いろいろな国にすぐに行けるんです。電車でも、バスでも。それで、両親も『英語だけじゃないだろう。言葉じゃない。普通の高校生が経験できないような、いろいろな経験をしなさい』ということで、『そうですか・・・』と言って(笑)。(親の意見と)自分の意見と半々ですね」。

「全寮制だったのでルームメイトがいるし、夜は先生もいるし、監視されているようなところでしたが、みんなで騒いでいました。高校3年間で12カ国、30都市ぐらいに行きました」。

生い立ちも学歴も人種も職業も異なる誰とでも付き合え、尚かつ、自分のアイデンティティを失わない姿勢は、きっと、小中高と、それぞれまったく異なる環境に身を置いたことにより培われたのだろう。