第04回 吉川 欣也氏 vol.1 (2)

第04回 吉川 欣也氏 vol.1 (2)

テニスのコーチと経営者との出会い。

8月にシリコンバレーで久しぶりに彼と会うまで忘れていたが、彼はテニスがとても上手で、新聞配達を辞めた後は、テニスのコーチと某海上火災保険コンピューター室でのバイトで「生計」をたてていた。その時の彼のテニスの「生徒」の多くが、社長や役員等の方々だったそうだが、「社長とか役員って、全然偉そうじゃないじゃん」と思ったそうだ。

「みんな(約束の時間よりも)早く来て、学生の僕にちゃんと『お願いします、先生』とか言ってくれて、『何かちょっと違うなあ』という感じでした。すごくいい人が多いし、アドバイスも的確だし、『自分もやっぱり将来、社長になって、こういう人たちみたいにならなきゃな・・・』」と、影響を受けたという。

冒頭でも書いたとおり、彼の学生時代は「バブル絶頂期」である。「金融の国際化」とか「ザ・生保」とかいう言葉が流行った時期でもあり、そのような「金融業界」の風潮を学生ながらに「何かおかしいな」と思っていたそうだ。

そんな頃、何かの拍子で読んだ「シリコンバレー・フィーバー」という本でシリコンバレーを知り、彼はベンチャーキャピタリストという仕事に興味を持つ。その当時、日本のベンチャーキャピタルで新卒の学生を採用していたのは、ジャフコ、NIF(現大和SMBCキャピタル)、NED(現安田企業投資)、日本アジア投資の4社だった。

写真:吉川 欣也 氏

「金融の国際化」とか「ザ・生保」とか、金融業界がそういう時代で、「何かおかしいな」と思っていましたね。

吉川さんは、就職に際しては上記の4社以外は興味がなく、まだIPO(株式公開)していなかったNIFに就職する。しかし、せっかく入ったNIFを「たった5ヶ月」で辞めてしまう。

「なぜ、NIFを辞めようと思ったかというと、1つのきっかけがあるんですが、6月にボーナスを10万円もらったんですね。(新入社員)研修をするんですが、僕は福岡でしました。天神でアパートも借りてくれて、楽しかったわけです。でも、毎日、ベンチャー企業の社長のところに行ってお茶を飲んで、お話を聞いて、給料ももらえて帰るという感じで、給料泥棒もいいとこなんですよ。変な話、向こうからすれば『何しに来たの』と思うでしょうけど、皆さん、真剣に僕の話を聞いてくれました。その中のある方から『吉川君はそういうことをやらないで、将来自分でやりたいんだったら、若い時にやりなさい』という強いメッセージをもらったんです。『そりゃそうだな』と思いました。そんな感じで研修を3ヶ月やりました。東京で1ヶ月、博多で2ヶ月・・・いや、1ヶ月半くらいかな?それで、東京に戻って来て、やっぱりこれはいかん!と、投資をしてもらうのはいいけど、これじゃ給料泥棒だと思いました。すぐコントリビュートできない。やっぱり自分でやろうと思って、辞めたのが9月でした」。

また、彼にとって5ヶ月という歳月は、大企業というものを理解するには充分な時間だったのだろう。こんな話をしてくれた。

「証券会社のおじさんにはいい人もいましたけど、働かない人も見ましたね。社用車で色々な投資先を回るんです。夏も、扇子持って車の中にいて、『いいな、おじさん達は』みたいな感じでね。そういうのを見ていると、だいたいこんなものかな?ですね。僕にとってはそれで充分でした。もちろん、3年とか5年いてこそ得られるものもあると思いますけど、短い期間でしたが証券会社も銀行も見ることができたので、とてもよい経験だったと思います」。