第04回 吉川 欣也氏 vol.1 (3)

第04回 吉川 欣也氏 vol.1 (3)

インターネットとの出会い。

彼が就職し会社を辞めた1990年という時代は、「ニューメディア」という言葉が流行していた頃で、「高度情報化時代」におけるメディアのあり方や進化の方向性を研究テーマとしていた、プロトコルという小さなシンクタンクに転職をする。そこで、色々なことを学んだのだろう。

彼がインターネットと出会ったのは、1993年。日本では極僅かな人たちしか、その存在を知らなかった時代である。

その頃のことで、彼のアントレプレナーぶりを物語るエピソードがある。彼はプロトコルを辞めて独立した直後の1994年、毎月「60万円」を払ってAT&T Jens から「インターネットの専用線(64kbps)」を敷いていたのである。

「変な話、電通とか、僕の知り合いで、僕が初めてインターネットを見せた人間って相当多いわけですよ。そういう意味では、常に新しいものを見つけるという自信があるんです。伊藤穣一氏なんかに会ったのも、あの頃でした。インターネット黎明期の人達って、いまだに知っているわけですよ。自分達が日本のインターネットのベースを作っているという自負がありました。そうは言っても、メールサーバにしてもブラウザにしても、モノはアメリカからガンガン来るわけです。ちょっとこれじゃいかん!ということで、自分で会社を創りました」。

写真:吉川 欣也 氏

メールサーバにしてもブラウザにしても、モノはアメリカからガンガン来るわけです。ちょっとこれじゃいかん!ということで、自分で会社を創りました。

最初の起業。デジタル・マジック・ラボ。

さて、1994年に「SMILE」という個人事務所(だったと思う)を設立した吉川さんは、翌1995年に「デジタル・マジック・ラボ(DML)」という会社を立ち上げる。

この会社はインターネットの普及と相俟って、急成長を遂げてゆく。

ある時からDMLにジョインしてきた石黒さんという天才的なエンジニアと一緒に、「シスコに対抗するルーター」の開発に取り組み出す。普通の人間なら、シスコの独壇場のルーター市場で勝負しようなどとは考えもしないだろう。尚且つ、それをやり遂げてしまうところが彼の凄いところである。

余談というか結論めいたことを言ってしまうが、僕は吉川さんに限らず、大きなことを成し遂げる人たちに共通しているのは、大きなビジョンと「強い心」だと思う。

頭がいいとかという以前に、「精神的に強い」のである。